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闇狩  作者: 月原みなみ
51/64

誓い抱きし者達 八

 ――誰かが犠牲になって得た勝利など何の救いにもなりはしない……

 ――誰一人、失われてはならないのです……



「そう言ったじゃないか速水……」

 ぼろぼろと涙を零しながら訴える岬に応える当人の声はない。

 あれほど近くに感じていた少女の存在は完全に彼の内側から消え、岬は岬でしかなくなっていた。

 目が眩むほどの激しい光りの中で、河夕は最後まで微笑っていた。

 生真が黄金色に輝く刀を手に跳躍し、是羅の魂ごと斬り崩し、すべての終焉を迎えるその瞬間まで、河夕は静かに微笑っていた。

「なんで…、一緒にいるって…、これからも一緒だって約束したじゃないか……っ」

 膝から崩れ、岬はその場に座り込んで泣き続けた。

 辺りは穏やかな風と果てしない静寂が広がる草の海。

 時折、蛍のような光りが彼の横を通り過ぎていく。

 ここがどこなのか。

 どこに来てしまったのか、岬には知りようも無い。

 ただどこまでも優しい緑の大海原と、そこに灯る微かな蛍の光りが、今の彼にはひどく辛い光景だった。

「河夕…、なんで…」

 こんなふうに守られるくらいなら一族のために死んでくれと言われた方がましだった。

 河夕を犠牲にして助かって、いったい何を喜べというのだろう。

「なんでだよ…なんで死んだりするんだよ河夕……っ!!」

 拳を大地に叩き付ける。

 ふわりと舞う土の匂い。

 草露が彼の手を濡らし、暖かな風が涙に濡れた頬を撫でていく。――その時。

「…身体は大丈夫なのか」

「心配ないよ。もう痺れもなくなったし…って、いつまでそんな怖い顔をしているつもりなのかな」

「あいつを殺すまでに決まってる」

「何を物騒な…」

 声の主は二人。

 黒髪に鋭い眼差し、かなりの長身で相当機嫌が悪そうな男と、そんな彼に苦笑を交えながら言葉を返す、どこまでも穏やかな印象を受ける人…は、女性だろうか。

 否、女性とも思い難い。岬の存在に気付かないまま前方を通り過ぎていくその人からは、性的なものがまるで感じられなかった。

 言うなれば精霊か。

 風や、水、大地に息吹く木々の緑…、そういった形を持たない自然の命が人の姿を象った、そんなふうに想わされる慈愛に溢れた優しい容貌。それが、この不思議な地に在ってなお清浄に、そして鮮やかに存在していた。

 膝までありそうな草を掻き分けるでもなく、静かに、ゆっくりと緑の大海原を歩く彼らを暖かな風が包む。

「あれだけやってくれればもう充分だよ」

「…おまえは甘い」

「そうじゃなくて、そうやって俺の為に怒ってくれるのが嬉しいから」

「――」

「それに竜騎がいれば大丈夫だって、信じてたんだよ」

「…勝手に言ってろ」

 完全に毒気を抜かれた男は、呆れたように言い放って顔を背けたけれど、岬には、彼が怒た顔の下に照れを隠しているだろう事がはっきりと見て取れた。

 仲のいい恋人同士…、そんなふうに彼らの仲を解釈した岬だったが。

「そもそもあの人だって、あれで正真正銘の里界神なんだ。もう少し信用してもいいと思うよ」

「っ、リカイシン…?!」

「え…」

「!」

 思わず声を上げてしまった岬に、二人は瞬時に振り返り、泣き腫らした目で草原に座り込んでいる少年を凝視した。

「君…」

 男女どちらとも思えない、男を『竜騎』と呼んだその人が静かな声を掛けてくる。

「どうして実体化している魂がここに…」

「実体化…?」

 聞き慣れない単語を聞き返す岬に、その人はしばらく黙り込んだ後でふと思いつくことでもあったのか、男の制止も無視して岬の傍に膝をついた。

「君、もしかして岬君かい?」

「っ?!」

 一度も会ったことのないこの人が、どうして自分の名前を知っている?

「ぁ…なんで…」

「…やっぱり。…だとしたら尚更、まだ生きているはずの君がどうしてここにいるのか…」

「生きて…って…」

 どうにも理解に苦しむ岬に、その人は困ったように微笑し、岬を立たせ、周囲をぐるりと見渡させる。

「ここはあの世に続く道なんだよ」

「は…?」

「君に解かり易く言うと三途の川かな」

「三途の川って…、あの、この川を渡ったら本当に死んじゃうって…」

 信じきれずに呟く岬にその人は頷き、静かに語った。

「里界神を始祖に持つ者達限定の、だけどね。ほら、見えるかな…蛍のような小さな光りがこの先に向かっていくのが。里界神が興した一族は死を迎えるとここに辿り着き、ああして浮遊しながら今までの所業を振り返る。そうして輪廻に還るか無に帰すかが決まるんだ。…闇狩一族の狩人も同じだよ」

「っ、じゃあ河夕も…、河夕と、光さんも…?」

 河夕と、そして光の名に、無性的な美貌の人は微妙に表情を変化させた。

 だがそれを岬が疑問に思う暇を与えず、その人は言葉を紡ぐ。

「…君がどうしてここにいるのかは解らないけれど、これが何らかの力に導かれた結果なら君を放っていくわけにはいかない…。一緒に来るかい?」

「行くって…、どこへですか…?」

「ある人を迎えに、ね」



 誰かを迎えに行くと言われて、岬は素直に差し出された手を取っていた。

 長い、どこまで続くのかも解らない広大な緑の大海原を歩きながら、白夜と名乗ったその人は『竜騎』と呼んだ彼のことを、ここでは『黒天獅』と覚えてほしいと言ったきり口を閉ざしてしまった。

 もともと無口らしい黒天獅が彼から岬に声を掛けることもなく、彼らは静寂の中を前へ前へと進んでいった。

 …だがそれがひどく心地いい。

 初対面の相手との間に出来る沈黙が、何故かまったく息苦しくなく、むしろ心を落ち着け和ませてくれるのだ。

 時折、長い草に足を取られてよろける岬を、二人のどちらかが必ず支えた。

 白夜の穏やかな眼差しと、黒天獅の力強い腕に守られるように、岬は三途の川と称された草原を抜けていった。


 ――どれくらいの間、そんな時を過ごしただろう。

 ふと前方に複数の人影が見え始めた途端、こちらは声一つ上げていないにも関わらず、その中の一人が匂いでも嗅ぎ取ったかのような反応でこちらを振り返った。

 それは学生服を着た金髪の少年。

「白夜?!」と心底驚いた声を上げて一目散に駆け寄ってくる。

 二人の間に守られるように立つ岬の存在は、まだ彼らに気付かれてはいなかった。

「白夜! おまえ身体大丈夫なのか?」

「平気だよ、心配かけたね」

 白夜が穏やかな物腰を崩さぬまま答えると、その先で彼らを待つ四人――少女一人に少年二人、そして男が一人――の中の一人が申し訳なさそうに頭を下げた。

「悪かったな、うちのバカがひどい真似して」

 それは岬と同じ年頃の、額にバンダナを巻いた少年だった。

 普通の洋服を着ている白夜・黒天獅と違い、こちらの四人は揃って白を基にした上品な衣装に身を包み、腰元のベルトには見事としか言いようのない、今にも動き出しそうな躍動感溢れる竜の刺繍がされていた。

 その色が一人一人異なり、この少年の場合は深い紅蓮。

 奥に立つ唯一の少女の竜は雪原を思い起こさせる白銀色。

 少女と並んで佇む、こちらも岬と同年代だろうと思われる少年の竜は、今歩いてきて大海原のような自然界の輝きを放ち、そして全員の中で最も最年長らしき男の竜は海を連想する鮮やかな青だった。

「まだ休んでなくていいの? 体調がもとに戻るにはまだ時間が足りないんじゃ…?」

 心配そうに告げるのはこの中唯一の少女。

 銀糸の髪に銀灰の瞳。

 織り込まれた竜は夜空に浮かぶ月にも似た神秘的な輝きを秘め、他三人の立ち位置や伝わってくる空気から、おそらく彼女が一番の中心なのだろうと岬は直感した。

「心配してくれてありがとう」

 すぐ傍から上がる白夜の声。

「けれどこれをお願いしたのは俺だから、やっぱり最後まで見届けたいんだ」

「白夜らしいっちゃ、らしいけどな」

 金髪の少年が明るく言うも、

「っとにろくでもないことしやがるよな、アイツは!」と、背後を振り向きながら途端に目付きが険しくなる。

 すると唯一の少女と、彼女と並んで立つ少年、そしてバンダナ少年も揃って目付きを鋭くし、最年長の男をキッと睨みつける。

 これに、当の本人は軽く肩をすくめた。

「皆してそんな冷たい眼で見ないでくれないか?」

「反省しろ反省っ」

「反省ねぇ…、あれだけ報復されたあげくに罰も免除されて、何やら俺ばかり貧乏くじを引いている気がするんだが?」

「ハッ、まだまだ足りねぇっての!」

「同感だ」

 金髪少年と黒天獅が吐き捨てる様に言い放ち、白夜は一人苦笑いの表情だ。

「まったく君たちは…、白夜に関してだけは、どこまでも気が合うらしい」

 そんな彼らの様子に最年長の男はわざとらしい溜め息を零す。

 よく見れば素肌の覗く箇所には新しい擦り傷や切り傷が多数見え隠れしていた。

「どうせこうなるのなら最初から白夜にだけ罰を課せばよかったよ」

「は?」

「白夜が一晩俺の相手になるなら、黒天獅と雷牙の罪は免除、こっちのほうがよっぽど正当で確か、かつ誰にも損のない取引だったと思わないか?」

「っ」

「テメェ!!」

 途端に切れたのは男のすぐ傍にいたバンダナ少年。

 続いて雷牙が男の襟首をつかみ、黒天獅は黒天獅で素早く白夜の前に出た。

「おまえ今だって黒天獅に殺されても文句言えねぇこと仕出かしたンだぞ! 白夜の茶に何盛ったと思ってんだ! 一歩間違ったら里界そのものがぶっ飛ぶんだぞ?!」

「それは焼きもちか?」

「マジで死ぬか?」

 冷え冷えとした即答にさすがの男も両手を挙げた。

 今までの経験上、それが冗談ばかりで済まないことを知っているような感じだ。

「…あの…」

 岬はとうとう我慢できずに、それでも声を潜めながら白夜の袖を引く。

「なんかあったんですか…?」

「あぁ…」

 岬の質問に白夜は多少複雑な表情になるも、穏やかな態度は崩れない。

「そうだな…、日本でやったら実刑判決が下るようなことをあの怪我だらけの彼が仕出かしたものだから、黒天獅とライと、あそこのバンダナしている彼が怒って、多少派手な乱闘をね」

「他人事じゃないだろ」

「だぜ白夜! もっと怒れよな!」

「俺の分も三人が怒ってくれているじゃないか」

「そうじゃなくて! …って、あれ?」

 怒りに任せて周囲に気を配っていなかった雷牙だが、ふと二人の間に見知らぬ少年が隠れていることを知って怪訝な顔つきになる。

「…なんで実体化してんだ、そいつ」

 雷牙の声に、いくらか離れていた四人も興味深そうに近づいてきた。

 そうして顔を見るなり。

「ん…? 彼、高城岬じゃないのか? 速水の器だった」

「?!」

 自分の名だけでなく速水のことまで知っている彼らに、岬は驚いてまともな言葉が出てこない。

 だが不意に“リカイシン”という単語が脳裏に蘇る。

 闇狩一族の始祖の名前だと教えられ、ここは里界神を始祖に持つ者達が死後に集う三途の川。

 ついさっきまで目にしていた河夕や薄紅の衣装に織り込まれた竜の刺繍。

 竜はリカイシンが従える神獣。

 ではあの世の道と教えられたこの場所で、竜の刺繍が織り込まれた衣服に身を包み、当たり前のような顔をしている彼らは、まさか…。

「…リカイシン…さま…?」

 ほとんど無意識に呟いた言葉に、この中唯一の少女が優しく微笑んだ。

「初めまして、と言うのが正しいかしら。私達はずっと前から貴方達を知っていたのだけれど」

「…ずっと前から…?」

「我々は闇狩一族の始祖…、介入することは出来なかったけれど、その動向は常に我々の知るところだったよ」

「……」

「貴方には…、貴方と幼馴染の女の子には、随分と辛い思いをさせてしまったわね」

 何もかもを知っていた。

 そう告げる相手に返す言葉も探せずにいるうち、彼女は岬の頬に手を当てた。

 感触を得、人の体温を確かに感じ取り、岬が今も生きている存在だと確認した少女は周囲の男達を見渡した後で再び岬に向き直る。

 その眼には暖かな感情が含まれていた。

「…今も生きている貴方が、この状態でここにいるのは誰の力かしら。速水か、影主か…それとも白夜、貴方の仕業?」

 親しい間柄でからかうような口調。

 銀の女神にそう問われて、白夜は「さぁ」と微かに笑う。

「何の力が働いたにせよ、彼には終わりを見届ける権利が与えられたんだと思う」

「…終わり、を…?」

「そしてすべてを知る権利もね」

 聞き返す岬に答えるでもなく続けたのは、先程まで皆に冷たい眼で見られていた最年長の男。

「ごらん」と前方を示し、少女の隣にいた少年に軽くうなずいた。

 同時に辺りを吹き抜けるやや強めの風。

 膝丈ほどもある草がざわめき、波打ち。

 そうして唐突に緑の大海原が遮断されたかと思った刹那、その先には信じ難い光景が広がっていた。

 遙か彼方、それは水平線のように天と地を隔てた。

 草原の先に広がるのは海か、湖か。

 そのどちらか判断出来ずにいた岬の目に映った水面は、普通のそれでは有り得なかった。

 不思議な色を、していた。

 そして不思議な事象が起こっていた。

 白夜に、里界神を始祖に持つ一族の死後の姿と教えられた、あの蛍のような小さな光りの玉が、一つ、また一つと水面に消えていく。

 一つ一つがまったく異なる色の軌跡を残して沈んでいく。

 それらの異なる色は波紋となって水面に広がり、別の光玉が広げた波紋と重なって新たな色を映し出す。

 どこか遠くから響く音色は鈴の音か。

 彼らをどこかへ導くかのような、暖かで優しい音色。

 それは死した者達へ捧げられる哀歌のようにも聴こえてくる……。

「…これは…?」

「死した者達の行く先は二つ。輪廻に還り次の生を受けるか、無に還り完全に消滅するか。その判断基準は生前の所業。死した者の魂はこの草原を漂いながら己の行いを振り返り、己の行く道を自ら知ることになる」

「ああして海に消えていくのは輪廻に還る魂だ」

「……」

 だから聴こえてくる鈴の音がこんなにも優しいのかと悟る。

 ――優しくて、切ない。

 ここに河夕や光も来たのかと…、もしかするとこれから訪れるのかもしれないと思うと、突然の出逢いに忘れ去られていた涙が再び頬を濡らした。

「…っ…」

「岬君…」

 白夜の繊細で暖かな指先が岬の髪を撫でた。

 それはここに吹く風のように穏やかで、傍にいてくれるだけで癒されるような暖かさ。

 ぽろぽろと涙を零す岬に、四人の里界神と金髪の少年・雷牙は顔を見合わせる。

 そうしてまず口を開いたのは、やはりと言うべきか最年長の男。

「海に消えていくのが輪廻に還る魂なら、生前の罪を許されず無に帰す魂もある…、だが実はね、ここ数百年、そんな魂は存在しないんだよ」

「…っ…?」

「顔を上げてごらん。こんな面白いものは滅多に見られないから」

「テメェはとことん根性に問題アリだよな」

 忌々しげに言ったのは雷牙。

 そのすぐ後で黒天獅が岬を背後に庇った。

 直後――。

「?!」

 それは突然の嵐だった。

 指先に静電気のような痛みを感じて顔を顰めたその時、突然雷鳴が轟いた。

 だがそれは実際の雷ではなく、緑の大海原と無数の色に染まる海との境界線、そこで黒光りする玉が激しく震え、その震動が大気を揺らし、岬の肌を刺激した。

「なっ、え…」

「…こんな騒ぎを頻繁に起こしていちゃ他の魂にまで影響が出る。だからちょっとやそっとの罪を犯したくらいじゃ輪廻に還れないなんてことはないんだよ。…けれどさすがにこいつは見逃せなかったね」

「こいつって…」

 輪廻に還ろうと前に進みたがる光玉。

 それを阻む見えない壁。

 その狭間に、岬は一人の男の叫びを聞いた気がした。

「―――?!」

 勢いを増す衝突、飛び散る火花。

 雷鳴のような拒絶反応を見せる光玉から吐き出される苦悶の声――それは是羅――!

「な…っ」

 不気味なまでの、静寂の中の激しい衝突は、実際にはほんの数秒の出来事だった。

 しかしそれを永遠のようにも感じて、一同が見守る中、草原と海とを隔てる境界線の壁に阻まれ塵となっていく男の魂。

 後には何も残らず、水面に沈んでいく魂を送る鈴の音も、風にざわめく草原も、相変わらず静かで穏やかな空間が戻ってくるだけ。

 …ただ、それだけだ。

「…是羅…ですよね…今の…」

 自分で見たものが信じられず声にした岬に、低く答えたのは銀の少女。

 遠くを見つめるような眼差しで、ゆっくりと。

「…私達、里界神は、里界が生まれた当初から地球の守護者としての役目を担っていた。あの蒼い惑星は宇宙の奇跡とも言われ、当然のように、その奇跡を我が物にと動き出す部族がいる。だから私達は地球の守護者として、地球を守るための一族を興してきた。…けれど…人に力を与え、住まう土地を生み出すことは可能でも、生き行く魂に宿る心までは制御出来ない。地球を守るために興した一族の中には、地球の支配を求めて禁忌に触れるものも生まれてしまう…、是羅はその中の一人だった」

「…っ?!」

「…闇狩一族の始祖が我々であるのと同様、是羅が率いた闇一族の始祖もまた我々里界神。是羅のような存在を誕生させてしまった罪を贖うために興したのが闇狩だ」

「そ…そんな…それって……」

「闇の魔物を討伐するために闇狩一族を興してからおよそ三五〇〇年…、それだけの時間を経てようやく今生の影主は我らから授かった使命を全うしたことになるかな。まさかこれほどの時間がかかるとは、さすがに予想していなかったけどね」

「……っ」

 闇狩一族が誕生して、それだけの長い時間が経っていた。

 三五〇〇年という永い年月を掛けて、影見河夕という名の一二八代目・影主が是羅を倒し、闇一族の滅亡を現実のものにした。

 そのための犠牲…、そのために誰がどれほど苦しんできたのか、闇と闇狩の歴史をすべて知っていると告げた始祖が最後に使うのが、「ようやく」という言葉なのか。

「そんな…っ、そんな言い方……時間が掛かり過ぎだって河夕達を責めるんですか?!」

「岬くん…?」

「河夕がどんなに…河夕や光さんが…、一族の人たちがどんなに苦しんできたのか…っ、全部知ってるって言った貴方達が闇狩の皆を責めるんですか?! 自分達の失敗を人に…闇狩に全部押し付けておいて時間が掛かったなんて……っ、勝手過ぎる……っ…そんな言い方するくらいなら自分達で是羅を倒せば良かったんじゃないか……っっ!!」

 涙をこぼして。

 悔しくて、許せなくて、岬は声を荒げた。

「全部知ってたなら貴方達が俺を殺せばよかったんだ……!!」

「…」

 河夕や、光。有葉、生真…、あの星で出逢った闇狩一族が思い出される。

 彼らのことを思うと怒りは募った。

 誰が望んで狩人になったものか。

 誰が望んで河夕の死を受け入れたものか。

 皆が河夕を慕っていた。雪子は光を好いていた。

 自分の大事な人達にこんなにも悲しい結末しか導けなかったのなら、彼らを責める始祖自らがその手で自分達の罪を贖えばよかったのだ。

 岬を殺せば、ただそれだけですべては終わっていたのだから。

「貴方達が……っ…貴方達がもっと早くに俺を殺してくれれば……っ!」

 繰り返し泣き叫ぶ岬に里界神の視線が集まる。

 白夜の繊細な指先が髪を撫で、黒天獅の黒い眼差しが彼を見守る。

「…そうじゃ、ないわ…」

 そうして口を開くのは銀の少女。

 果てのない優しさに満ちた眼差しを岬に向けて。

「違うの。私達は今生の影主を…、影見河夕という王を待っていたのよ。三五〇〇年もの間、ずっと」

「…?」

「是羅は禁忌に触れることで不死の魂を手に入れた。それは魂の時間を止めること――限りある命を捨てた時点で、是羅は人として生きることを捨てたということ。そんな彼を倒すことが出来るのは、限りある生命を生きるものだけだから」

「――」

「…我々里界神は惑星を創り、人の住める環境に整え、生命を誕生させ、力を与える。そこまでは我々の仕事だ。だが『心』までは与えられない。『心』は人が生きていく過程で手に入れる尊いものだから。…他人には決して造ることの出来ない奇跡だからだ」

「俺達は闇狩一族に『心』を持つなと説いたことは一度もない。闇の求めるものが『心』だからこそ、一族の王となった者は≪是羅に支配されないため≫に『情』を禁じたんだろう。だがそう定めてしまった一族は気付かなければならなかったんだ。何のために是羅を狩らねばならないのか」

「何のため…」

「始祖に与えられた使命だから…。そうとしか考えられない一族に成長はない。何のために強くなるのか、何のために戦うのか…。生きている意味を是羅を倒すことにしか見出せない者には、生きることを捨てた是羅に傷一つ負わせられなかっただろう。この宇宙で最も強いのは生きようとする人の意志。何かのために強くなろうとする想い。そのすべてを捨てた是羅に勝つには、それらを取り戻した者でなければならなかったんだ」

「…」

「一族は影見綺也の時代に変化の兆しを見せた。だがそれは是羅と同様に他者を傷つける者の存在によって乱され、支配欲の強い者の力で望みは絶たれた。…結果あんな悲しい形で是羅は一時の封印に置かれ、速水は悲しみの余り時空を越え、君と出逢った。…だがそうなったことで、狂わされた時は本来の姿を取り戻したんだ。影見皐、影見河夕の誕生と速水の時間が重なったことによってね」

「……」

 一族の定めたことを否定し、家族を愛した影見皐。

 その影見皐を父として、家族の尊さ、人を想う心を受け継いだ影見河夕。

 まだ時は早く、河夕は父をその手で殺めなければならなくなってしまったけれど、皐は河夕にたくさんの宝を残していた。

 蒼月、白鳥、紅葉、黒炎、薄紅――河夕を信頼し尽くした十君。

 気兼ねなく接せられる、血の繋がりのない、なのに兄弟のように育ってきた光と、守るべき存在として託された幼い弟妹。

 岬と雪子、自らが得た尊い二つの命をその腕に抱えて。

 いくつもの守るべき存在があったから、河夕は強くなった。

 託された金銀の指輪が救いの手を差し伸べた。

 自分の命よりも守りたいものを見つけられた河夕は、それらを守るために是羅を倒そうと決めたのだ。

 始祖のためなどではなく、一族の王としての責任でもない。

 一人の人間として、守りたいものを守る。彼は己自身の為に戦った。不死となった男の捨てたものがどれほど尊いものであったかを知った河夕だからこそ、その力は不死のはずの男を倒せたんだ―――。

「…じゃあ河夕は間違ってなかったの……?」

 微かに震える声で呟く岬に、白夜がうなずく。

「なら…これが正しい結末なの……?」

「…ええ」

 少女が低く答えるのと同時、岬の頬に大きな涙が零れ落ちる。

 河夕は間違っていなかった。

 河夕は人間として正しい選択をしたから、是羅を倒せた。

 それもすべては大事なものを守るため。

 自分の命よりも岬の未来を守るため……、この結末こそが河夕の想いの証だった。

「なら……、なら俺も…河夕にありがとうって…言わなきゃ……?」

「…」

「…我慢…、しなきゃならないのかなぁ……?」

「岬君…」

 頬を伝う大粒の涙。

 本当はこんなこと認めたくなどないのに。

 こんな形で救われるならいっそ殺して欲しかったと、そう叫んだ過去の少女の気持ちの方が何倍も強く理解出来て、助かるなら河夕も一緒であって欲しかったというのが心からの願いでも、…それでも、正しい選択をした河夕に感謝せねばならないんだ。

 自分のために死んでくれてありがとう、なんて。

 そんな残酷な感謝を、これからずっと抱き続けなければならないんだ。

「…っ…」

 最期に河夕が見せた微笑が思い出された。

 幸せになれ。

 生きろ、と無言の中で訴えていた黒曜石の瞳。

「河夕…っ…」

 薄紅の決意の言葉、生真の渾身の一振り。

 そのすべてを静かな微笑みで聴き、受け止め、そうして是羅とともに散ってしまった。

「――河夕……っ!!」

 もう逢えない。

 もう戻らない。

 ずっと一緒にいようと…、必要と思える限りは永遠に一緒にいようと約束した親友は、二度と同じ時間を歩けない場所に逝ってしまった。

「…っ…ぅっ……」

「…」

 声を押し殺して泣き続ける岬の肩を、白夜がそっと抱き寄せる。

 その表情は、今にも泣き出しそうなほどに切ない。

 そして一人、決まり悪そうに息を吐くのは里界神の一人、最年長のその男。

「やれやれ…」

 男は頭を掻きながら周囲の同志を見渡し、最後に岬の泣き顔を見下ろした。

「まったく…。今日は厄日かい? 何だってこう次から次へと俺の仕事が増えるんだろうね」

「?」

「おい…?」

 バンダナ少年が怪訝な顔つきになり、少女がハッとして彼を振り返る。

「それもよりによって≪里界の月≫にそんな顔をされたんじゃ、選択の余地もないんじゃないのかい?」

「それって…」

 疑惑の目を向ける同志に、男は大袈裟に肩をすくめ、わざとらしい溜息を一つ。

「了−解了解。今回ばかりは観念するさ。俺が了承したならすぐに解決するものを、いつまでも黙っていたんじゃ、俺一人が悪者で終わりそうだ」

「――じゃあ…」

 わずかに驚いた表情をする少女に、男は仕方なさそうに笑んだ。

「可愛い子に泣かれるのも、君達に嫌われるのも、もちろん白夜にこれ以上恨まれるのも御免だよ。≪里界の月≫が望むなら、水神の力、思う存分利用してもらいましょう」

 男の言葉が続くにつれて、一人、また一人と周囲の人の顔が明るくなる。

「おまえたまにはイイトコあんじゃねーか!!」

 雷牙が歓喜の声を上げ。

 白夜の表情にも光りが差すのを見て、岬は濡れた瞳のまま彼らを見上げた。

「あの…それってどういう…」

「クククッ、あの変態ヤローにも弱点はある、それが≪里界の月≫だったってことさ」

「…リカイの月……?」

 雷牙の補足説明もいまいち理解出来ずに聞き返す岬に、四人の里界神は意味深な笑みを覗かせる。

「…君達が暮らす地球上で、生命を育むのは太陽の恵みと言われているだろう? それは我々の郷、里界でも変わらない。そして静かに見守り、癒しの象徴とされるのは夜空に輝く月の光り。その意味で、里界神を始祖に持つ民族は始祖を太陽と称し、癒しの精霊を月と呼ぶんだ」

「癒し…?」

 訳が分からないまま呟いて、だが岬の目は自然と白夜に吸い寄せられた。

 繊細な指先に触れられるだけで優しい温もりを感じられ。

 紡がれる声は、ただそれだけで聴くものを落ち着ける。

 向けられる眼差しに満ちるは慈愛の思い。

 男女とちらとも判断の付きかねる姿形が醸し出すのは万人に向けられる癒しの力。

「…貴方が…月……?」

「そんな大層なものじゃないよ」

 見開かれる岬の視界に白夜の微苦笑が映った。

「俺は、そう言って里界の民が慕ってくれる、その気持ちを利用して我儘を押し通そうとする自分勝手な人間だから」

「我儘……?」

 聞き返す岬に、白夜は笑った。

 四人の里界神も、雷牙も、そして今まで無表情だった黒天獅の口元にさえ微かな笑みが上った。

「岬君、どうかこれだけは覚えていて欲しい。誰もが願うのは大切な人に生きていてほしいということなんだ。影主が死を選んだのも…、狩人が君の幼馴染を守るために命を賭けたのも、大切な君達に生きていてほしいからだったんだよ」

「大切な…」

「だから俺も願ってみたんだ。大事な弟が幸せになれますようにって」

「弟……?」

 聞き返す岬の周囲から上がる優しい笑い声。

「そう。彼らはようやく人として生きる道を見出した。是羅を倒すという、一族の存在理由を全うした今、今後の彼らは自分のために生きることを知らなければならないんだ。彼らは個々が限られた時の中を生きる生命なのだから、今度は彼ら自身の幸せのために生きなければ」

 一人一人の声を聴く内に風が周りを包み始めていた。

 少女の長い銀の髪を揺らし、純白の衣を波打たせる。

「さぁ、そろそろ俺の出番だね。――水は命の源。この里界においても輪廻に還る魂はこの海から還って行く。その水を司る里界神が許したんだ。高城岬、君は現世へと戻り、彼らを迎えてやりなさい」

「迎え…?」

「地上に戻ったら、そのときはぜひ家に遊びにおいで。もちろん皆一緒に」

「みんな…って…」

「家までは光君が案内してくれるだろうから」

「――――!!」

 出された名前に「まさか」の言葉が口をついて出るより早く、体が軽くなりフワリと宙に浮かび上がる。

「えっ、あ、あの…!」

「今生の狩人は幸運だった。何せ≪里界の月≫に家族と呼ばせたんだからな」

「あ……!」

「君達の幸せを願おう。長い時を経て使命を全うし、生きる意味を見出した狩人達に里界神の感謝と祝福を」

「里界の月と、その守護獣達の加護を」


 ―――生きなさい―――。


 限られた時の中を、精一杯、悔いのないように。

 幸せになれるように。

 終わりを知るからこそ輝ける蒼き星の住人達。

 人を愛する心を持つからこそ世界に響く祈り。

 その尊さを知る貴方なら、きっと幸せになれるから。

 言葉にした願いは、きっと世界に伝わるから。


 ――生きなさい、その力の続く限り……―――


 最後の声は誰のものだっただろう。

 穏やかな風と暖かな波に揺られながら、次第に暗くなっていく視界には、住む世界を異にする皆の優しい笑顔が残っていた。




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