ひかりの天使 一
「あははっ!」
話を聞き終えた緑光は、まず笑った。
大笑いである。
それに対して、事情を説明した岬と雪子は、怒っているのか呆れているのか、もしくは泣きたいのかという複雑な表情で、雪子などは笑い過ぎの光を睨み付けて一喝する。
「緑君! 笑い事じゃないの! 影見君のアレはなに? クリスマスの知識はあるのかと喜んだのに、何なのよ、あの偏った知識は!」
「ははっ…はぁ…はー、笑わせて下さってありがとうございます」
「緑君っ」
「あぁ、失礼してしまいまいたね。――しかし…まぁ、僕もその場にいたかったと、いま心から悔やんでいますよ」
「あのねぇ…っ」
「ふふ。済みません。雪子さんの怒った顔を見るのは久しぶりでしたから、嬉しくてつい調子に乗り過ぎました」
「――」
「貴女が怒った時の、焔のような鮮烈な輝きが好きなんですよ。もちろん笑って下さるのは特別ですけれど」
「……っ…」
耳まで赤くなる雪子に、光は朗らかに微笑んだ。
やはり好い、と思う。
彼女とのこうした遣り取りが、長く凍て付いていた心を何よりも温かなもので満たし、潤してくれるのだ。
一方で岬は、二人より一歩後ろを歩く。
なるべく彼らの邪魔はすまいという、せめてもの心配りだ。
クリスマスパーティの計画を河夕に聞かせた翌日の夕刻、彼らの隣には緑光の姿が在った。
河夕とは異なり、携帯電話という文明の機器を活用している光は、自分の番号を雪子に預けることで常に連絡が取れるようにしているのだ。
そうして今回、彼女から呼び出されるという嬉しい展開と、いまの遣り取りとに満足した彼は、遣り過ぎて裏目に出るのも熟知しているため、何事もなかったかのように二人の疑問に応え始めた。
そうなると雪子も、自分だけがいつまでも気にしているとは思われたくないようで、平静を装い始める。
「これは僕個人の見解ですけれど、河夕さんがそう思われるのも無理はないと思います。人の情や絆を最も忌むべきものとしてきた一族の中で、…しかも影見は影主の血筋。老体達の監視の目も大変厳しかったのですから、地球の普通の家族像に憧れていた先代が必死の独学で知ったクリスマスという行事、知識が偏るのは仕方ありません」
「…そう聞くと仕方ないのかもしれないけど…だからって…」
呟きながら額を押さえる雪子の脳裏に、昨夜の河夕の言葉が思い出される。
曰く、
「クリスマスってのは父親が子供達を喜ばせる日なんだろ?」である。
サンタクロースという白髭のおじいさんが子供に笑顔を配る日。
世のお父さんは、その日だけサンタクロースに変身して、寝静まった子供の枕元に贈り物を届けるのだと。
「それでどうして私達が影見君の養子になるなんて発想が生まれるわけ?」
「河夕さんらしいですね」
「どこが!?」
「偏った知識で発想の飛んでいる辺りがですよ」
「――」
光こそどこか飛んでいるとしか思えない雪子は、いよいよ本格的になってきた頭痛に必死に耐えた。
そんな彼女の様子に、光はもちろん気付いているのだが、あえて何も言わずに、クスッと笑ってから続けた。
「昔、僕も先代にクリスマスプレゼントを頂いたことがあります。恥ずかしながら、思い掛けない贈り物に泣きそうになってしまいましてね。そんな僕を見て、先代も泣きそうな顔で笑って下さったのを覚えています。…誰かを喜ばせられることが、とても嬉しいのだと仰って…」
一族に縛られ、人を想うことを許されず、想われることは望めなかった彼にとって、自分の言動が誰かを泣くほど喜ばせられたことがどんなに重要な意味を持つのか、あの頃の、あの一族に、正しく知る者はただの一人もいなかっただろう。
それでも喜ばせたかった存在。
笑って欲しかった人。
それは彼なりの無償の愛。
もう二度と望めない姿を思い出して感慨に耽りそうになってしまった光だったが、いま目の前にいるのは岬と雪子なのだと思い出して軽く頭を振った。
「先代は河夕さんにも喜んで欲しかったのでしょうけれど、河夕さんは河夕さんで、先代を支えられる狩人になるという責任感の塊のような方でしたから、無邪気には喜べなかったんですね…、困った顔で贈り物を受け取る河夕さんと、彼がどんな反応を見せるのか不安と期待の入り混じった顔で見つめている先代…、二人のそんな姿を、僕や有葉様は毎年ドキドキしながら見守っていたものです」
くすくすと小さな笑いを交えて話す光に、岬と雪子はそれぞれに思う。
河夕から聞く先代は、どこか子煩悩で、だが力強く大きな存在に思えるのに、光から聞く先代は、子供好きなのは同じでも、ひどく不器用で気弱な印象を受けた。
これほどまでに人物像が異なるのは何故だろう。
理由は、どこに?
「……河夕とお父さんて、仲良かったんですよね……?」
応という答えが返ってくるのを前提にして尋ねた岬に、光は肩越しに彼を振り返った。
その口元には微かな苦味。
「……愛し合っていましたよ、あの親子は」
「――」
愛していた。
想い合っていた。
それは確かな絆。
「ただ、有葉様や生真様のように、感情を素直に出し合えなかっただけです。先代は一族の王であり、河夕さんは影見の長子でしたから」
影主の後継者は先王を斬らねばならず、運命はそこから彼を逃がさなかった。
河夕はその手で父を殺め、兄弟に憎まれ、多くを裏切り、…独り傷つき、一人、守りたいもののために強くなった。
「そういう意味では、河夕さんの中で一番強い先代との思い出がクリスマスなのだと思います。だからこそ父親が子供を喜ばせる日なんです。…それ以外の祝い方など河夕さんは知らないのですから」
「…じゃあ、河夕が、皆が自分の息子になるのかって言ったのは…」
「大切な人を喜ばせたくて悩んだのでしょう。――ね? そう考えると実に河夕さんらしいではありませんか」
まだクスクスと笑っている光に、岬は目頭を熱くし、雪子は大袈裟なほど深い深い溜息を吐いた。
「ほんっ………とに思考回路がぶっ飛んでいるんだから! こうなったら私達がクリスマスって祝い事を一から十まで教えてあげる!!」
「それは有り難いお話です」
「有葉ちゃんや生真君も来れますか?」
「そうですね…」
来れるかと尋ねると、光は少しだけ難しい顔をした。
そういえば昨夜も同じ質問を河夕にすると、似たような顔をされた。
「何か別に用事がありますか? 昨日の河夕も返事を濁していたんですけど…」
だが岬が不安そうに問うと、光は「いいえ」と左右に首を振る。
「用事があるわけではないのです。…そうですね、何もなければ、それに越したことはないのですが……毎年、クリスマスというのは闇の魔物が活性化する傾向がありまして」
「クリスマスに?」
「どう言えばいいかな…。この時期に一人身と言うのは精神的ストレスになる傾向が強いらしくて、魔物がその陰気に呼応してしまうのですよ」
「あ〜…なんか判る気がするかも」
雪子が苦々しく言い、岬もこくこくと頷いた。
そういうのを気にしない人は全く気にしないのだろうが、見事に飾られたイルミネーションや、腕を組んで歩く恋人達の姿にいちいち癇癪を起こすタイプが、実を言うと岬達が通う西海高校にも一人、二人いるのを知っているのだ。
「今年は是羅もいないことですし、例年ほど酷くなることはないと思いますから、おそらく大丈夫でしょう」
「…去年まではそんなに酷かったんですか?」
「ええ。大して強くない魔物が次から次へと小さな怪騒動を起こすんです。これを放っておくと小さい同士が結合して巨大化していきますから、僕達も必死に駆けずり回らなければなりません。この時期ほど狩人が慌しくなることは珍しいですよ」
「そんなに…」
「だったら、クリスマスは止めて忘年会とか新年会にした方がいいのかな…?」
「そうねぇ…」
岬と雪子が顔を見合わせ、頭を悩ませる姿に、光はすかさず口を挟む。
「クリスマスパーティはその日に楽しんでこそでしょう? 僕としても、その日に雪子さんが誰かと過ごすのは我慢なりませんからね。是非ご一緒させて下さい」
「緑君っ」
「僕は半分地球人で、日本人ですから」
「は、はぁ…」
にこっと微笑む彼は余裕の態度だったが、台詞の後半が本気であることは、何故か岬にはひしひしと伝わってきたのだった。