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第八話

 ベッドに腰掛けたまま、ラートンの様子をぼんやりとながめた。彼は備え付けられているクローゼットから、シャツとズボンを取り出して着替えている。

「今日は内勤か」

「おかげさまでな」

 ラートンは手早く着込むと、脱いだ服をかごに放りこむ。これから洗濯でもするのだろうか。軍では、身の回りのことについては自己責任だ。本部だったら雇いのメイドもいるので、任せることもできるし、自分で洗う人もいる。

「遠征に行ってたんだっけ」

「まあな」

 ラートンは、ヴォルフと入れ違いに遠征に行ったらしい。ヴォルフが帰ってきたときは出かけたあとで、部屋はもぬけの殻だったのだ。ヴォルフがしばらく魔女裁判の護衛任務に追われているうちに、ひょっこり帰ってきたのである。

「そういうヴォルフも、大変そうだな」

「本当だよね」

 ラートンは普段用の上着を着こみながら、苦笑していた。それには同意するしかない。ヴォルフは力なく笑みをうかべる。

「今日も任務なのか?」

「あー、そう。あと少ししたら」

 枕の近くに転がしてある懐中時計を引っぱり出して、時間をたしかめる。まだ朝も早い時間だ。今はおそらくエッカルト達が護衛に当たっているだろう。もう少ししたら、ヴォルフ達、そして夜はベルンハルト達が任務にあたる予定となっていた。

 今日は裁判もなく、ただの護衛で終わりそうである。

「あー、これなら遠征に行ってる方がまだ楽だよ」

 ヴォルフもそろそろ着替えようと思い、立ち上がった。ラートンがクローゼット前の場所をゆずってくれる。クローゼットから、つり下げたままのシャツを取り出した。

「俺もそう思うよ。任務自体がつらいものじゃないのが良いな」

「そうだな。精神的にびしびしくるわ」

 ズボンを履いてベルトをしめる。そしてベッドの下に置いてある箱へと手を伸ばした。箱の中にはさまざまな大きさのナイフが入っている。それを取り出して、腰から提げた。

「まあ、俺らにはお貴族さまの考えなんて、わかりっこないしな」

 ラートンはかごを抱えると、笑いながら部屋から出ていく。残されたヴォルフは、がらりとした部屋で思わずため息をついていた。ベッドに置いたままの懐中時計を手に取り、上着の内側にしまいこむ。

 すっかり気分が落ち込んでしまったが、それでも任務は待ってくれない。朝食を早く食べて準備をしてしまおうと、ヴォルフも外に出た。

 廊下は朝独特の騒がしさで満ちている。食堂に向かって歩いていくと、すれ違った何人もの下士官に挨拶を投げかけられた。この廊下を歩く兵士達は、ほとんどがヴォルフより下の階級なのである。ヴォルフのような、貴族になりきれなかった貴族や、庶民が多く所属する階級。

 この廊下を抜ければ、ヴォルフも敬意を示して挨拶をしなければならない人たちがたくさんいる。

 手に持ったままの軍帽を、強く握りしめた。



 *



 ふわり、と風に何かの匂いが混ざったような気がする。

 ベルンハルトはふと顔を上げた。ちり、とかすかな、小さく武器が立てたような音が聞こえたのだ。護衛している独房のまわりで、音が聞こえた気がしたのだ。

 ゆるんでいた緊張が一気に張りつめた。集中して感覚を研ぎすませると、音の他に誰かの気配も感じる。ベルンハルトと四方を護衛している部下達、そして部屋の中にいるイーリス達以外の微かな気配。忍ぶのに慣れているような感じだ。

 ベルンハルトはそっと腰のナイフに手を当てた。もう一方の手で鍵をさぐり、いつでも入れるように、扉の錠に差す。

 忍んでいた気配はかすかなものだったのだが、それが唐突に膨れ上がった。そして部屋の角側、さらに人気のない、庭に面しているところから大きな声がする。エッカルトの声だ。それと同時に、硝子が割れるような音がした。

 ベルンハルトはナイフを抜きながら鍵をまわして開けると、ひと息に飛びこんだ。

 部屋の中は薄暗く、一瞬視界を奪われた。少しして、視界が薄闇に慣れていく。慣れた視界が映し出した光景は、窓から誰かが飛びこんでくる瞬間だった。

 窓から誰かの腕がぶら下がったかと思うと、ずるずると窓の外へ消えていく。誰か部下が負傷したのだ。

 窓から飛び込んできた男は、黒の頭巾をすっぽりとかぶっていた。飛び込むまでの気配の消し方や飛び込んだ時の手慣れた様子に、誰かに雇われた刺客なのかと見当を付ける。

 男は素早く部屋の中を見回した。そして目標となるイーリスを見つけると、一直線に走り出したようだった。

「させるかっ!」

 ベルンハルトは素早く、男とイーリスとの間に滑りこむ。男との間に割り込みながら、ナイフをかざした。

 男が持つナイフと、ベルンハルトのナイフが擦れあう、鋭くて嫌な音が部屋中に響いた。ベルンハルトの手に、男が掛けてくる体重が重くのしかかってくる。

 男は舌打ちをしたようだった。ふっと掛けられていた体重が軽くなる。男は一度後ろに飛びのいた。二人の間に一瞬、できる距離。わずかな静寂の間を置いて、今度は回し蹴りを見舞ってくる。

 ベルンハルトは素早くかがんで避け、起き上がりざまに肘を男の身体に食らわせた。

 男の腹部に肘鉄が鮮やかに決まり、少しだけ、男の足がもつれていく。

 その隙を見逃すことなく、さらに右膝蹴りを食らわせる。

「がっ!」

 腹部に連続で衝撃を受けた男は小さくうめき声を上げると、そのまま地面に崩れおちた。

 男の意識が無くなったのを確認して、ようやく安堵の息がこぼれ落ちた。

 ベルンハルトはゆっくりとイーリスを振り返った。彼女は壁際に移動していたようで、じっとベルンハルトを見つめてくる。

「無事か」

「ええ、おかげさまで」

「そうか。良かった」

「だけど一体これは……」

 イーリスの瞳がゆらゆらと揺れる。動揺するはずだ。何せ、襲撃を食らったのだから。

「俺にも分からないな。イーリス嬢達のことは軍本部でも一応機密扱いなんだ。一体誰が知ったんだか」

 そう、魔女裁判の作戦は一部の者しか知らない極秘任務のはずだった。それなのに、何故。考えながらそこまで告げたところで、ふとベルンハルトの背後から嫌な物音がした。とっさに振り返る。

 ベルンハルトの向こうには、倒れたはずの男が素早く立ち上がろうとしていた。その手にはナイフを振りかざしている。黒頭巾の隙間から、鋭い眼光がベルンハルトを射抜いていた。

「くそっ」

 今までのは演技だったのか。ベルンハルトはほとんど反射的に動いていた。

 男のナイフが、素早く突き出される。身体を捻って避け、まだ手にしていたナイフを振りかざした。

 その瞬間、ずぶり、と柔らかい感触が右手に広がった。

 腹部に深く、ナイフが突き刺さったのだ。男の顔が信じられないといった、驚きの表情に変わる。男が手にしていたナイフが、からりと床に落ちた。

 男は驚いた表情のまま、ゆっくりと地に沈んでいった。床にじわじわと血の池が広がっていく。ごとりと音がして、ようやく部屋に静寂がもどってきた。

「少佐!」

 冷や汗をかいたところで扉から、焦ったような声とともにエッカルトが飛び込んできた。

 彼の頬にもうっすらと傷が付いていて、頬には血が飛んでいる。外にまで気配を感じる余裕が無かったが、外にも別の刺客がいたのかもしれない。

 ベルンハルトはエッカルトの顔を認めると、素早く命じた。

「急いで運べ! まだ息がある!」

 エッカルトはベルンハルトの意図を正確に理解したようだった。ひとつ頷くと、すぐに後から飛び込んできた部下達と、黒ずくめの男を運び出していく。本当は傷のないまま捕らえたかったのだ。だからこそ銃を使わず、最初は体術のみでその場を収めようとしていた。生きたまま捕らえるのが一番の目的だったのである。

 イーリスは壁際に寄って表情を凍らせたまま、男が倒れたところをじっと見ていた。視線の先には血の水たまりが広がっている。

 初めて出会った時が戦場だったので分からなかったが、命を狙われていることにイーリスは恐怖を覚えているのかもしれない。恐怖を感じて当たりまえなのだ。

 訓練を重ねて、慣れているベルンハルトでさえ、恐怖を意識して押し込めていないと、戦闘の場面で怖さにむしばまれているだろう。

「悪いな……」

 ベルンハルトはそっと歩みよった。近くに寄ると、彼女の唇もうっすらと震えているのが分かった。びくりと、イーリスの肩が震える。

 なるべく彼女を怖がらせないように囁いてから、彼女の目を血の池から隠すように、そっと掌で目の辺りを覆った。

「大丈夫だ。必ず守るから」

 普段憎まれ口を叩いている彼女の口からは、何も言葉は出てこなかった。いつもと違う様子に、少しだけ罪悪感を覚えた。

 憎まれ口を叩く代わりにイーリスは、小さく頷いていた。

 

 *


 医務室に近づくにつれ、消毒薬の匂いが漂ってきた。

演習のときは廊下にも手当ての兵士達が溢れていたりするのだが、今日はひっそりとしている。

 医務室の前には、ベルンハルトの部下がひとり立っていた。人目に付かないよう、監視しているのだろう。軽く敬礼を返して、医務室の扉を開いた。

 部屋の中にはいくつかベッドが並んでいた。手前のベッドにはカーテンが引かれていて、他のベッドは空っぽである。

「調子はどうだ」

 カーテンを開くと、そこには椅子に座っているエッカルトとベッドに眠っている刺客の姿があった。エッカルトは立ち上がり、軽く敬礼を返す。

「ひとまず、峠は越えたようです」

「そうか……」

 最後の手がかりだっただけに、状況が心配だったのだが、思わず安堵の息がこぼれでた。

 他の刺客は、捕まえた時に自害してしまったり、武器を手に反撃してきたりだったので止むを得ず銃殺してしまったのだ。

 誰に手引きされたのか、どうしてイーリス達を狙ったのか。不可解な事件の鍵を解くには、どうしてもこの男に生きていてもらわねばならなかった。

 ベルンハルトはそっと眠っている男の顔をのぞきみた。最後に見たときは出血のせいで顔色が蒼白だったが、今は顔色も戻っていた。死の色は見られない表情に、ようやく安心できる。

「しかし、一体誰が、何の目的で……」

 エッカルトが小さく、戸惑ったような声音で問いかけてきた。部下の者達皆が抱えている疑問のはずだったが、ベルンハルトにも答えることはできなかった。

「さあ、分からないな。そもそも、イーリス嬢達を殺してどうするつもりだったのか、それさえも分からないままだ」

 さらに言うならば、イーリス達を裁判に掛ける目的さえも、未だ見えてこないままなのだ。

ただ、ベルンハルトに感じられるのは、何か魔女裁判を隠れ蓑に、広大な計画が始まっているのではないか、ということだけだ。ひたひたと、足下に忍びよってくる何かを感じる。それが何なのかは分からないが、だからこそ気味が悪くもあった。


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