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闇狩  作者: 月原みなみ
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想い忘れえぬ者 序

 どうして人は、時の中で変わらずに生きていくことが叶わないのか。

 君と出逢ったときのまま笑いあうことが出来たなら、きっと今も幸せでいられたのに。

 別れを選ぶことなく並んで未来を歩いていけたはずなのに……。



「岬ちゃん!」

「しっかりしろ岬!」

 青白い顔、ぐったりした状態で横たわる高城岬に彼らは叫んだ。

 ベッドの周りには病院の手術室かと錯覚するくらいの精密機器が所狭しと並べられ、淡い栗色の髪を乱した緑光が休む間もなく動き回りながら一つ一つの機器を正確に作動させていた。病院の機器と姿形は似ていても、この一族の《本部》にある以上は地球のそれらと同一であるはずがなく、それらを動かせるのは闇狩一族の力を持った彼らだけ。

 しかも必要エネルギーは電気じゃなく一族の術力だ。光が左手首に巻いたバンドはそのための供給装置であり、岬の赤く染まった胸を照らす、優しい緑色に輝く影見河夕の右手は直接的な治癒能力の現れだった。

「影主!」

 緊迫した口調で河夕の別名を呼びながら部屋に飛び込んできたのは、まだ年若い快活な印象を抱かせる少年。

「影主、副総帥が異変に気付いて動き始めてンぞ、このままじゃヤバイっ!」

「今は黙らせろ! クソジジイの相手してやる余裕なんかないからな!」

「けど!」

「副総帥の方は問題ない」

 少年がまだ言い募ろうとするのを、新たに現れた男が遮った。

「そんなことより緑、少し休め。俺が代わる」

「しかし…」

「一瞬の隙が取り返しのつかない過ちを招くこともある。そんな疲れた顔をして大丈夫だとは言わせない」

「蒼月殿…」

 言われた光は、それこそ一時も休まずに岬の胸部の傷を癒し続ける河夕を心配そうに振り返る。

「しかし僕のことよりも河夕さんが…」

「河夕様には何を言っても無駄だ。高城岬が目を覚ますまではな」

「解ってるじゃないか」

 男の言葉に、河夕は無理に笑みを作って言い返す。

「光、蒼月と代われ」

 そうして有無を言わさぬ口調で命令されれば光に否とは言えなかった。

「それに光、おまえは有葉の傍にいてやってくれ」

 低い声で言われて、光はハッとして背後を振り返った。

 彼らから少し離れた位置にあるソファに座って泣き続ける幼い少女の姿をいまさらながらに思い出して、素直に自分の仕事を年上の同志に委ねる。

「では蒼月殿、ここはお願いします」

「ああ」

「蒼月、白鳥はどうした」

「あいつは副総帥の牽制に」

 期待通りの返答に、河夕は、ほんの気持ち程度とはいえ、今度こそ心からの微笑を浮かべられた。

 こんな状況下であっても、身近に信頼できる仲間がいることを嬉しく思った。

(おまえには、どうしてもこいつらと会ってほしかった……)

 血の気のない岬の顔を見つめ、河夕は切れそうなくらい強く唇を噛んだ。

 眠る岬の胸を染める朱色は彼自身の血。

 真っ白だったはずのシーツを汚す赤黒い染みさえも乾ききった岬の血だった。

 どうしてこんなことになってしまったのか悔やんでも悔やみきれない。

 河夕の読みが甘かったのか、それとも岬の内に潜む女がそれを望んだのか。

 戻ってきて、こんな状態の岬を見たとき、河夕や雪子だけでなく、光でさえ心臓が止まるかと思った。

 血の海に倒れた岬に縋って泣き叫ぶ有葉の悲痛な声は今も耳に残っている。そんな彼女を落ち着かせようとしていた、光と同じく異国の雰囲気を醸し出す金髪の青年白鳥の、らしくなく取り乱した様子。血の海に倒れた岬を介抱し、命を繋ぎとめようとしていた蒼月の必死な姿。

 二人がいなければ岬は確実に死んでいただろう。

 二人は闇狩一族の中で河夕が信頼を寄せられる数少ない味方であり、光と同じく闇狩十君に名を連ねる戦士でもあった。緑光に十君としての深緑の名があるように、彼らの白鳥・蒼月も十君としての呼称で、本名はそれぞれ白河純、空知敬之という。

 そして河夕がもうひとつ驚いたのは、死に瀕した岬を最初に発見して白鳥と蒼月を呼びつけたのが河夕の実弟・生真だったということだ。

 河夕が総帥影主となるために犯した罪を決して許さず、父親の敵を討つために河夕を殺してやると常に息巻いている少年が岬の命を優先した…、どうして河夕の部屋に彼がいたのかは謎のままだったが、ともかく河夕を怨んでいる生真が河夕の友人を助けたという事実は驚くべきことだった。

 確認しなければならないことは山のようにある。

 先刻の少年が報告してきた副総帥の件も、いくら白鳥が出てくれたとは言え、最終的には河夕が納得させなければならない相手。

 岬を、そして雪子を守るためにも、一刻も早い岬の命の保障が必要だった。

(頼むから…頼むから目を覚ませ岬!)

 胸の中、河夕は必死で願った。

 だが無情にも岬の意識は戻らず、細々と流れ続ける血は止まらない。

 一瞬の間を置いてベッドを囲む機器が激しい異常音を発し、その場にいた全員の顔色が変わった。

「河夕様!」

 蒼月が声を張り上げる。

 ソファに座り込んでいた有葉がガタガタと震える足で立ち上がり、光が急ぎ足でベッドに戻って来る。

「岬ちゃん!」

 哀れになるくらい体を震わせた松橋雪子が、必死で泣くのを我慢していた雪子が蒼白になって叫んだ。

「嫌だよ岬ちゃん! こんなところでサヨナラなんて絶対に嫌だからね!」

「河夕さんっ、岬君の脈拍が下がってます! 呼吸もひどく弱いっ、このままでは危険です!」

「解ってる!」

 切羽詰った光の声に、河夕は怒鳴るようにして言い返す。

 そんなことは云われなくても解ってしまう。

 どんなに声を張り上げて名前を呼んでも応えない少年の姿が決して受け入れてはならない現実を突きつけた。

 岬の胸を突き刺した刃は鮮血に濡れたまま、すぐ傍の机上に無造作に放置され、不気味な光を放っている。

 彼自身が自分の胸に突きつけた銀色の刃。

 古来より魔を退けると言われてきた聖なる輝きは、今まさに闇の王を死滅させようとしているのだ。

(違う……、岬は違う! 岬は…っ!)

 胸中に溢れる恐怖を拭い去ろうとするように強く念じる。

 岬は違う。

 たとえあの闇一族の総帥であり宿敵・是羅の魂を持つ者が岬の内で生きていようとも、岬が敵ではないのだと心で叫ぶ。

「おまえが死ぬ必要なんかないんだ…っ、おまえは死んだら駄目なんだ岬…っ!」

「岬ちゃん…、岬ちゃん嫌だよぉ…!」

 彼らから離れた位置で、泣き腫らした目で岬の状態を見ているしかなかった少女、有葉が叫んだ。

 河夕の妹だけあって、美少女と評するに相応しい整った容貌を今は深い悲しみに歪め、痛々しいくらい腫上がった目からは止まることを忘れた大粒の涙が次々と零れ落ちる。

「ごめ…お兄ちゃんごめんなさい…っ、お兄ちゃんは岬ちゃんから絶対目を離すなって言ってたのに…、そうやって言われてたのに部屋を出たりなんかしたから…、有葉が岬ちゃんから離れたりしたから、だから岬ちゃん……!」

「有葉様…」

 小さな肩を震わせて、幼い心に抱えきれない悲しみと不安、恐怖を押し込めて訴える有葉を、光は悲痛な面持ちで抱きしめた。

「有葉様のせいではありませんよ…、ですから御自分を責めるのはやめましょう」

「だって…っ、だって私が岬ちゃんと一緒にいれば……!」

「有葉」

 泣き続ける幼い妹を、河夕は強い口調で制する。

「有葉、岬は死なない」

「お兄ちゃん…」

「こいつは絶対に死なない…、俺達が死なせない」

 河夕の力強い言葉に、有葉が目を見開き、光が小さくうなずく。

 河夕の隣で、岬の限りなく死人に近い顔を見つめて幼馴染の名を呼び続けていた雪子も顔を上げた。

「影見君…」

「岬は死なない…、絶対助かるから、だから信じろ」

 何を。

 特殊な力を持つ闇狩一族の力でも、闇一族の王の魂を持つ存在の生命力でもなく、自分たち人間の想いを。

 岬を想う自分たちの力を。

 自分たちが想う岬の力を。

「こいつが俺達を裏切ると思うか?」

 河夕の問いかけに、しばらく身動きしなかった雪子は左右に首を振ることで応え、有葉は新たな涙を零し信じることを約束した。

「…ええ、そうですね。よりによって岬君が、河夕さんや雪子さんを悲しませるわけがありません…、有葉様をこんなに泣かせたままで逃げるような方では、決してないはずです」

 そう言って微笑する光の言葉が心強かった。いつもは性質の悪い厭味しか言わないと思っている河夕も、今だけは彼の言葉に感謝したかった。

「そうだ…、岬は絶対に死なない」

 死ぬはずがない。

 彼には愛すべき家族がいる。

 こんなに岬のことを想っている少女がいる。

 そして――必要と思える限りは永遠に一緒に歩こうと約束した親友が、こんなにも岬の帰りを望んでいる。

(おまえは死ぬな……、他の何を犠牲にしてもおまえだけは死んだら駄目なんだ…!)

 河夕は祈った。

 心から祈った。

 けれど願いの届く先はあまりにも遠すぎて……。

「…河夕様」

 蒼月が低い声を押し出しす。

「河夕様……、呼吸が……」

「――っおまえは死なない! そうだろ岬!」

「岬ちゃん!」

 おまえは、死なない。

 一緒にいようと、約束させたのは誰だ。

 一族の理を馬鹿げていると考えながらも、自分の目指す先に絶望を見そうになっていた河夕に一筋の希望を見出させたのは誰だ。

 おまえはまだ死ねない。

 死なせない。

 ここにいる俺達を、裏切るつもりがないのなら。


 ――帰って来い、岬……っ!!


 呼吸が、止まる。

 鼓動が止まる。

 青白かった頬は冷たく、硬く…。

 彼らは叫んだ。



 時は過ぎ行く。

 何もかもを置いて、時だけが過ぎていく――――……。




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