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闇狩  作者: 月原みなみ
39/64

闇狩の血を継ぐ者 二

 四城市に集まった闇の襲撃は、魔物の姿を視認することの出来ない普通の人間には、地震と、それによって起こる火災、水害という形で万人の目に触れることとなった。

 守護に当たっていた闇狩一族の狩人達は、王・影主の命令を忠実に遂行し、しだいに集まり始めた闇の気配に素早く対応した成果あって四城市の住人には誰一人死者を出さずにすんだことを本部に報告してきた。

 十君・紅葉と梅雨が到着し、その少し後に同じく十君の蒼月・白鳥両名が駆けつけたこともあり士気の高まった狩人達は、順調に狩りを進めている。

 炎上した四城寺はほとんど全壊状態であったものの、本堂から幾らか離れた位置に建つ自宅は、住職と、そして河夕の結界が張られていたこともあってほとんど無傷。家族も全員無事だった。松橋雪子の自宅や西海高校も同様、炎上した勢いに比べれば損害はほとんど無きに等しく、家人、生徒達ともに目立つ外傷はなかったそうだ。

 闇狩一族の本部、六階の会議室に集まった河夕、光、有葉、黒炎と副総帥・高紅、紫紺、そして薄紅と、彼女が探し出し連れてきた生真の総勢八名は、重苦しい空気の中で四城市の現状報告に渋面を崩せずにいた。

「…こうまで是羅が思い切った行動に出てしまった今、影主は何をお考えですか」

 副総帥・高紅の言葉にいくらか目線を鋭くした河夕だったが、そこにいつもの迫力は見られない。

「影主、貴方は高城岬と松橋雪子、そのどちらも守りたいと仰られるが、今のままではそのどちらもを奪われますぞ」

「そんなことはありえません」

 答えたのは河夕ではなく光。

 厳しい顔つきで、挑むように言い放つ。

「あの二人は決して是羅の手になど渡さない。あの二人は罪のない地球人。闇の魔手から地球人を守るのが闇狩の役目だと、そう我々に説いたのは副総帥ご自身だ。ならば貴方も彼らを守ることを第一に考えるべきではないのですか」

「松橋雪子に関しては守らねばなるまい。彼女は本当にただの地球人だ。だが高城岬は罪のない、ただの地球人ではないでしょう」

「高紅…」

「高城岬が速水であるなら、松橋雪子を守る方法など至極簡単。是羅を滅ぼせばこれ以上の被害を四城市に…いえ、あの蒼い惑星に及ぼすこともなくなるのですぞ」

「…岬を殺せと、まだ言うか」

「私にはそれを拒む影主のお考えが理解出来ませぬ」

 高紅は河夕に向ける視線を外すことなく単調に告げる。

「二人ともを守れる確証が影主におありですか? 速水を滅ぼせば松橋雪子は確実に助かるのです。二人ともを失う不安を抱いたまま戦い続けるよりも、確実に一人を救う方法を選ぶべきではないのですか?」

「…」

「高城岬が『速水』だと言うなら、それは是羅と契りを交わした証。友人であったとはいえ、そんな裏切り者を守りたいと頑なに仰られる理由はなんですか」

「副総帥それは…!」

「光」

 副総帥・高紅は真実を知らない。『速水』は闇の女帝に与えられる称号などではなく過去の影主が愛した女性の名前だと訴えようとした光を、河夕はそんな低い呼びかけで黙らせた。

 その眼差しには決意にも似た強い力が込められていて、光は、そして無言で見守っていた薄紅や黒炎も、彼が何かしら考えていることを察する。

 有葉の、薄紅の衣服を掴む手に力が込められ、一人離れて立つ生真の、河夕を見る目には疑惑の色が浮かぶ。

「影主。私は常々申し上げてきたはずです。是羅を滅ぼせば闇は統括を失い、地球は救われる、それが先代の願いであり貴方の望みだったのではありませんか?」

「…」

「先代は、闇と戦うことよりも人との『情』を重んじた。それゆえに影主の座を退くよう求められたのです。貴方はそれを、まるで私達の画策であったかのようにお考えですが、影主は闇狩一族の王、是羅を倒すことこそが影主の使命、それを疎かにされたから先代は退座せざるをえなかったのです」

「っ…」

 離れた位置で生真が唇を噛み、有葉の顔がうつむく。

 だが河夕に変化はなかった…、少なくとも目に見える変化は、なかった。

「影主。酷なことを申し上げるようですが、是羅を倒さねば今度は貴方が先代と同じく玉座を追われるのです。是羅が本格的に動き出した今、お心を決められて速水を滅してはいただけませんか。それ以外に方法はないのですから」

 ――光が何かを言いかけて結局口を噤み、副総帥側の十君・紫紺は勝ち誇ったような笑みを口の端に上らせた。

 憎悪とも取れる目線を向ける生真。父親のことを持ち出され深く傷ついた様子の有葉。

 そんな一人一人の姿を順に見てから、河夕はゆっくりと口を開いた。

「…ならば、その方法があると言ったら?」

「―なんですと?」

「岬を殺さずとも是羅を滅ぼす方法があると言ったんだ。おまえは、今の言葉全てに対して償う覚悟が出来ているだろうな」

「影主…」

 河夕の、おそらく誰も予想しなかった発言に、紫紺までが軽く目を見開いて王の固い表情を凝視した。

「…影主。そんな方法を、本当に見つけられたのですか」

 困惑のざわめきの中、最初に口を切ったのは薄紅だった。

 緊張した面持ちで一歩前に出て続ける。

「高城岬を殺さずとも是羅を滅ぼし、闇一族を滅する方法を、見つけられたのですか」

 一言一句を区切るように、確かめるように告げる彼女に河夕は頷く。

「方法は見つけた」

 断言する彼に半数が固まり、半数が息を呑む。

「河夕さん、それは…」

「深緑っ」

「っ…あ、失礼しました…、影主、それは一体どんな方法なのですか…?」

 副総帥に咎められて言い直した光に、河夕は軽く息を吐いて副総帥を見据えた。

「その前に、高紅、おまえに確かめなければならない」

「私に…?」

「おまえ、影見綺也の名に心当たりはあるか?」

「影見…綺也様、ですか?」

 その名前に、高紅は多少困惑の表情を浮かべただけだった。

 だがその次。

「ならば五百年前に抹消された王の存在は」

「?!」

 抹消された王と聞いて、高紅の顔色は明らかに変わった。

 驚愕と恐れ。

 河夕の口からその王の話を聞かされるとは予想だにしなかっただろう高紅は、次に放たれるだろう言葉を思い、王の視線に恐怖した。

 誰もが唐突な展開に身動き一つ出来ず、困惑した中で、河夕は確信し立ち上がる。

「是羅が一時的に封印された過去を伝えてきたのは代々の副総帥だったな」

「え、影主…それはっ」

「影主は影見の一族と定められ十君は影主の判断で決定する。ならば副総帥の決定権はどこにある? いつから副総帥はおまえの血族と決められた?」

「私は…っ」

「五百年前、影主だったはずの影見綺也は歴史からだけでなく影見の系図からも抹消された。原因は速水を愛したから。愛したがゆえに殺せなかったからだ、今の俺と同じにな」

「―影主が闇の女帝を……?」

 驚愕した声を押し出す紫紺を、河夕は鋭く睨みつける。

「闇の女帝は別にいた。速水はその女が産んだ子供だ」

「馬鹿な!」

 有り得ないはずの話しに紫紺はたまらず声を張り上げた。

「是羅は赤子の代わりに己の魂を女の腹に宿らせるんだ、その女が子を身籠るなど…!」

「是羅と知り合う以前に女帝の胎内には新しい生命が宿っていたんです」

 紫紺を遮って河夕の言葉を引き継ぐのは光だった。

 高紅は何も言わない…言えない。

 その様子が河夕により強い確信を与えた。

「闇の女帝となった女性は男に乱暴されて生のすべてを憎んだ。その強い憎悪を見込まれて是羅の魂の守人となりましたが、その時すでに彼女の胎内には新しい命が息吹いていたんです。是羅の魂は、その宿っていた生命と融合してしまい、それを知った彼女は、子供を生んだことで用無しとなれば自分が殺されると考え子供を捨てた…、捨てられた子供は何も知らないまま当時の影主と知り合い、愛し合ったんだそうです」

 光が一息に告げると、紫紺はもはや言葉が出てこない。

 生真も何も言わず、ただ黙って聞いていた。

 強大な驚きを必死に押し隠そうとするように腕を組み、じっと河夕を見ていた。

「…その子供は名前も与えられず、死ぬためにこの本部に乗り込んだ。そこで当時の影主、影見綺也と出逢って命を救われ、互いに惹かれあった。速水の名は影見綺也が彼女に贈った名前だ。それがどうして『闇の女帝に与えられる称号だ』などと間違った形で伝わってきたんだ? いや…、抹消された王の存在を知っていたおまえが、なぜ誤ったままの伝承を俺達に伝えた。五百年前、たった一人の女を愛した王がいたのにこんなのは一族始まって以来の恥だと俺達の親父を狂人呼ばわりして来たのは誰だ、高紅!」

「…っ」

「そしておまえは抹消された王がいることを知っていて黙っていた。過去、影主が己の命を犠牲にして尊い死を迎えたことは伝えても、それの真実は隠し続け王の名は系図から抹消した。その当時の副総帥がお前の先祖だ。その時から『副総帥』の座はおまえの血に連なる者が選ばれるようになったんだろ? 綺也の死後に王位を継いだ影見貴也を利用して一族の恥となった王の存在を隠し続けるために。…それとも本当の理由はもう一つの方か?」

「っ……!」

「影見綺也を抹消するよりも、速水の出生を知られるわけにはいかなかったからか?」

「…どういう意味ですか」

 口を閉ざし、全身を震わせて足元を見据える高紅を横目で見ながら、光が恐る恐る問いかけた。

 まさかという思いが胸の中に沸き立つ。

「妙だとは思っていた」

 硬い声音で河夕が言う。

「いくら男に乱暴されて憎悪の感情を膨らませたとはいえ、速水の母親は血肉を好むわけでも争いを欲したわけでもない…、そんな女を是羅が選んだのはどうしてか。…答えを聞かされればなるほどなと思うさ。子々孫々の代まで高紅の血族が副総帥の任に就いて常に影主の側にいたのも、誤った伝承を伝えてきたのもこのためかってな」

 河夕は吐き捨てるように言い、顔面蒼白となった高紅を睨みつけた。

「当時の副総帥はそうとう驚いただろうな、自分の見知った女が闇の女帝だと知って」

「?!」

「是羅だって喜んで女帝に選ぶさ。女が個人的に闇狩に恨みを抱いていたなら、胎内に隠された是羅の魂は女の憎悪とともに力を増す。…そうだろ、高紅」

「……っ」

「おまえの先祖が速水の父親だな」

「くっ…」

 河夕と高紅以外の誰もが絶句した。

 彼らの間で交わされる会話の内容が理解し難かった。

 けれど―、……けれどこれが事実。

 速水の名が闇の女帝に与えられる称号だと、誤った説を伝えてきたのも。

 影主は速水を殺すことで闇一族に勝利するのだと、しつこいくらいに河夕に言い聞かせてきたのも。

 なるべくしてなったわけではない速水の名を持つ、死ぬことさえ許されなかった哀れな少女を、是羅の女帝と疑わずに滅ぼせるよう影主を欺くためだった。

 すべての元凶は、闇狩一族側の内部に―副総帥の祖先にあったことを隠すためだったのだ。

 王は影見の血族から。

 闇狩一族は神により選ばれた戦士達の末裔。

 そんなふうに血筋を重んじる一族だから祖先の罪を隠すのは子孫の義務。

 王を欺くことさえ血の名誉を守るためなら迷いはなかった。

「五百年前といえば王の血を継いだ子供は皆が玉座を奪い合った時代だ。母親同士も憎しみあった…だからおまえの祖先は影見貴也にすべてを打ち明け、一族のためだとかいう言葉で総てを隠そうとしたんだろう。副総帥が側にいれば後々の影主に真実は伝わらないと踏んで…、だが貴也はそんなおまえたちを決して許さなかった。真実が明かされることを未来に願い、死ぬ思いで手紙を残していたんだ」

 影見綺也の名前も。

 速水の真の姿も、影主となる影見の一族に伝えてはならなかった。

 影見が王であり続けるためには愚かな感情で是羅を仕留め損ねた王が存在してはならないから。闇狩一族こそがすべての元凶だ、などという事実を一族に知らせてはならないから。

 そしてそれを黙認するしかなかった影見貴也の辛さ、やるせなさは、木箱に隠された手紙にすべて記されていたのだ。

「貴方はその手紙を見つけられたのか…」

「高紅、おまえの血族の罪は決して許さない」

「影主…」

「今この場でおまえから副総帥の位を取り上げる。二度とおまえの血族が副総帥の位に就くことも許さない。影見を欺いてきた罰だ。俺や、俺の十君に意見することも金輪際二度と認めない」

「そ…影主…私は…」

「失せろ!」

「――っ!」

 厳しく、有無を言わさぬ声音で言い放たれて、もはやただの老人でしかなくなった男はがっくりと膝をつく。

 もうすぐ一世紀を迎える年齢であるにも関わらず六十代にしか見えない若々しさと活力みなぎる人物であったはずの副総帥・高紅は、その位から遠ざかった瞬間に、止まっていた時間を一気に進めてしまったかのように年老いて見えた。

「…それから紫紺」

「っ」

 呼びかけられて、副総帥が位を取り上げられる様を目の当たりにしてしまった紫紺は明らかに狼狽した様子で顔を上げた。

 そんな彼に、河夕は一片の情も見当たらない冷たい視線を投げ、言い放つ。

「今はおまえを十君から遠ざける理由はない」

「…」

「だが近いうちに必ずだ。親父が変えていこうとした一族の行く先を阻む奴は俺の十君には必要ない。覚悟しておけ」

 はっきりと断言し、目で光や薄紅、黒炎、そして有葉にここから出るよう促した河夕は最後に生真を振り返る。

「…おまえももういい。無理に呼び出して悪かったな」

 抑揚のない言い方でそれだけを告げ、他の面々が出て行った扉から河夕もまた会議室を後にしようとした。

 その背を今度は生真が呼び止める。

「おい、オレは十君から外さないのか? オレだっていつおまえに歯向かうか分かんないんだぞ!」

「…」

 生真の言葉に、河夕は足を止め、少年を振り返る。

 そして告げた。

 王としてではなく、影見生真の兄として。

「おまえは親父の仇を討つんだろ」

「――?」

「生真…、おまえはそれでいい」

「……」

 河夕が何を言っているのか、生真にはきっと解らなかっただろう。

 河夕の考えていることなど知りようもない。

 それでも――それでも、河夕が何か決意を固めているのは明白だった。

 そうでなければこんな唐突に副総帥を罷免するはずがない。

 紫紺にあんな挑戦的な台詞を突きつけるはずがないのだ。

「何考えてンだよおまえ……っ!」

 応えるものは何もない。

 突然の通告にうなだれた副総帥にも、覚悟しておけと宣告された紫紺にも、生真の言葉に耳を傾ける余裕など微塵たりともなかった……。



「いったいどういうつもりですか」

 そうして会議室を出た廊下では、光がその言葉を河夕に向けていた。

「貴方は僕達の知らないことを相当ご存知のようですが、副総帥を罷免するなんてあまりに急じゃありませんか」

「…河夕様。高紅を罷免し、紫紺に覚悟を促すには、それなりの事情があるのだろうことは解ります…けれどそれは、私達にも隠さなくてはならないことなのですか…?」

 右からは光と黒炎、左からは薄紅と有葉に不安に揺れた眼差しで見上げられ、河夕は軽く息を吐く。

「四人揃ってそんな目で見るな…」

「だってお兄ちゃん…」

「心配ない」

 有葉の頭を優しく撫でてやりながら言った河夕は、しかしそのすぐ後で足を止め、彼らの顔を順に見る。

「…光」

「はい?」

「おまえ…、少し俺に付き合え」

「は?」

 光が意表を突かれて聞き返すのを無視して、今度は薄紅を向く。

「おまえは有葉を送ったら…、悪いが、松橋をおまえの部屋で休ませてやってくれないか?」

「雪子様を?」

 これこそ意外な顔をして聞き返す薄紅だったが、横から黒炎が、

「いろいろとあったんだよ」と口を挟めば、薄紅もいろいろと思うところがあったのか素直に頷いた。

「有葉は自分の部屋で休むのもいいし、俺の部屋で岬と一緒にいてもいい。松橋が大丈夫そうならあいつといるのもいい…。自分で選んでおとなしくしてろ」

「うん…」

「黒炎は蒼月や紅葉が戻ってきたら報告に来てくれ。高紅の罷免の話やらなんやらと説明しなきゃならないことがあるからな」

「了解」

「よし。ならここで解散だ」

 河夕は言い、まだ意表を突かれて釈然としない様子の光を伴って自分の部屋とは異なる方面に足を向けた。

 がその腕を掴む小さな手。

 有葉の手が、河夕を行かせまいとしていた。

「どうした、有葉」

「…お兄ちゃん、戻ってくるよね?」

「――有葉?」

「有葉様?」

「お兄ちゃん、ちゃんと戻ってくるよね? 岬ちゃんも雪子お姉ちゃんも、お兄ちゃんのこと大好きだよ。絶対ぜったい大好きなんだよ」

「…有葉」

 河夕はそっと微笑んで、有葉の小さな体を抱き上げる。

「さっきのことで心配してるなら、俺だってちゃんと解ってるさ。だから変な心配しなくていい。ちゃんと後で部屋に戻るから」

「…うん」

 まだ不安を残しながらも有葉は素直に頷き、大好きなお兄ちゃんの頬にキスしてから自分の足で床に立つ。薄紅と手をつないで、空いた片手を振りながら遠ざかっていく妹の背を最後まで見送った河夕は、黒炎も一人別方向へ向かい、光と二人になってから苦笑した。

「ったくあいつは。いつからあんな心配性になったんだか」

「…本当にただの思い過ごしですか?」

「あ?」

 強張った声音に光を振り返った河夕は、そこで思いの他真剣な顔をしている相手を見て眉を寄せる。

「おまえまでどうした。俺が消えるとでも思ってるのか?」

「…なんだか、そんな気がします」

「…」

 河夕は小さく笑って、ゆっくりと歩き出す。

 それを光も落ち着いた足取りで追った。

「いまここで消えるつもりなんかないさ」

「その言い方は少ししたら消えるとも取れますね」

「おまえな…」

 揚げ足を取るなと言いかけて、空いた部屋を見つけた河夕は光を促して入っていく。

 時には作戦会議室などに使われる、それほど大きくないその部屋には円状になった机とそれを囲む椅子だけが置かれていて、殺風景な寂しい部屋だ。

 河夕は椅子ではなく円状になった机の方に寄りかかり、光はその側に立つ。

 その表情は真剣そのもので、河夕はまた苦笑してしまった。

「どうした、光。おまえらしくもない」

「それは僕の台詞でしょう」

 そう告げる光の口調も常の穏やかなものではなく、少なからず語気が荒い。

「こんなの、まったくもって河夕さんらしくありませんよ。付き合えといってご自分から僕と二人になろうなんて、どこかおかしくなられたとしか思えません」

「…」

「さっきの副総帥のことも、紫紺殿のこともそうです。貴方があの方達を快く思っていないのは十年も前から承知していましたが、急にこんな形であの方達の権限を奪うなんて、有葉様でなくとも貴方らしくない勢いに不安を覚えます。影見綺也様と貴也様の一件にしても、副総帥が影見を欺いてきた罪についても、僕達十君は何一つ知らされていません。貴方はどこでそんなことまで知ったんですか。いかにも闇狩一族の最重要機密らしき事柄を住職が知ってらしたとは思えない。最近の貴方は秘密が多すぎます」

「…、おまえ、そんなに喋る奴だったか?」

「河夕さんが喋らせてるんじゃありませんか」

 これも冷たく言い放った後で、光は眉間に皺を刻む。

「もしかして…、さっきの雪子さんの発言に傷つかれたんですか?」

「…」

「それで自棄になって賭けに出られたというのなら、どうか雪子さんの気持ちも汲んで差し上げて下さいと言うべきなんでしょうが…」

「…さっきのあれはきつかったな…」

「河夕さん…」

「松橋の言ってることは正しい。俺があいつらに関わらなければ、少なくとも松橋を巻き込むことはなかった…、そもそも高紅の先祖が卑劣な行為に出さえしなければ速水が生まれることもなかったし、もしかすると影見綺也の時代に是羅は滅んでいたかもしれないんだ」

 結局、長きに渡って闇と闇狩の戦が続いてきたのは速水の存在があったからで。

 副総帥高紅の祖先が人間らしい理性を持ち、一人の女性に乱暴などしなければ速水のような哀れな少女が誕生することはなかった。

 影見綺也が愛した女と一族の間に挟まれて悩んだ末、己の命と引き換えに是羅を封じるという手段を選ぶこともなく、影見貴也が一生を費やして兄の誇りを守り、未来にしか希望を見出せず苦しむこともなかっただろう。

 その時代に是羅が滅んでいれば岬に速水が憑くこともなく、河夕と出逢う理由もなく、あの二人は変わらない日々を穏やかに生きていけたに違いない。

 雪子があれほどまでに追い込まれることもなくて済んだはず。

 そう考えれば考えるほど、すべての元凶は魔物の方にではなく闇狩一族の内部にこそあったのだと認めないわけにはいかなくなった。

「だったら今度こそ…、過去の事実を知った俺の手で是羅を倒すのが筋だろう」

「けれど…」

 河夕の言葉は正しいと理解しながらも、光は低く反論する。

「是羅を倒すには是羅の魂を守る速水を…つまりは岬君を犠牲にしなければならない。貴方は副総帥の前で岬君を犠牲にせずとも是羅を倒す方法はあると断言していらっしゃったけれど、それは真実なんですか……?」

「ああ」

 河夕は頷いて瞳を伏せる。

「あの後…、おまえたちと書庫で系図のことに気付いて、部屋の系図にも綺也の名前がないと解って遺物庫に行ったろ。そこで知った…、こいつらが教えてくれた」

「こいつら?」

 聞き返す光の前に、河夕はジーンズのポケットと胸元から二つの指輪を差し出す。

 手のひらに乗せた金銀の指輪。

「先代の形見の…」

「親父がこれを俺に継がせたのもなにかの縁だったんじゃないかと思う。…綺也と速水の指輪だ」

「お二人の?」

「是羅が復活したのかもしれないって時、この指輪が岬の命を救ったんじゃないかっておまえ言ったな…。きっと当たりだ。綺也が速水を守ったんだ」

「…」

「この指輪がまた俺に教えてくれた。岬を、そして速水を救える方法をな」

「…僕は、それが何かを聞いてもいいんでしょうか?」

 聞き返す光に、河夕は再び頷く。

 河夕が綺也から伝えられた、是羅を滅ぼす方法。

 自分の身を犠牲に是羅を一時の封印に縛るしか出来なかった過去の影主は、五百年の時を経て得た答えを現在の影主に手渡した。

 岬と速水、どちらも悲しませずに救う方法――貴也の手紙、金銀の指輪に導かれて現れた綺也の幻影…、あの後の遺物庫で起こった出来事を、河夕はできるだけ詳しく説明していった。

 だが河夕の話が進むに連れて光の顔はしだいに強張り、すべてを聞き終える頃には顔面から血の気が失せ、指先は細かく震えていた。

「なにを…っ、そんな方法、結局は綺也様と同じでしかないじゃありませんか…っ」

「光…」

「貴方は岬君に速水と同じ想いをさせるつもりなんですか?! 岬くんだけじゃないっ、雪子さんや有葉様、僕や…それに…それに薄紅殿にも過去の速水と同じ想いをさせると、そう仰るんですか…っ?」

「岬だけは悲しませない、…あいつにはすべて忘れてもらう」

「忘れ…っ?」

「…去年の十月…、俺達が会うことになったあの騒動からの記憶を、速水の魂と一緒にあいつの内側から奪う」

「そんな…だったら…、では僕達は…っ」

「おまえ達は闇狩だ」

「――!」

「王を支え、王を守り、王の意志に従う、それが十君だ。違うか光」

「…こういう時ばかり王の権限を振りかざすんですか…? 僕達は…貴方の十君は! 王が貴方だからここに集ったんです!! 貴方以外の王に従う気などありません!!」

 河夕のあまりに身勝手な言い分に声を荒げ、取り乱した光に、だが当の本人は苦笑いの表情で口を開く。

「そういう態度はおまえらしくないな」

「そんなこと今は…!!」

「俺は十君の深緑と話しているんだが」

「――っ」

「地球人の光じゃない。闇狩十君の深緑とだ」

「…貴方は…っ、そんなことを言うならどうして僕にそれを話したんです! これじゃぁまるで先代の時と同じではありませんか!! 一人で悩んで勝手に結論を出して! 唐突に「先代は死んだ、今からは河夕様が王だ」とだけ聞かされた時の僕達の気持ちが解りますか?! 何も解らずに貴方を疑うしかなかった僕や有葉様がどんなに辛かったか…っ、何も話してもらえなかった生真様が今もどんなに苦しんでいるか貴方は考えたことがあるんですか!!」

「…」

「そして今度は…、今度こそ僕達は貴方を恨むしかなくなってしまう……っ!」

 震える語尾に、河夕は下を向いて深い息を吐いた。

 吐息とともに吐き出されるのは一人で抱え込むにはあまりに重く切ない想い。

 まさか光がここまで怒りを露に感情をぶつけてくるとは思っていなかった。

 だが同時に、これを期待していたような気もする。

 一族の中、唯一の地球人。

 血のつながった弟妹には話せなくとも、光には明かしておきたかった理由は、きっとそれだ。

「…、おまえも岬や松橋と同じだ」

「え…?」

「あいつらが言っていた。生真は俺を恨んでるわけじゃない、憎んでるわけじゃない…、たぶん…いや、きっと俺もそうだと思いたいんだ。何も話さなかったのを怒ってるだけで、それをどう消化したらいいのか判らなくてあんな態度を取るんだと…、そう思いたい」

「河夕さん…」

「俺が是羅を滅ぼすために取る行動で、誰に辛い思いをさせるかは解ってる。…解っていても方法はそれしかない。岬を犠牲にすることだけは絶対に避けなくてはならないからだ」

「貴方の仰ることは解ります。解りますが…だったら雪子さんはどうするんです。僕達は十君だ、岬君には悲しませない方法がある、でも雪子さんは? 彼女が貴方の取る行動を理解して「ありがとう」などと言えると思うんですか?」

「だからおまえに話した」

 河夕は間髪を入れずに答えた。

 口元に幽かな笑みを刻み、あくまでも穏やかに。

「松橋には何の策もない…、だがおまえは松橋を守るとあいつに誓った。俺はそれを信じた、だから話した」

「…」

「どんなに過去を振り返って悔やんでも、高紅の一族の罪を暴いて副総帥の任を罷免したところで速水の存在が消えるわけじゃない。実際にこうして存在している以上、やらなければならないことに変わりはない。影見綺也は速水を愛して、自らが是羅の封印となることを選び、貴也は兄貴の誇りを今につなげた。俺はそれを見つけたんだ。これに俺自身が決着をつけないでどうする」

 決して逸らされない黒曜石の瞳に迷いはなかった。

 この王は既に決めてしまったのだ。

 誰が何を言っても、…おそらくは岬が泣き叫んだとしても今生の影主・影見河夕は己の意志を曲げず、選んだ方法を実行してしまう。

 今度こそ是羅を倒す。

 そのために彼を待つのが『死』であっても、彼は恐れさえ感じていない。

 それほどに力強い視線が光を射ていた。

「速水を救い、是羅が滅びた後は、おまえたちにすべて委ねる。是羅が倒れれば闇は統括者を失い力も弱まる。そうなれば後は次の王の判断に従って地上から魔物を一掃しろ」

「…新たな王には生真様を……?」

 問うまでもなくそれは明らかだ。

 だから河夕は唐突に副総帥の罪を暴き罷免し、紫紺を十君から必ず追放してみせると宣言した。

 弟の生真が王に立ったときの弊害を一つでも減らすため。

 そして是羅が倒れた後の岬と雪子の身の安全を確保するために。

 加えて新王に生真が立つのなら、河夕を慕って十君の位に就いている蒼月や白鳥らも今の地位を離れたりしないだろうし、河夕が王だから十君になったのだと怒鳴った光も、まだ幼い少年を見捨てたりは絶対にしない。河夕はそこまで判っているから、なおさら迷いなど有りはしないのだ。

 完全な確信犯…、それがいっそう、怒りとも悲しみとも取れる光の激情を煽った。

「是羅が滅べば、一族を変えていくのになんの支障もない。生真はきっとやれる。親父と俺の意志はあいつが引き継いでくれる」

「…」

「だからおまえ達は生真を支えてやってくれ。黒炎が蒼月達の帰りを伝えに来たら、その時こそ全員の前でもう一度最初から話す。…頼む」

「…、もうお決めになられたんですね……」

 胸中にはまだ治まらない感情が渦を巻いていた。

 だが言っても何も変わらない、無駄にしかならない…そんなあきらめの気持ちが光に冷静さを取り戻させていた。

「本当に…僕達を残して…是羅を倒すために死ぬつもりなんですね…?」

「ああ」

 即座に返る簡潔な言葉。

「時間もない。是羅は本気で動き出し、岬と松橋を狙ってる。このままじゃ松橋の精神の方が先にやられちまう」

「ええ…」

 普通の少女でしかない雪子の心に、ここ数日の出来事は多大な負担となって圧し掛かっているだろう。

 考えてみれば、本部に戻ってから雪子の安心しきった笑顔など見た覚えがない。もしかすると、一度だって安らげる時を持てずにいるのかもしれないのだ。

 河夕への複雑な思い、岬への切ない想い。

 彼女のここ数時間の言動は、確かな危うさを彼らに感じさせていた。

「…それに岬の方もだ」

「岬君、ですか?」

「あいつの気配が速水と同一化し出してるの、気付かなかったか?」

「っ、まさか…!」

「岬の体にはずっと三つの魂があった。そのうちの二つ、速水と是羅の魂は五百年前の暴走で力尽きて時空の歪みに落ち、岬に憑いた時点で眠りに入るかしてたんだろう。だからいくら是羅の気配を探っても『闇の女帝』は発見されなかった…、だが俺と会ってから速水は覚醒を始めた。是羅が復活してその力の影響を受けるにつれて力を取り戻し、今じゃあの、岬が最初に目を覚ました時のように速水の姿が重なるんだ…、最初に見たときよりかなりハッキリしてきてたし、一つの体で三つの魂が均衡を保つのもそろそろ限界だ」

「最初…って、河夕さんは以前にも速水の姿を?」

「――」

 まずい話題を振ったと内心で焦りつつ、河夕はぎこちなく言葉をつないだ。

「ンなこと今はいい。とにかく岬と速水が同一化しだしてるってことが重要だろ。このままじゃ岬が岬でなくなる可能性もある」

「…」

 なにやらまだ隠し事がありそうだと感じた光だが、今までに聞かされてきた内容が内容だけに無駄な追求はしない。

「速水にそんな気はないかもしれないが、是羅の魂を抱えた速水の圧倒的な力は岬の心を浸食し始める…、そうなる前に決着をつけなきゃならない」

「…そうですね」

 光は理解の言葉を口にしながらも、河夕を責めるような目で見て続ける。

 何を言っても無駄。

 反対したって聞き入れられることはない…、そうと解っていても、これだけは確かめたい。

「…貴方が岬君と雪子さんを守ろうとなさるのは解かります。そのための方法がそれしかないと言われれば、僕には止めることなど出来ません…。けれど速水のことさえ無視したなら、…河夕さんが岬君や雪子さんと共に歩む未来を望むならそれも可能のように思えるのは僕の希望的観測に過ぎませんか? 今の説明だと、…極端な話、副総帥や紫紺殿でも是羅を滅ぼすことが出来るのでは? わざわざ貴方が御自分の身を犠牲にしなくても…、たとえば僕にだってその役目を代わることが出来るでしょう」

 速水のことさえ、考えなければ。

 そう言われても河夕の決意は変わらない、変えられない。

「速水を救う、それが前提だ」

「何故です。貴方は岬君の友人であり僕達の王だ。速水の抱えてきた苦しみには僕も同情を覚えますが、貴方は綺也様とは別人なのだから、そこまでして彼女のことを考える必要はないでしょう」

「…」

 問われて、河夕はしばし無言を保った後で自嘲気味に笑った。

「言ったろ、岬が速水と同化し始めてる。速水を救う方法を教えに来たのは影見綺也だって。それと同じさ」

「?」

「俺も綺也の影響を受けてンだろ」

「……」

 人事のようにあっけらかんと応える河夕に、光は今度こそ心底呆れた息を吐き出した。

「だったら限界まで侵食されて二人で逃避でも駆け落ちでもして下さいませんか? その方がよっぽど親切だと思いますけどね」

「おい…」

「もう勝手にしてください。貴方に従うと決めた時にこういう事が起きるかもしれないという覚悟を持たなかった僕が馬鹿だったと反省します。蒼月殿や白鳥殿を説得する時には僕を共犯にするつもりなんでしょう? まさかこの若さで皆に恨まれ、薄紅殿に嫌われ雪子さんに呪われながら余生を送ることになるとは思いもしませんでしたよ」

「あのな…」

 何か言いかけた河夕を遮るように、わざとらしい溜め息を漏らす光。

 それが河夕への怨み辛みを物語っているようで、向けられた本人はもはや閉口するしかない。

 だからもしかすると、この話題転換は河夕の逃げ道だった。

「ンな文句ばかり言ってないで…、おまえ、時間見計らって行って来いよ墓参り。命日だろ」

「こんな時に…」

「報告しなきゃならないだろうが。守りたい女が出来たって」

「……」

 河夕の言葉に、光は一瞬虚を突かれたが彼女のことを忘れずにいてくれたのは有り難いと素直に頷く。

「そうですね…、だったらその守りたい女性を一緒にお連れしても構いませんね?」

「松橋を?」

「四城市は危険ですから無理でも、地球に戻れば雪子さんの気分転換になるかもしれませから」

「……だな」

 河夕は応じ、微苦笑を浮かべる。

「ちゃんと河夕さんのことも報告してきますからね。僕達の王はまたとんでもないことをしてくれるんですよと」

「まだ言うか」

「当分の間は言わせていただきます。もう時間がないそうですからね」

 話題転換のつもりがまた振り出しかと、河夕は内心でうな垂れた。

 うな垂れながらも、そろそろ部屋に戻ろうと、光と二人、会議室を後にした河夕は、一歩後方を歩く不機嫌顔の光を見やって力ない声をかける。

「…嫌味言うのは構わないけど、岬と松橋に気付かれるようなことはするなよ」

「ご心配なく。僕は貴方ほど人の気持ちに鈍感じゃありませんから」

「……」

 言った後で、何かしら傷ついた様子の河夕の背中に光は嘆息する。

 そして言い直した。

「…僕は言ったはずですよ、雪子さんを守ると。それは是羅の手からという意味ばかりじゃありません。彼女が彼女であることを侵そうとするものは何であれ容赦しない。それは僕自身も含めてです」

 言い切る光に、河夕はそっと笑んだ。

「しっかしおまえも物好きだな。好きな奴がいるって解っててなんで松橋なんだ? あいつは一途な女だ。いくら岬の鈍感さ加減に業を煮やしたとしても、そう簡単に他の男に目を向けたりはしないだろう」

「今の雪子さんなら案外簡単に落とせそうな気はしますが?」

「おい…」

 まるで卑怯者の台詞だなと続ければ、光は「冗談ですよ」と笑った。

「雪子さんがそういう女性だということは重々承知しています。だからこそ惹かれるんですね、きっと」

「手に入らないものにしか興味がないって? 随分な趣味だな」

「誤解を招くような言い方はよしてください。誰かを想い誰かのために綺麗であろうとする女性が魅力的に見えるのは当然のことでしょう。僕としてはそんな薄紅殿を放っておく貴方の気の方が知れませんよ」

「…」

 どうあっても河夕を虐めなければ気が済まないらしい光の胸中に、河夕は軽く息を吐いて聞き流す。いちいち取り合っていては無意味な長話が続くだけになってしまう。

 そして光の方もそれを察し、肩をすくめるようにして話を締めくくる。

「それに僕は、雪子さんをただ守りたいんです。二度あることは三度あるなんて言葉を現実にしないためにも」

「…三度目の正直ってのもあるけどな」

 河夕がフォローするように言うと、光は口の端で笑い、先を行く相手の背を見つめた。



 もうすぐ、この背について歩くことは出来なくなる。

 こんなふうに話すことさえなくなってしまう…、河夕が闇狩一族の王、影主として是羅を滅ぼすということは、そういうことだ。

(…僕は、また何も出来ないのか……)

 五年前の苦い気持ちが蘇る。

 今日が“彼女”の命日だと覚えていてくれた河夕。

 否、忘れるはずがない。

“彼女”は、先代の死を境に一族を捨てようとした光を癒し、離れ離れになってしまった河夕との距離を埋めてくれた女性だ。

 闇狩と関わったばかりにこの世を去ってしまった、もうすぐ母親になるはずだった人。

(僕はまた見ているしか出来ないのか……名雪さん……)

 懐かしい名を胸中に呟けば、思い出された“彼女”の面影が不思議と雪子の姿に重なる。

 そうして彼は笑ってしまった。

「光?」

 そんな彼を怪訝に思った河夕が振り返る。

 気は大丈夫かと、無言のまま訴えてくる黒曜石の瞳。

 光は一頻り笑った後でゆっくりと首を振った。

「ちょっと思い出したんですよ」

「何を」

「雪子さんに惹かれた理由を」

 河夕の眉間に皺が寄る。

 それにも小さく笑って、光は語った。

「最初は似ていると思っただけだったんですけどね。…僕が死なせてしまった姉に」




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