第一歩
「うぅ~、にゃにするの!!」
石造りの廊下をとぼとぼ歩くその隣でノルンと呼ばれていた猫耳の少女は金色の瞳を潤ませ言った。
最初は虚ろな目をして俺に抱きかかえられていたノルンだったが徐々に生気を取り戻したようで、
いつまでも抱っこされてるのは恥ずかしいと先程から内股になりながらも1人で歩いている。
アヒルみたいによちよち歩きになっているその姿は非常にかわいらしい。
「いやー、人の匂いを勝手に嗅ぎ続けられるのが不快だと教えようと思ってやりすぎてしまった」
「やりすぎたじゃない!!!!!
確かに私失礼だた。でもやり方他にあった、はず。
とっても恥ずかしい」
顔を両手で覆いながらぷんぷん怒っている。
「ごめん」
俺は立ち止まり彼女の瞳を見つめながらせめてもの誠意をこめて謝罪する。
「文句、もっと、言いたい。でも私も悪い。だからおあいこ、ごめんにゃさい」
「あれ? 許してくれるの?」
てっきりこんなセクハラしたのだから許してもらえないと思ったのだが……
「うん、私領主の孫娘だから皆私と距離ある。
でも孝也違う。普通の人あんなことしない、だから気に入った。
それに気になる。あなたの匂い」
そう言いながらまたくんくんかされると言うね……
もうここはかわいい子に匂いを嗅がれる事を喜んでおくべきなのだろうか?
「ほ、ほう。まぁ許してくれるならありがたい。
今後もよろしくな。確かノルンだっけ? 合ってる?」
「私ノルン・ゼリオン、ノルンでいい」
「了解、俺も遠慮なくお兄ちゃんでいいぞ?」
「いや孝也呼ぶ」
明確な嫌悪感を含んだ声で即答されてしまった。
まぁ当たり前か。
「そういえばノルンは何で着いてきたんだ?」
「おじい様怒ってる。私行かないと孝也死ぬ」
学長よ、そんなご立腹なのか……
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学園西側の一番端に魔族側の学長であるアーク・ゼリオンの部屋がある。
学長室前に着き、分厚そうな扉をコンコンとノックしようとすると――――
「ああ、来たか。入れ」
部屋から低くて渋い声が聞こえてきた。
中に入ると周囲は一面本が並び中央には応接用のテーブル、
奥には学長のアークが椅子に踏ん反り反っていた。
「おい、お前なんで見ちゃいけないもんを見たって顔で目を背ける?」
アークは白髪の老年の男性だ。髪の毛は肩にかかる長さで髭も長く仙人のような出で立ちだった。
しかも筋骨隆々でありながら猫耳尻尾のオプション付き。
誰もオッサンの猫耳姿は見たくないわな。
「いや何でもありません」
「まぁあよい、それよりも!! なぜワシのかわいい、かわいいノルンに手を出しやがった!!!!!」
急に怒号を響かせ気が付いた時には胸倉を掴まれた。
そのまま片手で俺を持ち上げる。
室内にはアークのとてつもない魔力が漏れ出し窓ガラスを揺らしている。
膨大な魔力量もさることながら俺の存在を射抜く殺気に身が竦むようだった。
「おじい様やめて。私も悪かった」
ノルンが俺の横に立ちアークの服の裾を掴みながら言った。
「いやノルンちゃんは何も悪くない! 何もしていないノルンを辱めたんじゃ、万死に値するわい」
孫に向けてニコリとほほ笑み、俺の方を見てすぐさま顔を皺くちゃにしながら怒りを露わにした。
「おじいちゃん! 私もう気にしてない。これ以上孝也怒るなら私も怒る」
ノルンが必死に身振り手振りしながら俺を庇うその姿に困惑するアーク学長。
まさかここまで俺の味方をするとは思っていなかったのか動揺した様子で学長は言う。
「ええー、何でじゃ。ワシはノルンを思ってやっておるのじゃぞ?」
「おじいちゃんがそういうことする、皆私と距離置く。そうじゃなくても領主の孫だから、気軽に接してくれる人いない。孝也みたいに接してくれる人私ほしい」
声に今までの不満を含みつつノルンは自身の考えを主張する。
「ノルン。お前とちゃんと接してくれるお友達はちゃんとこの学園にもいっぱいおるはずじゃ。
わざわざこんなクソ猿なんか守る必要ないのじゃよ。
それに彼奴はノルンを襲うような節操なし、早々に排除せねばノルンちゃんが傷つくのだよ」
「それでも許して」
「ダメじゃ」
きっぱりとアークはノルンの主張を跳ね返す。
どうあっても自分の主張を通したいようだ。
「おじいちゃんの分からず屋。もういい、私家出る!!」
頑固なじい様を見たノルンは孫娘の特権を行使する。
孫に激甘なこのアークに対して"家出するぞ"と言えばどうなるか想像に容易い。
「まっ、待てぇ、ワシが悪かった。ほれこの通り―――」
両手を合わせてペコペコ孫に頭を下げるマッチョな爺さん。
そろそろ学長も落ち着いてきたようだ。ならば俺が伝えるべきことは1つ。
「学長。私も1人の女の子に対して失礼な言動、申し訳ありません」
最敬礼よりも深々と頭を下げた。
非礼は事実だからな。
「ノルンや。ワシはちとこのクソと話て来るからのぅ、外で待ってておくれ」
「いやここいる」
「大丈夫じゃ、ワシはもう怒っておらんよ」
ゴリラみたいな爺さんが俺に引きつった笑みを浮かべている。
どうみても怒っているんですけど?
猫耳爺さんはノルンを部屋の端に連れてゆき、小声で俺に聞こえないように説得しているようだった。
ふと自分の足元を見ると一冊の本が落ちていた。
『悩殺 となりの子猫ちゃん』というタイトルの本だった。
ネットで猫のかわいらしい姿をまとめたサイトとかあるしああいうのかな?
手に取ろうとすると。
「それに触るんじゃ、なああああああああーーーーーーーーーーーーーー」
すごい剣幕で猫耳爺さんがすっ飛んできた。
俺から本を回収した爺さんは安堵の表情を浮かべため息をつく。
それと時を同じくして怪訝な顔をしたノルンが背後から忍び寄る姿が見えた。
爺さんが本を自身の脇に挟み俺を鋭く睨み付けたその時だった。
ノルンが爺さんの背後から素早く本を奪い、中を開いた。
「……」
ばさっ、本が落ちる音が聞こえ一泊置いて。
「きゃああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
学長室にノルンの悲鳴が木霊する。
孫娘の絶叫に驚いてか慌てふためきながらノルンに近づく猫耳の爺さん。
だが近くにくるとノルンから鋭い回し蹴りをくらって爺さんがこちらに飛んでくる。
俺はひょいと身を躱すと背後の棚に爺さんがぶつかり物が落ちる。
爺さんの表情はこの世に絶望したようなそんな顔で白目を向いて空を眺めていた。
俺はノルンの元に行くと彼女が落とした本を拾い上げ中身を見る。
まぁノルンの反応からして内容はなんとなく想像できるが……
あっ、うん。あれですね。魔族の少女たちのアダルティな本ですね。
しかも盗撮ものみたいなジャンルだな、このジジイ何やってるんだ……
「このジジイなんなんだろう……」
孫にジジイ呼ばわりされ、汚いものでも見るような目で蔑んだ視線を送る。
ふと足元に何かが当たる感触があった。
何だろうと下を見るとそこには水晶が転がっている。
「何だこれ?」
「あ。それね。占いや監視魔法を設置した所の映像見る時に使うんにゃよ。
でもおかしい? 学園内監視用の水晶別の部屋にあるはず」
監視魔法とはこちらの世界で言うところの監視カメラのことらしい。
ノルンは続けていった。
「この水晶に魔力を込めると―――― ……」
水晶には先ほど俺がいたクラスの子たちが映っていた。
その子たちは皆一様に服を脱ぎ下着姿になってワイワイ騒いでいる。
そう、これは女子更衣室にしかけられた、リアルタイムの映像のようだった。
孫娘に秘蔵コレクションを見られ、そして罵られ蹴られと散々な目に合った爺さん。
ついには他人のように扱われているその様はもはや同じ男として哀れに思えてくる。
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学長室を出る頃には日が傾き始めていた。
俺はノルンと共に廊下を歩きつつ寮を目指す。
ノルンは今回の件で家を出るらしい。
事の発端が俺だけに罪悪感はあるが、8割方爺さん自身の責任だろう。
「ノルンはどこの寮に来るの?」
この学園の寮は多くの生徒が"三日月寮"で生活している。
だがこの寮の設備費用はとても高額で学費と合わせるととてもじゃないが一般庶民には手が出せない金額になる。
そのため貧民用に"花月荘"という安価な寮がある。
まぁ、この学園に通っている人のほとんどは富裕層なので"三日月寮"に住む生徒が多い。
例外としてノルンのように実家から通う人もいるようだが……
「孝也と同じ」
短くそう答えた。
てっきり三日月寮に行くものだと思っていたので予想外の返答に少し驚く。
「いいのか? 領主の孫娘がこんな俺と同じ"花月荘"で」
「うん、住めればどこも一緒」
「そうか」と短く答え俺は廊下の窓から外を見る。
夕映えが、赤い色で空と雲を彩る。
夏の夕方。学校の校舎で女の子と廊下を歩く、このシュチュエーション。
俺の過去にはなかった思い出であり、社会人になってから夢見た学校生活の一場面。
それが今まさに実現している。
だがかつてのようにただ喜びに浸ることはできない。
俺は喜びと同時に哀愁の念が交差する。
そう、かつてのように無邪気にその時を楽しむ事はもうできないのだ。
しっかりと自身の感傷に浸っていると、真下の森から人影を見つける。
黒髪の少年が逃げるように木陰に隠れ、その背後から数人の子供たちが追いかけている。
よくよく見れば黒髪の子は、教室で俺の刀を注視していた淡い黄色の瞳を持った魔族だった。
追いかけている子供は4人。いや6人か。
構成は男4人に女2人。
やがて隠れていた子は見つかり、追いかけていた子たちに殴る蹴るの暴行を受けている。
間違いない、あれはいじめの現場だ。
「あっ、アルバート」
ノルンが無表情で追われている子を指さし言った。
「彼はなぜいじめられているの?」
「アルバート変」
「お前もな」
「私違う」
ノルンは頭をぶんぶん振りながら否定する。
髪が左右に揺れ、風に乗って彼女の香りが鼻腔をくすぐる。
「出会ってそうそう異性の匂いを嗅ぐのが普通と?」
彼女は表情こそ無表情だが子供のように身振り手振りする様がとてもかわいらしい。
そんな姿を見て少しからかってみたくなった。
「うぐぅ。孝也も私の匂いを嗅ぎ返す普通?」
"普通さ"と言おうと思ったらすごく恐ろしい形相で睨まれた。
「で彼は何で変なの?」
「役に立たないもの作る」
「えっ? それだけ?」
ぽかんと口を開けて数秒フリーズしてしまった。
そのぐらいくだらない理由だったからだ。
「それと弱い」
いじめの理由は大概くだらないものだと思っていたが、これまたひどい理由だな。
何を作っても自由だし、弱いからっていじめていいわけじゃない。
きっといじめてる奴らはアルバートが自分より格下だと思っているのだろう。
でも元来人に上も下もないだろう。
ただあるのは社会的な立ち位置だけだ。
それを悟り他人に優しく接する事が出来る人は少ない。
特に集団でいじめてる中で1人が正しい信念を持っていても、
その正しい行動が元で次は自身がいじめのターゲットになる可能性がある。
リスクを考えれば誰しもが傍観者となるか長い物には巻かれるだろう。
だからいじめは終わらない。
「先生はこの事知っているの?」
「知らない、ふり」
俺の時もそうだった。生徒間での解決が難しいいじめ問題。
でも唯一助けることができる存在がいる。
それは生徒とは異なるコミュニティに属する先生や大人たちだ。
最悪なのはその大人たちが起こっている問題から目を背ける事だが、
アルバートという少年は誰も助けてくれない絶望的な状況らしい。
「なぜ先生は知らないフリをしている? いじめが起こっていたら学園的にも悪評が立つだろう」
静かな怒りを胸にしまい、疑問を口にする。
「いじめ主犯格が人間領主の息子。無闇に手を出せない」
おそらくその息子の意に沿わない事をすると自分たちの立場が危うくなるから、
大人たちが目を背けるのだろう。
関わらなければ自身に問題は起こらないからな。
俺がいじめられていた時は保険医の先生が助けてくれた。
でもアルバートにはそんな人がいない。
同情と憐れみの念を抱きながら彼を見下ろす。
俺はどうするべきだろう?
余計な事に手を出すのはやめるか、あの先生のように手を差し伸べるか。
そんな逡巡が頭をめぐる。だがすでに答えは出ている。
今の俺にはエリルから貰った力がある。
ならば行動あるのみ!
「ちょっと手伝ってもらうよ」
思考がまとめると俺は行動に出ていた。
横にいる少女の手を掴み窓から飛び降りる。
「えっ!? にゃに、にゃぁああああああああああああああ」
最後までご覧いただきありがとうございます。
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