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第十六話

 大佐階級の執務室がならぶ廊下は、いつもよりもにぎやかだった。

 部屋から部下だろうか、出てきてベルンハルトに礼をして通り過ぎていったり、秘書らしき兵が書類を持って中に入っていったりしている。軍では再編成が進んでいる。これが進んで再編成が完了すれば、さっそく各地へ配置されるのだろう。

 全てが始まった時も、そういえばカロッサ大佐に呼び出された時だったのかもしれない。ベルンハルトはそんなことを思い出して、少しだけ目を細めた。緊張はしているが、覚悟を決めた今、気持ちはすっきりとしていた。

 カロッサ大佐の部屋の前に立ち、扉をノックする。中から聞こえてきた返事に名前を告げると、入れ、と短く言葉が聞こえてくる。

「失礼します」

 部屋を開けると、前に訪れた時と同じように、カロッサ大佐は執務用の机に座っていた。部屋には他に誰もいないようだった。

 カロッサ大佐は、ペンを動かしていた手を止めて、ゆっくり顔を上げる。相変わらずの精悍な顔つきだったが、目の下には疲れがにじみ出ているように見えた。彼もまた、再編の準備で大変なのかもしれない。

「お話があるとお聞きしましたが、一体何のご用でしょうか」

 入り口付近に真っ直ぐに立ったまま、ベルンハルトは口を開いた。何の用だかは何となく分かっていたが、ここは黙っておくのが良さそうである。

 カロッサ大佐は僅かに目を細めて、それから小さく笑った。

「君もなんとなくは分かっているのだろう? そろそろこの前の返事を聞かせて欲しくてね」

「……そうですか」

 やはりそう来たか。イーリスに味方すると決まった今、できれば曖昧に濁しておきたかったのだが、そうはいかないらしい。

「私も納得がいくまで悩んでほしいところなんだけどね、何しろ時間が限られているからね」

 カロッサ大佐はペンを空中に浮かべた姿勢のままだ。

 ベルンハルトは小さく唇を噛む。どう答えるか、それはもう決めていて、頭の中でも言葉を考えてもいた。

 もう一度考えていた言葉を反芻してから、口を開こうとした時、カロッサ大佐にそれを制される。

「やはり君は、参加しないんだね」

「えっ……」

 断定のように言われ、ベルンハルトはぽかりと口を開いたままだった。カロッサ大佐は、ペン立てにそのペンを戻して、優雅に両手を組んでいる。

「君に話をしながらも、何となく難しいだろうなとは思っていたよ。君はとても優秀だが、己の正義に捕らわれる節がある。だからこそ、何かを手放して一国を守ることは難しい、そう思っていたからね」

 流れるような言葉を聞きながら、ベルンハルトは何とか頭を動かしていた。

「まだ私は何もお話していませんが」

 カロッサ大佐の目が、鋭く光を帯びる。口元が面白そうに歪められた。

「ほう、なら君は参加すると?」

「……ええ。あれから色々と私も考えました。自分が何を守るか、守るべきかということ。私も軍人の端くれですから」

「それで、一国を守ろうとする私の考えに同意する、と」

「はい」

 ベルンハルトは頷いた。これは勿論、全くの嘘である。色々考えたことは事実だが、どうしてもカロッサ大佐のようには考えられなかった。

 カロッサ大佐の仲間になる。それは計画の上で、避けられないことだった。仲間になることで、処刑台までの余計な戦いを避けられるし、計画の概要を知ることができるかもしれないのだ。

「そうか……」

 カロッサ大佐は手を組んだまま、小さく呟いた。やがて彼は肩を震わせ始めて、そして耐えきれなくなったかのようにくすくすと、笑みをこぼし始める。

 何が面白いのだろうか。ベルンハルトは憮然とする。だが、ひとしきり笑ったカロッサ大佐の目が鋭くベルンハルトを捕らえた時、思わず身体がこわばっていた。

 今までは、笑みの中にもどこか鋭さがある表情を浮かべることが多かった。だが今は、表情全体に、どこか暗いものをはらんでいるように見える。

 表面だけでも隠してきたものを今、惜しげもなく公開しているのだ。これがきっと、カロッサ大佐の本性なのだろう。

「そうか。そうして君は仲間に入りながら、情報を集めて、私たちの計画を壊そうとするんだね」

 彼は暗い表情を隠すこともなく、愉快そうに笑う。表情にも強ばらせる要因があったが、話した内容にも衝撃が走った。

 なぜか知られている。だがここで悟られる訳にはいかない、とベルンハルトは何とか立て直そうと唇を湿らせる。

「……まだ計画に参加する、と話しただけですが、どうしてそうなるのでしょうか?」

「どうしてそうなるって?」

 カロッサ大佐はさらに愉快そうに、ベルンハルトの言葉を返した。ちらりと、彼の視線がベルンハルトから外れる。

 その時、扉が開いた。だが、そう思った瞬間には後頭部に衝撃が走った。

「なっ……!」

 会話に気を取られていたために、完全に後ろに気を抜いていた。ぐらりと視界が揺れて、床に倒れ伏す。

 床から何とか、襲われた人物を見上げようと視線を動かした。白くなっていく視界の中、ちらりと捕らえた人物がいた。

 その人物に、ベルンハルトの胸の内に、驚きが広がっていた。だが、その驚きを声にする間もなく、意識が遠くなっていく。

「悪いね」

 カロッサ大佐が、どちらに呟いたのか分からない声を最後に、ベルンハルトは完全に意識を手放していた。


 *


 ぴたん、と水が床に落ちる音がする。その音で、ベルンハルトの意識が浮上した。

「ぐっ……」

 目が覚めた途端、頭の痛みがよみがえって、思わず呻く。ずいぶん手加減なしにやってくれたものだ、と頭に手を当てた。

 あたりは薄暗かった。ベルンハルトがいる部屋に光源が無いようだから仕方が無いだろう。廊下に光源があるようだった。壁は石造りの部屋だ。その薄暗さや部屋の様子から、あまり使われていない本部の地下牢だと見当を付ける。湿気が多いから、どこかで水が落ちているのだろう。

 今は何時だろうか。どれくらい眠っていたのか分からないが、腹がずいぶんと減っているので、昼が夜に変わるぐらいは眠っていたのかもしれない。時計を探すために服をまさぐるが、当たり前だが武器や時計などは取り払われていた。残っているのはいつも身に着けている軍服と、胸の襟章ぐらいだ。

 その襟章も、捕らえられた今となってはひどく滑稽に感じられる。

 天井を眺めて考えをまとめていると、廊下から足音が聞こえてきた。ベッドから起きあがると、ぎしぎしとベッドが軋んだ。

 廊下側は、壁の一部は鉄格子になっているので、誰が来たのかは扉を開けなくても分かる。足音は次第に近づいてきて、ついに牢の前に姿を見せた。

「ヴォルフ」

「……体調はどうだ」

 鉄格子の向こうには、ヴォルフの姿があった。薄暗いので、表情までは分からない。頬にうっすらと、ランプの光が反射していた。

「悪くはない。お前に殴られた痕がまだ痛いがな」

「それは悪かったね」

 ヴォルフと距離を取ったまま、ベルンハルトはじっと彼を見つめた。

 あの時、カロッサ大佐の部屋に飛び込んできたのは、ヴォルフだった。

今、冷静になって考えてみると分かる。

 きっと、イーリスとの会話を誰かに聞かれたのだ。おそらくヴォルフか、ヴォルフの息が掛かった部下か。今までベルンハルトの部隊では、ここまでくっきりと立場が分かれることも無かったので、油断していたとも言える。

「夕食を持ってきた。とは言っても、パンと水しか持ってこれなかったが」

 ヴォルフはそう呟いて、そっと壁に備え付けてある窓を開けると、繋がって付いている台の上に、籠を乗せた。布が掛かっているが、中にはパンと水があるのだろう。一応、夕食を心配してくれる心はあるらしい。

「罪滅ぼしのつもりか」

 思わず皮肉が口からこぼれ落ちた。ヴォルフはそれに答えることもなく、窓を閉める。そしてまた、鉄格子の前に立った彼をひたりと見据えた。

「お前は、カロッサ大佐の意見に賛成なんだな」

 ヴォルフに皮肉を言う気持ちはあったが、不思議と、怒りは湧いてこなかった。ただあるのは、どうして、という純粋な疑問だ。

 今までヴォルフとベルンハルトの意見がはっきりと分かれることは無かった。だから今、ヴォルフが何を考えているのか、ベルンハルトには分からないのだ。

「ベルは思ったこともないんだろうけどさ」

 しばらくヴォルフは黙りこくっていたが、やがてゆっくりと口を開いた。暗い牢に、無理に明るくしているようなヴォルフの声が響く。

「俺はベルがうらやましかった。未来を約束されているあんたが」

「え……」

 初めて聞いたヴォルフの本音に、ぽかりと口を開いてしまう。ヴォルフは少しだけ、笑ったようだった。

「ベルは分からないだろうな。ベルと俺は同じ貴族だけど、大きな違いがあった。あんたは由緒正しい、何代も続く家。俺は一代でのしあがった、いわゆる成金の家。昔は何とも思わなかったけどさ、軍属になってからその違いを嫌というほど思い知ったよ」

 ヴォルフは明るい声音のまま話す。その明るさに見合わない話の内容が、痛々しく感じられた。

 ヴォルフとベルンハルトに違いがあることも知っていた。ベルンハルトは軍属になった時点ですでに少尉という身分で、まだこれから昇進することもできた身分だった。ヴォルフは入った時こそ同じ階級だったが、おそらく大尉より昇進することはないだろう。

 だが、ヴォルフが己の身分を気にしたそぶりなど、一度も見せたことが無かった。彼はいつでもベルンハルトの良き右腕で、そして親友だったのだ。そう思っていた。

「だからあんたが羨ましかった。思い悩むことなく、未来へ突き進んでいくベルが。眩しかったよ……俺には、眩しすぎるほどに、さ」

 少しだけ、寂しそうな色が混ざる。大きくランプの光が揺れて、ヴォルフの表情がはっきりと見えた。

 彼は穏やかに微笑んでいた。その微笑みがどこか痛々しくも、寂しそうにも感じられる。

「それが、理由なのか?」

「ベルにはきっと分からないってことさ。勿論昇進したいっていうのも理由のひとつではあるけど、俺にはカロッサ大佐の気持ちも少し分かるんだ」

「カロッサ大佐の、気持ち……?」

 そんな事、考えたことも無かった。カロッサ大佐の計画にどう対抗するか、それを考えるだけで精一杯で、彼がどうしてそんな計画を思い付いたのか、そんなことに思いを馳せたことなど、無かったのだ。

「ほらな。でもベルはそれで良いんだ。挫折を知る者の気持ちなんて、分からなくて良い」

 ヴォルフは寂しそうに目を伏せた。その仕草に焦りにも似た気持ちを覚える。今まで全てを知っていると思っていた親友が、急にどこかに行ってしまったような、そんな感覚だ。

「確かに俺にはヴォルフの気持ちも、カロッサ大佐が何を考えているのかも分からない。だがそれでも、誰かの犠牲で未来を開いたとして、俺にはその未来が良いものだとは、思えないんだ」

 カロッサ大佐がクーデターを起こして、少しでも国の為に有利になるようにしたい、その気持ちはベルンハルトにも理解できた。だが、そうして未来を切り開いたとしても、本当に国が良くなるのか。ベルンハルトにはとてもではないが、そうは思えないのだ。

「そうかもな」

 ヴォルフもひとつ頷く。それが分かっているのに、どうしてカロッサ大佐の計画に協力しようとするのか。そう訴えようとして、ベルンハルトは口を開いたが、言葉が出てくることは無かった。

 ベルンハルトには、ヴォルフの気持ちを理解することはできなかった。だからきっと、上辺だけの言葉では、ヴォルフを止めることなどできない。

 ヴォルフはそこで口を閉ざした。ランプの火が大きくなったり、小さくなったりする。それに合わせて、影も大きくなったり、小さくなったりしていた。

「ベルには悪いが、しばらくここで我慢してもらうよ」

 じゃあな、とヴォルフは素っ気なく言うと、鉄格子の前から姿を消す。

 ヴォルフはそれを黙ってじっとしたまま、見送っていた。足音が遠くなり、やがて消えてしまうと、ようやくひとつ息を吐く。

 気が付けば、指先が冷えていた。その震える手先をぎゅっと握りしめて、しばらくじっとその場に膝を立てて座っていた。

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