ひかりの天使 三
二十三日――クリスマスパーティの前日、四条市のショッピングモールを一人で歩いていた雪子は、明日に控えたクリスマスプレゼントを考えながらも、今朝の岬の様子を思い出して眉を寄せる。
雪子へのプレゼントも選ぶからと別行動を取った今日。
岬は、もともと嘘がつけない性格だ。
何かを隠しているのは明らかで、けれど追求も出来ずに岬を見送るしかなかった雪子の内心はひどく荒れ狂っていた。
「なに!? なんなの岬ちゃん! 何を隠しているの!?」……と問い質したいのをこらえるのは何て辛いことなのか。
「はぁ…」
思わず吐いた溜息は、クリスマス・イヴ前日にうら若き乙女が漏らすものではない。
「…参ったなぁ。岬ちゃんの保護者はとっくに引退したつもりだったのに」
にも拘らず、ここまで彼を心配している自分自身が嫌になる。
そうして再び特大の溜息が唇を割ろうとした、その直前。
「雪子お姉ちゃーーーーん!!!!」
「!」
すごい勢いで背後から抱きつかれて、雪子は危うく顔から地面に倒れこむところだった。
「っ…」
何とか寸でのところでこらえて背中にへばりつく相手を確かめた雪子は、だが次の瞬間に満面の笑顔となる。
「有葉ちゃん!」
「こんにちはお姉ちゃん! 招待状をありがとう!!」
こちらも満面の笑顔で言うのは、河夕によく似た面差しに、彼の何倍もの愛らしさを湛えた十四歳の少女、影見有葉。
「どうしたの、こっちにいるなんて! まさか一人で?」
「ううん、生真君が一緒なの! お姉ちゃんと岬ちゃんからパーティの招待状をもらって、プレゼント持参て書いてあったでしょ? だから生真君とお買い物に来たのよ」
有葉が説明している間に、その影見生真が傍まで近づき、雪子に軽く頭を下げた。
彼こそ河夕と良く似た顔立ちの十五歳。
よくもここまでと思うほど、良く似た美男美女である。
「こんにちは、生真君。買い物ってことは、パーティに二人とも参加してくれるのね」
「もちろん! お姉ちゃんと岬ちゃんからのお誘いを断ったりなんかしないわ! 有葉も生真君もすごく楽しみにしているんだから!」
生真の分も答える有葉は、雪子に抱きついたまま離れようとしない。
「そっか、嬉しいな。じゃあ私と一緒にプレゼント探ししない? 今日は岬ちゃんと別行動だから私も淋しかったの」
「うん! 生真君もいいよね?」
「あぁ…」
少年の口調はぶっきらぼうだけれど、どこか安堵したような、…それでいて雪子の様子を窺うような緊張感がある。
そう、たとえば雪子に何かを聞きたそうな雰囲気が。
「?」
なんだろうと雪子は思い、それを口にしかけたが、それよりもこの二人がここにいることを河夕は知っているのだろうかと不安になる。
なにせ、有葉は無断で地球に降り立って兄達を心配させる常習犯だ。
それを懸念する雪子に、だが今回ばかりは大丈夫だと幼い少女は言い切った。
「今回は光ちゃんの了承済みなの。それに桜お姉ちゃんや白鳥のお兄ちゃん達も、みんな仕事の合間にプレゼント用意するって、すごくそわそわしているのよ! みんなパーティが楽しみなの! お姉ちゃんと岬ちゃんに、皆みんな感謝してるのよ!」
「――っ…そっかぁ…!」
そう聞くと、雪子も明日が楽しみで仕方がなくなる。
みんなが楽しみにしてくれている。
パーティを望んでくれている。
「じゃあ! 張り切ってプレゼント選ぼうか!」
「うん!」
雪子が言い、有葉が答える。
「有葉、あのお店、見たい!」
そう言って走り出す少女の後ろを追いかけながら、不意に雪子の袖を生真が引いた。
「え?」
「…あの……」
どこか言いにくそうに、目線を外した少年が言う。
「あの…相談が、ある……です、けど…」
「――」
心なしか赤くなっている顔。
それが、やはり兄弟。
まるで河夕が照れているような、それでていて幼く愛らしい魅惑的表情に、雪子は危うく人間を放棄しそうになったとか…。
◇◆◇
一族の本部では光の手から皆にクリスマスパーティの招待状が渡っていた。
だが、ほとんどの十君が嬉しそうにそれを受け取る中で彼女の表情だけは浮かない。
招待状を見つめる十君・梅雨は、まるで今にも泣き出しそうなほど追い詰められていた。
「…っ…だって、本当に私も行っていいの? 私は…っ…私は、岬様や雪子様を、一族を破滅に導く存在だって思い込んで…っ…それで河夕様にも随分と酷いことを申し上げてしまったこともあるのに…!」
動揺を隠すことも出来ずに、手の中の招待状を握り締めて必死に言葉を繋ぐ梅雨に、同じく十君の黒炎と紅葉は、悪い悪いと思いつつも笑ってしまう。
「梅雨〜、何だって今頃、そんな昔の話を持ち出すんだよ」
黒炎があっさりと言い放つと、その横で紅葉も長い髪を揺らしながら頷いた。
「そんなこと、岬様も雪子様も気にしてなどいらっしゃらないわ。だからこそ貴女にも招待状があるのでしょう?」
「でも…! でも、私は本当に酷いことを…!」
「それで、誰かが貴女を責めた?」
簡単な、けれど核心をついた問い掛けに梅雨の表情が固まる。
「ぇ…」
「ね? だって貴女は私達の仲間だもの」
「――」
「そ。で、影主を支える十君だ。岬や雪子だって、それを知っているから一緒に楽しもうって思ってくれるんだろ?」
黒炎も言葉を繋ぎ、まだ不安そうな梅雨の背を思い切り叩いた。
「どうだよ、これでもまだ悩むのか?」
「…だって…」
「その招待状の周りに施された装飾をよく見てごらんなさいな。義理で用意できるものではないと判るでしょう?」
諭すような紅葉の口調には、否とは言わせない説得力がある。
「………」
そうなのかもしれない。
岬は。
雪子は、何も気にすることなく影主を支える十君に招待状を送ってくれたのかもしれない。
それこそ、…梅雨のように、影主を悪く思っていた十君がまだ残っているなどとは考えもせずに。
――そんな不安を吐露する梅雨に、二人は眉を寄せる。
「おいおい梅雨〜」と黒炎が淋しそうな顔をすると、紅葉も表情を曇らせて梅雨の肩に手を置いた。
その温もりが伝ったように、目頭が熱を帯びる。
「…だって…クリスマスだわ…」
「梅雨…?」
「私達は先代を責めたわ……っ」
「――」
先代を。
彼女達、かつての副総帥の派閥に属する者達は、我が子を愛し、想う先王を責め続けた。
狂人だと蔑んだ。
「その私がどうして河夕様と、あの方の大切な方々と共に過ごせると言うの……っ?」
「梅雨…」
「私にはこれを受け取る資格がないわ…!」
震える声に落ちる雫。
既に過ぎ去りし日々は、だが人の心から消えることはないのだと――。
◇◆◇
「…し…、深緑…」
遠慮がちな声に呼ばれて、光は静かに背後を振り返った。
地上で闇の魔物の気配を探っていた彼にとっては、背後からの呼び声など聞かずとも傍に狩人が近付いていること、それが誰であるのかもとうに知れていたのだ。
「どうしました、星海殿」
微笑みながら返すと、十君になったばかりの彼女は途端に頬を赤く染めて俯いた。
「ぁ、あの…西側は終りました…」
「あぁ、ありがとうございます」
地上で魔物狩りを進めていた光に、星海が会いに来たのが一時間ほど前だっただろうか。
何か手伝うことはないだろかと聞いてくる彼女に、最初はひ弱な魔物相手に狩人は二人もいらないと断った光だったが、何でもいいから彼の役に立ちたいと言い張る彼女のため、自分の西側の領域に感じられる魔物の片付けを頼んだのである。
そうしていま、それを終えて戻ってきた彼女は、まだ何か手伝えることはないだろうかという顔で光を見つめる。
俯いた状態の上目遣いに、少女特有の熱を帯びさせて。
「…」
まったく判り易い相手だと光は内心に笑む。
こういう少女ほど操りやすいのだと。
「せっかくですが、僕の方も終ってしまいました。星海殿も、ご自分で気配を探り歩かれた方が効率が良いのでは?」
「ええ、…ただ…少しでも深緑のお役に立ちたくて…」
「それはとても光栄ですね」
ニッコリと微笑めば、それだけで彼女の頬の熱は増す。
「い、いえ…だって深緑にはいつもお世話になってばかりで…昨日も、わざわざ影主の親しい方からの招待状を届けて下さって…、私も、少しでも深緑に喜んでいただけたらと…」
「そう気になさらないで下さい。昨日の招待状は、それを僕に預けて下さった方の為に届けただけですから」
誰のため、そう告げる光に、彼女の表情が微妙に変わる。
「…そう…、ええ、やはり影主が親しくされている方ですものね」
「影主もそうですが、僕自身がとても良くして頂いている方ですから」
「深緑が…?」
「ええ。とても聡明で素敵な女性です」
「――」
告げれば、彼女が息を呑んだのが気配で伝わってくる。
それが好都合。
賽は投げられた。
「でば僕は別の場所に移ります。失礼」
それきり、一度も振り返ることなく彼女を残して飛び去った光は、何にも気付かないフリをする。
そして笑む。
この贈り物は、果たして誰をどう動かすのかと、邪な期待を抱きながら。