ひかりの天使 五
十二月二十四日、パーティ当日のその日。
岬と雪子が朝から慌しく動き回り、高城家の両親や兄姉の手も借りながら、四城寺の住職である父親の顔で使用の許可を貰った近所の地区会館ホールに料理を運び込んで行った。
河夕がまだ地上で蠢く魔物達の動向を観察している頃、兄から先に行けと言われたという有葉と生真が会館に駆けつけて飾りつけを手伝った。
有葉は、一族の本部の広間を使えないかと思ったのだが、是羅が倒されて新体制が敷かれたとはいえ狩人の全てが――特に高齢の者達は河夕の有り様を認めようとはしておらず、また本部に許可なく地球人を招き入れれば岬達に不快な思いをさせてしまうからと、断念せざるを得なかった。
「本部の最上階にはね、天井が全部ガラスになっていて、星がたっくさん見える広間があるの! すごく綺麗なの、岬ちゃんや雪子お姉ちゃんにも見せてあげたかったな」
壁に華を飾りながら言う有葉に、岬は目を輝かせて頷いていたが、雪子は急に咳き込んで顔を真っ赤にした。
「どうしたの」と岬に心配そうに尋ねられても、慌てて「何でもない」と首を振る。
まさか自分はそこに入ったことがあって、その上、光にこんなことを言われたなどと人に話せるわけがない。
――……貴女は岬君を好きでいていい。けれど貴女を守るのは僕でありたい……
「きゃああっ」
「!」
「なっ…」
当時を思い出し、脳裏に囁かれた台詞に思わず叫んでしまった雪子を、岬と有葉、生真はぎょっとして見返した。
「だ、大丈夫? 疲れているんだったら休んでいても…」
「だ、大丈夫…」
「無理はなさらない方がよろしいのでは?」
突然の、今までは在り得なかった声に雪子は飛び上がった。
「指示してくだされば僕達が動きますから」
「ひゃああ!」
叫んで逃げ込む岬の背後。
「あらやだ。深緑、あなた河夕様だけでなく雪子様にも嫌われるようなことをしたの?」
「緑くーん、日頃の言動はもう少し考えた方がいいんじゃないかい?」
次いで聞こえてきたのは薄紅と白鳥の声。
その後ろには蒼月の姿もあり、光と合わせて新しい四人の来客を知る。
「光さん! 薄紅さんと白鳥さんと蒼月さんも! 来て下さってありがとうございます」
笑顔で出迎える岬に、彼らもそれぞれに顔を綻ばせた。
「こちらこそお招き下さってありがとうございます」
「今日が来るのを心待ちにしていたよ」
「何か手伝えることがあればと、早めに来たんだが…」
蒼月が言いかけて、光と雪子を交互に見やる。
「…深緑。それはどういう理由だ」
「さぁ…僕も、らしくなく傷つきそうです」
十君最年長の蒼月に問われて、光は確かにらしくない苦笑いで雪子を見返した。
「雪子さん、僕は何をしたのでしょう」
「いっ、イキナリ現れるからビックリしたの! それだけよ!!」
「雪子…」
背中にしがみつかれた岬が戸惑い、傍にいた生真と有葉は顔を見合わせて小首を傾げる。
「…地求人の驚き方ってあんなに派手なのか?」
「うーん…雪子お姉ちゃんが言うんだから、そうなのかも……?」
幼い二人の遣り取りに、岬は「あはは…」と空笑いだ。
準備を進める。
殺風景だった部屋は岬の指示を仰いだ男性陣の活躍で見事なクリスマスカラーに彩られ、ホールの奥に設えられた、少し広めの給湯室にはガスコンロが備えられており、雪子と薄紅、有葉の三人は持参した料理を温めたり、デザートを作ったりと慌しく動き回る。
クリスマスは忙しいと聞いていたこともあり、岬と雪子、二人で頑張るつもりだったために早めに始めていた準備は、パーティの開始時間より随分前に完成しようとしていた。
「河夕も早く来ればいいのに」
岬がぽつりと呟くのを耳聡く捕らえた有葉は、途端に彼の腕に抱きつく。
「岬ちゃん、お兄ちゃんのこと本当に好きなんだね!」
「えっ…」
「有葉もお兄ちゃん大好き! ね! 早く来てくれればいいのに!」
「あ、ああ、うん、そうだね…」
動揺を隠して返すと、あちらこちらから小さな笑いが起こり、岬は顔を赤らめた。
有葉は気付かずに話し続ける。
「是羅を倒してからね、お兄ちゃん、以前よりずっとたくさん有葉と遊んでくれるようになったの。それにたくさん教えてくれるのよ、武術や、剣術や、それにお勉強も! でも治癒術だけは下手でね、いっつも桜お姉ちゃんに怒られてるの、そんなブサイクな治癒術は自分の身体以外で試さないで下さい、って」
言うと、光や白鳥が声を立てて笑った。
「不細工とはひどいね」
「確かに河夕さんのアレは他人様の身体に使えないでしょうけれど」
「そうよ、河夕様に治されるくらいなら火傷だってそのままにしておいた方が綺麗に治るわ」
薄紅が拗ねたように言うと、雪子も面白がって便乗し、岬も頷く。
「へぇ、影見君そんなに治すの下手なの?」
「そういえば聞いたことある。自分は壊すほうが得意だって」
「そうそう」
「河夕様に比べると、生真様と有葉様はとっても器用だよね」
「ふふふ〜、教えてくれる師匠がイイのよ、ね、お姉ちゃん!」
有葉に言われて、治癒術が専門の薄紅はまんざらでもなさそうに微笑んだ。
「そう言われれば、河夕さんの師匠も治癒術だけはヒドいものでしたね」
「河夕の師匠って?」
「……親父だ」
答えたのは、生真。
「…兄貴の師匠は、武術も剣術も、治癒術も、全部、親父だ。…俺達は何も教えてもらえなかったけど…」
今は亡き先王。
彼が生きていた頃には、生真と有葉はまだ幼すぎて、一族の王である父親から何かを学ぶ時間を周りが与えてはくれなかった。
そんな彼から教えられたのは、…人を想う心だけ。
「ぁ…ごめん、俺、無神経だった…」
静まり返り、しんみりとした雰囲気を自分のせいだと感じた岬が詫びるも、十君から返される微笑は、どれもとても柔らかだった。
「お父さんがお兄ちゃんに教えたこと、いまはお兄ちゃんが有葉と生真君に教えてくれるの。そういう時間を私達にくれたのは岬ちゃんよ」
「有葉ちゃん…」
「だから! 岬ちゃんは全っ然気にすることないの!」
「それに…悪いのは俺だ…あんまり…他人と話すことないから…言い方悪くて…」
生真が言う。
限られた相手の前以外では滅多に口を開かない少年が、岬に向かって頭を下げる。
「ごめん…そういうの…よく判らなくて…」
「――っ、生真君可愛過ぎ!」
「ぇっ」
言うなり、少年をぎゅっと抱き締めたのは雪子だ。
「えっ、ちょ…っ!」
「雪子!」
「ああっ、生真君ずるーい!」
驚いた岬と「私も」と雪子に抱きつきに行く有葉。
光や薄紅は笑っている。
それは、雪子の心境が判るからだ。
生真の困った顔。
照れ臭そうに、だけど素直に、そういう言葉を口にする姿が、河夕と同じ顔というだけで、なぜこんなにも可愛いと思うのか!
「この兄弟の天然はつくづく罪作りだね」
「まったくだわ」
白鳥と薄紅が言い合う。
蒼月も笑っている。
「それにね、岬ちゃん!」
生真を抱き締めている雪子に、しっかりとしがみついた有葉が大きな声で言った。
「パーティに呼んでくれてとっても嬉しいの! だってクリスマスは、お父さんとの思い出のある大切な日だから」
「――」
笑う。
笑顔。
誰もが、幸せそうに。
「…っ…」
岬は、ホールで組み立てた大きなクリスマスツリーの下に置かれた、皆が持ち寄ったプレゼントの中から自分が持ち込んだ小さな箱を見つめた。
両手にちょうど収まるくらいの四角い箱に入っているのは、岬が昨日“彼ら”の協力を得て手に入れた白銀色の玉が一つ。
河夕に。
狩人達に、喜んで欲しくて見つけた、たった一つの贈り物。
「ぁ…」
それを思った岬は、今になって“彼”から光へ渡して欲しいと頼まれた物があったことを思い出した。
自分のコートを探し、そのポケットに入れてあった薄青の封筒を取り出す。
「忘れるところだった…」
思い出せて良かったと胸中に呟きながら、岬はそれを持って光に近付く。
「光さん」
「はい?」
「あの…昨日のこと、ありがとうございました」
岬からの礼に一度は驚いた光だったが、彼が何を指しているのかすぐに気付いて表情を改めた。
「僕は岬君のお役に立てましたか?」
「すごく助かりました。本当に、ありがとうございます」
そうして再び、今度は深々と頭まで下げる岬に、光は苦笑してしまう。
「僕はあの方達に電話を一本、入れただけです。岬君にそこまで感謝されてはかえって恐縮してしまいますよ」
「でも、本当に助かりましたから。――それで白夜さんから、これを光さんに渡して欲しいって」
「裕幸さんが?」
意外なふうに聞き返した光が、岬が差し出す封筒に触れた。
――その直後だった。
「薄紅!!」
叫び声にも似た突然の来客。
声の主が姿を現しても、岬と雪子にはそれが誰だか判らなかった。
だが。
「星海、どうしたの」
薄紅が呼ぶ。
名前を聞けば二人にもわかった、彼女が紫紺の代わりに新しく十君に加わった狩人なのだと。
「そんなに慌てて、何かあったのかい?」
白鳥が今までとは打って変わった硬質な声で問う。
彼女の様子から察するに、良くないことが起きたのは想像がついたが、そうして返された答えは、予想を遥かに裏切るものだった。
「河夕様が魔物に腕を持っていかれたわ!」
「!!」
「だから薄紅! 早く本部に戻って!!」
緊迫した声に弾かれるように、薄紅は即座に立ち上がり駆け出す。
岬や雪子を振り返る余裕もない。
河夕の腕が魔物に持っていかれるというのは、それ程の大事なのだ。
「白鳥、蒼月、お願い! 河夕様の腕を奪った魔物の追跡を!」
「承知」
刹那、男達も姿を消した。
「――岬君、雪子さん、済みませんが…」
「判ってる」
二人は、今ほど青い顔をした光を見たことがなかった。
だからこそ、いま河夕の身に起きているのが只事ではないのだと実感できた。
「生真君と有葉ちゃんも行った方がいい」
「こっちは気にしなくていいから、行って」
「…」
岬と雪子が彼らを見送る。
地球人の二人を、自分達と一緒に本部に連れて行くことも出来ないのが辛い。
「――すみません」
「ごめんね岬ちゃん! 雪子お姉ちゃん!」
あれほど賑やかだったホールが、急に静まり返る。
残されたのは岬と雪子の二人だけ。……いや、まだ十君・星海の姿がそこに在った。
彼女はじっと雪子を見ている。
「? あの…貴方は河夕の傍に行かなくても…?」
「行くわ。…ただ、その前に、あの方達が心を砕く地球人というのにも会ってみたいと思っていたから」
「……?」
彼女の言葉は、岬にも雪子にもいまいち理解出来なかった。
だが岬は、最後に一人残った十君の姿にハッとする。
「そうだ…!」
河夕に何かが起きているなら、今日のパーティは中止だろう。
それでも構わない。
あの仲間達がいれば河夕の命に関るような事態にはならないだろうし、回復してから会えるならそれでいいのだ。
だが、岬はあの贈り物だけは今日中に河夕の目に触れて欲しかった。
「あの、星海さん! お願いです、このプレゼントを河夕に届けてください」
「――河夕様に?」
彼女は眉を寄せ、不快そうに岬を睨んだ。
それが雪子を刺激した。
「岬ちゃんは影見君の大事な親友よ。岬ちゃんの頼み断ったら影見君が怒るんだから」
雪子も負けずに睨みをきかせながら言い放つと、星海はいっそう不快な思いに顔を歪め、まるで汚物にでも触れるように、岬が差し出したプレゼントの箱を受け取った。
「どうかお願いします。今日中に……出来れば、生真君や有葉ちゃん…十君の人達がみんな揃った場所で開けて、って伝えて下さい」
「……」
岬の声を聞いているのかどうか、しばらく箱を見つめていた星海は、不意に息を吐き出すと二人の地球人を睨み付けた。
「……貴方達には楽しいクリスマスでも、狩人には今日ほど忙しくなることはないの。影主と十君が揃って遊んでいるなんて、一族の古老達は相当お怒りよ」
「ぇ…」
「なんの力も持たない地球人がイイ気にならないで。河夕様も……、深緑も」
星海は雪子を真っ直ぐに見据えて言った。
「本気で地球人なんか相手にしないわ」
「――」
それだけ言って、星海の姿もその場から消える。
残されたのは、今度こそ本当に岬と雪子の二人だけ。
「……なに、今の」
「……さぁ」
二人は呟く。
今のは、なに。
「――……っ、なんなのよ今のムカつく女は!!!!」
そう問うても、彼女の怒りに答えてくれる者はそこに誰一人いなかった。