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闇狩  作者: 月原みなみ
34/64

想い忘れえぬ者 七

 どれくらいの時間が経ったのか、正確なところは分からない。

 ただ、少なくとも半日はここに居座っているだろうと、河夕は遺物庫の奥、形程度に置かれたテーブルに肘を着き、微かに動いただけでもギシィッ…と怪しい音を立てる木造の椅子に座りながら考えた。

 光や蒼月達と書庫で関連資料を集めていた最中、ふとした偶然から発見、確認した『王家の血族』というタイトルの本に、何度も聞いてきた五百年前の影主、影見綺也の名がなかったことを不審に思い、自室にある系図と、この歴代の王の遺品が納められた遺物庫に保管されている系図も調べることにして一人別行動を取った河夕は、調べて行き着いた結果にただ頭を悩ませた。

 自室にある系図は、確かにあったけれど、実際問題として今までなんの興味も持てなかった品だ。

 あることは先代であった父親から聞いていたから知っていても、それがどこにあるかなど王になって五年、一度も考えたことはなかった。

 雪子に手伝ってもらい、最初は唖然としていたものの話を聞いて納得してくれた薄紅の協力のもと、三時間近くかけてようやく、まったく使っておらず、有葉がたまに弾くピアノで開閉できないようにしていた扉の部屋から目的の本は見つかった。

 それを二人の少女の立会いのもと確かめた河夕は、そこにも影見綺也の名前がなく、五百年前の影主は『影見貴也』だと記載されているのを見ることになった。

 貴也と書いてキヤと読むのではないのかと、少女達にも白鳥と同じことを言われたが、河夕ははっきりと否定した。住職―岬の父親が『影見綺也』と教えてくれたのだ。貴也は綺也とは別人だと、河夕はそう言って譲らなかった。

 そうしてこの遺物庫に来て、同じように系図を探してみると、今度はそのページがないのである。

 破られた形跡などないのに、そのページだけが消え失せていた。

「なんなんだ一体…」

 わけがわからないまま、他に何か手がかりになりそうなものはないだろうかと探した河夕だが、保管されている遺品の一つ一つを半日以上かけて丁寧に探っていっても(これだ)と感じるものは何一つ見当たらず、そろそろ眠くなってきたなと、まる二日睡眠を取っていない河夕は今更ながらに睡魔に襲われ始めていた。

「影見綺也と影見貴也の関係を示すものも見当たらない…、影見綺也がいたという証拠らしきものも見当たらない…」

 だとすれば白鳥や薄紅、そして雪子が言った通り、綺也は貴也と書くのが正しいのかもしれない。

 だが河夕はそんな理由付けがどうしても納得できなかった。

「何か違う気がするんだがな……」

 ぽつりと呟いて、河夕は静かに立ち上がる。

 なるべく椅子に負担をかけないようしたつもりだったが、それでもミシミシッと嫌な音を立てる木椅子。

 河夕はその古さ…というよりもぼろさに嘆息した。

「王の遺品を保管する部屋の椅子がこれとはな…」

 こんなことでもなければ人が入ることの無い部屋とはいえ、あまりに酷いこの状態に、父親以外の歴代の王族を好く思っていない河夕も申し訳なくなってくる。

「薄紅か紅葉に言って質のいいやつと取り替えさせるか…」

 一族の中でも特に趣味のいい女性二人の名を呟いて、河夕は比較的新しい棚に近づいた。

 百二十七代影主・影見皐の文字に、無意識に目元が緩む。

 百二十七人の王のうち、最も遺品の少ない王、それが河夕の父親だった。

 ほかの棚には王が使っていた刀や愛用していた細かい物品、身につけていた装飾物、中には戦のときにつけていた鎧や、自伝なんてものまである。それが父、影見皐の場合はどうだろう。小さなリングケースに彼自身と妻が揃いで身につけた結婚指輪が並んで収まっているのと、彼の十君の名を連ねた書面が数枚、それのみだ。もともと戦いより家族との時間を慈しんでいた王だから、遺品のほとんどを河夕達兄弟が手元に残すことを望んだためこうなった。

 両親の結婚指輪は妹・有葉が誰かと結ばれるときに彼女に渡そうと河夕は考えている。そうなれば父親の影主としての遺品はここから消え、百二十七代目の王は存在を抹消されたも同然になるだろう。

 それはまるで、名前のない五百年前の王、影見綺也のように。

「――抹消……?」

 ふと自分で思いついた言葉に疑問を感じた河夕は頭をひねり、胸中に浮かんだ疑問の正体を探ろうとした。

 家族を愛した父、影見皐。

 一族の掟を破ったがために王の座を退かざるをえなくなった影主。

 他人を愛したがゆえに『影主』ではいられなくなった『二人の王』。

「速水を殺せなかった影見綺也…、まさか…っ」

 河夕は自分の推測が当たっていることを、果たして望んでいただろうか。

 ただ感情に突き動かされるまま九十五代影主・影見貴也の棚の前に立つ。

 数時間前に一度調べたものをもう一度確認して、そうして見つけた。

 見た目は四角い木箱。蓋をあけるとちょうど真ん中に仕切りがついていて、片方は物が入るよう箱形になっており、そしてもう片方には、二つの指輪が並んで収められるようになっていた。

 空のリングケース。

 その裏底。

「…Kiya.K……」

 ケースの底に記されていたアルファベット。

 入るべきは、河夕の胸にかけられた銀の指輪と、ジーンズのポケットにしまったままの、速水に贈られた金の指輪。

 きっとその二つだと、河夕はなぜか確信した。

「…結果的に是羅を封じた王でも、…速水を殺すことを拒んだら影主としては認められない…そういうことか……?」

 思わず空のリングケースを強く握り締めてしまった河夕は、ケースが、壊れかけたあの木椅子のような音を立てるのを聞いて慌てて力を緩めた。

「ん…?」

 そうしてじっと見つめて、ケースの横板が微妙にずれているのに気付き、まさかと思いつつもゆっくりと直角に合わさる板と板を左右に引いた。

 するとぴったりくっついていたはずの板が綺麗に割れ、左手側の木板の真ん中―よほど器用でなければ無理だと思わせる技術で厚さ二ミリ前後の板に隙間が作られ、そこに一枚の古びた紙が差し込まれていた。

 五百年の歳月を物語るような、少しでも手荒に扱えば破れて粉になってしまいそうな弱々しい紙。

 河夕はそれを注意深く取り出し、リングケースを棚に戻して、四つ折の紙を広げた。

「…、親愛なる兄上……」

 最初の一行目に書かれた、手紙を受け取るべき人物。

 だが内容を読んでいけば、それが本人に読まれることはなかったことが分かる。書いた人間は、兄の手には渡らないと知っていながらこの手紙を宛てていた。なぜならその手紙を受け取るべき人物は影見綺也。

 死後の彼に宛てられた内容だったからだ。

 彼が愛した女を守るために自分の命を賭けて是羅を封印した後、速水が暴走して時空の歪みに落ち、行方が知れなくなったこと。

 闇の女帝を滅ぼせなかった影主など一族の恥と騒ぎ立てた、速水を殺すことを望んでいた副総帥側の一派により綺也の存在は抹消され、十君以下の一族には『速水が死を恐れ逃亡、ともに逃げようとした是羅を影主が捕らえて封印した』、これが事実だと伝えられたこと。

 速水の出生の秘密、一族が隠し続けた罪の数々。

 そしていつの日にか、この手紙を見つける未来の王、つまりは河夕に宛てられたメッセージで手紙は終わっていた。

 一番下に書かれた差出人の名は『影見貴也』。

 九十五代影主、その人の名前だ。

 どうか速水を助けて欲しい。

 兄が命を賭けて守ろうとした、一生にただ一人愛した女を救って欲しい。

 影見貴也は、この書面を見つけるべき未来の影主に、切にそれを訴えていた。

 誰かを愛した王は抹消される。それを目の当たりにした、兄を慕った影見貴也は、これを未来につなぐために歴代の王を演じ続けたのだろうか。

 だからこうして名を残せたのだろう。

 いつの日か、影見綺也の名前を知り、系図にその名がないのを不審に思い過去を調べる子孫がいてくれることを願いながら…、そんな万が一の奇跡に縋るような思いで一族にとっての正しい王であり続けたに違いない。

 それがどんなに苦痛だったか、弟妹の命を守るため、父親をその手にかけなければならなかった河夕には痛いほど伝わってくる。

「…くそっ…!」

 守りたい。

 過去に副総帥側の一族と戦い、己の信念を貫いて是羅を封じ、にも拘らず消された影主のため。

 兄の意志を継ぐために正しい王を演じ、この手紙を残した影主のため。

 そして速水を守ることが岬を救うことにつながるならなおさら。

「守るにはどうしたらいい……っ?」

 速水を。

 岬を。

「大事な奴を守るには、俺はどうしたらいいんだ……っ」

 答えを教えてくれとは言わない。

 悩めというならいくらでも悩む。だがせめて手がかりが欲しかった。必ず、必ず救える方法があるのだという確証、それを導くための手がかりがどうしても必要なのだ。

「あるなら、あると…、その一言でいい。信じられる何かがあれば……」

 一つ、希望の光があるならば。

 ――そのときだった。

 河夕の胸元で銀の指輪が淡い光を放ち始め、ポケットの金の指輪が熱を持ち始める。

「…?」

 どうしたのかと思い金の指輪を手に取ると、それは光の粒子を飛ばしていた。

 線香花火をもっと儚く、もっと静かに燃えさせるように飛び散る金の粒子は、銀の指輪を持つ河夕の鼓動と共鳴するように息づいていた。

「…」

 この指輪の変化にどういった意味があるのか、河夕には推測することもできない。

 ただ何かに呼ばれている気がして、ほとんど無意識に二つの指輪を空のリングケースに戻してやる。

 影見綺也と速水の指輪が収まっていたのだろう、Kiya.Kの文字が刻まれた木箱。

 二つの指輪が正しい場所に収められ。

「っ」

 急激に木箱が熱くなり、河夕は思わず手を放した。

 だがそれは落下しない。

 増幅する金銀の光りが不可思議な力を働かせているかのように宙に浮いたまま、時を追うごとにいっそう強烈な光を放つ。

「な…!」

 暗く古びた遺物庫の中がどんどん光りに呑まれていく。

 目を開けていられないほどの眩しさに耐えかね、腕で顔を覆った河夕。

 不意に男の声が耳を打つ。


 ――しっかりしろ、速水!

 ――確かに私達は間違った、だが大切なのは信じること、そう言ったのは誰だ!


 重なるのは少女の泣声。

 貴方を苦しめることになるのならいっそ貴方の手で殺してくださいと、涙ながらに訴えるのは長い黒髪に白磁の肌、是羅の魂を抱く速水、その人だ。


 ――案ずることはない、是羅を倒す方法は必ずある。だから泣くな。

 ――私はおまえの傍にいる…、おまえを独りになど、決してしないから……


 まっすぐに少女の目を見つめ、優しく告げた男、それが影見綺也なのか。

 守れない約束を彼女に告げ、信じますと応えた彼女を抱きしめた。

 既に胸の内では別れを覚悟していたのに。

 己の命と引き換えに是羅を封じる手段を選んでいたのに、それでも少女を騙して最後の優しい時間を慈しんだ。

 それほどまでに守りたかった愛しい人。

 なのに結局、泣かせてしまって―――。

 ――私の選んだ方法は間違いだった……

「?!」

 唐突に河夕自身向けられた男の声に、河夕は目が眩みそうな光の中、手探りの状態で相手の姿を見つけようとした。

 だがつかめない。

 光りの中に彼の姿は見当たらない。

 ――年若き影見の王よ…どうか速水を救ってやってくれ……

 ――彼女に二度とあんな悲しい涙を流させてくれるな…

「っ…影見綺也、なのか……? アンタなのか?!」

 ――年若き影見の王よ…頼む、速水を救ってやってくれ…

 ――二度と、彼女が孤独に震え泣くことのないように……

 勝手に喋り、勝手に頼むと告げる声はしだいに遠ざかっていく。

 同時に光りも薄れ、古びた遺物庫には通常の静寂が戻り始める。

 そうして木箱がそっと床に着地する最後の瞬間。

「!」

 何かが河夕の中に吸い込まれた。

 驚いて声を上げる間もなく、一瞬の閃光を放って再び沈黙を取り戻した二つの指輪は、それきり微動だにしなかった。

 …だが。

「…ああ…、そうか…」

 指輪から自分の中へと吸い込まれた、何か。

 それから脳裏に、胸の内に伝えられるのは、今は亡き男の祈り。

 速水を想う彼の願い。

「あぁ…解った。解ったから…」

 過去から現在へ伝えられた想いの丈に河夕は切なくなる。

 目頭が熱くなるのをこらえ、気を取り直すように天井を仰いで大きく息をついた。

「解った…、きっと助けるから」

 速水も、そして岬も。

「俺が終わりにしてやる。…速水も、岬も、俺が助けるから……」

 現在から過去への約束は、今度こそ決して違えられてはならない誓い。

 河夕は木箱を元の位置に戻し、手紙と二つの指輪を手に部屋を出た。

 影見綺也の願い、貴也の祈り、速水の想い…。

 それらを受け止め、過去から手渡された希望を信じて遺物庫を後にした。





 そうして部屋に戻る途中。

「おい」

 まだ幼さを残す少年の声が背後から河夕を引きとめた。

 いつからそこにいたのか、今まで河夕の前に一切姿を見せなかった少年…、実弟の影見生真が遺物庫の扉側の壁に寄りかかるようにして立っていた。

 河夕の胸下までの背丈で、十五歳の少年の四肢はまだ細く頼りなかったけれど、とはいえバランスのいい体格に兄とよく似た整った美貌は将来を充分に期待させる。

「こんなところに何の用があったんだよ」

 美少年といって差し支えない生真が目つきを鋭くして睨む様は非常に冷たい印象を抱かせ、それは兄の河夕にとっても同じこと。

 むしろ自分が憎まれていることを自覚している河夕には、生真のこういった態度の一つ一つが辛かった。

「…そういうおまえこそ、今までどこで何をしていた。十君は全員広間に集まれという命令も無視して」

「はっ! クソジジイが言うことなんか聞けるかよ。あんな連中の言うこと聞いて素直に出る有葉やテメェのほうがおかしいんだろ?!」

「生真…」

「俺は間違ってもあんな連中の言うことなんか聞かない!」

 声を荒げ、さっさと踵を返して去ろうとする少年を、今度は河夕の方が低い声で呼び止めた。

「生真。待て」

 呼び止められて、生真は意外と素直に足を止める。

 だが振り返ることは無く、河夕もそこまではしつこくせずに続けた。

「岬のことは助かった。礼を言う」

「…っ」

「おまえがいなければあいつはきっと死んでた。…ありがとな」

「別に助けたわけじゃない!!」

 バッと振り返り、生真は怒鳴る。

「オレは……っ、オレは、おまえの大事なもんはオレが自分で壊さなきゃ気が済まないから…っ、だから死なせるわけにいかなかっただけだ!!」

「生真…」

「忘れるな! オレは絶対におまえを許さない! おまえの大事なもんは全部奪って…っおまえのことも殺してやる!!」

「…、そんなに親父を死なせた俺が憎いか。俺を殺したいか」

「当たり前だ! 絶対……絶対に親父の仇を討ってやる!!」

「そうか…」

 応えて、河夕はそっと口元を歪めた。

 辛いのか、それとも笑いたいのかという微妙な表情。

 そんな顔のまま河夕は言った。

「その言葉、忘れるな」

「――なに…?」

 聞き返す生真に、今度は間違いのない笑みを浮かべるだけで河夕は立ち去った。

 どちらもそれ以上の言葉は続かず、河夕は自分の部屋へと。

 生真は黙ってその場に立ち尽くし、河夕の最後の笑みの真意を確かめずにはいられなかった…。




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