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闇狩  作者: 月原みなみ
44/64

誓い抱きし者達 一

 ―――……?

 永い夢を見ていたような気がする…、そんなことを内心で呟きつつ体を起こした影見河夕は、目を開けてからも自分はいまだに夢の世界を漂っているんじゃないかと疑った。

 辺り一体が霧とも靄とも判別のつかない黄土色の気体に支配され、息を吸うと口の中が粉っぽくなる。

「なにが…」

 どうやら自分はしばらくの間、完全に意識を失くしてしまっていたみたいだが、その直前に何があったのか記憶を手繰り寄せていくうち、瞼の奥で起きた激しい閃光。

 暴風と、大小様々な石と鉄筋の塊が彼に襲い掛かった。

「あのヤロー……っ」

 本部全体が突然の揺れに襲われ、闇狩十君、薄紅から副総帥の死を知らされて部屋を飛び出した河夕は、四階の一室で無残な姿となって倒れていた弟妹の姿を目にして逆上した。

 犯人は同じ一族の十君、紫紺だと確信し、彼が地球に出たことを気配の動きから察し、すぐに追おうと鏡の間に飛び込んだ。

 等身大の鏡だけが何百も置かれ、その一つ一つが狩人の呪いによって地球上における出口へとつながる異次元通路。河夕が使おうとしたのは、数時間前に緑光が松橋雪子を伴って歩いたであろう北海道への道だった。

 しかし、道をつなごうと呪いを施した直後に鏡は爆発し、それに連鎖反応を起こすかのごとく鏡の間すべての道が火柱を上げていった。連続する衝撃音と、河夕を襲う鋭い切っ先を携えた無数の硝子の破片。それに加えて部屋の壁や床までが破壊され、これは本気で死ぬかもしれないと、そんな最悪の予感までが湧き上がった。

 だが。

「生きてる、よな…」

 手を上げ、十本の指を無作為に動かしてみても違和感はないし、背や足などに感じる鈍い痛みは現実のもの。

 だからといって大きな怪我もなく、いたって健康な姿でここにいた。

「…悪運が強いってーのか…」

 この状況に短く嘆息し、とにかくこの部屋を出た方がいいだろうと判断し、出口へと踵を返す。が、同時に何物かに進路を阻まれた。

 足の爪先に何かが当たり、崩れた壁の破片か、床が盛り上がったせいかと腰を折り曲げて下を向くと、今度は足の爪先より前方に出た頭が何かにぶつかる。

「っ」

 ゴツンッと痛々しい音がして、何だと顔を上げるが、障害物になりそうなものは何もない。

「…?」

 おかしいと思いつつそっと手を伸ばすと、何も見えない空間で唐突に物に触れた。

 壁のように硬く平坦、それでいて滑らかな感触。

 どこまで続いているのか右方向に手を動かしていくと、それは半径二mほどの円状になって彼の周りを囲んでいた。

 一周して元の位置に戻った河夕は、自分を囲んでいる目に見えない壁を検分するように上下左右見渡し、複雑な顔をする。

「…結界か」

 他者の攻撃から身を守るために用いる防御壁。だがこれは河夕自身が張ったものでは決してない。

 彼が用いる結界はあくまでも戦闘中の防御力を高めるためのもので、衣服同然に体そのものを包んでしまうし、あの状況で結界を作るだけの余裕もなかった。

 誰かが河夕を守るために作った結界、そのおかげで、彼はほとんど無傷のまま難を逃れたのだ。

「…」

 誰の結界か、それは悩むまでもなかった。

 闇狩の結界とは質の異なる波動。

 そして爆発の刹那に意識下に飛び込んできた少女の叫び。

 駄目だ、と。

 行っては駄目だと警告を告げたのは、闇の力に敏感な反応を示す『速水』だった。

 ということはあの爆発の最中、岬もすぐ近くにいたのだ。

 彼は無事だろうか。

 自分のためにこんな強力な結界を施して、岬自身の身は守れたのだろうか。

 それを思うとじっとしていられず、とにかくこの結界を破って外に出ようと試みた。

 だが何をやっても速水のものと思われる壁は壊せず、力が揺らぐこともない。

「クソッ」

 拳を叩きつけても、ひび一つ入らない。

 どういう訳かと、一族総帥・影主としてのプライドを刺激されて苛立ち始めた頃、不意に複数の声が聞こえてきた。

 この粉塵交じりの空気を吸って咳き込みながら、それでも繰り返し河夕の名を呼んで近づいてくるその声は、彼が安否を知りたがっていた岬のもの。

「河夕!」

「河夕様!!」

 後に重なるのは薄紅の声だった。

 緊迫した、ただ事ではない彼女の声音にいささか疑問を感じつつ、河夕も彼らの名を呼び返す。結界を壊して外に出られない以上、彼らに自分を見つけてもらうほかない。

「岬、ここだ」

 黄土色の靄に岬の影を認め、声を上げると、それが届いたのか、少年は迷わず靄を抜けて河夕の視界に飛び込んでくる。

「っ、河夕!!」

 目が合った途端に破顔した岬は目を潤ませ、泣いているのか笑っているのか微妙な表情を見せた。

「河夕、生きてる……っ、薄紅さん! こっち、河夕生きてる!!」

「河夕様がいたの?!」

 まるで驚愕するような声を返してきた薄紅は、足早に彼らの位置にやって来た。そうして河夕の姿を見るや否や、その場に膝から崩れ落ちた。

「河夕様…っ、生きてらしてよかった……!」

「? 桜?」

 自分でも無傷であの爆発を乗り切ったのは意外だったが、薄紅の、大袈裟なんじゃないかと思えるくらいの安堵の仕方に首をひねる。そんな河夕に岬は駆け寄った。

「もぉーっ、大変だったんだからな! あの爆発の後、薄紅さんも黒炎さんも河夕の力が全然感じられないって大慌てで、死んだんじゃないかって本気で心配したんだぞ!!」

「俺の力?」

「十君の人達ってどこにいても河夕のいる場所は判るようになってるんだろ? だからそれが全然解んなくなったって、そんなこと言われて俺だってもぉどうしたらいいか解んないし……っ!」

 今にも泣き出しそうな顔でまくし立てる岬の言葉から、河夕は大体のことを察した。すると今度は座り込んでいた薄紅が怪訝な顔つきになる。

「けれど妙だわ…、河夕様は生きてらっしゃるのに…まだ力が感じられない……」

「え?! でもこの河夕は本物の河夕だろ?!」

 河夕が生きていたことに安堵しながらも、生きているのに力が感じられない状況を不審がる薄紅に、岬も一抹の不安を覚える。そんな二人を順に一瞥して、河夕は自分を囲う無色透明の壁を小突いた。

「だったらこれのせいだ。俺が自力で出られないくらい強固な結界だからな。力の波動だとかも全部遮断しちまってるんだろう」

「結界?」

 岬が不思議そうな顔をし、河夕が小突いた壁に触れようとした。

 だが。

「? ここになんかあるの?」

「は?」

 スッと難なく河夕の体に触れた岬の指先。

 それと同時に薄紅も軽く目を見開く。

「力が…」

 今まで完全に消えてしまっていた影主の力の波動が復活したのを確かに感じ取って呟いた。

 どういうことだと河夕も手を伸ばすと、彼の周りを確かに囲っていた壁は既に跡形もなく消え去っていた。歩き出すことも、岬に触れることも、当然のように出来てしまう。

「…何だってんだ」

 自分の術力では微かにも揺るがなかった防御壁が、岬の指先一つで解かれた。

 その事実に複雑なものを感じつつも、河夕は苦笑を浮かべて友人の頭を弄る。

「っとに次から次へと驚かせてくれるな」

「?」

 彼の言葉が飲み込めずにキョトンとした岬。

 だが今はそれに構って詳しく説明している余裕はない。

 「桜、今はもう俺の気がつかめるんだな」

「ええ」

「ってことは光や蒼月の方もすぐに気付くだろ…」

「きっとどちらも真っ青になっていたでしょう。本当に、完全に消えてしまわれていたんですから」

 薄紅の方は、さすが十君の一人と言うべきか、河夕の力の波動を完全に遮断していた結界が岬の内側に息づく『速水』のものだと察したのだろう。

 説明を求めるような言動はいっさい見せず、地球に下りている仲間の心情を口にした。

「有葉と生真は」

「どちらも命に別状はありません。今は黒炎に任せて、別室に運びました」

「そうか」

 わずかに安堵の息を漏らした河夕に、岬は遠慮がちに近づく。

「河夕…、少しは落ち着いた?」

「ああ。この爆発のおかげでな」

 忌々しげに言って、ようやく煙の薄れてきた室内を見渡す。

 もはや部屋とは呼べなくなったひどい惨状に顔を顰め、一つでも使えそうな鏡があればと注意深く探ってみるが、どれも見事なまでに破壊されていて、道をつなげるとは思えない。

「クソッ…、桜、黒炎を呼び戻して鏡の修復に当たらせろ。使える狩人は全員集めて、とにかく急ぐんだ」

「御意」

 短く応え、早々に行動を開始した少女の背を見送って、煙が晴れることによって視界に入った、この騒ぎに集まってきた、十君より下位の狩人達に声を荒げる。

「路を直せる奴は直せ! それ以外は本部そのものの修繕だ!」

 河夕の声に…、否、王・影主の命令を受けた何十人もの狩人が一斉に応答し、各々のやるべきことを開始する。

「怪我した奴は治療を受けろ、万全の状態で次の指示を待て」

「はっ」

 力強い返事を聞いてから、河夕は素早く踵を返し、岬の小柄な体躯を隠すようにして薄紅が去ったのと同じ方向に歩き出す。

「か、河夕」

「おまえは有葉と生真の看病をしててくれ。部屋に戻ってろっつっても聞かないだろ」

「そりゃそうだけど…、ってそうじゃなくて!」

「なんだ」

「なんだでもないよ! 河夕は鏡直さなくていいの? 急ぐんだろ」

「向き不向きってのがあるんだよ」

「え?」

「桜は治癒能力は秀でてるが戦闘はまったく駄目、黒炎は修繕能力が長けてるが治癒はからきし、そういうことだ。俺は直すより壊す方が得意なんだ」

「……」

 直すより壊す方が得意――河夕は真面目に言ったつもりなのだろうが、その真剣な口調に拗ねた感があるように聞こえて、岬はおもわず吹き出した。

「? 岬」

「ご、ごめん…そっか、向き不向きか……」

 笑いを誤魔化して相手の言葉を復唱する岬に怪訝な目を向けた河夕だったが、たいして重要なことじゃないと判断し、すぐに表情を引き締めた。

(気付いてないならそれでいい)

 今もまだ明るくいられる岬が、何も不安がらないのなら、それに越したことはない。

 紫紺が闇に憑かれたのは闇狩同士の本能が悟らせたことであって、たとえ内側に潜む速水がそれに気付いていたとしても、岬本人は誰かに教えられなければそれと気付くはずがない。

 闇に憑かれた紫紺の向かった先、それがどこなのか。

 彼を操ったのがいったい何者なのか、その正体が狙った獲物は何であるのか。

(光ならきっと勝つ。紫紺一人が相手なら大して心配はいらない)

 だが絶対にそうはならないと、嫌な予感が胸中を占めていた。

 必ず是羅が出てくることを、河夕は確信していた。

(せめて空知と白河が駆けつければ……っ)

 三人で紫紺と是羅を相手にするなら、たとえ勝てなくとも、雪子を庇いながらこの本部に戻ってくることは出来るだろう。

 だがそれも本部の鏡が道をつなぐに可能な状態であればの話。

 今のままでは彼らに逃げ場所がない。

(――急げ!! 一刻も早く道をつなげるんだ!!)

 鏡の間で姿見の修復にかかった狩人達を胸中で叱咤する河夕の手に…、岬を他者の目に触れさせないよう隠すため、その肩に置いていた河夕の手に、無意識の力がこもる。

「……」

 何が起きたのか。

 正確なところは、岬には知りようがない。

 だが非常事態が起きたのは有葉と生真の姿を見た瞬間に判っていた。

 だから岬はそれを尋ねない。

 河夕に促されるまま、彼の弟妹が運び込まれた一室へと向かうだけだった。



 ◇◆◇



「! これは…」

「空知さんっ、君も気付いたんだね?!」

 嬉々とした声音で言ってくる白鳥に、蒼月はすぐに頷いた。

「河夕様…、生きてらっしゃったのね…」

 すぐ脇からは紅葉の安堵の声。

 少し離れた場所では梅雨も表情を和らげていた。

「どうして道がつながらないのかはまだ謎だけど、河夕様が生きてらっしゃるならその内何らかの方法で連絡が来るだろう…、それより今はあっちの問題だね」

 白鳥が改めて表情を硬くすると、蒼月や紅葉も同様に厳しい顔つきになる。

「紫紺と緑君が戦ってる…、あの二人の力関係が普段どおりなら緑君が勝つと思う」

「ああ」

「普段どおりならね…」

「そう、問題はそこだよ」

 白鳥は大きく頷き、梅雨を含む三人を順に一瞥した。

「河夕様の命令どおりに四城市の守護を続けるのは大切だと思う。ここには岬君と雪子さんの大事な人が大勢いるんだし、生まれ育った町を愛してもいるだろうから」

「…だが緑が戦っているのは闇に憑かれた狩人だ…それも同じ十君。おまけに緑の側には彼女の気配もある」

「雪子さんね」

「なんだって彼女を地球に連れて行ったのか…」

 苛立たしげに呟く白鳥だったが、彼らの波動が伝わってくる先が、光にとっての思い出の土地と判るから複雑な思いが募る。

「…二対二で分かれるか」

「あぁ、それなら空知さん、君と梅雨殿の二人で行くといい」

「え?」

 唐突に名を出されて軽く目を見張る梅雨に、白鳥はそっと笑いかけた。

「空知さんのベストパートナーはもちろん俺だけど、この場合は戦闘好きな男二人が行くよりも治癒能力に長けた女性が行く方が間違いないと思うんだ」

「同感だな」

 蒼月が同意を示し、彼女を向く。

「それに一人でも紫紺の側に立つ者がいなければ、俺も緑も躊躇わず紫紺を斬る」

「!」

「何も君まで敵視するつもりはないんだよ。ただ一族の中で誰よりも紫紺に近い位置にしたのは君だろう? それだけの理由」

 言ってから、白鳥はふと思うことがあり、再び口を切った。

「俺達は君が紫紺と同じだとは思ってないよ。一族のことを考えて、必死に掟を守ろうとしている君を多少真面目過ぎるかなと思うだけさ」

「…貴女は河夕様が嫌いなわけではないでしょう?」

 紅葉の優しい声音に、梅雨は顔を上げる。

「歴代の王とは全く異なる河夕様の考え方が理解できないというだけで、河夕様自身を軽蔑したり嫌ってるわけじゃない…。そうだったら、あの方の命令に従って四城市の守護に当たったりはしないもの」

「河夕様を敵視しない者は俺達の敵でもない。掟を守ろうとするおまえの気持ちは理解できるからな…。昔の自分がそうだったように」

「蒼月…」

「そう! 空知さんの堅物ぶりにはさすがの俺も辟易したよ。何かあるごとに帰ってくる台詞と言ったら「掟だ、掟」って。俺と話そうとしないのも掟が禁じてるからだって言っちゃうんだからね」

「おい」

 無駄口はいいと目で訴える蒼月に、白鳥は肩をすくめる。

「はいはい、ともかくそういうこと。この中で誰より紫紺の気持ちを理解できるのは、河夕様を理解できなくて悩んでる君だと思うわけさ。だから、ね」

「貴女の声が届けば、もしかすると紫紺は自分で自分の過ちに気付くかもしれないでしょう?」

 三人に説得される形になって、梅雨は一瞬躊躇した後ではっきりと頷く。

「判ったわ、なら早速行きましょう」

「是羅が出てこないうちにね」

 白河が付け足すように言い、蒼月と梅雨の二人が北海道に向かうため、本部以外にはつながる鏡の道に向き直った直後、遠方から激しい悲鳴が上がった。

「っ」

「なに?!」

「なにが…っ、―――是羅?!」

 彼らの行く先を阻むかのように、まだ人に憑くことも叶わない弱弱しい闇の卵達が集合して出来た黒い塊は一人の男の姿を象った。

 心弱き者の体を器とし、何千、何万の時を生き永らえ、闇の王として君臨してきた男の姿が狩人達の目の前に立ちはだかる。

『クックックックッ…どこへ行こうと言うのだ、おまえたち…』

 知っていて、それを愉快とする男の嘲笑。

 遠方の悲鳴が連続する、増えていく。

『邪魔はさせぬぞ狩人…』

「貴様…っ!」

「空知さん、上!!」

 白鳥が叫んだ。

 紅葉が飛び退いた。

 闇は世界を呑み込んだ。



 ◇◆◇



 空を厚い雪雲が覆っていく。

 太陽を隠し、日差しを遮り、一秒ごとに下がっていく気温はもうすぐ氷点下を下回ろうとしていた。

「また降るのかな、雪」

 そんな空を見上げながら静かに呟くのは、パッと見ただけでは男女の区別がつかない穏やかな美貌の人物。両腕に抱えた大きな花束のせいでもあっただろう。男女どちらかに判別するのが無礼にあたりそうなその人は、日本人に見えるものの、北欧系と言われればそれでも納得してしまえる外観をしていた。生まれつきの栗色の髪と色素の薄い瞳。透き通るように白い肌には傷一つ見つけられず、形の良い唇から零れる声音には、聞く者の心を和ませる不思議な温かさがある。

「そしたら、また明日も朝から雪かきだね」

 苦笑混じりに話しかけると、その相手――四、五歳の小さな女の子を抱き、すぐ隣を歩いていたも空を見上げて「あぁ」と低く返した。

 こちらは無駄なく引き締まった体つきに一九〇センチ前後の長身で、漆黒の髪と同色の瞳。整った顔立ちは充分に美形と評せるものだったが、周囲を威嚇するような鋭い目付きと、滅多に緩むことのない固く結ばれた口元は、彼から人を遠ざけていたが、隣を歩く美貌の人には大した問題ではなかった。

 そして、この長身の男に抱き上げられていた女の子が「おとうさん」と呼びかける。

 自分を抱えている男ではなく、隣を歩くその人をつかまえて。

「ねー、おとうさん。雪がふったら、おかあさん、さむくない?」

 表情を曇らせて言う娘に、男女どちらとも思い難い外見の人が顔を上げた。

「大丈夫。お母さんは雪が好きだったから、きっと喜ぶよ」

「そっか」

 安心して笑顔になる娘に彼も笑みを浮かべた。

 今日は娘の母親であり、彼の妻だった女性―大樹名雪の命日。彼らはつい今しがた彼女の墓がある霊園に着いたところだった。

 夫であった彼の名を裕幸、娘が瑞乃。そして少女を抱っこしている彼が、裕幸の古くからの親友、時河竜騎。

 ほんの少し前、彼らと同じく名雪の墓参りに来ていた緑光が、松橋雪子に「普通の人間ではなかった」と語った彼らである。

「午前で終わらせるはずだった仕事が伸びて結局この時間。お義父さん達はもう来ちゃっただろうし、いっそのこと休めば良かったかな」

「…忙しいのは解ってるさ」

「けど瑞乃みずのと会いたかったと思うんだ」

「…そう言って一週間前に遊びに行ってたろうが」

「毎日だって会いたいと思ってるよ、きっと。名雪の大事な一人娘なんだから」

「……あぁ」

 低く返して、竜騎は瑞乃を下ろした。霊園に入ってから、少女が自分の足で歩きたがったからだ。

 それでも自分の足で立った瑞乃は、裕幸と竜騎の間に入り、二人と手を繋ぎたがる。

 結局三人が並んで名雪の墓前まで向かうことになった。

 と、母親の墓の前に置かれた花束に最初に気付いた瑞乃は、興味津々といった様子で自分から手を放し、走り出す。

「瑞乃、転ぶよ」と、親友と話していた裕幸が心配そうに声を掛けるも、少女はまったく意に介さず花束目指して走った。

 そうして丁寧に置かれた花束をじっと見つめ。

「うわぁキレー…、おとうさん、たつき、すごくきれいなお花!!」

「花?」

 言われて、近くまで来てようやくそれに気付いた二人は、瑞乃より一メートル近く上からその花束を見下ろし、顔を見合わせた。

 …その表情に浮かぶ嬉しそうな笑み。

「光君、かな」

 名雪の両親がこういう花を買って墓前に供えるとは思えないし、何よりブーケに使われている花の種類が、五年前の思い出を呼び起こさせた。

「ここまで来たなら、俺達にも会いに来てくれればいいのに」

「…まだ気にしているんだろ」

「彼が悪いわけじゃないのにね…」

「…」

 竜騎は寂しそうに呟く裕幸の肩に手を乗せ、そっと引き寄せる。

 身長差二〇センチ前後の裕幸は、相手の肩に頭を預ける形になって、瞳を伏せた。

 同時に蘇るのは最後に見た光の姿。

 十六歳だった緑光の、無力だった己自身を憎む痛々しい姿。

 名雪の血に濡れ、呆然と立ち尽くし、言葉も失くしていた彼を、二人は気遣うことも出来なかった。

 裕幸にそんな余裕はなかったし、竜騎には裕幸を支えてやることの方が優先され、「おまえのせいじゃない」と、その一言さえ告げられなかった。

『名雪を死なせたことを悔いるなら、彼女が死んで自分が生き残った現実を無意味なものにするな』というようなことを、興奮した状態で怒鳴るように言い放った覚えはあったが、それをあの少年はどのように取っただろう。

 絶望してやいないかと、それだけが心配だったけれど。

「…そのうち会いにくるさ」

「…うん」

 本当の弟のように愛しかった。

 名雪と二人、家族が一人増えたみたいだねと幸せに笑えていた懐かしい日々。

 別れは突然で、惨たらしい事件が彼らの間を裂いてしまったけれど、光を愛しく思う気持ちは今も失われていない。

 そして出来ることなら会わせてやりたいのだ。

 彼が、生まれてくることも出来なかったと思い込んでいる娘、瑞乃と。

「おとーさん?」

 竜騎に寄り掛かり、沈んだ顔をしている裕幸の衣服を引いて、今日で五歳になる瑞乃が大きな目を曇らせる。

「おとーさん、だいじょうぶ? かなしいの?」

「…大丈夫だよ」

 母親の命日が誕生日となった娘を抱き上げ、裕幸はそっと笑んだ。

「ごめん。お母さんにちゃんと挨拶しないとね」

 名雪の墓を前に、膝を折り、瑞乃を隣に下ろして手を合わせる。

 竜騎も同様に手を合わせ、心の中で裕幸の亡き妻に語りかけた。

「…名雪。今日で瑞乃が五歳になるよ」

 応える人はもうこの世にはいないけれど、裕幸は声にして語りかけた。

「光君も参ってくれたみたいだし。…良かったね」

「ひかるくん? ひかるくんてだれ?」

 瑞乃が不思議そうにその名前を口にすると、裕幸はそっと微笑して娘の手を握る。

「…光君は、俺達の家族だよ」

「かぞく? じゃあみずののおにいちゃんなの?」

 聞き返してくる瑞乃に、裕幸は笑みを強めることで答えた。そうすると瑞乃はとても嬉しそうに顔を綻ばせ、お兄ちゃんに会いたい、いつ会えるのと無邪気にはしゃいだ。

 その願いを叶えてやりたいと思った。

 近い将来、瑞乃には光を、そして光には、名雪の娘である瑞乃を会わせてやりたいと、裕幸もまた心から願った。

 けれど――会わせてやりたいと願ったのは、こんな形での実現ではなかったのに。

「!!」

「っ」

 突然の衝撃に、裕幸と竜騎の二人は全身を強張らせて周囲に気を配った。

 娘をしっかりと抱き締め、近くで起こったらしい爆発の影響を警戒する。これがガス爆発だったり、地球の人間同士で解決できる問題ならば彼らが介入する必要はまるでない。だが万が一、異種族間の抗争による爆発だったら?

 人間を害する異界の者の仕業だったら…?

「…近いな」

 竜騎の低い呟きに裕幸も頷く。

 腕の中、何が起こったのか理解できずにきょとんとしている瑞乃の頭を撫でてやりながら、裕幸も爆発の起きた周囲を探った。

 彼らの第六感が捕らえる邪気。

 ぶつかり合う二つの力。

「…闇狩……」

「光君だ…」

 ひどい不快感を煽る邪気に対して始祖里界神の力を振るう狩人の生気。それに今まで脳裏に思い浮かべていた少年の面影を重ねて二人は顔を見合わせた。

「…これなら光君が勝つかな……」

「ああ」

 答える竜騎の口調に迷いはなかった。

 心配するまでもない。

 第六感にひしひしと伝わってくる狩人の力と、敵対している闇の力の差は歴然としていて、光が負ける要素など何一つ見当たらない。

 あえていうならば光の力が他所に分割されて誰かを――一人の少女を守っているらしいことだが、その分を差し引いても光の有利は変わらないだろう。

「…一人前の狩人になったんだね、光君」

「あのガキが女連れとはな」

 親の気分で呟く裕幸と、小さく嘆息する竜騎。

 呆れたような口調でそんなことを言う彼に、裕幸は苦笑した。

「ガキって、光君はもう二十一になってるんだよ。恋人がいてもおかしくないだろ」

「…?」

 闇狩はそういった関係を禁じた一族ではなかったのかと、目で尋ねてくる竜騎に、裕幸は首を振った。

「何でも今期の闇狩一族は今までと違うらしいから。…そうじゃなかったら光君みたいな子が狩人を続けてはいけないよ」

 言い終えてから、裕幸はふと思いついて竜騎の袖を引く。

「ね。今から光君に会いに行こう」

「…瑞乃を連れてか?」

 魔物と戦っている光のもとに五歳の子供を連れて行くのかと、口数少なく告げる竜騎に裕幸は静かに微笑う。

「歩いて行けば、着く頃には決着がついてると思うから」

「あぁ…、まあな」

 歴然としている闇狩と闇の力。

 今また光の力は強まり敵を圧している。

「みずのもおにいちゃんに会いたい!」と幼い少女に目を輝かせてお願いされれば、竜騎に拒否権はないも同然だった。

「…行くか」

 結局、不承不承ながら竜騎も承諾し、光が戦っている場所に赴くため、霊園を後にした。



 いきなり会いに行けば、きっと光は驚くだろう。

 過去にあったことを悔いているなら、再会を喜んではくれないかもしれない。

 けれど会いたかった。

 話したいことがあるし、会わせたい人がいる。

 伝えたいことがある。

 そのための機会が与えられたなら、最大限に活かそうと彼らは考えた。

 だがそれを利用しようとしたのは彼らだけではなかったのだ。

「裕幸」

「…うん」

 不意に近づいてきた悪意の塊に、裕幸と竜騎の二人は足を止めた。

「? おとうさん?」と、状況を理解できていない娘を抱き上げる裕幸の表情には緊張が走り、竜騎は鋭い目をいっそう鋭くして周囲の気配を探った。

 そのときだ。


 ――匂イ…能力者ノ匂イ……


 靄のような黒い物体が一つ、また一つと彼らを囲み始めていた。

 そしてその奥に隠れるようにして移動する、より強く邪悪な気配。

 光のいる場所へと駆け抜ける巨大な闇の波動。

「っ、是羅か!!」

 気付いたときには遅かった。

 周囲には隙間なく闇の卵がたかり、魔物に転じて能力者の器を手に入れようという欲望を裕幸達にぶつけてくる。


 ――狩人……? 違ウ闇狩ジャナイ……ケド美味ソウ……

 ――子供…柔ラカナ肉…

 ――寄コセ…ソノ体…俺ニ寄コセ……


「失せろ!!」

 不快極まりない魔物の欲望に竜騎が怒鳴った。

 その声音に含まれる力に闇の魔物は一瞬怯んだ。

 その隙を裕幸は見逃さない。

「竜騎!!」

 声高くその名を叫ぶ。

 刹那、漆黒の獣が天を駆けた。




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