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闇狩  作者: 月原みなみ
35/64

想い忘れえぬ者 八

 ほんの少し肌寒さを感じて体を丸めた雪子は、けれどすぐに暖かな何かに包まれて強張った体を緩めた。

 自分を包む何かの感触がとても心地よくて引き寄せると、一緒に誰かの笑い声が付いてくる。笑い声といっても嘲笑とか馬鹿笑いとか、そんな気分を害するような笑い方ではなく、好意的で優しい笑い方。

「ん……」

 わずかに身じろいで、なんだろうと思いつつ重たい瞼を開くと、まだ微かにぼやけた視界に二人の男女の姿が映る。

「ああ、起こしてしまいましたか?」

 聞く側を落ち着かせるかのような穏やかな物言い。印象的な色素の薄い髪と目が、まだ寝惚けている雪子にもそれが誰かを悟らせた。

「緑君…?」

「はい。おはようございます」

 にっこりと微笑まれて、雪子は(あれ…?)と思いつつ体を起こす。

「緑君、いつからここにいるの?」

「今さっきですよ」

「嘘ばっかり」

 光の発言を咎めるように言うのは、少し離れた位置―今もまだ眠り続ける岬のベッドの側に座っている薄紅だった。

「少なくとも五分は彼女の寝顔を愉しんでいたように見えたけど?」

「えっ」

「嫌だなぁ薄紅殿。それじゃあまるで僕が危ない人みたいじゃないですか」

「あら、自覚なかったの?」

 からかうような笑いを交えた言い方に、光は肩をすくめて雪子を振り返る。

 寝顔を見られたと知って微かに赤くなった顔を両手で覆って隠そうとする雪子が、光にも薄紅にも好感を与える。

「ご心配なく。とても可愛らしい寝顔でしたよ」

「―っ、緑君!」

 そういうことじゃないでしょうと頬を膨らませる雪子。

 光はそっと笑い、彼女が必要としなくなった毛布を手に取って丁寧に畳み始めた。

「ケットを羽織っていらしたようですけど、それじゃあ寒いと思って毛布を持ってきたんですが、かえって余計なことをしてしまいましたね」

「…、そんなことないわ、ありがとう…って、寝顔見られてなければ言えるんだけど」

「薄紅殿の言ったことは信じても僕の言ったことは信じてもらえないんですか?」

「緑君の言ったこと?」

「可愛らしい寝顔でしたよ、と」

「〜っ、緑君!!」

 今まで以上に赤くなり、光がたたんでいた毛布を奪い取って邪魔する雪子に、薄紅が遠慮なく笑い出した。

「なによ!」と、雪子が釣り上げた目で見返せば、薄紅は笑ったまま、光はわざとらしい真面目な表情を作って言葉を返す。

「本当。意外なくらいそういう台詞には弱いのね」

「からかうのはいけませんよ、薄紅殿。相手が男だろうと容赦なく怒鳴りつけられる反面、こういう初心なところもある純粋な方だから河夕さんが大事になさるんです」

「二人ともいいかげんにしてよ!」

 雪子が訴えるも、二人は構わず続ける。

「でしょうね。私も何時間か一緒にいてよく解ったもの。深緑に騙された件も水に流してしまえるくらい可愛い子よ」

「騙した?」

「河夕様が出逢った地球人に一族の者は決して敵わないって、彼女のことを私に聞かせてくれたのはどこの誰?」

「っ、私が影見君の恋人だなんて紛らわしいこと言ったのは緑君なの?!」

 片方からは冷ややかな眼差しに、片方からは熱に潤んだ眼差しに睨まれて光はわずかに表情を崩す。

「騙したとは人聞きが悪いですね。僕は本当のことしか言っていません」

「どこが本当のことなのよ!」

「雪子さんと岬君は河夕さんの宝物だと。決して恋人とは言っていないはずですが」

「どうなの薄紅さん!」

 今度は薄紅を睨みつけて言う雪子に、薄紅は苦笑を漏らす。

「そうね…、そうだったかもしれないけど、あの時の深緑を思い出すとどうも…。婚約破棄されて傷心してる相手に言う台詞ではなかったんじゃない?」

「それはきっと、僕も傷心して攻撃的になっていたから、そういう言い方になってしまっただけですよ」

「傷心って…」

 二人してなにに傷ついていたのかと頭を悩ませかけた雪子は、だがすぐに『悔しい』という台詞が脳裏に蘇った。

 一族の仲間が五年かけても与えられなかったものをたった数日で河夕に与えた二人の地球人、その存在がどんなに憎らしかったか…、薄紅の言葉を思い出すと、なぜか雪子の胸が痛む。

 雪子がそんなことで思い悩んでいる間も二人の話は続いていた。

「それも理解できないことはないから、今回は大目に見てあげるわ」

「そうしてもらえると助かります」

 にっこりと笑う光に、薄紅が軽く息を吐く。

 同時に、他人の気配を敏感に察することができる狩人はこの部屋に向かってくる足音に気付いて扉に目線を転じた。

 先に動いたのは光。

 既に岬の寝室と化した部屋を抜け、河夕の私室である中央の広間を抜けて大きく重厚な扉へと手をかけ、まさにここというタイミングで開くと、そこにはわずかに目を見張った河夕の姿があった。

 自分でドアを開けようと伸ばしたらしい手が情けなく宙に浮いたままになっている。

「なにに驚いてらっしゃるんですか、河夕さん」

 小さな笑いを交えた言い方に、絶妙の間で開いた扉に多少驚いていた河夕も途端に顔を顰めて相手を睨みつけた。

「…なんでおまえがここにいる」

「それはひどいお言葉ですね。薄紅殿を休ませて差し上げたいと思ったのがいけませんか?」

「そうじゃなくて、なんでおまえが出迎えるのかって聞いてるんだ」

「それはもちろん河夕さんに対する嫌がらせですよ」

「……」

 いけしゃあしゃあとそんなことを言ってのける光に軽い頭痛を覚えながら、河夕は自分の部屋に入り、岬の寝室へと向かいながら背後をついてくる光に話しかける。

「岬の様子は?」

「いたって順調です。もうしばらくすれば目を覚ますでしょう」

「松橋は」

「雪子さんなら今まで眠ってらっしゃったようですよ」

 その返答には多少安堵したのか、剣呑だった顔つきがわずかに和んだ。

 そのまま岬の部屋へと入った河夕は、ソファの上で毛布とケットをつかんで難しそうな顔をしている雪子と、岬のベッドの脇で敬礼する薄紅を順に見やって口を開く。

「桜、ここはもういいから、おまえも自分の部屋で休め」

「はい」

 実際、一日以上休まずに岬の容態を診続けてきた薄紅の疲労は相当のもので、彼女も素直に河夕の言葉を聞き入れた。

「光、おまえも休んでいいぞ。ここは俺が見てるから」

「河夕さんが? ということは…」

「ああ」

 河夕の簡潔な返答に、だが光と薄紅の表情は明らかに変わった。

 不安と期待、それ以上の戸惑いを含んだ狩人二人の眼差しに、河夕は肩をすくめた。

「心配するな。後でちゃんと話すから、まずは休んで来い」

 薄紅と光に告げ、彼ら二人がなお戸惑った様子で顔を見合わせている間に、今度はソファに座り込んで難しい顔をしている雪子に歩み寄る。

「松橋、休めたって聞いたが……、どうした?」

「えっ、あ…ううん」

「…なんでもないって顔じゃないけどな」

「なんでもない!」

 相手の声を遮るようにして言い返す雪子。

 河夕はわずかに首を傾け、気落ちした様子の少女に続ける。

「もしまだ寝足りないなら部屋用意するぞ? こんなソファの上じゃ体痛くなったろ」

 こんなソファだなんてどんでもない、見た目からして一級品と判る立派なソファだが、ゆえに弾力性があって寝るのに不向きなのは確かだ。

 しかしそれにも雪子は首を振って、チラと光を一瞥する。

 それに気付いた光は、視線が重なった瞬間の彼女の表情から何を察したのか、すっと流れるような動きで二人の側に歩み寄ると、いつもどおりの笑みを浮かべて手を差し出す。

「もしよければ外に出ましょうか?」

「え?」

「おまえ……」

 薄紅が意外そうな声を上げ、河夕が渋面な顔付きになる。

「外がどれだけ危険か解ってて言ってるのか?」

「だからといってこの部屋に閉じ込められていては気分も滅入りますよ。ね、雪子さん」

「う、うん、そう! 体がなまっちゃって、そろそろ外歩きたいなって!」

「けどな…」

 雪子が乗り気で応えてみせても、河夕はまだ渋面を崩さない。

 この部屋を出れば、そこは闇狩一族の領域内でありながら雪子と岬にとっては闇一族の敵地よりはるかに危険な、二人の心を攻撃する連中で溢れた場だ。そんな中に、たとえ光が同行するとしても行かせたくないのが河夕の本心なのだ。

 そんな河夕の心情を光も十二分に承知していて、だから言葉をつなぐ。

「なにも下に行こうとは思っていませんよ」

「―なに?」

「下から出なくても外に行く方法はあるでしょう」

「屋上…」

 薄紅がぽつりと呟き、光がうなずく。

「あちらならこの部屋と同様、河夕さんの敵は入ってこない。雪子さんにも何の危険もないでしょう」

「…河夕様、深緑の言うとおりです。彼女のためにも、少し外の空気にあたらせてさしあげたらどうですか?」

「……」

 光と薄紅に説得されるような形になった河夕は、それでもしばらく悩んだ後で、諦めに近い溜息を漏らす。

「解った。ただし、もし高紅側の連中に見つかりそうになったらその場ですぐ引き返せ。松橋を人質にでも取られてみろ、その場で十君から追放してやる」

「ご心配なく」

 凄みを効かせた河夕の言い様にも光の笑みは崩れない。

「僕が雪子さんを奪われるなんて、そんなことは決して有り得ませんよ」



 ◇◆◇



 そうして薄紅が自室に戻り、岬の側に数時間振りに河夕が戻った後、雪子は光とともに初めて河夕の部屋を出ていた。

 書庫で調べものがある、副総帥に召集をかけられた、などなどの理由で出て行く人を見送ることは何度もあったが、見送られるのは初めてで、自分から外に行きたいと言っておきながら多少の不安が胸中に溢れていた。

 河夕が自分と岬を外に出したくないのが、同じ一族でありながら河夕の味方にはなりえない連中から二人を守るためだと、面と向かって言われることはなくても聞いている話の端々から推測出来ていたから、もしそういう人達と会った時に平気でいられるかどうか自信がなかったからだ。

 だがそんな雪子の不安を他所に、二人は他の誰と顔を合わせることなく屋上へと辿り着いてしまった。

 河夕や有葉、そして雪子は未だ顔を見ていないのだが、弟・影見生真の私室が設けられた本部最上階のフロア、その端の扉から続く螺旋階段をわずか二周りしただけで見上げた先には無限の星空が広がっていたのだった。

「…うわぁ……っ」

 屋上の面積が想像を絶するほど広いというのも理由の一つだったろう。

 顔を上げてみれば視界に星空以外のものは何も映らず、古城を思わせる風貌の巨大の建造物の屋上はそれだけ天に近かった。

 決して叶うはずはないのに、手を伸ばせば星がつかみ取れそうな至近距離。

 地球の、住んでいた土地では見られなかった。

 プラネタリウムもこれに比べれば全然だ。

 見上げる場所が違えば北斗七星やカシオペアなんていうずっと昔から親しんできた星座は存在せず、月の姿さえなかったけれど、まるで星雲の中に迷い込んだかのような夜空の煌きは夜の闇を支配すると同時に見上げる者の心さえ奪っていく。

「すごいっ、すごいすごい! すっごいキレーっ!!」

 すぐ側に立つ青年の腕をぐいぐい引っ張りながらはしゃぐ雪子を、引っ張られている光は穏やかな目で見つめている。

「そうやって喜んでいただけると僕としても喜ばしい限りですよ、雪子さん」

「だってだってっ、こんなの四城市じゃ絶対見られないもん! ていうか地球のどこで見られるの?! 本で見た宇宙の写真みたいじゃない!!」

「でしょうね。ここは地球じゃありませんし、雪子さんに解りやすく説明すると月のように空気や水のない惑星から直接宇宙を見上げているのと同じですから」

 光がなんでもないことのようサラリと告げた内容に、しかし雪子の方は「そうなんだ」と笑って頷けるはずがない。

「――地球じゃないって言った?」

「? ええ」

「空気も水もない?」

「ええ。空気や水があれば惑星には圏が生成しますからね。見上げた先は宇宙ではなく空になるでしょう? 地球の青空のように」

「だ…だったらなんで私達生きてるの?!」

「それはほら、僕達闇狩ですから」

「……」

 闇狩ですからと言われて納得できるか!、と思わないわけではなかったが、今までの経験を振り返ればこれで納得せざるを得ないような気がしてくる。

 つまりのところ、岬のあの死んで然るべき傷を癒した力と同じように、一族の術力が効いているから城内にいれば酸素があるし、水もあるということなのだろう。雪子が先刻取った食事は地球の食材と何ら変わりなかったし水も飲ませてもらった。

 案外水や食材なんかは一族の誰か彼かが地球から調達してきているのかもしれない。

「…緑君や影見君て宇宙人だったんだ」

「それはうまい例えですね」

 感心したように呟く光に、雪子は苦笑する。

 いかなるときでも自分のペースを崩さないこの青年は、いったいどんな時に我を忘れるのか。

 傷心の薄紅を攻撃的な口調でいじめてしまった時は、果たしてどんな気持ちだったのか。

「雪子さん?」

 黙ってしまった彼女に、光が遠慮がちに声を掛ける。

 しばらくの間。

 それから顔を上げた雪子は、どことなく沈痛な面持ちで光を見返した。

「…どうしたんですか。河夕さんの部屋で、何か話したそうな顔をしていると思ったから屋上にお連れしたんですが、間違っていましたか?」

「ううん…、話したいこと、あるよ」

「なら話してください。ちゃんと聞きますから」

「…」

 微笑を浮かべた光の表情に、雪子が見る限り嘘はないように思う。

 いつもと変わらない優しく冷静な光そのものだ。

 けれど、それが嘘だったら?

 常に心のなかでは、自分達を恨んでいたら……?

「緑君、私達……、私と岬ちゃんて、悪いことしたの……?」

「――はい?」

 思いがけない質問に虚を付かれた光は、不本意ながら返答に詰まった。

 その隙を雪子は逃さずに詰め寄る。

「私と岬ちゃんが影見君に近づいたから、一族の人達怒ってるの?」

「それは…、違います」

 光は言葉を選びながら雪子の考えを否定した。

「もともと副総帥側の一派は先代の頃から今の『影見』を快く思ってなかったんです。そこで思い通りに動く王を求めたのに河夕さんもまた自分の信念を貫く方だった、だからあたりがきつくはなっていますが、それが雪子さんと岬君のせいでは…」

「じゃあ緑君や薄紅さんは?」

「雪子さん?」

「影見君を嫌いな一族の人が何を言ったって、そんなの関係ないわ。影見君だってその人達のこと嫌いなんでしょ? だったら私もそんな人嫌いよ、でも緑君達は違うよね? 影見君のこと慕ってるから、…だから影見君に近づいた私や岬ちゃんが……、憎かったの……?」

 雪子の言葉に、光は目を瞠った。

「緑君は…私や岬ちゃんのこと守ってくれてるけど……本当は今でも憎く思ったりすることあるの……?」

 今この場で、この少女の口からこんな台詞が飛び出すとはさすがに予想もしていない。

 どうしてこんなことを言い出したのか、それを考えていくうち、思い浮かぶのは薄紅の凛とした面立ち。

 自分や蒼月が書庫に、河夕が一人遺物庫に篭ってたった一つの手がかりを探していた最中も雪子と一緒にいた十八歳の少女。

 雪子自身、一生分のハプニングが連続したような目まぐるしい現状の中で精神的に不安定になっている。

 そこに何か一言、わずかでも動揺させる言葉が放たれたらどうなってしまうだろう。

「…薄紅殿に何か言われたんですか……?」

 まさかあの少女が雪子を傷つけるようなことは言うまいと思っている光だが、河夕が絡んだ話上の展開によってはその信頼など脆くも崩れ去る。

 薄紅の、普通の少女としての気持ちは、おそらく河夕以上に光のほうが理解していたから。

「雪子さん。もし薄紅殿が何か言ったのだとしたら、それは不安定な気持ちを抱えた彼女なりの、せめてもの強がりだと」

「違う! 私は緑君に聞いてるの!!」

「雪子さん…」

「緑君『ありがとう』って言ったよね? 岬ちゃんがこっちに来ることになったあの夜、家まで送ってくれる途中に緑君そう言ったの覚えてる? 薄紅さんも同じこと言ったわ、影見君を助けてくれてありがとうって、薄紅さんもそう言った、だけど本当にそれだけなの? 『ありがとう』だけ?! 私はこんなに悔しいのに!」

「――」

 私は悔しい…その言葉の示す意味を、気持ちを察して光は今度こそ言葉を失う。

「私…影見君が羨ましい……こんなこと思っちゃいけないって解ってるのに…すごく悔しいの、岬ちゃんを助けてくれたし、私のことも守ってくれる。そういうのすごく嬉しいし感謝もしてる。影見君のこと好きよ、でも悔しいのっ…岬ちゃん奪られたみたいで…すごく悔しい……」

 激情に突き動かされるまま心に溜まったものを吐き出せば、雪子にも、自覚していなかった事柄がだんだんと理解出来てくる。

 薄紅のことで河夕を責めてしまったのも同じ。

 何らかの形で、どんな些細なものでもいい。河夕にあたれる理由が欲しかっただけなのだ。

 去年の秋、河夕と知り合ってからどんどん元気になっていった岬。

 闇との戦いに巻き込まれて、死に掛けて、それを河夕は命がけで救ってくれた。

 あの時もそう、岬を助けてくれた河夕に感謝して、ありがとうと告げて、けれどその台詞の裏では河夕と関わらなければ岬がこんな目に遭う必要はなかったんじゃないかと、そんな考えが確かに生まれていたのだ。

 ずっと一緒にいたのは雪子。

 長い間、隣にいて、想い続けたのは雪子。それでも闇が関わった戦の中で雪子の力など岬を助けるのになんの役にも立たず、歯噛みしている間にも河夕の力が岬を救う。

 喜ばしいことのはずなのに、確かに嬉しかったし有難かったけれど、そのたびに岬と河夕の絆が深まっていくのを実感するのは哀しかった。

 そうしてこの数日間がその考えに決定打を打ち込んだ。

 岬が速水で、岬が死ねば是羅は死ぬと教えられて。

 そうしたら岬は河夕のために死のうとした。自分で自分の心臓を一突きにして自ら死ぬことを選んでしまった。

 それほど岬の心に深く息づいた河夕の存在が、――羨ましかった。

 河夕のことは友人として好きだけれど、岬のこととなれば、雪子は確かに河夕を恨みもしたし憎んでもいた。

 綺麗な感情ばかりで彼を見ていることなど出来なかった、それが本心だ。

 だから怖い。

「すごくよく解るから…。薄紅さんが私のこと羨ましいって言った気持ちとか、そういうの解るから辛い…、こんな汚い気持ちで自分も思われてるのかと思ったら怖かった…緑君は『ありがとう』とか優しく言ってくれるけど…本当は…」

「…」

「馬鹿だよね…、自分が影見君のことそんなふうに思ってるのに…自分がそんなふうに思われてるのは怖いなんて…卑怯だし…でも…でもっ」

「雪子さん」

 低音の落ち着いた声音が雪子の名を呼ぶ。

 ビクッと肩を震わせた彼女にそっと微笑み、小刻みに揺れる手を自分の手で穏やかに包み込む。

「…、確かに羨ましかったですよ。最初の頃は貴女と岬君に嫉妬しました。河夕さんの傷ついた心を癒す力を持ち、あの人の笑顔や優しさを独占することになった地球人を恨みもしました。そのあと、河夕さんは僕達十君にも以前の…影主となられる前の態度で接してくれるようになりましたが、それもまた悔しかった…、河夕さんをこうまで変えたのは無力な人間で、僕達はその無力な人間に助けられたのかと思うと…正直、かなり腹立たしかった…」

 そこまで一息に告げて、今にも泣き出しそうな雪子の目をまっすぐに見返す。

「けれど、…雪子さん」

 笑みが強まり、距離が近づく。

「こうして実際に接してみれば、河夕さんの気持ちが理解できたんです。岬君と貴女の存在がどれほどあの人の苦しみを癒したか…、同じ地球出身の僕には痛いくらい伝わってきました」

「地球…出身……?」

「僕はもともと地球人です。日本の一般家庭に生まれて、普通に学校に通い、雪子さん達が送ってきた日々を僕も確かにあの場所で送っていました」

「じゃあ…、緑君て…」

「言うなれば岬君や住職と同じです。何代も前の祖先が何らかの形で闇狩の血を引く者と交わり、その遺伝子が僕に伝わった…、それを先代と河夕さんが見つけられて、僕を一族に迎え入れてくださったんです」

「…でも緑君の家族は…」

 雪子の問いかけに、光はわずかに表情を曇らせる。

「皆…死んでしまいした。姉が闇に憑かれ、両親も、一番上の姉も死なせてしまった……あげく、姉の闇を狩ったのは僕です」

「――」

「僕の闇狩としての遺伝子は最悪の形で覚醒してしまった。姉に憑いた闇に呼応するように闇狩の本能が目覚めたんでしょうね…。僕が最初に殺したのは血のつながった、…双子の姉なんです」

 そう告げて、光は複雑な笑みをこぼす。

「それに絶望した僕を救ってくれたのが先代と河夕さんでした。僕でなければ救えない、姉を死なせたことを悔いるなら人を救える狩人になれ……、河夕さんの部屋で、雪子さんも聞きましたね?」

 コクンと頷く雪子に、光は笑みを強めて続けた。

「先代と河夕さんにそう言われて僕は狩人になることを決めた。この一族に来て、必死で強くなろうとしました…。闇への憎悪もあった。そのおかげで十君に選ばれてもおかしくないほど強くなれたのは確かです…。それでも家族を…、姉を死なせてしまった傷は決して癒えなかった…。癒してくれたのは岬君と貴女だ」

「え…」

「だから…という言い方は変だと思いますが、大切な人を自分の無力のために死なせてしまったのは僕も河夕さんも同じで、その傷を糧に強くなろうとしてきた…、けれど貴女と岬君は、僕達にもっと前向きで、もっと力になる理由を与えてくれた」

「それって…?」

「守るためです」

 迷いも躊躇いもなく言い切った光の目に嘘はなかった。

 あるのは限りない慈愛の想い。

 雪子を励まそうとする純粋な気持ち。

「貴女と岬君を守るために強くなりたい…、それが河夕さんを過去の傷から解放したものの正体です」

「…」

「そしてそれは、貴女と実際に接した僕にも与えられた。僕は今度こそ大切な人を守りたんです、自分の力で」

「緑君…、ちょっ…!」

 雪子が驚いて声を上げるより早く、光は雪子の手を取ったままその場に跪く。

 西洋の騎士が仕える姫君にするように、肩膝をついて雪子を見上げる。

「岬君は河夕さんが守ります。それを悔しいと思うなら、それは当然の感情ですよ。貴女は岬君に惹かれているのだから、側にいる河夕さんを羨ましく思う。それは僕や薄紅殿だって同じなんです。貴女だけの特別汚い感情なわけじゃない、むしろそう思うことがなくて誰かを愛しているとは言えないでしょう。誰かを想えば勝手についてくる感情がそれなのだと思いませんか?」

「う、うん…」

「そして僕は今、河夕さんの側にいる雪子さんと岬君よりも、雪子さんの心を独占する岬君にこそ嫉妬していると言ったら、貴女は信じてくれますか?」

「――え…?」

「是羅はいよいよ本気で岬君を手に入れようと闇狩に挑んでくるでしょう。そうなれば河夕さんや岬君と近い位置にいる雪子さんも無事では済まない…、僕は貴女を傷つけようとする何物も許すつもりはありません」

「え…あ、あの…」

「貴女は岬君を好きでいていい。けれど貴女を守るのは僕でありたい」

「―――――」

 絶句して返答できずにいる雪子の手に、光は優しい微笑を湛えた唇を寄せる。

 少女の白く細い指先。

 そんな手の甲に、片膝を立てて跪く狩人は淡い口付けを落とす。

「貴女はこの命懸けて僕が守ります、必ず」

 強く真摯な誓いの言葉。

 無限の灯火はただ静かに地上に光りを降り注ぐ――……。




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