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闇狩  作者: 月原みなみ
23/64

時空に巡りし者 八

 翌日の早朝六時。

 緑光は眠たい頭を軽く小突きながら、四城寺の長い石段を上っていた。

 昨晩、河夕から指示された事柄を素早く終えた彼は、松橋雪子の周囲を見張ると共に、今もこの近くにいるであろう魔物の動きを掴もうと、徹夜で気を集中させていたのだ。

 いくら変わり者の彼と言えども、その疲労は計り知れない。

 だが、それに反して気持ちが清清しく感じられるのは、きっと気のせいではないだろう。

「もう誰ひとり犠牲には出来ませんからね…」

 闇の魔物などに、大切な人達を奪われるようなことは、二度としない。

 そして失わせはしない。

 河夕にも、有葉にも、そして自分自身にも。

 今度こそ守るのだと意を決し、光は魔物の動向を追い続けた。

 だが、あと少しというところで強大な闇の力に阻まれてしまい所在を突き止めるには至らず、加えてその強大な力の源が“あの男”ではないかと気付いたから、こうして河夕へ報告しに来たのだ。

(…まさか、また是羅が絡んでいるとは)

 岬を狙う魔物達の背後に、その男。――否、それとも岬を狙わせているのが彼なのか。

(まぁ、岬君なら河夕さんの弱点にもなるでしょうし理解出来ないことはありませんけどね…)

 しかし、だからと言って、こうも繰り返し狙われる根拠としては弱いように思えた。

 河夕を絶望に追い落とし、戦えないようにしたいなら、前回や今回のように回りくどい手段を選ばなくとも河夕の目の前で岬を殺せば済むはずだ。

 それを、むしろ岬の方を絶望させようとしているかのような、是羅のやり方。

「……」

 不意に、思い掛けない方向へ流れていこうとした思考を、光は無意識に圧し留めた。

 まさか、そのようなことがあるはずはない。

 それなら気付かないはずがない。

 岬の傍には河夕がいて、自分がいて、今は有葉もいる。

 狩人が三人もいて――それも、一族の高位に名を連ねる者達がこれだけ揃っていて“その存在”に気付かないはずがない。

「…僕としたことが愚かなことを…」

 睡眠不足のせいで思考が巧く働いていないのだろうと、そんな自分に失笑して光は四城寺の母屋へと足を向けた。

 が、その直後。

「―――…? 河夕さん……?」

 ふと神経に触れた、慣れ親しんだ彼の気配に光は右上方を仰ぎ見た。

 四城寺の敷地内で特に高い杉の木の頂上に、河夕の細身のシルエットがうっすらと浮かんでいた。

(河夕さん……?)

 どうしたものかと迷いながら、結局は光も大地を蹴り、普通であれば決して人を支えられないような細い枝を足場に、河夕の隣の木のまでわずか数秒で上りついた。

 そこでもう一度「河夕さん?」と呼んだ光に、…しかし彼は振り返ることすらなかった。

「……河夕さん」

 もう一度、呼びかけると、微かに揺れる河夕の心情。

 光は、そのどことなく彼らしくない様子に眉を寄せ、相手の顔色を伺った。

「…」

 わずか一晩の間に何があったのか、河夕の姿には憔悴したような観がある。

「……もしかして寝ていらっしゃらないんですか?」

 戦闘の最中であれば、そこれそ一週間以上は眠らないこともあるけれど、今の彼から伝わるこれは何なのだろう。

 何が、河夕をここまで追い詰めたのか。

「……何かあったんですか?」

「…」

「河夕さん」

 再度、呼びかけた光に、河夕は固く瞳を閉じた。

 辛そうに、苦しそうに。

 今にも崩れてしまいそうなほど脆く思える彼の姿は、どう考えても異常でしかなかった。

「…どうなさったんですか。そのような姿を僕に見せるなんて、…いつもの貴方らしくないじゃありませんか」

「……」

「河夕さん」

 このままでは埒が明かないと考えた光は、強引にでも聞き出そうと強い口調で彼を呼ぶ。

 それを、本人はどう受け止めたのか、片手で自分の髪を乱し、低い声を押し出した。

 その響きは悲痛で。

 …光は、なおも判らなくなる。

「…有葉は、岬に会って何か言っていたか?」

「――有葉様…が、ですか?」

 即答を避けるような河夕の話運びに、わずかな苛立ちを覚えながらも、光は求められた返答を口にする。

「有葉様でしたら、岬君をとても素敵な方だと。河夕さんが心を開かれた人物だけある、…ずっと、貴方と一緒にいて下さると良いのだけれど……と」

「……」

 今のが、河夕が欲している答えのはずだった。

 人や物の感情の動き、残留思念を読み取る能力を持った影見有葉が高城岬から感じ取ったもの、それを河夕が知りたがっているのなら、今の光の言葉は正しく河夕が欲したものだ。

 なのに、彼は顔を歪めただけ。

 そんな言葉は聞きたくなかったと言うように、唇を噛み締め、拳を握る。

 だから光は、一度、深呼吸をした後で今までとは異なる表情を浮かべた。

 笑んだわけでも、怪訝な顔をしたわけでもなく。

 ただ本音を伝える為だけの自然な表情。

「…僕は闇狩十君の一人『深緑』です。けれどこうして貴方の傍らに僕しかいない時は、貴方の理解者で在りたいと望んでいるんですよ? 僕には貴方と同じ、地球人の血が流れているのですから」

「…」

 地球人の血。

 そして、地球人の心。

 確固として交わるはずのなかった狩人と人間の心が、二十年前に先代影主――河夕の父親によって破られた。

 情や絆を決して許さない一族の王でありながら地球の少女を愛した彼は“狂王”と蔑まれ、王の血族として『影見』はその資格を失ったと騒ぎ立てる者もいた。

 それでも河夕がこうして王・影主の座に着いているのは、彼が一族の理に則って先王を討ち、王位継承の儀を忠実に遂行したため。

 そして父親から愛情を受けて育った河夕の想いが、一族十君の支持を得たからだ。

 何千に及ぶ狩人が影見を非難しようとも、十君が影主を支持する限りその位は保たれる。

 それが一族の掟であり、十君『深緑』の位に就いた光は支持派の一人。

 幼い頃に先代影主に命を救われ、狩人としての力を目覚めさせるに至った光は、実は純粋な地球人であり、それを知るのは一族の中でもごくわずか。

 そんな光にとって、河夕は他の何よりも特別な存在。

 例え普段の言動がどうであっても、その心には揺るぎない想いが確かに在る。

「貴方が本当に苦しい時こそ力になりたい。それを解って頂けていると思っていたのは、僕の自惚れですか……?」

 真摯な声音の光を背後に、河夕は胸に触れる指輪を、シャツの上から握り締めた。

 父親から継いだ銀の指輪。

 そして、昨晩、岬の指から抜いた金の指輪。

 二つの指輪が、影主の手の中にある。

「……俺には…俺には出来ない……っ」

「え…?」

「俺には殺せない……っ」

 今にも消えてしまいそうな彼の声音に、光は適切な返答など持ち合わせてはいなかった。

 遅い朝日が昇り、周囲が明るくなっていく。

「…」

 光は杉の木の頂上から、街の遥か彼方に輝く朝日を見つめながら思う。

 これが夜明け。

 だが、河夕の心を覆う闇が晴れるのはいつになるのだろうかと……。



 ◇◆◇


「岬ちゃん、おはよう!」

 午前七時四五分。

 いつも通りの時間に、いつも通り、四城寺へ岬を迎えに来た雪子は、身支度を整えて玄関に出ていた岬に朝一の笑顔で声を掛ける。

「おはよう、雪子」

 靴を履きながらも、ちゃんと雪子の目を見て挨拶を返す岬に、少女の笑みは穏やかになる。

「今日も元気?」

「ん。大丈夫だよ」

 いつからか、挨拶の後に必ず交わされる言葉は雪子なりの気遣い。

 岬の嘘ならば見抜く自信のある雪子にとって、それはせめてもの予防線だった。

 そして今朝は、岬の後ろから幼い少女が飛び出してくる。

「おはよう、雪子お姉ちゃん!」

 元気よく、雪子に抱きついて笑顔を見せるのは影見有葉。

 その後方から穏やかな笑みを覗かせて近付いてくるのは光だ。

「おはよう有葉ちゃん、昨夜はゆっくり休めた?」

「うん! 岬ちゃんとお兄ちゃんの間でぐっすり!」

「そっかぁ、岬ちゃんと影見君の間で」

 復唱する雪子が内心で(それはでかしたわ、有葉ちゃん!)と拳を握っていることを、光は見ていて気付いたのか。

 くすくすと笑いながら、有葉の肩から彼女のコートを着せてやった。

「お二人を見送られるのでしょう? お風邪を召されては河夕さんが心配なさいますから、ちゃんと温かい格好をなさって下さい」

「うん! ありがとう光ちゃん」

 素直にコートの袖に腕を通す少女ににこりと微笑んで、光は雪子にも笑いかけた。

「おはようございます」

「…おはよう。緑君も少しは休めたの?」

「僕達は一週間くらい眠らなくても大丈夫ですよ」

 否定も肯定もせず、心配のし甲斐がない返答をする狩人に、雪子は呆れて息を吐く。

 昨夜の出来事を少なからず気にしていた彼女も、相手のこういう態度を前にすると気にするだけ無駄だという気になってきた。

「それならいいけど。……ところで、影見君は?」

 この四人が揃っていて、河夕の姿だけがないことを不審に思った雪子が問いかけると、光がそっと笑みを強め、声を出して答えるのは有葉だった。

「お兄ちゃんね、朝早くに、やらなきゃならないことがあるから出掛けちゃったんだって」

「やらなきゃならないこと…?」

「例の魔物の件ですよ」

 さりげなく補足する光。

 つまりは、岬に好意を寄せる少女二人が相次いで行方知れずになった件だと気付いて、雪子は納得した。

「それなら、どんどん動いてもらわなきゃ」

「えぇ。河夕さんも、岬君にそのような顔をされるのに心を痛められているんですよ」

「え…」

 沈みかけていた岬は、光の台詞に思わず顔を上げて。

「はぁ〜、影見君も岬ちゃんのこと大好きだものね」

「うん! お兄ちゃん、岬ちゃんのこと大好きなの!」

 雪子の呆れた物言いと、有葉の純真無垢な台詞に、鼓動が高鳴り、頬の赤みが増す。

「ゆ、雪子…有葉ちゃんまで…っ」

 動揺する岬に、光の表情がわずかに和む。

「河夕さんも午後には戻られるでしょうから、心配せずに学校に行ってらして下さい」

「…は、はい」

「ん、じゃぁ行こっか」

 雪子にも促され、玄関を出た彼ら。

 四城寺の長い石段を下りながら、ふと有葉が「ねぇねぇ」と岬の袖を引っ張る。

「あのね、あのね。今日、学校が終わるの何時くらい?」

「今日? 委員会もないし…授業は三時十五分で終わるけど」

 その時刻に有葉の表情がパァッと輝く。

「じゃあね! 有葉、パフェって食べてみたいの! 岬ちゃんも雪子お姉ちゃんも、一緒に行ってくれる?」

「パフェ?」

「うん! ずっと前に光ちゃんが持ってきてくれた本に載っているの見てね、すごく食べてみたかったの」

「パフェか…」

 岬と雪子は顔を見合わせ、同時に同じことを思いついて表情を緩めた。

「有葉ちゃん、ラッキーだわ」

「ラッキー?」

「うん。友達の家が喫茶店をやってるんだけどね、そこに今月限定のスペシャル・パフェがあるんだ」

「スペシャル?」

「そ、苺にチョコでしょ。アイスとかフレークとか…いろんなお菓子がいっぱい乗ってる特別仕様」

「特別!?」

 いっそう輝く少女の顔に、岬も雪子もだんだん嬉しくなってくる。

「どう? そのお店でいい?」

「いい! そのお店の特別パフェ食べたい!!」

「じゃあ決まりね」

 放課後、校門の近くで待っていて。

 最後のSHRが終ったらすぐに行くから。

 雪子、岬と、有葉、そして光も同行することになり、それまでに河夕が帰ってきていれば彼も一緒に。

 どんどん決まっていく放課後の予定に、有葉は大喜びだ。

 石段を下りながら、会話の弾む彼らの姿を眺めて。

 光はそっと視線を上空へ向けた。

(……)

 そうして脳裏に浮かぶのは、今朝の彼の姿。

 岬を避けるように姿を消した河夕は、今、どこで彼を見守っているのだろうか……。


 ◇◆◇


 いつだったか、その時は何も知らなかった光が言った。

「どうやら是羅は、この街が気に入ったようですね」――、その言葉が、あながち間違いではなかったのだと今なら判る。

 四城市を覆う闇の魔物。

 倒しても、倒しても。

 再び闇はこの土地に集い、ただ一人の少年を狙い続ける。

 闇の魔物は、何があろうともこの街に集まらなければならないのだ。

 是羅がこの街で復活したからと言うだけでなく、彼らの仕える女帝こそが、この街にいたのだから。

(チクショ……ッ)

 四城市の空を警戒しながら、河夕の耳には昨晩の住職の言葉が繰り返し響いていた。

(…ダメだ……どうしてこんな事になるんだ…、どうしたこんな……っ)

 信じたくない話だった。

 けれど。

 ……けれど、それこそが真実。

(俺に岬は殺せない…殺せるわけがないんだ……っ)

 胸元に下がったチェーンに掛かる金銀の指輪。

 昨夜、岬に重なっていた霊体の女――闇の女帝・速水が誓いの指輪だと言ったそれは、すべての真実を知りながら隠していた住職が丁寧に説明してくれた。

 彼女の言ったことは真。

 それは違う事無く、かつての影主と速水が交わした誓いの証なのだと。

 けれど、それが解ったからといって、一体どうなる。

 速水を見つけ出し、彼女を討つことで是羅を倒せたなら、その時は一族の掟に縛られること無く自由に生きていけると思っていた。

 岬にもこれ以上の辛い思いをさせずに済むのだと信じてきた。

 なのに突きつけられた真実は、決して彼らを救ってはくれなかった。

 大事にしたい、守りたいと願ってきた存在こそを討たねばならないなどと。

(岬……っ)

 高城岬を殺さねば、願いは成就されないなどと。

(………クソ……ッ!)

 答えなど出せぬまま時だけが過ぎていく。

 残酷な現実を河夕に突きつけ、無情に過ぎていってしまう。

 誓いも、約束も、全てが闇の中に崩れていってしまう。

(また繰り返すのか…親父の時と同じことを……)

 そしてまた増えるのか。

 自分を憎む存在が……。

(生真…)

 三つ下の、自分の弟の名。

(おまえはまだ……俺を許せないんだろうな……)

 河夕は深い罪の意識に瞳を閉じた。

 もう何も見たくない…何も聞きたくはない。

 もう一度、目を開けると、そこはまったくの別世界で。

 傍には有葉や生真、岬、雪子がいて、死んでしまった両親がいる。


 皆が幸せそうに笑っている世界……それが現実で在って欲しいと。

 河夕は今になって、心から願うのだった――………。




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