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第三話

 軍の中でも大佐になると、執務室も個人のものを与えられるようになる。執務室が並ぶ廊下へ足を踏み入れると、そこだけ空気が変わったような気がして、思わず足を止めそうになった。少佐であるベルンハルトでさえ、この場所は苦手である。人気がないことがせめてもの救いだ。

 カロッサ大佐の部屋の前に立つと、ベルンハルトは声を掛けながら扉をノックした。

「ブランシュです」

「入れ」

 重い扉をゆっくりと開ける。中の部屋では、奥の机に座ったテオバルト・カロッサが書類に目を通していた。ベルンハルトは軍帽を取り、敬礼する。

「一○三作戦、無事終了いたしました」

「ああ、ご苦労だった」

 カロッサ大佐は顔を上げてベルンハルトを見ると、口元に笑みを浮かべた。丁寧に撫でつけられた髪、穏やかな目元。壮年の世代独特の落ち着きと隠しきれない鋭さが滲んでいた。

「私もあまり気の進まない作戦だったのだがね、想像以上の働きをしてくれた。これで王も文句を言うことはあるまいよ」

 礼を言う、と簡潔に告げられる。ベルンハルトはまっすぐにカロッサ大佐を見据え、口を開いた。

「私どもがこれからやる任務は、まだどうやらあるような感じでしたが」

「分かるかね」

 カロッサ大佐は、ベルンハルトの言葉に楽しそうに笑っていた。まるで、ベルンハルトが答えを見つけたことが愉快でならない、といった表情だ。ベルンハルトが普段接する上官はこんな表情など見せたこともないので、逆に不安を覚える。ちりちりとした何かが腕を這っていくのを感じた。

「私の部隊は今長期の演習に出ていてね、申し訳ないが君の部隊にしか頼めないんだ」

「上官の許可が取れれば、何なりと」

 上には絶対服従。ベルンハルトが所属する陸軍には絶対忠誠というものがある。軍旗に手を掲げて忠誠を誓う。この軍にいるものなら、誰もがすることだ。ベルンハルトにももれなくその精神は受け継がれている。

 だが、胸の内には嫌な予感がひしひしと広がっていた。できればこれ以上、この任務には関わりたくないというのが本心だ。

カロッサ大佐は、こうして向き合って話しているだけだと、温和であるし話しやすい。上官であるアーレンス大佐の十倍は接しやすい。けれども、何故か喉に引っかかるような違和感を覚えるのも確かだ。得体のしれない深淵が、カロッサ大佐の中には横たわっているような気がする。

 そんなベルンハルトの考えを知ってか知らずか、カロッサ大佐はああ、と微笑んだ。

「アーレンス大佐には許可を得たよ。許可を得るまで随分と掛かってしまった」

「そうですか」

 時間がかかったところを見ると、アーレンス大佐も何かを感じてくれていたようだ。それだけがささやかな心の支えだ。

「今裁判所では久々に魔女裁判の準備が進んでいる。ただ、何が起こるか分からないのでね。裁判が終わるまで、魔女たちの監視をお願いしたいのだ」

「監視、ですか」

 何を頼まれると思えば、監視ときた。ますますベルンハルトの中では不信感が募っていく。ただそれを表には出さないように努めた。

「それは構いませんが、私の部隊を使うには少々人が多すぎる気もしますが」

「その采配は君に任せるよ。全員を使う必要は無い。ただ、任務を成功させてくれればね」

「……はい」

 底知れない笑み。ベルンハルトは飲み込まれないように、頷くので精一杯だった。



 *



 それから情報交換をいくつか交わし、ベルンハルトは部屋を後にした。これからどうするべきか。自分の執務室に戻るか、それとも。逡巡する。

躊躇ったが、結局ベルンハルトはさらに廊下の奥へと歩いていった。目的の扉の前で、軽くノックする。

「はい」

「……ブランシュです」

「入れ」

 うめき声のような声が聞こえてきた。ベルンハルトはなるべく音を立てないように扉を開け、するりと入り込む。

「突然すみません」

「いや、構わん」

 部屋の主、ロルフ・アーレンスは、まさにぎろり、と睨みつけるようにベルンハルトを見てきた。だが決して機嫌が悪いのでは無く、それが素なのだということは、長いつきあいでベルンハルトも分かっていた。

 彼もまた部屋に戻ったばかりなのだろうか、軍帽を壁に掛けようとしている。

「カロッサ大佐のところに行ってきたのか」

「はい」

 アーレンス大佐は帽子を掛けると、ゆっくりと執務室の椅子へと腰掛けた。考え込むように、口元に手をやる。

「お前はどう見る」

「正直、今回の任務もまだ意味が飲み込めていません。真意がどこにあるか、分かりません」

 何かアーレンス大佐で知らないか、そういう意味を込めての言葉だったが、彼もまた苦々しげに眉をひそめたままだ。

「この任務は王から降りてきた、というのが専らの噂だな。王族のわがままは貴族でこなせ、という当てつけから来ているのか、それともカロッサ大佐が自ら望んだのか、そこは俺にも分からなくてな」

「そうですか……」

「もうすぐお前の部下たちも演習から戻ってくる。監視任務には交代であたるといいだろう」

「ええ」

「まあいつ戦争の火蓋が切って落とされてもおかしくはなくなってきた。不気味なことは確かだが、この任務のうちに英気を養っておく、そういう心構えでいくしかあるまい」

「はい」

「しかし、魔女狩りとはな……」

 アーレンスは手元の書類を眺めながら、深くため息をついた。どうやら大佐である彼も、この作戦がどうして降りてきたのか、掴み切れていないところがあるらしい。

「王族のわがまま、だけで済むと良いんだがな……」

 アーレンス大佐の言葉は、静かな部屋にやけに大きく響いていた。



 *



 魔女達が過ごすことになった部屋は、本部の中でも奥まった一角にあった。捕虜達が過ごす牢とはまた別の部屋である。

 ベルンハルトはこの部屋の見取り図を手にしながら、今後の作戦を立てていた。彼の周りには、ヴォルフを始め、部下達が揃っている。

「とりあえず、俺とヴォルフでリーダーは交代制にする。隊員は少数精鋭、配置は部屋の前と周りにするつもりだ」

「しっかし、また随分とよく分からない任務だな」

「本当にな」

 ヴォルフは大きくため息をついた。いつもならベルンハルトも上に反するような発言をたしなめるのだが、さすがに今日はそんな気にはならなかった。

「人選はどうするんですか?」

 エッカルト・バウマン軍曹が配置図を見ながら問いかけてくる。彼はベルンハルトの直属の部下だ。見知った人物に囲まれて、ようやく自分の居場所に戻ってきたような感触を覚えていた。

「ふむ。ひとまず一番危険な入り口は俺かヴォルフ、あとひとり欲しいな。窓側はエッカルト達に任せよう」

「分かりました」

「何が起きるか全く分からない任務だ。くれぐれも失敗はしないように、死守してくれよ」

「了解」

 ベルンハルトはそのまま、最初の配置についた。他の配置はすぐに来るだろう。それまでは他の配置の分も神経を集中させる必要があった。

 奥まった場所とあって、ひどく静かな空間だった。まだ尋問も始まっていないとあって、誰かが来る様子も見られない。中からはごそごそと動く気配がするので、イーリスがいるのだろう。隣の部屋からは、かすかに人の気配もする。どうやら大人しく中にいてくれるということに、安堵の息を吐いた。

 ベルンハルトはそのまま目を閉じて、周りの気配に全神経を注ぐことにした。静かな風の音。そして部屋の中からの気配。しばらくはそれだけという平和なものだった。

 少し経つと、本部側からいくつか足音が聞こえてくる。鍛えられた軍人のものだ。少しずつ近づいてきたそれに、ゆっくりと目を開けた。歩いてきたのは、ベルンハルトの部下達だ。

「配置場所については聞いているか?」

「はい」

 部下は軽く敬礼をする。ベルンハルトはひとつ頷くと、配置に付くように告げた。部下はひとつ敬礼を返してから、配置場所となる部屋の向こう側、窓の近くへと歩いていく。

 足音が遠ざかっていくのを確認してから、ベルンハルトは少しだけ俯いた。今度は目を閉じず、地面を眺めながらじっと待つ。

 遠くから誰かが叫んでいるような声が聞こえてきた。これから演習でもあるのだろうか。すぐにその音は聞こえなくなる。

 風がひゅ、と少しだけ強く吹いて、すぐに消えた。

 しばらく経って、また足音が聞こえてくる。顔を上げると、今度は見慣れない人の姿があった。

「裁判か」

「まだ取り調べの段階だ。別室に連れて行くから、警護を頼む」

「分かった」

 ベルンハルトはひとつ頷いて、腰から鍵を取り出した。中の様子を伺いながら、鍵を開ける。扉近くにいる様子はなかった。

「入るぞ」

 一応声を掛けながら扉をゆっくりと開ける。中を伺うと、イーリスがベッドに座っているのが見えた。こちらをじっと見ている。ベルンハルトは静かに足を踏み入れた。

「移動の時間だとさ」

「何をするの?」

 簡潔に声を掛けると、イーリスは立ち上がりながら興味無さそうに問いかけてきた。足音も小さく彼女は歩いてくる。

「裁判前の取り調べさ」

「ふうん……ちゃんとやってくれるのかしら」

「さあなあ」

 ベルンハルトは苦笑するしかなかった。信念を持って忠誠を誓い、軍部に所属しているが、何も問題が無い場所だとは思えないのである。イーリスは分かったのか分かっていないのか、小さく息を吐いてベルンハルトを見上げてきた。

「俺が護衛している場所では、お前の命の保障はしてやる、ぐらいしか言えないな」

「そう……頼りないわね」

 イーリスはベルンハルトを見つめたまま、興味が無さそうにぽつりと呟いていた。全く信頼されていない様子だが、それも仕方無いだろう。何せ魔女狩りと称して、無理矢理捕らえているのだから。

「行くぞ」

 ベルンハルトはイーリスの後ろにまわり、護送の準備を整えると、そっと彼女の腰を押した。イーリスがゆっくりと歩いて外に出る。まずイーリスの取り調べからするようで、外にはニーナがいる様子は無かった。検事達に先導されて、ベルンハルト達は取り調べの別室へと歩き出す。

 一体どんな取り調べになるのか、予想も付かない今後に、ベルンハルトは空を仰いでいた。


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