言葉とイメージと
――ついに、この時がやってきたか。
思い返せば、ここまで長かった。幼少の頃、友達とアニメの真似して技を叫びながら公園を駆け回り、中学生になると、「実は僕にも秘められた力があるのではないか……?」とくだらない妄想に耽り、念じながら手を合わせたものだ……。え、みんなもやったよね?
と、まぁそんな話は置いておくとして、『魔法』を使う時がやってきたのだ。晩御飯を食べて、急いで風呂にも入ったし準備は完了だ。
早速、ウィス爺から借りた魔法について書かれた本を開く。まず標題紙には、この本の作者であろう人物の名前が記されていた。クグィマ・ゼナン。この名前はウィス爺の今朝の授業で聞いたな。たしか、現代魔法の基礎を提唱した人物だった。続いてページを捲ると、クグィマの遺した言葉があった。何だか難しく書かれているが、内容を噛み砕いて解釈すると、「己の発した言葉には責任がついて回るものだ。その意味をよく理解しておけ」というような感じであった。おそらく魔法を使う上で大事なことなのだろう。肝に銘じておく。
ここからは、魔法についての内容である。章題に目を通したところ、書かれている内容の多くは古代魔法に関することで、現代魔法については、基になるような考えぐらいしか書いていないようだった。現代魔法は誰かに教えてもらわなければ、『覚える』ことは出来ないので、読み飛ばしていくことにする。
最初に、古代魔法を習得する上で最も大事なことは、反復練習とあった。声に出して言葉の意味を理解し、言葉のイメージをしっかりと定着させることが必要なのだが、これが、思っている以上に難しい。例を挙げるならば、まずはリンゴをイメージしてほしい。リンゴの形や色、味、匂いなんかはすぐに思い浮かべることができるだろう。では、その表面の質感は?重量は?残念ながら、パッと出てくる人は多くないだろう。リンゴという言葉を口に出すときに、普段からそんなことまで意識する人はまずいないのだから。これが現象になるともっと難しくなる。形を持たない燃え盛る炎。炎を直接触ったことがない人からすれば、「熱くて赤く揺らめく」程度のイメージしか持てない。
魔法を使う上で最も難しいのがこの最初の一歩である。行使したい魔法を正確にイメージし、言葉にするだけで、すぐさまそれを呼び起こす。熟練の魔法使いは、使用頻度の高い魔法であれば言葉にせずとも呼び起こすことができるとも言われている。さて、一度その感覚を覚えれば、他にも応用ができるのだが、本を読むだけで魔法が使えるようになるわけではない。そこで、いろいろと考えた結果がこれだ。
魔法を覚える手段は、実際にその感覚を覚えて、地道に脳に刷り込んでいくこととあった。イメージが大事なのだ。用意したのは水を張った桶。ニーナに一言告げて借りてきた。そして、そこに両手を突っ込む。ひんやりと冷たい。だが、それだけでは足りない。
――質感は?さらさら……?
――色は?無色透明……?
――味は?実際手で掬って飲む!味はない……?
――匂いは?なし……?
――音は?ちゃぷちゃぷ、ピチャピチャ……?
それから、水!水!と連呼しながら30分ほど格闘することで、なんとなく水について分かったと思う。
水は水だ。
これ以上の表現が見つからなかった。バチャバチャと水をかき混ぜると、水しぶきが上がる。指を突き立ててクルクルと回せば、渦になる。30分もの格闘は無駄ではなかった。水に決まった形などない。とりあえず、水がどんなものか他人に決められているわけではないので、今まさに見て触って聞いて嗅いで飲んだものが水だ。そのままを表現すればいい。
次に魔力。これは目に見えないし、触れることが出来ない。しかし、そこにはあるのだ。イメージするのが難しいな。先程の水は触ることも出来たし、目の前に存在するのを知覚できたが、見たこともないようなものをイメージするのは……。
だが、ここで、地球で暮らしていたときのことが生かされる。
「……魔力と酸素って似てるかもしれない」
人間が生きていくためには必要不可欠な酸素。体の内部の熱を発生させる反応で使われる酸素は目で見ることは出来ないが呼吸によって感じることが出来るのではないかと考え、体に酸素がいきわたるのを確認するように、深呼吸をした。それを、何度か繰り返し行い、今度は魔力を感じるように深呼吸をした。すると、しばらく繰り返すと身体の芯が温まるような感覚があることに気が付いた。
その感覚を忘れないうちに、身体の内側から魔力を一点へ集める。僕がイメージしやすいのは右の手の平。ゆっくりと、ゆっくりと湧き上がる魔力を手の平へ集めていく。
集められた魔力が散ってしまう前に、魔法にして外へ放出しよう。口に出して詠唱するのは、イメージを強化するための暗示のようなもの。それは格好良いほうが尚いい。そして、閃きと共に、魔力を解き放つ。
『スプラッシュ!!』
僕の手から放たれたのは、水の奔流。勢いよく噴出したそれは、目の前の壁に激突し、音を立てて辺りに弾ける。
生まれて初めて放った魔法の衝撃が、全身を駆け巡り、痺れるような感覚に震えが止まらなかった。
そして、自分の仕出かした過ちに気付き、震えた。なぜ、水を呼び出すだけではなくぶちまけたのか?部屋一面は水浸し。あの温厚そうなニーナであっても、この状況を見たら怒るであろう。普段怒らないような人は、絶対に怒らせてはいけないのだ。それにランドルフも怒らせたらマズそうだ。睨まれたのを想像するだけでゾワリとする。
恐ろしくなった僕は咄嗟に、ある魔法を思い出した。昨日ニーナが髪を乾かすのに使っていた魔法『ドライ』だ。あれの出力を上げれば、この程度の水なら一瞬で蒸発させてしまうであろう。気付くや否や、物を乾燥させるイメージを呼び起こす。イメージするのは現代社会では一般的なあの道具。さらにイメージする。髪を乾かすなんてものじゃ出力が足りない!そして深呼吸によって魔力を貯め込むと、言葉にして放った。
『――っ!?』
詠唱しようとしたタイミングでドアが開かれ、驚きのあまり詠唱を中断してしまう。しかし、これは魔法使いにおいて最大の過ち。行き場を失った魔力が部屋を駆け巡る。部屋中の物は吹き飛び、壁際へと追いやられる。そして僕はというと、突然の魔力の消費に体が追い付かずに、世界がぼやけ始めた。そして、薄れゆく意識の中で、慌てた様子で駆け寄る大男の姿だけが目に映っていた。
◆
目を覚ますと、またもや一階の一室で寝ていた。外はまだ暗いが、うっすらと太陽の光が東の山々から漏れていた。昨日の夜からずっと気を失っていたのだろうか。ベッドの脇には、椅子に腰かけ、頬杖をついて眠るランドルフの姿があった。
とても気まずいので、そーっとベッドから起き上がろうとする。しかし、ここでランドルフと目が合った。
「おはよう。昨日は真夜中に何やってんだ?あまりの音に、びっくりして起きちまったよ」
「昨日は、本当にごめんなさい!」
開口一番に全力で謝罪した。部屋があの後どうなったかなんて想像するのも恐ろしい。水をぶちまけた後に、魔力暴走。初めての魔法の感覚はいろいろな意味で忘れられなくなりそうだった。
「部屋の片づけならパパッと終わらせておいたぞ。派手に散らかってたけどな。しかし、魔法を使いたいんだったら俺に一言、言えばよかったんだけどな。俺は一応魔法使いだし」
笑いながらランドルフはそう言ったが、僕は本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。魔法を使うとなって浮かれて調子に乗って、結局他人に迷惑をかけている。この歳になっても、そういうところは変わらない。今は子供の姿だけど。
「まぁ、アルが無事なら良かったよ。それにしても、記憶失ってからのお前は元気になったな。今までのお前からは想像もできないな。元気そうだし、俺は飯食ってから仕事に行ってくるわ。無理すんなよ」
ランドルフからしたら、寝ようとしていたところを叩き起こされ、部屋の掃除までさせられたのだから怒って当然のことなのだが、そんな表情を見せることなく椅子から立ち上がる。
「その……ありがとうございます」
ニコニコ笑って僕の髪の毛をワシャワシャと撫でるとランドルフは部屋から出ていく。それと、入れ替わるようにニーナが部屋に入ってきた。ランドルフの朝ごはんと弁当を作るために、この時間から起きていたようだ。ニーナは僕の目の前までやって来ると、コツンと拳を頭の上に置く。その表情は少し怒っているようだった。
「あんまり、ランディに心配させちゃだめよ?私だって心配したんだからね。階段からは落ちるし、家の中でも魔法を使っちゃうし。魔法について、分からないことがあるなら私かランディに聞けばいいでしょ?家族なんだから遠慮なんかいらないんだから」
「本当にごめんなさい。今度から相談することにするよ」
こんなにいい両親の息子が、僕の魂で塗りつぶされてしまった。家に帰ること、魔法を使うことばかりで目を逸らしていたけど、やっぱり正直に話しておかなければならない。後回しにして良いことではない。
「あの!ニーナさん、こんな話信じられないだろうけど聞いてもらえますか――」
それから、僕は自分の身に起こったことを伝えていった。前の世界のこと、ここに来てからのこと。ニーナは驚いてはいたが、真剣に話を聞いてくれた。そして、アル本人の意識は感じられないことも伝えた。僕の話が終わると、ニーナは少し悩む素振りを見せてから、ゆっくりと言葉を紡ぎだすように語り始めた。
「実を言うとね、アルは私たちの実の子供ではないのよ。一年前の冬、ランディが仕事で町の外へ出る用事があった日の帰り道、雪の積もる街道の端で倒れているあなたを見つけたの。体中ボロボロな上に寒さで息も絶え絶えとなったあなたを見つけたランディはすぐに治療を施し、治療が終わると町へ連れてきてあなたの親を探した。でも、親は見つからなかった。そこで、本当の親が見つかるまで、私たちが保護することにしたの。」
「目を覚ましたあなたは、まるで心を失った人形のようだった。反応はあったから、こちらの言ったことは理解できているようだったけど、自分から何かをしようとすることはなかったわ。初めは、何らかのショックで心を閉ざしていると考えていたけど、半年過ぎても一向に治る気配がない。ウィス爺を先生として呼んだのもこの頃だったかしら。せめて、自分の興味があることを見つけてくれないかと勉強を教えてみたの。すると、勉強している時だけは、少し元気になったのよ。それからさらに半年経って、『あなた』がやってきたのね。」
僕がこの世界に来た時、人間らしい仕草を見せたアルの行動にニーナは、アルの本当の記憶が戻ったのではないかと期待したらしい。このとき、僕は何も言えずに、俯くことしかできなかった。なんていえばいいのかわからないから。
でも必死に言葉を探す。
「あなたが、本当のアルであるかなんて関係ないわ。今のあなたがアルなんだから。それに、もしかしたら、あなたがこの世界にやってきたことも偶然ではないのかもしれないしね。これからゆっくり考えていきましょう」
ニーナはこちらに手を差し出す。まだ、迷いはあるが僕は確かにその手を取った。
「この世界に来た意味を探してみたいと思います。そうしたら、もしかしたらアルの過去についても何か分かるかもしれないから。それから、ニーナさん、改めて宜しくお願いします!」
「こちらこそよろしくね。アル」
本当のことを伝えて良かった。少し僕も心の距離が縮まったような気がした。
「おーい、ニナ!弁当見つからないんだけど、どこに置いた?」
「え?さっきテーブルの上に置いたはずだけど……?」
――折角の雰囲気がぶち壊しだよ。
くすりと笑ってそう呟いた。