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ふたりの恋人  作者: 吉富カエル
11/14

流雨

 あの日以来、千佳の元へは総司から連絡がなかった。カレンダーに目を向けると総司が帰って来る日まであと二日しかない。いつもなら三日とあけずに、連絡をくれていた総司である。もうそろそろ連絡をくれてもいい頃になっていた。


 総司は戸惑っていた。直美からの電話の内容は総司を幸せな気分にさせるには程遠い内容であったからである。だからと言って、自分のことを考えると千佳だけを責めることはできずにいたのだ。もちろん直美の話だけでは千佳の慎吾に対する想いの強さなどわかるはずもない。


 千佳には総司に起こった出来事など知る術もない。総司とさおりとの関係、そして直美からの電話の内容など、総司が千佳と離れてからどのように過ごし、どのような気持ちでいたかなどわからなかった。ただ総司の言葉だけを信じて待ち続けることしかできなかったのだ。


 千佳にとって今は総司だけが生きるための術であった。慎吾がいた頃は慎吾のために生き、総司のことを想っていた。しかしその慎吾は既にいない。千佳の手の届かない遠い世界へ、一人で逝ってしまったのだ。そんな千佳にとっては総司を信じて待つことしかできなくなっていた。


 ワイパーがフロントガラスを覆う雨を拭い去る。その度に一度は良くなる視界も強く降り注ぐ雨によってすぐに遮られてしまう。まるで消えては生まれてくる不安のように。


 何度、電話しようと思ったことだろう。しかしその度にその勇気は飲み込まれてしまった。

(俺はいったいどうしてしまったんだ。あれほど大事にしてきたのに。あの時、自分のために、そして千佳のためにも、伝えたかった言葉。それを信じて待ってくれていると思っていたのに・・・)


 総司は自分の中に生まれてくる想いにどうしようもなく戸惑っていた。

 雨は信号でさえもはっきりと捉えさせてはくれない。

(千佳を迎えに行くと言った言葉に偽りはない。なのに・・・、なのに俺は再びさおりさんと関係を持ってしまった。それだけならば、それだけならば、俺の中だけのけじめで済むはずだった)


 青に変わった信号に総司は気づかない。後ろから総司の車を煽るクラクションが聞こえる。その力によって総司は再び車を走らせることができた。

(わからない・・・、千佳の気持ちがわからない。いったいいつからなのだろうか。俺が向こうにいた頃から?それとも、離れ離れになってからなのだろうか?もし、俺が向こうにいた頃からだったとしたのなら・・・)


 雨は視界のみならずその心にまで降り注ぐ。一度は固まりかけたその決心に水を加え、結束に揺らぎを与える。

(俺はどうすればいいのだろうか?わからない、どうしていいのかわからない。千佳は俺のことを信じているのだろうか・・・、俺は千佳を信じていいのだろうか・・・)


 総司の想いは迷走する。千佳を信じ、そしてみずからを信じていた。しかし総司はその決心さえも守ることができなかった自分を知っている。人の想いの儚さを知っているのだ。


 自分を信じることのできない総司にとって人を信じることほど難しいことはなかった。

(俺はこのまま千佳に逢ってもよいのだろうか。俺は千佳になんと言って声を掛ければいいのだろう。その気持ちが顔に出たりしないだろうか。千佳にあれからの俺とさおりさんとの関係を気づかれたりしないだろうか)


 総司の中には果てしない不安だけが生まれてくる。依然として強く降っている雨はそんな総司の心だけは洗い流そうとはしない。


 信号が青から黄色へと変わる。総司の車は当然のように速度を落とし、交差点の前で停まる。そんなことに疑問を感じるのは初めてだった。

(なぜ、俺は速度を落としたのだろう。もしこのまま交差点へと進入していたなら事故に遭っていたかもしれない。しかし・・・、それは絶対ではない。たまたま交差点に他の車が進入してこなければ、例え他の車が進入してきたとしても接触さえしなければ、俺は無事に交差点を通り過ぎることができる)


 信号が青へと変わる。そしてそれを待っていたかのように総司はアクセルを強く踏み込んだ。

(それがルールだからか?赤になったら停まらなければならない、それが決められたルールだから停まったのだろうか?だとしたら俺は・・・)


 不思議だった。そう考えると今まで自分の悩んでいたことに対して何もかもがどうでもよいことのように感じられた。

(人の気持ちに決まったルールなど存在しない。信号が赤になれば停まる。そのようなルールなどは存在しないのだ)


 簡単なことだった。総司には迷いがなくなるとそこには一本の道しか存在しない。それは総司以外のものが通れば幾重にも分かれ、彷徨ってしまいかねない道であろうと、総司にとってそこには一本の道しか存在してはいない。

(俺は何を迷っていたのだろう。今の俺にとって必要なのは自分の気持ちではないか、それだけではないか。俺にとって千佳の気持ちがどこにあってもかまわない。俺の気持ち、それさえわかれば俺は迷う必要などないのだ)


 総司にとって答えの出てしまった問題ほど興味のないものはない。例えそれが他の人とは全く違う答えであったとしても関係ない。総司にとっては総司の出した答えが唯一無二のものであり、それ以外は考える必要のないものなのである。

(俺には千佳しかいない。例え千佳が他の男の元へ行こうとも再び俺の元へ還してみせる。俺にはそれができる。いやそれは俺にしかできないことなのだ)


 総司にとって千佳に対する迷いは過去のものとなっていた。自分が何を想い何に悩んでいたかを忘れてしまったわけではない。だが既に気持ちの固まった総司にとって千佳に対する迷いは存在していなかった。


(不思議なものだ。ついさっきまであれほど悩んでいたことなのに。部屋に帰ったらさっそく千佳に電話しなくてはいけないな、ここ数日間、連絡すらしてなかったからな。きっと俺からの連絡を待っているに違いない。そうか・・・、明後日にはまた千佳と逢えるのか)

 雨は相変わらずフロントガラスへと降り注ぐ。しかしその頃には総司の心に雨は降っていなかった。


 千佳は今日も部屋で慎吾と向かい合っていた。二人の間には決して会話は存在せず、ただ互いの目を見詰め合うことのみが許されている。


 慎吾が初めて千佳の部屋に現れたとき、その瞳は疑惑に溢れ、寂しさと不安を漂わせていた。しかしそんな慎吾の瞳も、幾日か経つごとに徐々に優しさと安らぎに満たされていった。それはちょうど総司が思い悩んでいた日々と同調する。


 総司からの連絡のない千佳にとって慎吾だけが唯一の心の拠り所であった。例え、そのぬくもりを肌で感じることができなくとも、慎吾の、その瞳を見つめるだけで今の千佳は生きていくことができた。そしてその想いは慎吾にもはっきりと伝わっていた。総司からの電話があるまでは。


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