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第十九話

 まだ、奥の手があるのだろうか。

 ニーナは見られているのに気が付いているのか分からないが、悪魔へ向かってすっと手を差し伸べていた。その手は、悪魔と同じように、漆黒に染まっている。

 精霊と向き合っていた悪魔だったが、ニーナの呼びかけに、ふいと精霊から距離をとった。少しだけ面倒くさそうに、ニーナを振り向く。

 余裕ができたイーリスも、精霊を近くまで呼び戻していた。悪魔へ注意を払いつつ、ベルンハルトを振り返る。

「大丈夫か」

「ええ」

 イーリスは短く答えて頷いた。ここに引っ張られる時にこしらえたのか、あちこちに擦り傷ができていた。頬にもどこかで擦った痕ができている。

 精霊は、近くで見ると女性のようにも見えたが、やはり人でないと思わせる部分も多かった。緑がかった灰色の肌や、服を着ているのか、それとも身体の一部なのか分からない薄い膜。深い緑の眼差しが、じっとベルンハルトを見据えてきて、額に汗がにじみ出る。

 悪魔とニーナはどんな話をしたのか分からないが、王族が集う場所に身体を向けていた。

ベルンハルト達は、王族達を狙っているのだとすぐに分かったのだが、王族達はどうして悪魔が自分たちを見ているのか、理解できていないようだった。

 王族を助けるべきか。少しだけ逡巡している間に、悪魔は動いていた。黒く染まった手を大きく振り上げ、王族達めがけて勢いよく振り下ろす。

 悪魔が振り下ろそうとした時、横でイーリスがなにかを叫んでいたような、そんな声も聞こえた。


 ぐしゃり、と石造りの壁が壊れる音が、あっけなく響いた。

もうもうと、砂埃が立ちこめる。王族達がいる場所を中心に、視界が灰色に遮られていた。

 灰色に澱んだ視界だったが、風が強いので、すぐに視界は晴れていった。視界が晴れた向こうは、王族を守るように、薄い緑の光が円形に彼らを覆っている光景が広がっていた。イーリスが精霊に助けを求めたのだろう。薄い緑の光は、悪魔の攻撃によって一部分がほつれている。

 イーリスが精霊に視線を送ると、王族を守っていたであろう緑の光が消えていった。硝子が割れるように、光の泡沫を残して消えていく。

 王族の集団は腰を抜かしている者、護衛の役目を果たそうと銃を構えている者、様々だった。腰を抜かしていた者はあっけに取られていたが、すぐに現状を把握したらしい。起きあがって、カロッサ大佐を睨みつける。

 少し、風が弱くなってきた。

「貴様、謀ったな!」

「……ようやく気が付かれましたか」

 王族も、自分たちが狙われると、どうなっているかに気が付いたらしい。

 カロッサ大佐は、王族達に計画を気が付かれても、一向に気にした様子はなく、余裕の笑みを浮かべたままだった。

「ふざけおって……!」

「ふざけているのはどちらでしょうかね? 他国との間にひびが入っているこんな時に、こんな任務を任せてきたのはあなた達でしょう? それを有効活用しようとしただけですよ」

 カロッサ大佐は薄く笑いながら、下ろしていた腕をすっと王族に向けて伸ばした。彼の手には、銃が握られている。この処刑場に飛び込んできて、初めて彼が武器を持っているところを見たような気がしていた。

 それを見て、王族に付いていた護衛のひとりが、一歩前に出た。護衛が素早く銃を構えようとした瞬間に、大佐が持つ銃が、たん、と軽やかで重い音を立てる。

 ぷし、と肩の部分から血がしぶいた。そのまま、ゆっくりと護衛の身体が地面に沈んでいく。

「好きにさせておけば……!」

 護衛が倒れていくのを呆然と眺めていた王族だったが、底冷えするような、低い声で唸った。嫌な予感がする。

 他の護衛は危険を察したのだろう、王族を守るに守備を固め、なんとか処刑場から脱出しようとしているようだった。彼自身も危険は分かっているのか、護衛に引きずられながら、処刑場の中を移動している。

 そんな中、王族がなにかを護衛に囁いた。護衛のひとりはひとつ頷いたかと思うと、銃を手に身体を反転させる。まっすぐ伸ばした腕、銃口が向く先は、ニーナだ。

 王族はニーナに一矢報いようという気持ちなのか。ベルンハルトが足を踏み出そうとした時、ニーナを庇うように、動いた人物がいた。

「ヴォルフ……」

 彼が手にしていた銃を構えると同時に、銃声が響きわたる。王族の護衛が引き金を引いたのだ。同時にヴォルフも引き金を引いたのか、彼の銃からもうっすらと煙が上がっていた。

 ヴォルフはうめき声を上げたようだった。腹部に手を押さえ、その身体が傾いていく。それと同じ時に、相手の護衛も地面へ倒れていった。

「ヴォルフッ!」

 ベルンハルトはたまらず、走りだしていた。彼がカロッサ大佐側の人間で、今の行動だって計画を守るためにしたものかもしれない。それは分かり切っていた。だがそれでも、放置しておくことなどできない。

「おい、ヴォルフ!」

 ベルンハルトも、悪魔の攻撃であちこち負傷している。まだ意識はあるようで、ベルンハルトが呼びかけると、わずかにうめき声が上がった。伏せた顔を横に向けて、呼吸をしやすくしてやる。

 彼は腹部を撃たれたようだった。地面にじわりと、赤黒い染みが広がっていく。近くに弾が転がっていたので、どうやら弾は貫通したらしいということぐらいしか分からない。止血するために、ポケットに入れていたスカーフを取り出し、腹部を強く圧迫する。

 そんな中、ふらふらとニーナが近寄ってきた。ぺたりと屈み込み、じっとヴォルフを見つめる。治療の合間に垣間見た表情は、心配するような、それでいてどこか憎んでいるかのような、複雑なものが混ざり合っていた。

 座り込んだニーナは、おそるおそる手を伸ばそうとする。本当に心配しているのか、それとも何も考えていないのか分からないが、その表情はうつろだ。ただ、なにかをしそうな気配は無いので、させたいようにさせておく。

 その時、ニーナの後ろにふらりと、悪魔が姿を見せる。なにかにが気になったのだろうか。

「おい、うまそうだな」

 悪魔から、涼やかな声が聞こえてきた。思ったよりも人間らしい声だ。だが、その内容は聞き流せるものではなく、ベルンハルトは思わず治療の手を止めて悪魔に目を向ける。

 いち早く悪魔の言葉に反応したのは、ニーナだった。今までどこを見ているのか分からない目をしていたが、それがいきなり目に光が戻り、素早く悪魔を振り返っている。

「この人はやめて」

 何をやめるのだろう。話の内容は分からなかったが、悪魔の好きにさせていると、ヴォルフが危ないのは間違いなさそうだ。

 悪魔はヴォルフの返答が気に入らなかったらしく、不愉快そうに眉をひそめた。

「何だよ。弱った魂は食って良いっていう決まりだったじゃないか」

「それはそうだけど、この人はだめ」

 ニーナは立ち上がって、ヴォルフをふさぐかのように、両手を広げた。その間に、イーリスも小走りで駆け寄ってくる。

 悪魔は腕を組んで、しばらく黙ったままニーナを見つめていたが、やがて、不意にその唇に笑みを載せた。なにかを企んでいるかのようなそれに、ニーナが一歩後ろに下がる。

 悪魔はふい、と右腕を伸ばした。攻撃する度に黒く染まっていた腕は普通の肌色で、ニーナの掌にあったのと同じような模様が刻まれていた。悪魔はそのまま、手を動かす。すると氷が割れるような、ぱりんと華奢な音が響いた。

 音がしたと同時に、掌の模様が弾けるかのように、空中に黒い霞となって、そして霧散する。ニーナから、息を呑む音が聞こえてきた。

「なっ……」

「まあ元々悪魔は裏切りが美徳の種族だというのはお前さんも知ってるだろう。それにお前は契約を破った。これ以上、お前に従っている理由はないということだな」

 悪魔の表情は、とても楽しそうなものだった。心底から今の状況を楽しんでいるのだろう。ニーナを少し見つめていたかと思うと、視線をふいとそらして、ヴォルフへと目を向けた。その目にはヴォルフを補食するという目的だけがあって、ニーナへの想いは消え失せているようにも見えた。

「ちっ」

 このままでは喰われる。処置を終えたベルンハルトは、ヴォルフの前に立ってナイフを構えた。強大な力を持っているのは分かっていたが、見殺しにはできない。

 ナイフの刃が、雲間から差し込んできた光に反射して鋭く光る。

 悪魔はベルンハルトのことを不愉快に思ったのか、わずか、目を細めていた。ざり、とベルンハルトは足に力を入れる。風がさらに弱くなって、処刑場はわずかの間、静寂に包まれた。

 お互いの出方をうかがう短い間の後、最初に動いたのは悪魔だった。その場で、悪魔の腕が黒く染まる。それを目にして、ベルンハルトも大きく足を踏み込んでいた。

 悪魔の腕が、黒く染まりながら振り下ろされる。それをベルンハルトはナイフで受け止めた。生身の腕を受け止めているはずなのに、まるで石に切りつけているような、そんな鈍い感触がした。

 黒く染まると、硬くなるのだろうか。ぎりぎりと重くなっていく腕の力を、必死に腕に力を入れて踏ん張る。隙を見つけて、力を受け流すようにナイフを斜め上に引き上げた。

「はっ……!」

 そのまま一歩踏み込んで、ナイフを腹部に差し込んだ。生身の身体に突き刺さる手応えを感じる。そう思った次の瞬間、再び身体に衝撃がはしった。

「がっ!」

 避けた悪魔の腕が、ナイフを突き刺している右腕をつかんだのだ。みしみしと力を加えられ、痛みにナイフを放しそうになる。

 それでもなんとかナイフを握りしめた手は放さずに腹部から引き抜いた。右腕を掴んでいた悪魔の手はいったん放され、次に肩を掴んだ。力の強さに、簡単に身体が浮き上がる。

「ベルンハルト!」

 誰かが呼んでくれたような気がしたが、痛みでそこまで頭がまわらない。まだ首を絞められていないだけ、良いのだろう。

 浮き上がったまま、片手で悪魔の腕を掴みにかかる。ナイフは刺さりもしないので、使うのを諦めた。

 悪魔は相変わらず愉快そうに笑ったままだ。その深い、深い闇から目だけは逸らさずにいようとじっとにらみ返す。

 そんな二人の横から、ひらりと何かが飛び込んできた。

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