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第二十一話

 風がぴたりと収まり、処刑場は静寂に包まれた。

 どうやら全てが終わったらしいことがわかって、ライフル銃を掴んでいた手から力が抜けてしまう。

 終わったのか。

 ベルンハルトはずるずるとその場に倒れ込みそうになっていた。

 悪魔が消えても上空に残ったままの厚い雲から、ぽた、と空から一滴、水滴が落ちてきた。それをきっかけに、空から次々と雨が降ってくる。

 ぽつぽつと降ってくる雨に、あちこち負傷した身体が濡れていく。今にも倒れたくなる身体を励ましながら、ゆっくりと立ち上がった。

「うぐぐ……」

 少し離れたところから、イーリスのうめき声が上がった。どうやらどこか負傷したらしく、立ち上がろうとして失敗しているらしい。

 ベルンハルトはイーリスの下へと歩いていった。彼女に肩を貸して、立ち上がろうとしているところを手伝う。

「ニーナは……」

 イーリスは立ち上がりながら、ぽつりとこぼした。ニーナの事が気になって仕方ないらしい。ベルンハルトは黙って肩を貸したまま、ニーナの近くへ歩いていく。

 ニーナは、かろうじてまだ息がある状態だった。僅かに瞼が動くので、息があるのが分かる。ぽつぽつと降ってきた雨が、彼女の顔に落ちていた。

 イーリスはニーナのそばに崩れ落ちるように座り込んだ。ところどころ砂で汚れた白い手が、そっと彼女の頬に伸ばされる。

 ニーナは、イーリスへ目だけ向けて、ちょっと笑ったようだった。混濁した意識の中で、彼女は何かを言い掛けようと口をぱくぱくと開いて、そして閉じる。何を言いたかったのだろう。ベルンハルトには分からなかったが、イーリスには少しだけ分かったようだった。

「そう……」

 イーリスは白い手をそっとニーナの瞼にのせた。その目にはもう、光は映っていない。彼女は力のなくなった瞼を静かに伏せている。

 ベルンハルトは唇を噛み締めながら二人の姿を見つめていた。

 結局、全てを守り切ることができなかった。

 手の中にあるものは全て守ると決めたのに。

 それだけが、悔しい。

 

 そんな時、二人の後ろから、誰かが駆けよってくる足音が聞こえてきた。

「少佐!」

「軍曹」

 処刑場の入り口から飛び込んできたのは、エッカルトだった。ほかに数人、ベルンハルトの部下もいる。焦った様子で飛び込んできたエッカルトだったが、その場の様子を見渡して絶句しているようだった。

「いったい、何が……銃声がして少佐が飛び込んでいってから、透明な壁のようなものに阻まれて、入ることができなかったのです」

「そうか」

 ちらりとイーリスを見ると、彼女は黙ったまま、ベルンハルトを見返してきた。おそらく彼女が精霊を喚んだ時、壁に膜か何かを張ってもらうようにお願いしたのだろう。だからこんなに大騒ぎしても、誰も入ってこなかったのだ。

「まあ、色々あってな。軍曹なら事情は分かると思うが」

「ええ、大体何が起こったかまでは。詳細を聞きたいところなんですが、そういう訳にもいかないんです」

 エッカルトはちらりと後ろを向いて、騒ぎを聞きつけた人がやってくる、と話した。

「今はまだ止めていますが、それもあと少ししか持ちません」

「そうか……分かった。悪いが、撤収作業は軍曹達に任せる。何かあったら、俺に罪をかぶせろ。俺が魔女達を唆して、事件を起こしたと、な」

 ベルンハルトの話に、エッカルトは戸惑ったようだった。

「ですが……、そうしたら少佐は……」

「俺は軍から抜ける」

「えっ」

 エッカルトはぽかりと口を開いた。驚くのも無理は無いだろう。けれども全てを説明している間は無い。

 ベルンハルトは肩章を外し、胸の襟章も外した。

 それをまだ眠ったままのヴォルフの手に、そっと握らせる。

 ニーナが覆い被さっていてもまだ意識を失ったままのヴォルフだったが、手のひらを動かすと、少しだけぴくりと瞼が動いた。

 うっすらと目が開かれる。まだ完全に意識が戻った訳ではなく、夢と現をさまよっているのだろう。

「悪いな。俺は行くよ」

 届かないと分かっていながらも、ベルンハルトは低く声を掛けた。返答はないと思っていたが、ヴォルフの口元がわずかにひらいていく。

「ああ」

 うっすらと細められた目が、どこか眩しそうにベルンハルトを見る。ヴォルフが抱えていた想いを知った今、彼の憧れたものを見るような眼差しが切なくなって、ベルンハルトは一度だけ、ぎゅっと掌を握りしめた。

「行こう」

 立ち上がってイーリスに手を伸ばす。あまりうまく歩けないイーリスを抱えられるほどの力があれば良かったのだが、今のベルンハルトには難しく、それだけが歯がゆい。

 ニーナに別れを告げたイーリスは、無表情にベルンハルトを見つめると、その白い手をベルンハルトの掌にのせた。


 雨に濡れたその手は、冷たかった。

 ベルンハルトにもっと力があれば、この手だけでなく、今離したヴォルフの手も、雨に濡れているニーナの身体も守ることができたのに。

 現実は、握りしめているイーリスの手さえも守ることが難しくて、その現実に打ちのめされそうになる。

しかし、だからこそ、この手だけは守らなければ、と強く思う。

 立ち上がるイーリスの肩を支え、ベルンハルトは処刑場の入り口に向かって歩きはじめる。混乱して状況が分からない今なら、まだ間に合うだろう。処刑場から少しだけ離れた場所に、用意していた馬があるはずだ。

 呆然と見送るエッカルトに一言、悪いと告げて、ベルンハルトは歩き出した。振り向くことなく、まっすぐに前を見据える。

「ねぇ」

「なんだ」

 イーリスが囁くような声音で話しかけてくる。彼女は、怒っているような、困っているかのような、色々なものがない混ざった不思議な表情を浮かべていた。

「これで良かったの?」

「……良いんだ」

 ベルンハルトは前を向いたまま、ぽつりと呟いた。

 雨はいよいよ本降りになってきて、容赦なくベルンハルト達の身体を濡らす。

 ベルンハルト達の身体を隠すように降ってくる雨の中、処刑場から一歩外へと足を踏み出していた。




 *




 灰色めいた雲から降りそそぐ雨がやむ。

 雲の切れ間が見えはじめ、そこから陽の光が差していた。

 町の入り口に立っていたベルンハルトは、空を眺めながら目を細める。

 雨の音が無くなったので、周りは静けさに満ちていた。少し前までは、雨が止んでも爆撃の音が遠くから響いて、ここまでの静けさは無かったものである。

「ベル」

 町の中から聞こえてきた声に呼ばれて振り返ると、そこにはイーリスの姿があった。手に籠を持っているので、仕事でお使いにいった帰りなのだろう。

「どうした」

「雨が降ってるのに本部にいなかったから、自警団の人に聞いたら多分ここだろうって言われて」

 イーリスは少しだけ棘のある声で、雨避けのフードも被らずに、と呟く。怒っているように見えるが、実は心配しているのだということを、長くなった付き合いでベルンハルトは知っていた。

「こっちに来たのは雨が上がってからさ。ほら、濡れて無いだろ?」

 ベルンハルトは小さく笑いながら、両手を広げてみせた。着ているものは霧雨を被って湿っぽかったものの、雨に降られた時のように濡れている訳ではない。

 イーリスは安堵したのか、少しだけ表情を緩めた。ベルンハルトが見ていた方向へと顔を向ける。

「静かね」

「ああ。大戦も終わったからな」

「……そうね」

 ベルンハルトが軍から離れてすぐ、国は近隣諸国との同盟を自ら破棄した。

 完全に孤立無援状態になった国が、周りと戦争を始めたのは、自然な成り行きだろう。

 軍の追っ手から逃れるために、戦火が飛んでこない遠くの町まで逃げたのだが、そんな首都から遠く離れた町にも、戦争の影響は少なからずあった。

 それほど、激しい戦いだったのだ。

 ヴォルフ達も大戦に赴いたのだろう。きっと前線に立たされたはずだ。色々なものを置いてきてしまったことに後悔は無かったが、ただひとつ、かつての仲間達の消息だけは気になるところだった。

 この町に落ち着いてから、軍に分からないよう、父にだけこっそりと手紙を送った。だが返事が来ているかどうかも分からない。大戦の混乱の中、父が生き残っているかすら、定かでは無いのだ。

 イーリスは晴れ間が広がりつつある空に目を向けながら、口を開いた。

「後悔してる?」

 イーリスは何をとは言わなかったが、何を言っているのかはすぐに分かった。処刑場から、イーリスと共に逃げてきた今日までの事を言っているのだろう。

 この町に落ち着いてからも、時々何かを言いたげにしていたのだ。きっとずっと、気にかかっていたのだろう。

「いや」

 ベルンハルトはうっすらと微笑んだ。後悔するとしたら、全てを守り切れずに、掌から零れ落ちていったあの日の事だ。軍属でもそうでなくても、ベルンハルトは今も貫きたいことを貫いている。それはこの先も変わらないだろう。

「そう」

 イーリスはベルンハルトを振り返って、少しだけ困ったように笑った。

 どんな境地に立たされても強く、彼女らしさを失わなかったあの笑顔を守りたいのだ、と強く思ったあの時。それはこの先も、変わらないと思う。

 イーリスの微笑みを眺めていたベルンハルトであったが、その向こうに人影を見つけた。馬を連れて歩く人物の姿は、まだよく見えない。

 ベルンハルトが何かを見ているのに気が付いたのか、イーリスも振り返り。そして小さく驚きの声を上げた。

「あら」

 この町を訪れる人は少ない。おとずれるのは、郵便屋など、ごくわずかな人だ。

 町のすぐ後ろは広い森と険しい山があり、その向こうは海なので、敢えてここを使おうという旅人は少ないのだ。

 二人でそれを見つめている間にも、旅人の姿はどんどん近くなってくる。

 その人物の顔が見える頃になって、ベルンハルトは思わず声を上げていた。

「ヴォルフ……どうして」

 かつて道を違えた親友。どうしてここが分かったのだろうか。まさか、ベルンハルト達を追いかけにきたのだろうか、と思ったが、彼はひとりのようだった。どうにも捕まえにきたようには見えない。

 ヴォルフは入り口に立つのがベルンハルトだと分かると、険しく引き締めていた口元を大きく緩めた。その様子からも、とても捕まえにきたようにも見えなかった。

「よっ」

 ヴォルフは大きく声を上げると、手を振る。精悍な表情に、顔にいくつか傷が増えていて、離れていた年月を感じるが、それでも笑った顔は昔と変わらなかった。

 ベルンハルトも自然と笑顔を浮かべて、手を振り返す。

もしヴォルフにもう一度会えたら何を話そうか、と考えていたこともあった。だがその全てがどうでもよくなってしまう。

 ヴォルフの背後に広がる空、雲の隙間から、濃い青空が広がりつつあった。


(了)

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