ひかりの天使 八
「ほんっとに! 何だったのよさっきの女は!」
怒る雪子に、岬は苦笑する。
「あんまりイライラしてるの良くないよ、今日はせっかくのクリスマス・イブなのに」
「怒りたくもなるでしょ!? あの女のせいで今日の予定パァよ!」
「そんな…河夕が怪我したんじゃ…その方が心配だし…」
「…っ…甘いわ岬ちゃん! たぶん影見君の怪我なんて大したことないのよ! 全員連れて行ったのはあの女の陰謀よ! きっと影見君のことが好きなんだわっ、だから影見君が大事にしている岬ちゃんに嫉妬してこんな真似しくさったのよ!!」
「そんなバカな…」
「だから岬ちゃんは甘いって言ってるんでしょ!?」
「そんなことないよ…だって、河夕のお父さんが言っていたよ、星海さんもいい子だって」
「――はい?」
「是羅を倒してから入った子だからいろいろ大変かもしれないけど、河夕が選んだ十君なんだからきっといい子だ、って…」
昨日の魔法を思い出して呟く岬に、だが事情を知らない雪子は眉を寄せる。
「……岬ちゃん、大丈夫? 影見君のお父さんてもう亡くなってるのよ…?」
「ぁっ…う、うん、そうだよね…えっと…なんか、そんなふうに言いそうな気がして…」
狼狽し、しどろもどろになる岬に、雪子は不信感をぬぐえない。
「岬ちゃん…何か隠してない…?」
「! な、なにも…」
「嘘ばっかり。岬ちゃん、自分が嘘を吐けない性格だってことまだ自覚してないの?」
「う、嘘って、何のことだか…っ…それより早く片付けよう! 今から家に運べば、うちや雪子の家族も一緒にパーティ出来るよ、きっと」
「――家族でパーティね、それも仕方ないけど…岬ちゃん、誤魔化すには下手過ぎよ」
「誤魔化してなんかないよ! 俺は給湯室の方を片付けてくるからね!」
言い放ち、小走りに給湯室へ姿を消す岬を見送りながら、雪子は彼が絶対に何かを隠していることを確信した。
「…」
それにしてもと、また先ほどの十君・星海のことを思い出してムカムカしてきてしまう。
河夕が好き。
…いや、もしかしたら光を、なのかもしれない。
彼女は雪子を見据えた。狩人は地球人など本気で相手にはしないと、憎しみにも似た激情を込めて言い放った。
「…なんなのよ、ほんと」
だんだん胸の内にイヤな感情が染み出してきて、雪子はそんな自分にすらイライラしながら踏み台に上がった。
「バカみたい!」
言い、勢いに乗って飾りを外そうとしたが、画鋲がかなり奥まで刺さっていて取り難い。
「っ…」
それはそれでイライラして、ますます力で引っ張り、抜けた瞬間。
「あ…!」
反動で体が後ろに倒れるのは必至。
踏み台から落ちてフロアに後頭部をぶつければ、最悪、命の危険さえあった。
「っ……!」
だがそこに救いの手。
背後から彼女を抱きかかえていたのは緑光、その人だった。
「! み、み、…緑君……!」
「先ほどは大変失礼致しました。…クリスマスパーティ、今からでも間に合いますか?」
「…って…だって…」
「…そうですね、いろいろご説明申し上げなければならないとは思うのですが、…岬君はどちらに?」
本当に悪いことをしたと思っているらしく、心苦しそうな表情で告げる光の背後には十君が勢揃いしていた。
いや、河夕と、生真、有葉の姿はない。
だが彼等の出現は雪子の度肝を抜くのに充分だった。――そう、この登場だけでも充分だったのに。
「岬ちゃん! 岬ちゃんちょっと!!」
叫ぶ幼馴染に、給湯室にいた岬は何事かと飛び出してきた。
同時、十君はその場に跪いた。
まるで目の前に王である河夕がいるかのように、岬に向かって、全員が膝を折って深く深く頭を垂れたのである。
光、薄紅、蒼月、白鳥、紅葉、黒炎、梅雨、――そして星海の姿もある。
「―――」
「なっ…」
岬と雪子は絶句する。
目を丸くして、呼吸すら忘れて、まるで神かなにかを敬うような彼等の態度にどんな反応も見せることが出来なかった。
そのうち、彼等を代表して光が口を切る。
「岬君。僕達は心から貴方に感謝の想いを伝えたいと思う。…けれど、どんな言葉が適当なのかが判りません。どういえば、この思いが伝わるのか判らないんです……それくらい、僕達はいま、貴方という存在に感謝しています」
「光さん…?」
「…ありがとうございます…」
「――」
「本当に、ありがとうございます……!」
そうして光が泣いたなどと、この後で誰が信じただろう。
薄紅も、白鳥も、紅葉も梅雨も泣いていた。
蒼月と黒炎は唇を噛み締め、その痛みに涙を堪えて。
星海は、表情を隠すほど深く深く頭を下げていた。
「…」
何が起きたのか雪子には判らない。
岬にだって、理由は判る様な気がするけれど、これほどの感謝の意を伝えられるほどのことをした自覚がなかった。
だって、岬は知らない。
知らないんだ、先王が彼等に残した数々の記憶を。
「…あの…でも、光さんが助けてくれたから、あのプレゼントが出来たんですよ…?」
「ぇ…」
「それに、河夕のお父さんは十君が皆さんで良かったって、喜んでいました」
「…っ」
「河夕のお父さんが、皆さんに「ありがとう」って言っていました」
ありがとう、と。
その言葉を君に。
「ぁ…あの、ところで、光さん達が戻ってきてくれたのって、パーティのためですか…?」
遠慮がちに岬が尋ねると、光はわずかに目を見張った後で、破顔した。
「……ぇえ、まだ間に合うのなら、是非」
「……! じゃあ河夕は無事なんですね?」
「問題ありません。少し…河夕さんの治癒術が上手過ぎて薄紅殿の助けが必要になっただけです。さすがに…パーティには欠席されるそうですが」
「そっか良かった! 無事なら欠席でもいいんです、ね、雪子、パーティしよう! せっかく皆が来てくれたんだから!」
岬の切り替えの早さに、さすがの幼馴染もついていくのがやっとだった。
十君に敬礼されているのが、ひどく居心地が悪かったのもあるだろう。
わざとらしいほど、俄然やる気を出して動き始めた岬に、十君も次第に乗り気になってくる。
「…敵わないわね」
呟く薄紅に白鳥は肩を竦める。
「だって天使だからね」
「しかも、一度に俺達全員に奇跡を与えるほどの力持ちだ」
彼等は笑う。
笑った。
一人一人に手渡されたグラスにそれぞれ好みの飲み物を注ぎ、岬の合図で天に掲げる。
メリークリスマス。
聖なる夜に感謝と祝福を。
河夕と生真、有葉は、きっと今頃、兄弟肩を寄せ合って懐かしい時間を語り合っているだろう。
今まで話すことも、聞くことも出来なかった父親の話。
彼から教えられたこと、彼との思い出。
このクリスマスにそれを語れることが、どれほど幸せなことか解るだろうか。
「ビンゴってゲームは知っていますか?」
確認する岬に十君達は頷く。
上がった順番にプレゼントを一つずつ選ぶのだと説明すると、彼等は「なるほど」と楽しそうだ。
黒炎が番号のついた玉を選ぶ。
白鳥が読み上げる。
七つ出終えて紅葉が「一つも開かない」とぼやく一方で、蒼月が遠慮がちに「…上りだ」と手を上げた。
選んだ大きめの包みは有葉が置いていったクマのぬいぐるみ。
「体が大きいんだからプレゼントも大きくなくちゃ」と白鳥が余計なことを言ったのが災いしたようだ。
蒼月にぬいぐるみという組み合わせに、雪子と薄紅が面白がって写真撮影が始まり、また白鳥と黒炎が悪乗りする。
賑やかになる一方の会場で、光と星海が何か話しこんでいるのに雪子は気付いたけれど、気付かないフリをした。
こんな時に気分を悪くしたりはしたくなかったから。
美味しい料理、甘いケーキ。
適度なお酒と、心を込めた贈り物。
楽しい時間は、あっと言う間だった。
◇◆◇
「雪子さん」
夜九時を回って、片付けの最中だった。
不意に呼び掛けられた雪子は、それが誰かを知って動きを止める。
両手にはたくさんのゴミが入った袋を二つ。
何もこんな時に話し掛けてこなくてもいいと思う。
「……なによ」
少しばかり顔を合わせ辛くて、ぶっきらぼうに言い放った雪子は、ゴミ袋を抱えて会館近くの駐車場に持って行く。
あとで岬の父親が、ゴミや料理に使った皿や飾りなどを回収しに、ここに車を回してくれることになっているのだ。
それを岬から聞いていた光は、だからこそ今この時に雪子を呼び止めた。
彼女の持つゴミ袋を譲り受け、
「少し話しても宜しいですか?」と問い掛ける。
「…」
雪子は迷った。
悩んだけれど、最後には彼の言葉を受け入れた。
「……星海のことで、不快な思いをさせてしまったこと、本当に申し訳なく思います…済みませんでした」
「…別に緑君に謝ってもらうことじゃないと思うけど」
「いえ、僕の責任なんです。……何せ、彼女が貴女に敵意を持つよう仕向けたのは僕自身ですから」
「――」
咄嗟には、相手の言う事が理解できなかった。
光はいま、そう仕向けたと言ったか。
彼自身が?
「…どういうつもり?」
問うと、光は自嘲気味な笑みを漏らしながら答えた。
「僕は、このクリスマスにどうしても欲しいものがあったんです。星海を巧く利用することが出来たら、それが手に入ると思いました」
「利用! それ…っ…何を考えてるの!? それって彼女の気持ち利用したってこと!?」
「そうです」
躊躇せずに返した光は、硬い表情で続けた。
「…まさか、河夕さんが怪我をされるとは思いませんでしたから、全員が本部に呼び戻されて今夜の予定がここまで狂うとは思ってもみませんでした。当初の予定通りであれば何の問題もなかったのに」
「…っ、問題ないわけないでしょ!? 女の子の気持ち踏みにじってどこが問題ないの!?」
「欲しいものが手に入れば、他人の気持ちなんかどうでも良かったんです。…いえ、自己弁護が許されるなら、そうでもしなければ手に入らないんです………雪子さん、貴女の心は」
「――――」
「貴女が欲しかったんです。今日という日に」
だから考えた。
雪子の性格を思えばストレートに告白したところで、照れて、恥ずかしがって逃げ出してしまうだろう。
逆に変化球で、遠まわしな伝え方をしたとて通じないに決まっている。
それで伝わるなら、こんな問題はとうに解決されているからだ、光が雪子を想っていることは既に本人に伝わっているのだから。
ならばどうしようと考えていたとき、新たな十君が任命された。
是羅を倒したことで結束力の高まっている十君に、新参者がたった一人。
ほんの少しの優しい言葉で彼女は光に惹かれ始めた。
……これは使える、と思った。
「雪子さんが嫉妬して下されば、それを口実に、多少強引になっても許される、…そう思ったんです」
「…」
「けれど、このような卑怯な手を、里界神は許さなかった。…神だけじゃない。影主も、…岬君も、ことごとく僕の計画を阻んでくださって、……先代にまであのように言われては、これを隠し通すことも出来なかった」
河夕が怪我をするなんて思わなかった。
岬があのような贈り物を用意するとは思わなかった。
そして先代が、……とうに失ってしまったあの人が、雪子への想いをあのように語ってくれるなどと、誰が想像出来ただろう。
「……嫌われるのは覚悟の上です」
「…っ」
「自業自得とは正にこのことでしょうね。…貴女を騙したまま、貴女を守ろうとなさる河夕さんの傍にいることは出来ません。これは僕の懺悔です」
言い終えると、光は彼女の手を取った。
優しく包み込むだけの軽い接触。
「いままでありがとうございました。……貴女と過ごした時間はとても楽しかった」
それは別れの言葉。
「…」
それきり互いに声を発すこともなく、光は雪子に背を向けた。
これが最後。
もう、貴女に呼ばれることもない。
「……っ…最低…!」
彼女が言う。
だから彼は答えた。
「ええ。僕は最低の男ですよ」
同時、彼女は走り出した。
光の傍まで駆け寄ると彼の腕を取って引っ張り、真っ直ぐにその目を見上げた。
そして怒鳴った。
「違うわ! 緑君が最悪な男だって判っても嫌いになれない自分が最低なのよ!」
「――」
「人の気持ち利用するような人は大嫌いよ! 自分のことしか考えない奴も嫌い! だから今の自分も嫌いだわ! こんな最っ悪なヒト、なのにいなくなられたら淋しいと思ってる!」
「雪子さん…」
「こんな酷い人に…っ…なのに…欲しいって言われてドキドキしたわ……!」
「――…」
怒る彼女の、涙声。
しかしその内容に、光は眩暈を覚えた。
無意識に近付く唇を、だが彼女は拒む。
「っ、バカ! 嫌いって言ったでしょ!?」
嫌いだという。
自分のことしか考えない奴は嫌いだと。
だが、それならば尚更、もう無理だ。
「僕は男です」
「……っ…!」
「好きな女の傍にいれば触れたいと願う。愛したいと思う、……それが叶わないなら、いまここで切ってください」
「緑君…」
「僕は岬君にも河夕さんにもなれません。いつまでも友情の延長上にはいられない」
「……」
応か、否か。
雪子の答えは。
「!」
ドンッ…と突然、彼女の拳が光の胸元を叩いた。
その手の中から何かが落ちる。
慌ててそれを手に受けた光は、自分の手の平に乗ったものが何であるかを知って目を見開いた。
「これは…」
「…」
光の手にあったのは指輪だった。
それも、彼の母親の形見。
「この指輪は…河夕さんが形見分けした時に紛失したと…」
いまはこうして生きている光も、先の大戦の最中に是羅との戦いにおいて命を落とし、先に逝ってしまった光の遺品を皆で分けた。
生き返った後に回収したのだが、指輪だけが見つからなかったと河夕から説明を受けていたのだ。
だがその指輪は雪子の元にあった。
彼女の手から戻された。
「なぜ雪子さんがこれを…」
「影見君がくれたの」
「河夕さんが…?」
光の死によって、彼の想いは永遠に雪子のものになったのだと告げた河夕によって渡された、その指輪。
「……これを僕に返してくださるということは…」
答えは、否ですか――そう口を開き掛けた光だったが、雪子はそれを遮るように自分の手を差し出した。
「…雪子さん…?」
「………ちゃんと、緑君からもらいたい」
「――」
「…っ…ちゃんと、緑君の言葉で貰いたいの……!」
諦めたのか、覚悟を決めたのか。
そのどちらにせよようやく表に出ることが出来た彼女の本音は、嘘偽りのない彼への想い。
「…この指輪を…ずっと持っていて下さったんですか…?」
「だって…大事な指輪でしょ…っ」
誰にとっての。
…君にとっての。
「きゃっ…」
光は雪子を抱き締めた。
いま、初めてその腕に抱き締められた。
「…っ」
ここで、どんな言葉を告げるべきなのかと光は迷う。
だが、雪子もまた岬や河夕と同じく恋愛には初心者なのだと思い出す。
照れやで、恥ずかしがりや。
幼馴染への恋愛ごっこに囚われていたのはつい最近の話。
それを思えば、どんなに甘い台詞も、着飾った言い回しも彼女には無意味。
伝えるならたった一言で充分なのだと気付く。
「雪子さん……好きです。僕と付き合ってください」
まるで中学生日記のような告白は、だが彼女には一番のもの。
抱き締める腕に、そっ…と彼女の手が添えられたのは、それからすぐ後のことだった。