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ふたりの恋人  作者: 吉富カエル
3/14

迷い

 夕陽が目に染みる。昨日からの雨はやみ、所々に水溜りができている。構内には講義を終え家へと帰っていく人、友人を誘ってサークルへと向かう人など、学生達が大勢行き交っていた。

 千佳は一人ベンチに腰掛け夕陽を眺めていた。夕陽は狭いビルの隙間を縫って千佳の元へとその輝きを運ぶ。それを身に受けた千佳はどことなく浅い眠りの中にいるような、そんな居心地がした。


 そんなぬくもりの中、ふと遠くで千佳の名前を呼ぶ声がした。声の方を振り向くと、直美が校舎の方からこちらへ向かってくるところだった。

「探したわよ。ねえ、千佳、今日の夜ってあいてる?」

 特に何の予定もなかった。千佳は最終の講義も終わり、これからの時間をどう過ごそうか考えていたところだった。慎吾はバイトで遅くなるらしく逢うことはできない。


「うん、特に予定もないけど」

 千佳は、千佳が総司と付き合い始めてからというもの、その事を気にしてかあまり声をかけて来なくなっていた直美を珍しそうな視線で見つめた。

「よかった。実は今日、男友達と飲みに行くんだけど、急に友達の一人が来れなくなったのよ。それでどうしようかと思ってたの。千佳には総司先輩って彼氏がいるけど、今日は人数あわせみたいなものだから、ちょっとだけお願い、ね。今度、お昼ご飯でもおごるからさ」


 直美とは中学からの付き合いで大学のゼミも一緒である。当然ゼミの先輩である総司のことは知っていた。

「う、うん・・・、いいけど」

 直美には慎吾との関係など話してはいない。総司と慎吾、二人の事を知っている直美に話せるわけがなかった。

「よかったぁ、ホントにどうしようかと思ってたのよ。じゃあ、時間になったら迎えに行くから家にいてよ、頼んだわよ」

 それだけ言い残すと直美は再び校舎の方へと戻っていってしまった。


(合コンか・・・、大学に入学した頃以来だなぁ。総司と付き合いだしてからは誰も誘ってくれなくなったし、その必要もなかったから。最近、気分も沈みがちだったし、たまには気分転換もいいのかも知れない)

 千佳はそんなことを考え直美に感謝しながらも、どこかその視線は遠くを見つめていた。

 夕陽がかなり傾いていた。その影は建物の陰に隠れて見ることはできない。千佳はベンチを立つと家へと急いだ。


 千佳が待っていると直美は時間通りに迎えにきてくれた。さっきまでとは少し雰囲気の違う、どこか大人びた格好だった。

「どう、この服。なかなか素敵だと思わない?先週の日曜日に奮発して買っちゃった。高かったんだよ。あ、そうそう、まだ千佳には伝えてなかったけど、今日のお相手はお医者様の卵なんだってさ。もう、すごい期待しちゃってるんだよね、わたし」

 直美は少し興奮気味に、それでいていかにも嬉しそうに千佳に話し掛ける。

「う、うん・・・、そうだね」

 千佳にとって相手なんて誰でもよかった。ほんの一瞬でいい、今の自分のことを忘れる時間が欲しいそれだけのことだった。


 二人がお店に着いたときにはもうみんな待っていた。千佳がその顔を見渡してみると直美の他には知ってる人は誰もいない。

「遅いよ。直美、みんな待ってたんだから」

 直美の知り合いなのだろう。一番奥に座っていた、少しお嬢さまっぽい格好をした人が声を掛けた。

「ごめんごめん、ちょっとお店に迷っちゃって。そんなことより早く始めようよ。さ、乾杯しよ、乾杯」

 直美は言葉では謝りながらもそんな素振りは少しも見せず、自分が先に席に座ると、空いている一番隅の席を千佳に勧めた。


 乾杯が終わると、自己紹介もないままにそれぞれが席の近い人たち同士で会話を始めた。千佳の周りにも当然のように男達が集まっていた。

「名前なんていうの?」

 髪を茶色に染めた男が話し掛けて来る。

「どこに住んでるの?」

 高級そうな腕時計をした男が話し掛けて来る。

「付き合ってる彼氏いるの?」

 Tシャツ姿で他のみんなとは雰囲気が違う男が話し掛けて来る。


 どれも千佳にとってはくだらない質問でしかなかった。その質問に適当に答えるたびに男達は話を盛り上げようと別の話題を切り出してくる。所詮はみんな同じでしかない。どんなに高学歴の持ち主でいようと、どんなにお金を持っていようと、その思考の元から発せられる言葉には何の想いも感じられなかった。


 千佳にとって、例え彼らが何十人、何百人と集まろうと、総司や慎吾の口から発せられる言葉には成りえなかった。彼らは独りでは何もできないのだ。それが千佳にとって悪いこととは思えない。だが決して魅力のあるものではなかった。

(わたしは一時の安らぎのために参加したのに。なぜこれほど比べてしまうのだろう。そもそも比べること自体が間違っているのだ。この人たちはわたしのことを何も知らない。それと同じように、私もこの人たちのことを知らない、そしてこれからも何も知ることはないだろう)


 相変わらず男たちは話し掛けてくる。千佳が男たちを見渡すと、男たちは表面でしか千佳を見ていないように感じられた。

(それなのに比べてしまう。同じ男の人として同じ眼で見てしまう。それがどれほどわたしの恋人たちを蔑んだ行為かも知っている。なのにわたしは・・・)

 彼らの発する言葉など一つも覚えていない。ましてや彼らの服装や顔、そのしぐさなど覚えているはずがない。


(虚しい努力をしていたのかもしれない。わたしには逃げることなどできないのだ。わたしの中には二人しか存在しない。それ以外の男たちは単なる動く生き物でしかない。そんな生き物の言葉はわたしには届かない。わたしを二人から解放することなどできやしない。例えわたしの体に触れる事に成功し、その体温をわたしに感じさせることができたとしても、それは一瞬の出来事でしかない。そのぬくもりがわたしに留まることなどは決してありえないのだ。わたしには・・・)


「ねぇ、千佳。ちょっと、千佳ったら。」

 直美は千佳の肩に手を添えその体を揺り動かしてみた。千佳の瞳がうっすらと反応を示すとその指令は唇へと伝わった。

(え・・・)

 目を覚ますとタクシーは既に千佳の家の前に停まっていた。

「まったくもう、今日はいったいどうしたのよ。あんなにみんなに迷惑かけてさ。」直美は千佳を覗き込むようにして言った。

「迷惑?」千佳は直美が何のことを言っているのか分からなかった。

「まったくこの子は・・・。ようするにまったく覚えてないわけね。」

 直美は千佳のそんな姿を初めて見た。驚きと呆れが入り混じった表情をしていた。


「ごめん・・・、乾杯してからの三〇分ぐらいはみんなと話をしてたような気がするんだけど、そこから後のことは・・・」

 千佳は申し訳なさそうに小さい声で直美に謝った。

「ほんとにしょうがないんだから。でも、まぁ、その方がよかったかもね。今日は全然ダメ。みんなうわべしかないんだもん。あんな連中が人の命を預かるようになるなんて思うとぞっとするわ。でも、千佳がお酒に弱いなんて初めて知ったわよ。それとも・・・、最近、総司先輩と何かあったの?」

 直美は、いかにも千佳と総司の間で何かがあったかのように質問をした。千佳には言えるはずがなかった。直美とは中学からの付き合いである。当然、同じ中学の慎吾のことも知っているし、同じゼミの先輩である総司のことも知っている。

「・・・ううん、なんでもない。たぶん体調がよくなかっただけだと思う。」

 千佳はボーっとした頭を抱えながら、そう言うだけで精一杯だった。

「・・・そう、だったらいいんだけど。でも、あんまり一人で抱え込まないようにね、千佳とは長い付き合いなんだから相談にのれることがあったら言ってよ。」

 直美は千佳の鞄を取ると、千佳の膝の上にそっと置いた。

「ありがと。でも、ホントになんでもないから。」


 そう言うと、千佳はタクシーから降り、部屋に向かって歩き出した。直美は千佳の足取りを確認すると安心したのか、タクシーの運転手に次の目的地を告げた。千佳が振り返った時には、タクシーの姿はもう見えなくなっていた。

 千佳はドアの前で携帯を取り出すとじっと見つめこんだ。

(慎吾に電話しよう。慎吾の声が聞きたい。そして、できることなら今すぐ逢いたい。逢って慎吾に抱きしめられたい)


 千佳はそっと携帯をしまうとドアを開け、靴をそろえることも忘れて部屋へ転がり込んだ。

 千佳が再び携帯を取り出してみると、さっきは暗くて気づかなかったのか、そこには「着信あり」のメッセージが表示されていた。

(誰だろう?慎吾だろうか?でも、今日はバイトで遅くなると言っていたし・・・)


 千佳がはやる気持ちを抑えきれずに、急いで留守電を聞いてみるとそこからは総司の声が流れ出した。

「もしもし・・・、俺、総司だけど、来月の五日から三日間、急に出張が入ってそっちに帰れることになったんだ。だからその日程は開けておいてくれないか。また、連絡する」

 短くはあるが確かに総司の声だった。千佳は急いでカレンダーをめくり来月の日程を確認する。間違えるわけはなかった。総司の帰ってくる日程には日を一日遅らせるようにして大きく、そして赤く丸がついていた。

(慎吾と初めて行く二人だけの旅行の日だ・・・)


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