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闇狩  作者: 月原みなみ
32/64

想い忘れえぬ者 五

 時間はわずかに前後し、十君の面々が止められぬ笑いに河夕の機嫌が悪化しつつあった頃、王の私室であり今は岬が休む場所となったその部屋では十君薄紅が声を殺して笑いつつ、寝入ってしまった有葉をソファに横たえて毛布を掛けてやっていた。

 岬のベッドの脇には未だ治まらぬ憤りに頬を膨らませた雪子が座って、睨むような目付きで岬の青白い顔を見ていた。

「岬ちゃんの馬鹿、影見君の馬鹿!」

 ぶつぶつと文句を言うことで、胸の中にもやもやしている悪感情を吐き出そうとしているのだろう。

 薄紅はそんな雪子にそっと笑い、彼女の隣に立つ。

「貴女は、岬様の恋人なの?」

「――え?」

「それとも河夕様の?」

「――」

 唐突な質問に、しかも内容が内容だけに思考回路がショートし絶句してしまった雪子はろくな返事もしないまま固まってしまい、薄紅に軽い笑いを誘った。

「どちらの恋人にしても、いいなりああいう場面を見てしまったらショックも大きいでしょうね。でも心配することないわ、河夕様は岬様を心配してああいう行動に出ただけのこと。他意はないはずだから」

「――っ、ちが…っ、私っ、岬ちゃんの彼女でも影見君の恋人でもないってば!!」

 ようやく我に返って声を張り上げれば、薄紅はわずかに目を見開いて雪子を見返す。

「違うって…、違うの?」

「違う!!」

 顔を真っ赤にして、心の動揺をあからさまにして答える雪子に、薄紅は数秒黙った後で小さく吹き出した。

 意外も意外。

 彼女がどちらの恋人でないのも驚きだが、河夕を叱り、岬に平手打ちを食らわせ、その岬が血の海に倒れ死に掛けている中でも気丈であり続けた松橋雪子がこれくらいの話で顔を真っ赤にしたのが薄紅には驚きだった。

「…貴女、実は普通の女の子だったのね」

「ふ、普通ってどういう意味?」

「言葉どおりよ」

 薄紅は小さな笑いを交えながら答え、衣類のポケットから小さな飴玉の包みを取り出す。

「食べない? 地球から持ち帰ったものだから口に合うと思うけど」

「…いただきます」

 思い出せば昨夜から何も口にしていないことに気付き、雪子は素直に差し出された飴玉を受け取った。

 ここに来て以来、頭の中で整理するにも限界があると叫びたいくらい様々なことがありすぎてゆっくり食事をするゆとりもなかった。

 着ているものも西海高校のセーラー服のまま。

 所々に付着している赤黒い染みは岬の血が乾いたものだ。

 薄紅もそれに気付いてすかさず口を開く。

「私の衣服でよければ着替えを出すけど?」

「でも…」

「サイズは合うと思うわ。それにそのセーラーは学校の制服でしょ? 地球に戻ったら絶対必要になるんだし、任せてくれれば血の跡も綺麗に落とせるから」

 言って、薄紅は雪子の言葉は待たず、颯爽とした足取りで部屋を出て行き、しばらくして着替え用の衣服を抱えて戻ってきた。

「趣味はそう悪くないと思うんだけど」

 冗談のように言う彼女が差し出した衣服は雪子の好みに通じるものがあった。そういう理由もあって、雪子は薄紅の好意をありがたく受け取ることにし、隣の部屋で着替えさせてもらった。襟元が上品な範囲で広く開いた白の七分袖にこげ茶系統のワンピース。ウエストに巻く同色のリボンが大きくて可愛らしい。

「あぁ。やっぱり似合うわね」

 自分の制服を抱え、着替えて戻ってきた雪子に薄紅は笑った。

「私は着ないからどうしようか迷っていたのよ、それ。着てもらえて良かった」

「ありがとう…、でも処分に迷うくらい着ない服をなんで持ってたの?」

「頂いたの、先代に」

「先代って、影見君のお父さん?」

「ええ。息子の婚約者にって」

「へー、婚約者……、っ婚約者?!」

 雪子の驚愕の声が期待通りの反応だったのか、薄紅は愉しそうに笑って雪子に隣に座るよう促した。

 セーラーを受け取り、綺麗にたたんで岬が眠るベッドの上に重ねて置く。

「婚約者って、じゃあ貴女が影見君の恋人じゃないの!」

 それでどうして自分を河夕の恋人だと思うのか、そうまくし立てる雪子に、だが薄紅の方はまったく動じない。

「婚約者って言っても形だけのものだもの。河夕様は認めてらっしゃらないし、乗り気なのは副総帥だけ。一族の血をなるべく純血のまま保つには王族の分家筋に生まれた女が好都合でしょう? 影見の血を引く女は王のための道具に過ぎないのよ」

 あっさり答える薄紅に雪子が再び絶句して固まってしまうと、そうさせてしまった薄紅は、初めて困った顔をした。

「…、もしかして、闇狩一族には『情』に通じるすべての感情は不要、人と関わることは罰せられるみたいな話を河夕様から聞いたことはないの?」

「え? あ、…そういえばそんなこと…、緑君から確か…」

「深緑から?」

 これには心底不思議そうな顔をした薄紅だが、しばらく考えた後で今度こそ解ったと言いたげに手を打った。

「そう、貴女深緑の恋人なのね?」

「っ、違います!!」

「だって深緑が一族のことを貴女に話したのでしょう?」

「それはたまたまっ、そういうことを話す雰囲気になっただけで…」

「あら。深緑は関係のない相手に一族のことを漏らすような馬鹿じゃないもの。それだけ信用されてるってことでしょう?」

「だからってなんでこっ、こっ、恋人だなんて……」

「深緑は貴女みたいな女性に弱いから」

 意味深な言葉をあえて無視し、雪子は顔を赤くしつつ薄紅に食って掛かる。

「薄紅さんは! なんでそんなにっ、私を誰かの恋人だと思いたがるのっ?」

「さぁ…、河夕様とは関係ないって確かめたいからかしら」

「――?」

 自嘲めいた笑いを含む薄紅の口調。

 それが雪子の女の勘というやつを揺り動かす。

 あれ…? と思ったときにはその問いが口をついて出ていた。

「薄紅さん…、もしかして影見君のこと…」

「好きよ」

「―」

 あっさり、きっぱり、拍子抜けするほど簡潔に肯定の返事をされて、聞いた雪子の方が赤くなってしまう。

「え…、あ…、あれ……?」

 何かが変だぞと思っても何も変ではないから雪子の思考回路は迷路の森に迷い込む。

 そんな雪子の様子に、薄紅は先刻より愉しげに笑った。

「貴女…、すごくいい子ね」

「えぇ?」

「深緑が慕ったり、河夕様が大事になさるのも解る。貴女がそうなんだもの、岬様もきっと人間らしい人物なのね」

「人間らしいって……」

 困惑する雪子に、薄紅は軽く笑ってから話し出した。

「深緑に聞いたなら二度説明する必要はないでしょうけど、闇狩一族は他人との拘りを一切許さないわ。『人間に憑いた闇を狩るには憑かれた人間ごと殺さなければならない。それを躊躇うことなく実行するには『情』などあってはならないからだ』…、副総帥はそんなもっともらしい理由をつけて私達を諭すけれど、河夕様はそれを認めようとなさらなかった。あの方は『情』を大切にする先代の血を継いだ方ですもの。家族がどんなに大切な存在か知ってる河夕様は人を守るために強くなることを望まれた…あんな形で先代を亡くされるまで、ずっとそれだけを願ってらっしゃった」

「あんな形って…、聞いても問題ないこと?」

「…『情』を持つことが罪とされる一族の中で家族の絆を何より重んじた先代は副総帥側の一族に狂人と呼ばれ、王の座を退くよう要求されていたの。河夕様は絶対にそんなことを認めようとなさらなかったけれど、一族の掟こそを何より重んじる連中に有葉様と生真様の命を楯に捕られて従わざるを得なかった…、結果、先代は亡くなり、河夕様が王になられた。副総帥側の言うとおりの王にならなければ母上様のように…、先代のように有葉様と生真様を失ってしまうから」

「っ、なにそれ! それってつまり脅されたってこと?! 家族が大事なら言うこときけって、そういうことなの?!」

 いきり立つ雪子に、薄紅は静かに頷いた。

「王にはならない…、ご自分が王になるということは先代が死ぬこと…、それを知ってらした河夕様はいつもそう仰られてた…。だから私達も最初は信じられなかったものよ。河夕様が影主になられたと聞いて蒼月や白鳥はしばらく河夕様の顔を見ることが出来なかったというし、深緑は…、一族を捨てようとまでしたわ」

「緑君が?」

「彼は河夕様を兄弟のように慕っていたから」

「そうなんだ…」

 闇狩一族は好きくないけれど、河夕とその弟妹には敬意を払うと告げた光の言葉が思い出される。

 影見の中でも河夕達兄弟だけが特別だと、冗談のように言っていた彼。

 あれはすべて光の本心だったということか。

「時間が経てば皆が河夕様の取った行動を理解したし、こうして十君となってあの方に従うことを選んだけれど…、そう楽な道のりではなかったわね」

「なんか…、複雑。一族がどうのこうのっていうのもだけど、影見君や緑君の考え方も」

 雪子がポツリと呟くと、薄紅はそっと目を細めた。

「最初の頃は、先代や母上様の仇を討つためにも一族を変えていく、人を救える狩人になるのだと必死になっていらしたわ…、けれどあの頃の…、貴方達と知り合った頃の河夕様は五年以上が過ぎても得られない『正しい答え』に苛立って、自分は王になるべき器ではなかったのだと絶望してらしたのよ。それが、貴女や高城岬に出逢ってから変わられた…、あの方は彼方達と出逢ったことで自分が求める答えの片鱗を見つけられたのね」

 そこまで一息に告げて、薄紅は軽く息を吐き、雪子の目をまっすぐに見る。

「…、貴方達と知り合った後に帰っていらした河夕様を迎えたとき、私や深緑がどれほど悔しかったか解る?」

「悔しい?」

「そう、悔しかった。ずっと傍にいた私達には出来なかったことを、貴方達二人はほんの数日で現実のものにしてしまったんだもの。思い出しても腹が立つくらい、久々に戻られた河夕様の目は穏やかだった。五年前に戻られたんじゃないかと錯覚するくらい落ち着いていたの。おまけに婚約も解消、私は私の生きたいように生きろなんて言われても、河夕様を好きな気持ちはどうしろっていうのよ! って気がしない?」

「うん、それは解る。相手がどう思ってたって私は好きなんだから勝手に決めないでよねってことでしょ?」

「その通り。だから怨んだし嫉妬もしたわ。河夕様にそんなことを言わせた、見たこともない二人の地球人にね」

 だからこそ薄紅はその二人の地球人に会ってみたかった。

 一族の者には決して成せなかった奇跡を河夕に与えたなんの力もない人間。嫉妬して、恨んで、どんな特別な存在なのか自分の目で確かめてみたかった。

 そうして今、こうして二人きりで話してみれば松橋雪子は特別でも何でもない。

 怒って泣いて、照れて赤くなって、戸惑って悩む。

 感情のある、人を愛せる普通の少女、他人を愛しむことを知った普通の人間だ。

 けれどそれが大切なのだと教えられた。

 どんなに頑張ってみても、主従関係にある自分達には決して与えられなかった暖かな気持ち。それを持てるのは河夕を河夕としか見ない普通の人間だけなのだと。

「実際に接してみて思ったわ。河夕様が貴女のような人に出逢えて良かったって…。貴女や岬様が、河夕様と出逢ったことが何よりの幸いだったと」

「あ…」

 率直な言われように雪子は一瞬で頬を赤くし、うろたえた様子。

「え…、あ、えっと…」

 そんな雪子に薄紅は微笑う。

 今までとは異なる優しい笑い方。

「ありがとう。河夕様の心を助けてくれて」

「――」

 まっすぐな感謝の言葉は、ただそれだけで雪子の心に強く響く。

 今になって、あの晩、地球で過ごした最後の夜に光から言われた『ありがとう』の意味が解った気がした。

 雪子と岬に、河夕さんと出逢ってくれてありがとうと告げた緑光。

 彼も今の薄紅と同じ気持ちだったのだろうか。

 自分には出来なかった奇跡をたった数日間で河夕に起こした二人に嫉妬して、けれど実際に接した二人から何かを得て理解した。

 岬と雪子だから出来たこと。

 だとしたら河夕を救った何かが、光の心をも救えたのだろうか。

「だったら…、だったらそれ、岬ちゃんに聞かせてあげたい……」

「え?」

「岬ちゃんはこんな方法を選ばなくたって影見君を助けてあげられたんだよって……、影見君の隣にいるだけで、ちゃんと影見君の支えになってたんだよって……」

「…そうね」

 雪子に同意して、薄紅は今も眠り続ける岬を見つめた。

 青白い顔。

 こんなに苦しい思いをしてまで河夕のために自分の命を捨てようとした少年。

 一族の中にいなくても、河夕のために命を賭けられる存在がいることを、薄紅は何より誇らしく思う。

「そう、彼は生きるべきだわ。河夕様のためだけじゃなく、河夕様を慕う私達十君のためにも」

「うん…」

 薄紅の手がポンと雪子の肩で跳ねた。

 大丈夫。

 きっと大丈夫。

 たった一度触れた手からそんな思いが伝わり、雪子は笑みをこぼした。

 岬がこんなになって、ずっと心休まるときのなかった雪子はようやく肩の力が抜けた気がした。

 一人じゃない、河夕だけでも、光だけでもない。

 ここに味方がいてくれる。

 今までなんの関係もなかった相手でも、ちゃんと解ってくれる人がいる…、その事実が心強かった。

 そうして雪子が気持ち的にも安堵すると、急に腹の虫が鳴きだして空腹を訴えた。

 グゥ…という小さな音がすぐ傍にいた薄紅にも聞こえ、彼女は軽く笑い、雪子は赤くなった顔を見合わせる。

「気付かないでごめんなさい。一日近く、何も食べてないんだものね」

「そんな余裕がなかったっていうのもあるんだけど…」

「河夕様も動転してらして、そこまで気が回らなかったんだわ」

 言って、薄紅は立ち上がる。

「少し待ってて。何か適当に見繕って運んでくるから」

「でもやってもらうばっかりじゃ悪いし私も一緒に…」

「いいえ、貴女はここにいて。岬様は早くてもあと半日以上眠り続けるでしょうけど、有葉様が起きられた時に誰もいないのでは心細い思いをさせてしまうでしょう?」

 言われて、泣き疲れてソファで寝入ってしまった有葉を一瞥する。

「それに貴女がこの部屋を出るといろいろ危険なのよ。この階はともかく、一つ下へ行けば一族のご老体達がピリピリしていてひどい状態なの。そんな中に貴女を連れ出せると思う?」

 どうしてそんなことになっているのかと尋ねようとした雪子だが、その原因が自分と岬にあることはすぐに判った。

 さきほど、河夕や光も一緒にこの部屋で過去の速水と影主の話を聞いていたとき、一族全員が河夕を支持しているわけじゃないことも知った。

 河夕が独断で二人の地球人を私室に匿ったことが問題になっていることも。

「そっか…、じゃあお願いします」

「ええ」

 素直に引き下がる雪子に薄紅はそっと笑いかけて部屋を出て行った。

 そのすぐ後だ。

 話し声がして、雪子は(?)と思って薄紅が閉めていった扉からそっと外を窺った。

 河夕の私室は相当に広い居間のような部屋を中心に設計され、その居間には、これまた見事な調度品の数々が並び、薪で焚く本物の暖炉に大きな本棚、シャンデリアの細工は他の部屋の比にならないくらい豪勢できらびやかだ。

 面白いのはその部屋からバルコニーにつながる窓近くに大きなベッドが置かれ、複数の扉のうち、半分がなんらかの物体によって開閉できないようになっていること。

 部屋が広すぎて落ち着かないという河夕は、この中央の広間だけを生活の場にしているらしかった。

 そんな寝室と化している広間に、いつの間にか河夕が戻ってきていた。

 雪子の食事を取りに行こうとしていた薄紅はちょうど戻ってきた彼と遭遇したらしく、わずかに驚いた顔で彼を見上げていた。

「どうなさったんですか。深緑や蒼月と書庫を調べてらしたんじゃ…」

「ちょっと問題が出てきてな…、それより桜、おまえこそどこに行くんだ?」

 こちらも部屋を出て行こうとしていた薄紅に不思議そうな顔をした河夕が問いかける。

 雪子のために食事を持ってくることを薄紅が告げると、河夕は自分がそのことをすっかり失念していたことに気付かされて頭を掻いた。

「悪い、頼む」

 決まりが悪そうに河夕が言うと、薄紅は小さく笑って部屋を出て行った。

「―――」

 その一部始終を黙って覗き見していた雪子は、ついさっき二人が婚約者同士だと聞いたばかりのせいだろうか、妙にドキドキしていた。

『桜』と、たぶんそれが薄紅の本名なのだろうが、自分と岬が名前を呼び合うのとはどこか違う雰囲気。

 触れ合いなどないのに妙に色気があるようで、薄紅が女の人に見えて。

 なんと言えばいいのか、見てはいけないものを見てしまったときのような緊張感。

「なっ、なぁんで私が緊張しなきゃならないのよっ」

 不本意そうに呟いて、もといた、岬が眠るベッドの傍らの席に戻ろうした。

 だがそこに、何の前触れもなく「おい」と河夕の声が掛かる。

「なに隠れて見てるんだ?」

 言うなり、覗き見のために微かに開けていた扉を全開にして現れた河夕。

 いつもと変わらない彼は怪訝そうな目で雪子を見下ろし、ふと気付いたように口を切る。

「おまえ、まさかまださっきのこと気にしてんのか?」

「別に気にしてないわよっ」

 向きになって返せば、河夕は苦笑いの表情で近づいてきた。

「顔が強張ってンぞ」

 くしゃっと頭を撫でられて、誰のせいだと思う雪子だったが、その間にも河夕は眠り続ける岬に近づき、顔にかかっていた髪を避けてその状態を確認する。

「…、静かに眠ってるみたいだな」

 言って安堵の表情を浮かべる河夕に、雪子はほんの少し意地悪が言いたくなってしまう。

「ずっと眠ってるわよ、普通は逆なのに」

「逆?」

「王子様のキスでお姫様は目を覚ますのが普通なの」

「あのな…」

 それとこれとは話が別だろうと言いかけて、雪子の口調に含まれた刺に気付く。

 別に気にしてないと、ムキになって言うのは本心が逆だから。

 ああするしか方法が思いつかなかったとはいえ、岬に思いを寄せてきた雪子にはどうしたって辛いものが残るのだろう。

「…悪かったな」

「え?」

「さっきのことさ…」

 はっきりと口にするのを躊躇う河夕に、雪子はしばらく何のことか考えた後で、また口移しで薬を飲ませた一件のことだと思い当たり軽いため息を漏らす。

「もう気にしてないって言ったでしょ」

「…そう言う口調がキツイぞ」

「あのねっ、本当にあのことはもういいの! 薬飲ませるにはあれしかなかったんでしょ?! それはそれでもう納得したってば!」

 一気に言い放ってから、雪子は肩で呼吸しつつ河夕を睨む。

「私が今怒ってるのはそれじゃないもん。影見君が女の子の気持ち何にも解ってないから腹立ててるの!」

「?」

「岬ちゃんにキスしたことで私に謝るんだったらっ、もう一人謝る人がいるでしょってこと!! 」

「もう一人…?」

 本当に解ってないらしい河夕に雪子の腹の底がグツグツと煮立ち始める。

 空腹の腹の虫が効果音なのは少々情けないところだが。

「薄紅さん! 婚約者なんでしょ?!」

「――」

 唐突に出された名前と、雪子は知らないはずのことに少なからず驚いた後で、河夕は疲れたような息を吐き出す。これを付き合いが長く抜け目のない光が見ていれば照れ隠しだと見抜いたかもしれないが、雪子にはまだ無理だ。

「おまえら…、二人でそういうことばっかり話してたのか?」

「年頃の女の子が二人いれば話す内容なんか大体決まってるじゃない! 二人してず…っと無言で岬ちゃんを見てたら、それこそ怖いでしょ!」

「あぁ、まあそれはな…」

 その光景を思い浮かべたのか、唸るように返して気を取り直す。

「あいつがどこまで話したか知らないけど、婚約の件ならとっくに破棄されてる。どうせジジイどもが勝手に騒いでたことだから…」

「嘘つき」

 河夕を遮って雪子は言い放つ。

「影見君の嘘つき。卑怯者。最っ低!」

「…あのな」

「だってそうじゃないっ、薄紅さんの気持ち解ってるくせに!」

「―」

 虚を付く台詞に河夕が固まると、雪子はすかさず相手に詰め寄って頭一つ高い位置にある河夕の隙のない美貌を見上げる。

「解ってないなんて言わせないんだから! 私が岬ちゃん好きだってこと二言三言で見抜いちゃうような人がもっと長い間一緒にいる人のこと解らないなんてあるわけないでしょ?!」

「松橋…」

「婚約解消なんて言葉で振ったつもりでいるなら大間違いなんだからね!!」

 真剣な眼差しで言い放つ雪子に、河夕はしばらく何も言わず、動くことも出来ずに少女の顔を見下ろしていた。

 それからどれだけの時間が過ぎた頃か。

 河夕は静かに口を開く。

「…おまえには、一族のことなんか関係ないからな」

「――っ、次はそれ?! 関係ないから黙れって?!」

「そうじゃない。おまえ…、是羅が俺に何を言ったか覚えてないのか?」

「なんで私があんな変態色ボケジジイの言ったこと覚えてなきゃならないのよ!」

 顔を顰めて、あいつの話はしないでと言いたげに睨んでくる雪子に河夕は苦笑する。

 苦笑して、思い出させてやる。

「…『父親を殺して王になった』…、そう聞かなかったか?」

「――…?」

 言われた内容が、すぐには頭に入ってこなかった。

 その代わりとでも言うように薄紅の言葉が蘇る。

 河夕は解っていたから王にはならないと言い続けてきた。

 自分が王になるということは先代が死ぬこと、それを解っていたから王にはならないと。

 ならばなぜ、河夕が王になれば先代である父親が死ぬのか。

 蒼月と白鳥が戸惑い、河夕の顔を見れなくなったのはどうしてだ。

 光が一族を捨てようとまでしたのは何のため?

 先代が死んでから新しい王が起つんじゃない。

「情に通じるすべての感情が許されない一族の王位継承の儀式…。王自らが血縁の絆を絶てってことさ……」

 自嘲気味に笑う河夕が雪子には辛い。

 だから絶対に王にはならないと言っていた彼が、弟妹の命を守るために王となった。きっとそれが子供達を愛していた父王の願いでもあったから。

 家族が愛しいから絶対に壊さない。

 だから王にはならないと言い張った河夕――その想いが無残に打ち砕かれた瞬間、河夕の手は決して消えない罪の血に濡れたのだ。

「ごっ、ごめん影見君…私…っ」

「一族に関係ないおまえの方が解るだろ。将来、自分の息子が父親を殺すことになって平気でいられるか?」

「…っ」

 無言で激しく左右に首を振る雪子の肩に、河夕はそっと触れた。

「昔みたいに、王に何人もの愛人がいて誰の子が王になるか、それを母親同士が競っていたような時代なら女達も必死だ。自分の産んだ息子が王になれば自分の地位も確立される。一族を掌握できるも同じだからな」

 実際の話、河夕の祖父の時代まではずっとそんなことが続いていた。だから父親には腹違いの兄弟が何十人いるか判らないし、なるべく王の血を純血のまま保ちたいと考える副総帥側が婚姻関係を強要する河夕と薄紅は従兄妹という間柄だ。

 だが河夕の父親が王になって王家の事情は一変した。

 妻に迎えた女性だけを一途に愛した先代は、河夕、生真、有葉を得て、どこにでも見る普通の家庭を慈しんだ。

 しかし、それは同時に王位継承の権利が実の兄弟三人にのみ与えられ、一族の掟を破った先代を退位させようとする副総帥側は三人の内の誰を擁立するかで分裂し争った。

 その一方で先代の考えを理解した蒼月や白鳥、紅葉に黒炎。家族の一員のように接してきた光、彼らが影見を支えてきたのだ。

 そんな自分達の側についてくれたのが、王家の血を引く薄紅。

「そんなあいつが一昔前の女達と同じだと思うか?」

「違う!」

「だろ」

 応えて、河夕は久方ぶりの穏やかな笑みをこぼした。

「だから婚約は解消した。これ以上、あいつが影見に縛り付けられる必要はないからだ。もう一つ言えば、これは振った振られたの問題じゃない」

「え?」

「あいつが何も言ってこないのを俺がどうこう言えると思うか?」

「――」

 うわぁ…と内心で頭を抱えそうになる雪子。いくら勢いに任せたとはいえ、これは完全に彼女の大失態。

 余計なお世話というよりただのお節介だ。

 薄紅が河夕を好きだと言い、過去、自分が岬を好きなことを見抜かれているため、河夕が薄紅の気持ちに気付いていると確信していたとはいえ、薄紅が本人に告白したなんて話はまったく聞いていない。

「ごめん影見君…、私…どうしよぉ……」

「別に怒っちゃいないさ」

 苦笑を交えて言う河夕は雪子の頭を軽く叩いて続ける。

「それでも悪いと思うなら、ちょっと手伝え」

「何を?」

「この部屋のどこかから影見の系図を探す」

「影見の系図?」

 聞き返す雪子に河夕は頷き、書庫で光や蒼月と話した内容を繰り返し聞かせた。

 その後、雪子の食事を運んで戻ってきた薄紅は、部屋中が何百冊という本で溢れ返っている様に一瞬言葉も忘れて立ち尽くすのだった……。




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