時空に巡りし者 七
――……クククク………
――………フフフフフ………
どこからともなく聞こえてくる不気味な笑いは、若い数人の男女の声が重なっているようだった。
――……クスクス……また会えるのよ、高城君………
―――………また、一緒に遊べるんだよ岬……
低く暗い、禍々しい空気に包まれた誘いの言葉。
死してなお諦めることを知らない哀れな魂の呼び声。
―――…今度こそ岬は僕のものだ……
―――もう二度と放さないよ、岬……
少年は再び彼の人を求めて動き出す。
闇夜の中、静寂を保ちながら忍び寄る……。
◇◆◇
闇狩一族の本部である古城の一階を巡る広い廊下に、一族副総帥・高紅の、到底九十歳を越えているとは思えない活力みなぎる声が響く。
「つい今しがた、確かに影主は戻られたはずだ!!」
「副総帥、そう怒ってばかりでは血圧が上がりますよ」
「黙れ若造っ、私が地球人のように血圧の上昇くらいで参るものかっ、それよりも影主だ! 影主はどこにおられるのだ!?」
三十路を前にしながら若造呼ばわりされた男は、秋の穂のように穏やかな金色の長い髪をかき上げながらひっそりと息を吐く。
闇狩十君の一人白鳥、それが彼の、一族としての名前だ。
「影主! どこにおられるのか影主!!」
ズカズカと大股に廊下を進んで行く上司の背を、呆れた面持ちで追いながら、脳裏には彼に探されている主の姿が過ぎる。
ここ数ヶ月で雰囲気がまるで変わってしまった己の主は、実際問題、今頃どこにおられるのか。
最も、その変化を喜んでいる白鳥にとっては、彼が本部にいない方が嬉しかったりするのだ。
「副総帥、影主なら地球に赴かれたでは?」
あまりの大声に現れざるを得なかったのか、長い髪を後ろで一つに結わえた十八、九の少女―闇狩十君の一人・薄紅が不機嫌極まりない表情で告げるも、高紅はそれを聞き入れない。
「人を見くびるでないっ、おまえ達が気付かずとも私にはあの方が本部に戻られた気配が察せられたのだ!! 」
「しかし、どこを探しても見つからなかったのではありませんか」
「だからそのように無駄に声を張り上げてらっしゃいますのね」
「! 無駄とは何だ!」
「あら、あの方が副総帥に呼ばれたからと言って素直に出ていらっしゃる方だとでも?」
むしろ、自ら居場所を暴露するような行為は相手に逃げろと言っているようなものだ。暗にそう告げる薄紅に、高紅の額が少なからず痙攣する。
そうして彼の怒りがいよいよ爆発するかという頃になって、背後から現れたのは漆黒の髪の青年だった。
年は二七、八。
体格は細身だが華奢というわけではなく、筋肉の引き締まった無駄の無い体つき。背丈は一八五程だろうか。
彼も闇狩十君の一人であり、その名を紫。
また影見の姓を持つ、影主の血縁者でもあった。
「高紅、影主は戻られていない」と断言する口調には相手を威圧する響き。
“影見”という王族の血を引く彼は、体内に持つ能力も王家に相応しい強大さゆえ、副総帥に対してもそのような口が利けるのだ。
「紫紺様…、しかし、私は確かに影主の気を」
今までと打って変わった静かな口調に、白鳥も薄紅も息を吐くが、続けられた報告には眉根を寄せた。
「それは影主ではなく黄金だろう。つい今しがた、ここに戻り自室に向かうのを見かけた」
「黄金様、ですか」
「…」
闇狩十君・黄金の名を持つのは今年で十五歳になる少年。
彼もまた“影見”の姓を持つ王族の一人であり、そして現影主・影見河夕の実弟だ。
「……」
しかし、あれは確かに影主の気であったはず…と高紅は難しい顔をしたが、紫紺にそう言われては反論することが出来なかった。
影主と十君、その地位の差は歴然としていても、実の兄弟である彼らがその身に抱く能力には似通った空気がある。
それを感じ違えたとのだと言われれば、紫紺相手に否定出来るだけの材料を高紅は持ち合わせていなかった。
「貴方がそう言われるのであれば…」と渋い顔をする副総帥。
この遣り取りに、白鳥も薄紅も嫌悪的な表情を浮かべたが、それが誰の目に留まることもなく消えたのは再び新たな人物が彼らに歩み寄ってきたせいだ。
「…取り込み中のところを済まないが、深緑からの使いが来た」
低い声で淡々と話すのは三十代半ば、見るからに逞しい体つきの、闇狩十君・蒼の名を持つ男。
同じ十君・深緑からの使いが来ていたと告げ、手に持っている書面を高紅に手渡す。
「…」
今度は深緑か…と苦い顔をする高紅に、白鳥は思わず吹き出しそうになり、薄紅も失笑する。
「蒼月殿。副総帥は深緑からの手紙を受け取る勇気がないようですし、貴方が読んで差し上げたらいかがです?」
「…っ、薄紅!」
「今更、何を取り繕う必要もありませんでしょう。影主を支持する私達と副総帥が対立していることなど周知の事実ですもの」
「……!」
彼女の言葉が過ぎることは、その場の誰もが承知していた。
しかし、にも拘らず誰もそれを咎めないのは、彼女の言葉が正しいから。
何を取り繕っても、全てが今更。
どんな意味も持ちはしない。
「……私が読んでも?」
「っ、勝手にせい!!」
蒼月の静かな問い掛けに、高紅は斬りつけるように言い放つ。
蒼月は軽く息を吐き、深緑からの書面を開いた。
綴られた文章はわずか二行。
最初の一行に蒼月は苦笑し、最後の一行に表情を変える。
「? 蒼月殿?」
仲間の変化に気付きいて声を掛けた白鳥も、返答を待つ面々も、読み上げられた内容に息を呑んだ。
「……『影主はいつもの地球の友人宅に御宿泊、心配なさるな。ただし強大な魔物が潜んでいる模様、是羅の可能性高し』――と」
周囲の空気が強張り。
今までの険悪な雰囲気は厚い緊張感に覆われた。
「蒼月、おまえは他の十君を呼び集め会議室へ。薄紅、白鳥、二人は地球に降りている狩人達を本部に呼び戻すんだ」
「了解」
「紫紺様は…」
「俺は是羅の気配を追う」
指示をするなと言いたげな返答に、高紅は頷くほか無い。
それに薄紅が一度だけ視線を険しくするも、何も言わずに己の役目に向かった。
踵を返し、颯爽と立ち去る紫紺。
言い渡された役目を果たすべく動き出す蒼月、白鳥、薄紅。
一人その場に残る高紅は、…しばらくの静寂の中。
握られた拳をわずかに震わせていた。
「…是羅、か」
そんな彼らの様子を遠くから感じ取っていた少年は、自室に向かう廊下の途中で立ち止まり、ある部屋の扉の前に佇んでいた。
眼光鋭く、一見、なんの変哲もない扉を睨みつける。
漆黒の髪、黒なのにどこか透き通った黒曜石の瞳。
現影主・影見河夕と並べば、互いの未来であり過去の姿のように思えるほどよく似た顔立ちは、違えなく河夕の実弟の証。
闇狩十君の名を『黄金』とする影見生真だ。
「……誰にも気付かれないように…、こんな罠みたいな結界を自分の部屋に施しやがって…」
ドアノブに触れ、実際にその部屋に入ろうとしなければ判らないそれは、場合によっては侵入者を即死させるほど強力で危険なもの。
弟の生真でなければ気付かなかった、仲間すら陥れかねない、王の結界。
「一体、何を企んでるんだ」
憎悪を燃やすかのような瞳で、その扉を見据える。
いつの間に。
何のために、このような結界を自分の部屋に施したのか。――その理由は?
「誰一人侵入させない……そんな大事なモンを隠したのか……?」
誰もが手を出せない。
例えば何も知らずに触れた仲間を殺しかねないような。
そうまでして守りたいものを、この部屋に隠したのか……?
「……河夕…、何を隠しやがった……」
それを知れば切り裂きそうな迫力を伴う生真の声音。
河夕を――実の兄を、恨んで、憎んで、…それでも足りない、この憎悪。
生真は見据える。
決して覗けはしない部屋の奥。
兄の大切なものを視線で射殺そうとでもするかのように……。