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闇狩  作者: 月原みなみ
33/64

想い忘れえぬ者 六

 暗い、暗い城の中。

 幾千年の時間を生きながら、今は脆弱で幼すぎる人間の体を器とした闇の王、是羅と呼ばれる男は乱れた呼吸の下から苦しげな声を漏らしていた。

「おのれ…ぉのれ闇狩一族の若造が……っ!」

 顔色はひどく悪く、ただでさえひ弱な体はよりいっそうみすぼらしく、頬は削げ、目に宿る闇の力にも以前の強さは見られない。

 すべては、遠く離れた己の魂が一瞬とはいえ死地に近づいてしまったせいだ。

 決して死なないために自分の体から魂を離し、女の胎内という隠し場所を利用してきたのに…、そして今生の隠し場所は決して闇狩一族の手に落ちるはずの無い高城岬の内なのに、どうして自分は死に掛けたのか。

 闇狩の王が親友である高城岬を殺す決意を固めたとでも言うのだろうか。

「そんなわけがあるか……」

 あの若き闇狩一族の王、影主にそんな真似が出来ないことを是羅は確信していた。

 今生の影主は歴代の王と異なり『情』を重んじる愚か者だ。是羅にしてみれば好都合なことこのうえない。あの宿敵、闇狩一族を相手に人質が取れるなど今までは絶対にありえないことだったのだから。

「そうだ…、あの若造に高城岬が殺せるものか……、あの影主に人間が斬れるものか」

 ならば。

 ならばどうして是羅は死に掛けた? ――その理由は明らか、自分の魂を守るべき器が自らの死を望んだからだ。

 闇の総帥という立場にあるべき高城岬が、宿敵・闇狩一族の王のために命を捨てようとしたからだ。

「おのれ……、五百年を経てもおまえは我を拒み闇狩を選ぶのか……っ、我の魂に守られているおまえが今生も我を拒むのか速水……っ!!」

 自分の魂がなければ生まれてすぐに死んでいるはずだった子供。

 殺戮を好むも自身の死を恐れて女の腹を利用してきた是羅には、母親に捨てられた幼子が死を望んでいたなど考えもしないのだ。

 誰もが死ぬことを恐れる。

 生きるためには相手が誰であろうと殺してやる、それを当たり前のことと考える是羅には、速水が抱いてきた苦しみ、絶望、そして闇狩一族の王に出逢って得られた救いと愛情など思いつきもしないのだ。

「なぜ我を拒む…」

 荒い呼吸の狭間に憎悪に燃える男の呟きが交ざる。

「なぜ影主の側につく?! 我の魂に守られた女が……!!」

 生かしてやっているのは自分なのに。

 死なずに済んだのは闇の王の命を預けられたからなのに。

「なぜ我の元に戻らないんだおまえは……!!」

 ガツッ…、力任せに壁を殴りつければ、頑強なはずの石に亀裂が走り、城の一室らしい広い部屋を覆う壁一面に無残な傷がつく。

 闇狩一族にドイツの古城を思わせる風貌の『本部』というものがあるのなら、闇一族にも是羅の魂を抱えた女が潜む城がある。

 闇の拠点『奇渓城』。その名の通り深い渓谷、細々と流れる川に囲まれる形でそびえたつ粘土を練り合わせたようないびつな形の褐色のそれは、宇宙空間の物差しで測れば闇狩一族の『本部』からそう離れていない小さな惑星に存在し、魔物が住むに相応しく禍々しい空気と不気味な唸り声を上げる風に守られた暗黒の城だ。

 かつて、何人もの女が是羅の魂の守人となり、数年後には飽きて食われた場所。

 いたるところに散らばる黒い霧のような物体は人間に憑くにはまだ弱すぎる闇の卵達。

 ここは地獄。

 神でもなければ、心の内に必ず在る人間の悪意を見抜いた闇の卵がその体を食い尽くす魔境だ。

「速水…、なぜおまえは闇狩の元に帰るんだ……」

 先の時代、チラと見ただけの少女の顔を是羅は思い出した。

 女帝を捕らえられ、自分はここで死ぬのかと恐れた是羅は、だが目の前で女を殺されたにも関わらず生きながらえた。

 速水に教えられた抜け道を通って奇渓城の中枢まで入って来たんだと告げた影主、影見綺也に、女は笑いながら言った。


 ――馬鹿な男、私を殺したって是羅は死なないわ…

 ――是羅を殺したいならアンタに味方した小娘を殺しなさい、あの子は私が生んだ子、あの子は生まれながらの女帝なんだから!!


 …そう叫んだ女。

 あのときの影主の絶望の顔、無残な姿。

 思い出すだけで是羅は高笑いしそうになる。

 よくやったと、自分の魂を持っているとばかり思っていた女を褒めてやりたかった。

 自分を騙していたことに怒りはあった。

 だがそれ以上に、負けることはなくとも勝てもしなかった闇狩一族の王に絶望を与えてやれたことが是羅には喜ばしかった。

 たとえ結果的に封じられたとしても、影見綺也は速水を殺せなかった時点で是羅に敗北したも同然。綺也は死に、是羅は時が来れば復活する。

 そうしてこの時代に目覚めれば速水は高城岬の内に潜み、高城岬は影主の親友などという立場についていた。

 今度こそ闇狩一族を滅ぼせると思った。

 高城岬を捕らえることさえ出来れば、今こそ世界は己が物に出来るのだと。

「それを…、それを速水、おまえは……っ!!」

 闇狩のために死を選ぶというのか。

 おまえを守っているのは私なのに。

 命を一つにした私のためではなく宿敵のために二人の命を投げ捨てると……っ!

「許さぬぞ速水……っ、許さぬぞ高城岬!!」

 もうこれ以上の勝手はさせない。

 自分の言うことを聞かないというのなら今すぐその体、自分の糧としてやろう。

「もとより男の体になど興味はない…、玩具として使えぬ体になんの用があろうか」

 必要なのは女の体。

 魂を隠す場所を持ち、欲望を満たすに充分な肉を持った女体。

「死にたいのならば我が食らってやる…、己が魂ごと我が中に取り戻すまで…」

 そうして新たな女の体を手にすれば問題は解決だ。

 高城岬を欲するのは是羅ではない。

「高城岬など…、死にたいのなら我に食われるがいい…」

 ――…どうして是羅様……

 不意に虚空から声が返る。

 弱弱しい、それでいて深く暗い闇の声。

 ――どうして是羅様…言うことを聞けば岬は僕にくれるって……

 十代の少年の声。

 是羅が器とした本体、岡山一太の戸惑いを含んだ声。

 ――僕…、是羅様が岬をくれるっていうから……あの男から取り返してくれるって言うから、だから僕……

 ――高城君を殺すの……? 大切に守るって言ったじゃない……

 ――闇狩と一緒にいたら高城君が危険だから…だから守るんだって……

 岡山一太の声に続いたのは二人分の少女の声だ。

 西海高校の三年生、岬と雪子の先輩であり、いつも元気な岬を好いていた少女。

 岬を忘れられず密かな思いを抱き続けてきた少女。

 岬が好き…、その共通する思いを利用され踏みにじられ、是羅の糧となった哀れな人間の少女達。

 ――是羅様…全部うそなの……? 岬を僕にくれるって……、そう言ってくれたのに……

「黙れ」

 不機嫌に、鋭い顔つきで言い放つ是羅は次いで腹部の中心辺りに力を集中させ始めた。

「人間ごときが我を非難する? 今の今まで我の力となれただけでも光栄に思うがいい」

 ――けど……けど是羅様……

 ――イヤアァァァァァ…っ!!

 ――キ…アアァァァァァアア――……っ!!

 悲痛な、ひどく苦しげな少女達の叫びに遮られ、一太の声は途切れた。

 彼女達がどうなっているのか、同じ体に精神のみとなって生きる少年は悟ったのだ。

 ――っ、やめて是羅様…!

 懇願に似た叫びが少年から放たれる。

 ――ごめんなさい……ごめんなさい…、いやだぁ…いやだ!!

「ならば黙れ」

 容赦なく言い捨てる是羅に、いつしか虚空からの声は完全に途切れた。

 岬を欲するのはその連中。

 今も残る精神体の一太だ。

 そんな、器でしかない人間の望みを聞いて高城岬を生かすなど言語道断。

 支配するのは闇の王、是羅なのだ。

「高城岬は殺してくれる……、求めるは女だ。影主が決して殺せない女……」

 呟く是羅の口元に薄い笑みが浮かぶ。

 そう、岬でなくとも影主には決して殺せない女がいる。

 長い髪をした、気の強そうな美少女。

 是羅を毛嫌いし、影見河夕を慕い、高城岬を想う松橋雪子、その少女が。

「影主…、戦は始まったばかりぞ……」

 まだまだこれから。

 時を追うごとにおまえの苦しみは増していく。

 おまえの絶望はこれからいっそう深く強くなっていく。

「影主、今生こそ我の勝ちだ……」

 暗い笑いが城に響く。

 闇の力をまとった呪いが空間を支配する。


 許さぬ……。


 それを口にするのは敵方ばかりではありえない。

 一族の掟に見向きもせず、自分に屈辱を味合わせたとして王を憎む者がいる。

 下賎の民を匿い、速水を殺せないと言うは王の座を放棄したも同じ……。

 影見河夕は影主の名に値しない……。

 そんなガキに一族の王を名乗る資格などありはしない……!


 許さぬ。

 決して許さぬ。


 それを口にするのは、決して闇の魔物ばかりではなかったのだ……。




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