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第十二話

「少し、休憩しようか」

 カロッサ大佐はゆっくりと立ち上がった。そのまま奥の部屋へと消えていく。休憩と言っても何をするのだろうか。警戒しながらも待っていると、カロッサ大佐は茶器が載ったトレーを手に戻ってきた。

「最近取り寄せた茶葉があってね。せっかくだから一緒に飲んでくれないか」

「……はあ」

 どうやら紅茶を持ってきたらしい。時間的にもおかしくなかったが、状況からしてどうしてもちぐはぐな感じがしてしまうのだった。

 ベルンハルトの逡巡をどう取ったのか、カロッサ大佐はベルンハルトの手前にカップを置きながら小さく笑う。

「毒なんかは入っていないから安心していい」

「そこまでは心配してないですが……」

 お茶を入れるティーポットに、カップが二つ。トレーやテーブルの上に置かれているのはそれだけだ。毒が入る余地は無さそうだが、カロッサ大佐ほどの者ならば、いつ毒を混ぜてもおかしくない気もするのである。ベルンハルトの心配をよそに、ゆっくりとカップに紅茶が注がれた。湯気と共に芳香が立ち上る。

「今年二番摘みのダージリンだ」

 大佐はポットを置くと、すぐにカップを手にとって口に運ぶ。案外、ずっと話していたので、のどが渇いただけかもしれない。ベルンハルトもそれを見て、カップを口に運んだ。

「……計画とは、一体何を計画されているのですか」

 聞こうかどうしようか少し悩んだ挙げ句、ベルンハルトは口を開いた。何も知らないままカロッサ大佐の計画に取り込まれるのも、拒否してこのまま殺されるのもごめんだったからだ。カロッサ大佐はまた紅茶をひと口すすり、ふむ、と頷いた。

「そうだな。何も話さないというのも良くない。君はどこまで知っているのかな」

「確証を得たことというならば、何も知らないです。どうやら大佐が、魔女の力を何かに使うらしいという噂を掴んだくらいで」

 慎重派であるらしい大佐が掴ませてくれたのは、それくらいの事だ。

 ベルンハルトは素直に告げて、紅茶をひと口飲んだ。上等のダージリンの味わいが広がる。こんなものは今年飲めるか飲めないかというところだろう。もっと味わって飲むことができれば良いのに、何もこんな緊迫したところで飲まなくても良いだろうに。

「そうだ。魔女の一族がそれぞれ何かを受け継いで生きているのは知ってるだろう」

「はい」

「たまたま王族の晩餐会で魔女のことをぽろりと聞いたのがきっかけでね、魔女の一族がどんな力を受け継ぐのか、調べ始めた。そこで知ったんだ、悪魔と契約する一族の力を」

 違う世界に生きる悪魔の寵愛を受け、召喚し、使役することのできる一族。伝説かと思っていたそれは、王族から聞いた話で本当だということを知ったという。

 ふと、ベルンハルトの脳裏に、以前に図書館で調べた王族と魔女との伝説の話を思い出した。あの時はまさか、と一笑に付したものだった。あのおとぎ話は、現実なのだろうか。

「どうやら過去、王族と魔女の間では暗殺に関わる契約をしていたようでな。その時に色々あって、王族と魔女達の間では未だに血で血を洗うような戦いが続いているらしい。その話を聞いて、私はとある計画を思い付いた」

「それが、私に参加せよとおっしゃる計画であると」

「そうだ」

「悪魔の力を使いたい、という大佐の考えは分かりました。しかし、一体何の為に」

 ベルンハルトにとって一番不可解なのは、その点だった。こうして話している限り、カロッサ大佐が軍の権力を手に収めたいとか、王族を脅したい、とかそういうような人物には見えないのだ。これはベルンハルトの勘でしかないのだが、そうにしか思えない。

 ベルンハルトとカロッサは位の差はあれど、同じ貴族だ。何となく、同じ匂いを感じるのである。

「君は、今の時勢をどう見る? この国の未来をどう見るかい?」

「この国の未来、ですか」

 唐突に変わった話題に、ベルンハルトは少し戸惑った。だがそれも話の中に入るらしい。戸惑いながらも、国の未来について、考える。

 周りの国から孤立し始めた国。些細な事がきっかけで、同盟を破棄してしまってもおかしくない現状。もしそうなったならば、いつどこで戦火の火蓋が切られてもおかしくない状況になるだろう。

 つらつらとそう述べたベルンハルトに、カロッサ大佐は深く笑みを浮かべた。

「そうだ。この国は追いつめられつつある。どこかの馬鹿どものせいとも言えるし、ある意味必然でもあるだろう。だからこうして、軍では先を見越して訓練をしている。だが、もし戦いが起きたとして……君は生き残ることができると思うか?」

 この国が。

 カロッサ大佐の口元は笑ったままなのに、目だけすうっと冷たくなったのが分かった。彼は冷静に、冷酷なまでにこの世を見ているのだ。

 だからこそ、ベルンハルトもお世辞や嘘でごまかすことはできなかった。そっとカップを両手で包み込む。

「残念ながら、思わないですね」

 軍事力が圧倒的に足りない。それはこの国の財力や力を見ればすぐに分かることだ。この国を守るくらいならできるだろうか。

 だがもし、隣の国がどこかの国と同盟を結んで攻め込んできたならば、守りきることができるだろうか。ベルンハルトはその可能性を探って、すぐに否定する。

 おそらく、無理だろう。瞼を閉じれば、無駄死にする自分たちの姿がくっきりと思い浮かんだ。

「そうだろう。だから俺はこの国を守るために必死に考えた。そして、魔女の力を知った。この力があれば、この国を守ることができるかもしれない」

 彼は熱に浮かされたように、そう話していた。そこまでくれば、ベルンハルトにも彼が魔女の力を使って何をしたいのか、分かってきた。

「魔女の力で、クーデターを起こすんですね」

「ああ。あの腐ったぼんくらどもを一掃する」

 そうして、傾いているこの国を立て直す。カロッサ大佐はそう言い切って、カップに残った紅茶を飲み干した。

 ようやくカロッサ大佐が何を考えているのか、きっとまだ氷山の一角に過ぎないのだろうが、それが見えてきた。見えてきたが、あまりにも現実味のない計画だ。だが彼ならば、こなしてしまうのだろう。

 彼は有能だ。今のままでは未来のないこの国も、彼ならば立て直せるかもしれない。それほどの能力と、人望と力。カロッサ大佐は全て持っている。

 けれども、それでもベルンハルトには素直に賛同できない何かがあった。脳裏に、イーリスの仏頂面が浮かぶ。きっとそれは、本能で思うのだ。

「とても良い計画だと、私も思います。それでも、私には賛同できません」

「……何故?」

「何故でしょうね」

 ベルンハルトもうまく答えられず、言葉を必死で探した。懸命に探していくうちに、少しずつ、それが何なのか浮かび上がってきたように思う。

「多分、守れないのが嫌なんだと思います」

「守れない?」

「ええ」

 何を守れないのか、それは分からない。だが、きっと、目の前で散っていく命と分かっていて、見捨てることはできない、そんな気がするのだ。

「まあ計画に参加してくれるかどうかの返事は今すぐでなくて構わない。じっくりと考えてみてくれ」

「ですが……」

 どんなに熟考したところで、きっと答えは変わらないだろう。そう思うが、カロッサ大佐はその言葉を笑って封じた。

「手元にあるものを守るのか、手元にあるものを手放して一国を守るのか、私たちが議論しているのはそれだけの違いだろう。何を守りたいのか、しっかりと考えることだ」

 手元にあったカップの中身は、いつのまにかすっかり冷え切っていた。



 * * *



 ヴォルフが護衛の任務を着々とこなしていく間も、着々と裁判は進行していた。

 まるで台本にあるものを読み進めるかのようなそれは、何度見ても反吐が出るように感じられる。

 護衛の任務は、最初はイーリスもニーナもベルンハルトとヴォルフで交互に対応していた。だが、途中でベルンハルトがほんの少しだけ任務に関わる兵士の数を増やし、ベルンハルトはイーリス、ニーナはヴォルフというように分かれるようになったのだ。ニーナが裁判所に出る際は、ずっとヴォルフが付き添っている。二人の護衛をまとめてするのは、二人とも独房に戻っている時くらいだろう。

 ニーナは裁判が始まって少し経つくらいまで、表情は豊かだった。そのせいで、毎回迎えに行く度に、ヴォルフには嫌そうな表情を向けられたものだ。

 だがこの頃、ニーナの表情は沈みがちになっているようだった。裁判のせいかと最初は思っていたのだが、もっと違うもののような気もする。

 裁判が終わり、独房まで送り届ける時も、何かを考えているような、そんな表情だった。少し前までよく付いていた悪態も、全く聞かなくなってしまっているのだ。

 何か言葉を掛けようか、どうしようか悩みながら歩いていく内に、いつの間にか独房へたどり着いてしまった。

「ねぇ」

「ん?」

「もう着いたんだけど」

 何を話そうか、色々と考えを巡らせているうちに、独房の前までたどり着いてしまっているらしい。ニーナの、何をしているのと言わんばかりの冷たい表情に、少しばかりダメージを受けながら、鍵を探って取り出す。

 そして、ちらりと周りへ目を向けた。そこには、独房を見張っている部下達が、隙のない様子で立っていた。暇そうにはしているが、護衛の任務らしく、あちこちに目を向けることは忘れていないようだ。

 良い部下だ、と思いながら、ヴォルフは彼らに視線を送った。ヴォルフが送った視線の意味に気が付いたのか、小さく頷いてみせた。その動作に、ヴォルフも気持ちを決める。

「すまん、今開けるよ」

 ヴォルフは鍵束を探り、目的の鍵を取り出した。そして、ゆっくりと扉の鍵を開けた。

「お待たせしたね」

「本当よ」

 ニーナはふんと鼻を鳴らしながら、中へと入っていった。いつもならば、中へ入ったのを確認してすぐにヴォルフは鍵を掛けるのだが、今日は周りを確認しながら、中へと滑り込む。

「な、なに?」

 いつもと違う行動にニーナも気が付いたのだろう、振り返って不審そうな表情を浮かべた。

 残された時間が多いわけではない。何も考えていなかったが、それでも何も考えていないなりに頭を働かせる。

「最近、何か考えているようだったから。ずっと表情も沈みがちだったしね。気になって」

 ヴォルフの言葉に、ニーナは息を呑んだようだった。だがすぐに、それを消していつもの、人を小馬鹿にしたようなものを浮かべる。

「そりゃあ、あんな面倒な裁判に参加させられているし、沈むのも当然でしょう」

「それもそうなんだが……、何というか、何か別のことに気を取られている、という感じだったからね。……俺の知らない間に、誰かに何か言われたか?」

 ヴォルフはそっとニーナの瞳をのぞき込んだ。小馬鹿にしたようなその表情は、ヴォルフの言葉で崩れ去ったらしい。

 ゆらゆらと、彼女の瞳は困ったように揺れていた。ニーナは何かを話そうとして、しかし何かに押しとどめられているかのように、口を開かない。

「何か、嫌なことをされたかい?」

 ヴォルフが一番危惧している点はそこにあった。自分が見ている間はせめて誰かに手出しをさせないように、とは思っている。

だが裁判所に入って、法廷の向こうにいってしまえば、ヴォルフは何かが起きるまで見守ることしかできないのだ。その間に何かがあっても、助けることはできない。それがとても、歯がゆかった。

「それは無いわ。大丈夫」

 ニーナは小さく首を振って、ヴォルフの視線から逃れる。強がっているようにも見えたが、嘘を付いているようにも見えなかった。

 彼女の長い黒髪が、ゆらりと揺れた。やや俯いている彼女の黒い瞳から読みとるものは少なく、そのことに焦りをも覚える。

 少しして、ニーナはゆっくりと顔を上げた。その唇が、少しだけ震える。

「ねぇ、あなたが軍に入った理由って、何?」

「軍に入った理由? それはまた随分なことを聞くんだな」

「聞いては、いけなかったかしら」

「いや」

 突然の事に驚いただけだ、と笑いながら、ヴォルフはニーナの問いかけに答えようと、少しだけ考えを巡らせる。だが、彼女を納得させ、かつうまい具合におかしくもない理由が思い付かなかった。残念なことだ。

「残念ながら、あんたが求めるような、大層な理由はないな。全ては成り行きさ」

 ヴォルフは小さく首を竦めた。ヴォルフのような貴族出身の者が、軍を目指すことはよくある話だ。特に後ろ盾のない者にとっては、軍という場所が一番居心地が良いだろう。

「成り行き?」

「ああ。俺のような成り上がり貴族にとっては、ここが一番まともな未来だったって事さ。まともな理由でなくて悪かったね」

 勿論訓練はまともにこなしているし、こうして任務だってまともにこなしている。いっぱしの軍人となった今では、そのことに誇りをも持っている。ただ、入ったのが自分にとって自然だったからという話なだけだ。

 ニーナは理解ができない、という表情を浮かべていたが、それでも理解をしてくれようとしたらしい。ぱちぱちと目を瞬いて、言葉を飲み込もうとしているようだった。

「そう。なら、あなたは守りたいものとか、あるの? その力を使いたい理由とか」

 ニーナの視線が、ちらりと腰の部分にいく。そこには、最近武器として所持するようになった拳銃や、ナイフがぶら下がっている。この人殺しの力を何に使いたいのか、ニーナはそう問いかけたいのだろうか。

「そうだな。ちっぽけだけど、俺にもあるな」

 ヴォルフは腰の武器を見下ろして、僅かに口元を緩めた。守りたいものならば、幾つかある。相棒で上司のベルンハルトとか、同じ部隊の部下達とか。

 ベルンハルトや、さらに上司のアーレンス大佐のように、軍のためとか、遠くで暮らしている家族のためとか、国のためとか、そんな風には到底考えられない。だがこうして視界に入るものを守ることができれば。それは、ヴォルフのちっぽけな誇りだった。

「そう……」

 その事を話すと、ニーナはやはり考え込むように頷いて、それからヴォルフに背を向けてしまった。ここにヴォルフがいることなど忘れてしまったかのように、奥へと歩いていく。

「おい」

 小さく声を掛けたが聞こえていないのか、返事をしたくないのか、こちらを向くことはない。ここで潮時だろう、とヴォルフは諦めて外へ出た。

「悪かったな」

「いえ」

 ヴォルフの代わりに見守ってくれた部下達に礼を告げると、元の位置へと戻る。

 彼女の何かを考え込むような仕草が、ずっと頭に残っていた。


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