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闇狩  作者: 月原みなみ
28/64

想い忘れえぬ者 一

 地球ではないこの世界に朝はない。

 空を覆うのは常に無限の灯火であり、大地は暗闇に閉ざされている。

 ここを指す名前もなく、ここに関係する一族の者たちは用途を示す『本部』という名詞で言い表す。

 乾いた土と石ばかりが広がる荒野に地平線までを遮るものはなにもなく、ドイツの古城を思わせる風貌の巨大な『本部』だけが唯一の障害だ。

 そして今、その建物の六階大広間には十一名の一族が重苦しい雰囲気の中にいた。

 全員が座れるだけの椅子も何か口にするものが置かれた円卓もきちんと用意されているのに、誰一人としてそれらに手を伸ばさない。

 広間の中央に立つ王を向いたまま、彼の言葉に耳を傾け、口を挟むこともしなかった。

 隙のない美貌を際立たせる漆黒の髪と黒曜石の瞳。

 まだ二十歳だというのに、半世紀以上年上の男でさえ「子供のくせに」と思えない毅然とした風格。静かに抑圧してくる物言いは、その場にいる全員の反論を決して許さなかった。

 これが彼ら闇狩一族の王。

 一族の総帥影主、影見河夕の本部での姿だった。

「意見は聞かない、これはい俺の決定だ」

 強く言い放つ河夕にうなずいてみせるのは、彼から程近い場所に立っていた緑光。深緑の名を持つ十君の一人としてこの場に同席し、泣き腫らして真っ赤になった目を隠すことなく立つ幼い少女、十君・桃華の名を持つ影見有葉と手をつなぎ、河夕の言葉を受け止めていた。

「高城岬に関することはすべて俺の決定に従ってもらう。万が一これを無視してあいつに危害を加える者があれば容赦しない」

「し、しかし影主!」

 王の命令だと分かっていても、男は我慢の限界とばかりに口を開いた。

「それはあまりに勝手が過ぎるのではありませんか! 闇一族から地球を守るのが我々の使命であるとはいえ、今後も狙われるかもしれないという理由で一族でない者を本部に、しかも独断で影主の私室に保護するなど言語道断、貴方は御自分の立場をわきまえてらっしゃらない!!」

 それも一人ではなく複数の地球人を…、言外に匂わせた非難の言葉に、河夕は不快感を露に睨み付けた。

 年相応とはとても思えない力強い怒声を張り上げたのは、もうすぐ生まれてから一世紀を迎えようとしているはずの闇狩一族の副総帥、高紅と呼ばれる老体だ。声だけでなく外見にしても六十代で通る若々しさ。最近は腰痛が酷いとぼやいているものの、活力はまったく衰えていなかった。額に青筋を浮かべ、鬼のごとき形相で自分の年齢の四分の一にも満たない若き王を怒鳴りつける。だが怒鳴られている河夕の怒りもこの男に負けてはいない。

 本当なら、河夕はこんなところにいるはずではなかった。何よりも岬の安否が気になっている今、彼は自分の部屋を離れるつもりなど毛頭なかった。

 岬の心臓が停止し、生命反応がまったくなくなったのはほんの三十分前のこと。河夕と光、そして立ち会っていた一族十君の一人、蒼月の必死の助けがあってなんとか心臓は再び動き始めたが、いまだ意識は戻ることなく昏睡状態が続いている。またいつ心臓が止まってもおかしなくないのが実情である今、傍にいてやりたいのが河夕の本心だ。それをこの副総帥・高紅が強引に彼を部屋から引きずり出し、この惨事の説明をしろと訴えてきたのだ。岬の友人であると同時に一族を背負う王の地位にいる河夕は『責任』を理由にここに立った。それでも彼の機嫌が過去最悪なのは仕方がない。

 説明しろといわれて素直に口を開けるような気分では決してなかった。

「言ったはずだ、これは俺の決定だと」

「ですが」

「影主は何を隠していらっしゃる?」

「――なに?」

 突然の第三者の発言に、河夕は声の主を見た。

 河夕よりいくらか背丈は低いものの、均整の取れた体つきとそこそこに整った容貌の青年は、王に向けて意味深な笑みを浮かべていた。

「…何が言いたい、紫紺」

 河夕は繰り返す。

 ちらと光に目配せすると、彼も小さくうなずいて彼を――闇狩十君・紫紺を厳しい顔つきで見ていた。何かあったときに一番厄介相手は誰か…、そう考えたときに河夕と光が一致して出した名前が、実はこの紫紺だった。

 光は青年の表情を注意深く見ながら口を開く。

「紫紺殿、お言葉が過ぎるのではありませんか? たとえ影主が何を隠しておられようとも、それを問いただす権利など我々にはありません」

「影主に可愛がられているおまえはそうだろうさ」

 紫紺は鼻で笑って言い返した。

「深緑、影主と同じ境遇にあるおまえは昔から優遇されてきたからそれで納得せざるをえないのだろう? だが私達は違う、この神聖なる闇狩一族の本部に下賎の民を連れ込んでおいて説明のひとつもなく、それで従えとは無理を言う。そんなもの、おまえ以外の誰が承知できるというのか」

「悪いけど俺達まで君と一緒にしないでもらいたいね、紫紺殿」

 続いたのは同じく十君の一人、白鳥。

 金の髪に緑の目。地球的に言えば明らかに西欧系の顔立ちだが、操る言語は流暢な日本語、本名も白河純という雅な和名だ。光と同じくらいの背丈でありながら光よりも華奢に見えるのは、隣に立つ男が河夕より大柄な男であるせいだろう。

 一九〇は優に超える長身は無駄なく引き締まり、体育会系とはまた違った逞しさ。きつく結ばれた口元や寡黙な眼差しは近づきがたい印象を与えるが、中身は無口だけれど親しみやすい闇狩一族の兄貴分だ。年齢は十君最年長者でも、五年前から大して変わらない外見は充分二十代で通じる。この男が十君・蒼月こと空知敬之。三十分前までは河夕、光とともに岬の治療にあたっていた人物であり、それまで副総帥を牽制していたのが先の白河純だった。

「どうして君はそういう言い方をするんだろうね。それじゃあ影主に構ってもらえないのをすねているだけに聞こえるよ」

「馬鹿な」

「おや、それで素直に認めるなら君への認識も改めるんだけどね」

「白鳥…」

 ムッとした紫紺が何か言いかけるのを遮って、悪い方向へ向かいそうな白鳥を河夕の低い声が制する。それで止められた本人も気付いたのか、苦笑いの表情で優雅に一礼した。そういう動作が様になるのは西欧系の高貴な顔立ちのせいだろう。

「失礼しました影主。僕は今のお言葉で結構だと、そう申し上げるだけのつもりだったんですが」

「おまえは口数が多いから余計なことを言うんだ」

 そう茶化すのは隣の蒼月。

「影主に従うと、その一言で充分だろ」

「口数が少なくて誤解されやすい君に言われても…とは思うけれど、今は君が正しいんだろうね、空知さん」

「白鳥…」

「ああ失礼、蒼月殿」

 口数が多い少ないの問題ではなく十君の一人としての自覚が足りないんだと副総帥などは思ったが、ここで自分まで彼らの間に割って入ればなおさら脱線すると、だてに年をとっているわけじゃない一族のご老体は咳払いして話を戻す。

 白鳥と蒼月のやり取りについ苦笑をこぼしていた河夕も副総帥の態度に表情を引き締めた。

「ともかくです。今のままで納得できる者などたった一握り、少なくとも十君だけは全員が理解したうえで影主の命令に従いたいのです」

「話すことなどないと言っただろ」

「それでは済みませぬ!」

「済む済まないは十君に聞け! 白鳥と蒼月はいいと言う、深緑と桃華も問題ない、おまえはどうだ黒炎」

「えっ」

 唐突に話を振られてたじろいだのは十君・黒炎の名を持つ十八才の少年。逆立てた茶髪に生傷の耐えない手足。いかにも活発なスポーツ小僧という風体だが闇狩としての実力は相当のものだ。

「どうだって…、突然聞かれても困るけど影主がそうしろってならそれでかまわないぜ。ただいきなり協力しろってのは止めてくれよな。こっちにも準備ってもんがあるんだからさ」

「なっ…」

「分かってる。ならおまえは、紅葉」

 少年の返答に副総帥が目を見開いて怒鳴りかけたのを河夕が素早く邪魔して次の十君に声をかける。

 紅葉と呼ばれたのは、女性にしては長身の、狩人と呼ばれるにはしとやかすぎるように見える二十代後半の人物だ。彼女は河夕に問われても動じることなく、静かに左右に首を振った。

「貴方の御心のままに」

 外見から想像できる通りの落ち着いた声音。

 河夕も彼女の返答に安堵して次の少女に目を向けたそのとき、今まで黙っていた一人が苛立たしげに口を切った。

「影主は何をお望みですか」

 冷たい声が鋭く問う。

 細い目に怒りを湛え、短く切りそろえた髪や無駄のない動きからは彼女の―十君・梅雨の几帳面さが読み取れるようだ。

「私は紫紺と同じ意見です。いくら貴方が王であっても、我々は影主が選ばれた十君。話を聞き意見する権利はあってしかるべきではないのですか」

「梅雨…」

「梅雨、そんな誤解は影主が哀れだ」

 河夕が言葉を選んでいる間に黙っていた紫紺の皮肉を込めた声が通る。

「私とおまえの二人は副総帥が影主を脅迫したがゆえの十君だ。我々の意見を聞くなど影主には耐えられまい」

「っ」

「紫紺!」

 強い口調で怒りを露にしたのは、意外にも副総帥高紅だった。

 だがそれを、今度は蒼月と白鳥が容赦なく非難する。

「いまさら影主の味方を演じるつもりなら目の前の面子を考えてから出直した方がよろしいのでは?」

「副総帥に今の紫紺の言葉を咎めることが出来ようとは夢にも思わなかったな…、自分が五年前、十五歳の影主に何をしたか忘れたのか」

「ああ。蒼月殿、それは仕方ないかもしれないよ。なんといってもそろそろ墓を準備しなきゃいけない年だからね、副総帥は」

「っ、貴様ら…っ」

「いいかげんにしろ!」

 河夕は、そう白鳥と蒼月に向けて言い放った。

 彼ら二人を咎めるつもりなどない。ただ、不毛な言い争いを治めるには自分の言葉を聞き入れられる側に引いてもらうほかないのだ。

 本来十君は、影主に次ぐ力の保持者か、もしくは影主が心から信頼を置ける人物が、影主自身の判断によって選ばれる。だから十君の半数以上は常に河夕の味方であり理解者だ。

 光や有葉と同じように彼を慕う者。

 副総帥の考え方が理解できず、河夕の信念を見込んだ者。

 だが紫紺が自分で言ったように、彼と梅雨の二人は河夕が選んだ十君ではない。それでも十君に名を連ねここに同席している理由は脅迫。副総帥側の一族が思い通りに動く王を欲して動き始めた五年前のあの日から、河夕は弟妹の命を贄に自由を奪われたのだ。

 黄金・桃華・深緑・紫紺・薄紅・蒼月・白鳥・黒炎・梅雨・紅葉

 十君としての特別な呼び名、それを彼らは総じて十称と言うが、この名をもって影主に生涯の忠誠を誓うのが本来の形なのだが、河夕は自分が影主になった際この決まりを拒んだ。

 父を失墜さえ自分を操ろうとする副総帥側の紫紺に表向きだけの忠誠など誓われたくなかったし、弟妹にそんな関係を強いたくはなかったからだ。

 影主の地位を利用して信頼できる者、守りたい者を十君に選んで可能な限り副総帥側の干渉を遠ざける――それが河夕に許された最後の抵抗だった。

「すまないが今は黙ってくれ」

 副総帥や紫紺に対してのものとは天地ほどの差がある口調。これがまた副総帥側の一族に反感を買うのだと分かっていても…、それでも譲れないものがある。

「確かに、おまえと梅雨に他の連中と同じ態度で接するのは無理だ。なんと言われようと俺は高紅の側につく連中を許さないし憎んでる。だが今回のこの件に関しては誰の意見を聞くつもりもないと言ったはずだ。これは俺の決定であり俺以外に関与させる気はない。深緑や蒼月はもちろん、桃華にしてもだ」

「はっ、当然ではないか! 貴方を慕う連中は貴方の決定に文句など言えやしない! 都合の良い配下ばかりを揃えられてなんと幸福な愚王か!!」

「紫紺!」

「ならばなぜ誰も不思議に思わない! 一族の王が勝手に地球人を保護し我々の意見など聞く耳も持たないという! その地球人が是羅に狙われているからだと言われて、そこまでなら納得もしよう、だがなぜその地球人だけが執拗に是羅に狙われるんだ?! なぜその少年が影主の部屋で瀕死の重傷を負わねばならない! 是羅どころか一族の者さえ入ることの許されない王の聖域で!!」

「――っ」

 河夕と光の表情が明らかに変化し、有葉の顔から血の気が引いた。

 岬に関わる三人の変化はその場にいる全員の胸中に不安を投げかけ、紫紺には確信を与えてしまった。

 影主は何かを隠している。

 知られたくないことを王の決定という言葉でごまかそうとしているのだと。

「影主。高城岬とは何者ですか」

「…」

「まさか貴方の手で殺すべき存在ではないでしょうな。それが貴方の隠したいものではありますまいな!」

「っ…」

 返答できずにいる河夕の姿に、さすがの蒼月や白鳥も顔色を変えた。

 副総帥高紅が目を見開き、河夕に詰め寄る。

「そうなのですか影主! あの少年が今生の闇の女帝速水なのですか?! 」

「違う!」

 強く否定する言葉も今となってはなんの力も持ち合わせてはいなかった。

 いつまで隠し通せるか、河夕や光にも自信はなかった。だがこんなに早く、岬の生死さえはっきりとしていない今この瞬間に暴露されるとはさすがに予想もしていない。

「違う…、確かにあの地球人の中に是羅の魂はある、だがあいつと是羅にはなんの関係もありはしない!」

「けれど高城岬が死ねば是羅は死ぬのでしょう?」

「!」

「彼の体内には、是羅の魂が隠されているのでしょう、影主」

 静かに告げたのは今までずっと無言だった長い髪の少女だった。松橋雪子と同年代か、一つ二つ上だろう少女は斑のない茶髪を一つに結び、目鼻立ちのはっきりした、美少女といって差し支えない容姿をしている。

 九人目の闇狩十君、その名を薄紅。

「影主。こんなに早くそれが明るみに出るとはさすがに思ってらっしゃらなかったのでしょうけど、是羅を追っていた一族の者から奴の力が急速に衰えて消えてしまったという報告が入っていました」

「――」

「同様に、地球全土に散っていた闇の卵達も半数が一瞬にして消滅しました。これは本部で闇の動向を確認していた私や紫紺が直に感じたものです」

 それで紫紺が強気に断言できたのかと、河夕は忌々しく思う。

「是羅を追っていた一族の者は、まるで是羅が滅びたようだと言い、それからしばらくして微弱な気配を感じ取り再び追ったようですが、それきり連絡を絶ちました。気配もまるで感じられず、追った先で是羅に殺されたと考えて間違いないでしょう」

「……」

「影主…、それらの報告と、貴方が深緑、蒼月を連れて岬様の治療に当たっていた時間は、偶然にしてはできすぎなほど重なってしまうんです」

 ――薄紅の起伏のない静かな言葉に、誰も何も言わなかった。

 河夕や光、有葉には、是羅を追った仲間が死んだことよりも岬の生死がそのまま是羅の命を左右していたという事実の方が重たかった。

 変えがたい現実。

 誰でも構わない、岬の命を奪えば是羅は簡単に倒され、闇狩一族は悲願の勝利を手に出来るのだ。

「影主の決断一つでしょう」

 紫紺が含み笑いを交えて告げる。

 愉快そうに、可笑しそうに。

「速水を本部に連れてきたのは一族皆の前で殺すつもり…、そうおっしゃるのでしたら私も貴方のお言葉に従いましょう。それなら貴方は紛れもなく我々一族の偉大なる王だ」

「紫紺殿…っ」

「それとも下手にかかわったせいで情がうつり殺せない、だから忠実な配下に任せようとお考えなら私も貴方に忠誠を誓いましょう。なんでしたら私が高城岬を殺して差し上げても構わない」

「…黙れ」

「この戦を終わらせることが貴方の、そして先代の願いだったのではありませんか。何を迷うことがあるのです」

「紫紺、それ以上は言うな…っ」

 蒼月が制しようと腕を伸ばすも、紫紺は構わずに声を張り上げる。

「高城岬を殺せば終わるのですよ影主!」

「黙れ!!」

 河夕が怒鳴り、手近の壁を拳で叩き付けた。

 痛々しい音に、河夕の声に、表情に、光は顔をしかめ、有葉はうつむいて唇を噛む。

「言ったはずだ、高城岬に関することでおまえたちの意見を聞くつもりなどないと! 岬は殺させない! 誰の手にも渡さない!!」

「影主…っ、高城岬という地球人個人のことであれば私も黙ります! しかし相手が闇の女帝となれば話しは別でございます!!」

「関係ないっ、岬は岬だ! 是羅だけを滅ぼす方法がないと決まったわけじゃなし、岬を殺すことは俺が絶対に許さない!!」

「ハッ!」

 不意に声を上げて笑い出す紫紺に一同の目が向かう。

「アハハハッ! 結局貴方は狂人の息子であり腐れた王だ! 崇高なる闇狩一族の王になるべき器ではなかったんだ!」

「紫紺!」

「なんて無礼な…っ」

「無礼なものか、速水を滅ぼすことが影主に課された使命であるにも拘わらずそれを拒否するは影主の座を放棄したも同じ! 王でないガキを笑い飛ばすのになんの失礼があろうか!」

「っ…!!」

「あ――…っ有葉様!」

 叫んだのは光。

 閃いたのは殺傷の刃。

「有葉!」

 河夕がそれに気付いて妹の名前を叫ぶも攻撃の閃光は止められなかった。

 紫紺に直進した有葉の力は誰にも止められないまま男に直撃する。

 激しい爆音に城全体が揺れ、濃厚な白煙が辺りを包む。

「っ…、有葉!」

 煙に巻かれ、互いの姿も視認できないまま声だけを頼りに人数を確認する。

 そしてその最中に少女の悲痛な声が響き渡る。

「お父さんは狂ってなんかない! お兄ちゃんは変なんかじゃない!! お兄ちゃんが王様なの…影主なの! お兄ちゃんしか影主になれないの!」

 ぼろぼろと涙をこぼして叫ぶ少女を、光はそっと抱き締めた。

「有葉様…」

「お兄ちゃんが影主なの…、お父さんは狂ってなんかない…お父さんが…っ」

「有葉さ…」

「岬ちゃんだって死んじゃ駄目なのぉ…っ、岬ちゃんがいなくなったらお兄ちゃんも雪子ちゃんも悲しくなる…っ…岬ちゃん優しいもん…速水なんかじゃないもん……!」

「有葉…」

 ――有葉の言葉は、もう否定出来ない真実で。

 岬が速水だという事実はこの場にいる全員が知るところとなってしまった。

 だがそれを今も拒もうとする有葉の思いを否定する気にはなれない。

 気持ちは河夕や光も同じだ。

 岬が速水でなかったら…、一族の教えにあるとおり、『速水』が人の血と肉と争いを好む残酷な女に与えられる闇の女帝の称号であればどんなに楽だったか。

「お兄ちゃんは間違ってない…お父さんも間違ってない…っ…間違ってない……!!」

「…解かっています…、僕や白鳥殿、蒼月殿、河夕さんを好きな僕達はちゃんと解っていますよ有葉様」

「光ちゃん…、ひか……っ…」

「有葉…」

 煙が晴れて、近づいてきた兄の気配に顔を上げた有葉は、涙でぐしゃぐしゃになった顔をいっそうゆがめて河夕に腕を伸ばした。

 抱き上げられて、しっかり首に抱きついて泣きじゃくる有葉を、河夕は悲しい思いで見つめる。

 無残に破壊された部屋の様子は、だが本部の大広間だけあって内装を少し崩しただけで外にはまったく被害が及んでいなかった。

 蒼月と白鳥、黒炎は驚いた顔をしてはいたが、こんなことをしでかした有葉を責めるつもりは微塵もなく、紅葉は相変わらず落ち着き払った様子で衣服についた埃を払い、わずかに同情を含んだ眼差しで有葉を見つめていた。

 薄紅が河夕に近づき、泣きじゃくる有葉の身を譲り受ける。

「有葉様…」

「お姉ちゃん…」

 呼びかける薄紅に有葉は泣き顔を見せ、兄の腕から少女の胸に抱きとめられる。

 一方の副総帥は起き上がろうとしている紫紺に歩み寄り手を貸した。梅雨もそれを手伝い、有葉の術を受けて傷だらけになった紫紺の姿に顔を顰めた。

 撃った有葉も受けた紫紺もさすがと言うべきだろうか。

 有葉の攻撃を受けてこれで済んだ紫紺の防御力も、それを上回って傷を負わせた有葉の攻撃力も並ではない。

「…、今の有葉の暴走に処罰は与えない」

 河夕は一箇所に集まった副総帥、紫紺、梅雨を見つめ静かに抑圧する。

「おまえが認めなくても今は俺が一族の王だ。王に対する暴言の罪もその傷をもって不問にする。いいな」

 返答はなかった。

 河夕にしても紫紺や高紅の返答を聞くつもりはなかった。

 顔を見ているだけで不快感が溢れ、すぐにでも失せろと怒鳴りつけたいのだ。

 その心境をどう察したのか、高紅は紫紺に肩を貸して立ち上がらせ、形だけの敬礼をして広間を出て行った。

 三人の姿が消えると、複数の溜息が各所から漏れる。

「河夕さん…」

 光の心配そうな声。

 蒼月や白鳥の眼差しにも不安が揺れる。

「…紫紺の言ったことは本当なのか…?」

 黒炎が困惑の表情で問いかけ、紅葉が歩み寄ってくる。

「河夕様。紫紺の言ったことが真実なのでしたら、私は説明を欲します」

「紅葉…」

「私達にまで隠す理由はないでしょう」

「我々は貴方を信じている。貴方も我々を信じている…、それは自惚れに過ぎませんか?」

 薄紅と白鳥の優しい声音。

 蒼月の無言の目が強い思いを告げている。

「…すまない」

 告げて、河夕はそっと笑んだ。

「全員俺の部屋に来てくれ…、これは光と有葉も知らない…、松橋にも聞かせてやらなきゃならなことなんだ……」




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