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ふたりの恋人  作者: 吉富カエル
13/14

音流

 静かな音楽が流れていた。決してはっきり聞こえることはないが、耳を澄ませばその旋律は手に届くかもしれない。どこから流れてくるのか総司にはわからなかった。ただ風に乗って遠く離れたところからここまで運ばれてきていた。

(なぜだ。千佳を最も必要としているのは俺のはずなのに、なのになぜ・・・)


 総司は千佳が自分の元へ来ることを断った理由が自分自身でわからないでいた。

(あれほど自分が望んでいたことなのに。まさか、どこかで千佳のことを・・・)


 時折近くを通る車の音によって音楽の流れが遮られる。だがその音楽は途切れることなく総司の中で流れ続けていた。

(迷いはなくしたはずなのに・・・)


 総司は無意識のうちに直美からの電話を思い出していた。名前まで聞いたわけではない。いや聞いたのかもしれないが覚えていない。ましてや直美に確認する勇気もない。ただその内容のみが総司の中で思い出されていた。

(俺は弱いな。まだどこかで千佳のことを疑っているのだろうな。俺自身そのことに気づかないまま・・・)


 総司は自分のことを顧みた。まだ親と手を繋いで歩いていたときの頃、やっと自分の意見を持ち始めたときの頃、そして千佳と出会い人を想う楽しさに気づいたときの頃。すべてがまるで最近の事のように感じられた。

(走り続けることほど簡単なことはない)


 総司はその自分の思い出が虚しく感じられた。

(それが人にとってどれほど難しいことか、どれほど強く感じられることか、俺にはわからないし、興味もない。ただそれは俺にとっては虚しいことでしかない・・・)


 風の運んでくる音楽はいつしか聞こえなくなっていた。総司はそっと窓際を離れると六〇年代のクラシックを取り出していた。総司が生まれる前の音楽である。

(今回のこともそうだ、俺が走り続けていたなら、走り続けることができていたなら、こんなことにはならなかった)


 曲の出だしは小さく、同じ部屋にいてもかすかに聞こえるほどでしかなかった。

(俺が過去を顧みることがないのなら、昔のまま自分の気持ちだけで走り続けることができていたなら、俺は迷わず千佳を迎えていただろう。だけど俺は・・・、俺はあのことに・・・)


 その曲はやがて部屋の外に届くほどの大きさとなり、そして静かにその暗闇に同調するように元へと戻っていく。

(俺が昔のまま・・・、その自分の気持ちだけで動くことができたならどれほど、どれほど楽なことか・・・)


 総司はゆっくりと窓際に腰掛けた。

(あれほど自分の気持ちを貫こうと決心していたのに。俺は、俺はまだ千佳のことが、千佳の気持ちが気になるのだろうか?俺の気持ちはいったいどこへ行ってしまったんだ。俺はもう、もう千佳に対しての思いを走らせることはできないのか)


 時折、雲の隙間をかいくぐって月明かりが総司を照らす。その影は長く部屋の隅まで伸び、ほんの一瞬を映し出す、そして月の姿と共に身を隠していく。

(ダメだな。俺はもう一人では答えすら見つけることができない。きっとこれからもそうなんだろう。自分の気持ちだけで動くことなんて俺には無理なんだろうな。でも、これが本当に人を好きになることなのかも知れない。今ならさおりさんの言っていた言葉の意味も分かるような気がする)


 総司は以前さおりの過去の思い出話を聞いたときのことを思い出していた。部屋に流れる音楽は総司の思い出を押し潰すかのように大きくそして鋭くなっていた。

(相手の気持ちが怖い。その意味がやっとわかるような気がする。今の俺には自分の気持ちの前に千佳の気持ちがある。俺の気持ちは固まっているのに。その想いを伝えたときの、千佳の・・・、千佳の反応を恐れている)


 音楽は何時の間にか終わっていた。そして月もその姿を隠したままであれから総司の前に姿を現していない。

(明日、千佳に逢ったとき、その時にやっと俺の答えが見つけられるのかも知れない)

 総司は窓際に腰掛けたままゆっくりとその瞳を閉じた。


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