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闇狩  作者: 月原みなみ
18/64

時空に巡りし者 三

「はぁ…」

 翌日の朝、岬は雪子より早く学校に着いていた。

「ちょっと用事があるから」と、一人先に登校する理由を明らかにしない岬に、彼女は不服そうな顔をしていたけれど、最終的には納得してくれた。

 それも、河夕と光、そして河夕の妹という三人の狩人が高城家に居るからで、岬に何かがあればすぐに対応してくれるだろうという信頼があってのものだ。

 雪子を家に送った後、そのまま狩りを途中で放ってきてしまった街に戻ると言っていた河夕だが、雪子に呼び出されて四城市に向かう際、念のためにと施していった結界は、どういう巡り合わせか、昨日という日に地球に降り立ち、兄の力の気配を追うことで河夕に会いに来ようとしていた有葉を混乱させ、兄のいない兄の結界に辿り着いた有葉はショックでその場の闇を一掃してしまったと言うのだ――それも彼女一人でやってのけたと言うのだから、岬と雪子は、少女の外見からは想像もつかない恐ろしさに呆然としてしまい、その一方で、

「ショックだったのは判るけど一人で無茶をするな。おまえに何かあったらそれこそ取り返しがつかないんだぞ」

「河夕さんの仰る通りです。町一つ半壊させるのは構いませんが、もう少しご自分を労っていただかなければ」…という河夕、光の反応には疑問を感じずにいられなかった。

 その後、河夕への嫌がらせを込めて会いに行った光が、幸運にも泣いている彼女を発見し、おそらくここだろうと考え四城寺を訪れたのだと言う。

 どうやら河夕は、光に所在を知られたくなくて気配を隠していたらしく、そのせいで有葉も光も、彼が仕事場に残してきた結界の波動に引き寄せられてしまったそうだ。

 とにもかくにも、有葉のおかげで仕事に決着がついた河夕は、急いでその街に戻る必要もなくなり、彼らは三人揃って高城家に宿泊することになったのだった。

「…それにしても」

 岬は小さく呟き、昨夜の出来事を思い出して笑う。

 まさか河夕に兄弟がいるとは思ってもみなかったのに加え、実際に登場した妹―影見有葉に対する河夕の態度は、まさに兄バカのそれ。

 有葉が可愛くて仕方がないというような柔らかな笑顔や、言動。

 その意外さが楽しくて仕方がなかった。

「河夕ってお兄ちゃんだったんだ…」

 くすくすと笑いつつ、水を変えてきたばかりの花瓶を持って彼が入った教室は、岬が在籍する学級ではない。

 そこは、数日前に一人の生徒の死を悼んだ教室――岡山一太のクラスだ。

 持っていた花瓶を机の上に置き、新聞紙に巻いて持参した仏花を丁寧に揃え、挿してやる。

「…」

 昨日の放課後、枯れ気味の花がそのままにされているのを見て、岬はひどく申し訳ない気持ちになってしまった。

 いつかは忘れられていく光景とはいえ、今はまだ記憶に新しい一太の姿。

 せめて彼の存在がクラスの中に残っている間だけでも綺麗な花で彼の死を悼みたいと思った、だから雪子より先に一人で登校したかったのだ。

 このために早く行くと告げれば、彼女が嫌な顔をするのは判っていたし、河夕や光も、きっといい顔はしないだろう。

 仕方ないなと言いながら付き合ってくれたかもしれないけれど、それで自分がまだ彼の死に囚われているとは思われたくなかった。

「…そうじゃないけど…」

 彼の死を、今もまだ自分のせいだと考えて苦しんでいるわけではない。

 それでも、自分にはこうしなければならない理由があったから。

「…助けて上げられなくて、ごめんね……」

 一緒にいてあげられなくて。

 友達になろうと告げたのは自分なのに、自分だけが今も生きていて。

「ごめんね、岡山君…」

 河夕も雪子も光も、揃って悪いのは岬ではないと言ってくれるけれど。

 きっと、そういうことじゃない。

 申し訳ないと思うのは、岡山一太を死なせてしまったことではなく。

 助けられなかったことでもなく。

「ごめんね…」

 それは、今も自分が生きていること。

 河夕と。

 雪子と。

 彼らと一緒に生きていられることを、幸せだと思ってしまう卑しさ。

「……ごめんね、岡山君……」

 この汚さを河夕や雪子に知られたくないから、朝早く、こうして一人で花を変え。

「……」

 いつからこんなに卑怯な人間になったのか。

 解っている。

 自分が汚い人間だということは自覚しているけれど。

 それでも彼らに本当の自分を知られたくなくて、嫌われたくなくて。

 どんなに卑怯な手段を使っても。


 ―――………貴方の傍に居続けたくて―――………


「! ぇっ…?」

 はっと我に返り、口元を覆う。

「俺…いま、なにを…」

 なにを考えていたのだろう。

 なにか。

 とても恐ろしいことを考えていたような気がして、身体が震える。

「…っ」

 ここにいてはいけない、そんな警告を本能が聞き入れたように、岬は踵を返してその教室を走り出た。

 花を包んでいた新聞紙を丸めて握り締め、廊下を足早に歩く。

 まだ時間が早いせいで、生徒どころか教師の姿さえまばらな校内。

 二月の冷たく張り詰めた空気は、ある意味、清々しくさえ感じられるが、その清涼さが今の岬には息苦しい。

 ――と、ちょうどそのとき、前方から歩いてきたのは二年生の担任で、岬達学級委員が集まり、生徒会と共同会議を行う時には監督として同席する男性教諭だった。

「ぁ…、ぉ、おはようございます」と岬が頭を下げると、彼は「おはよ、早いな」と返してくる。

 それきり二人の距離は広がるはずだったが、何を思ったか彼が岬を呼び止めた。

「あぁ、君、確か一年の代表委員だったよな」

「え。ええ、そうですけど…」

「じゃあ三年の碓井みな、知ってるよな」

「はい」

 三年生の碓井みなは、生徒会の書記を務めていた女子生徒だ。

 背が高くて、知的な雰囲気漂う彼女は周囲の信頼も厚く、教師達にも一目置かれていた。けれどその一方で、やはり女の子な部分もあり、何度か荷物を運ぶのを手伝ったりした覚えがある。

 他人に頼るのが苦手そうなところが自分の幼馴染に似ているような気がして、どうしても放っておけなかった。

「…碓井先輩が、どうかしたんですか?」

「あぁ、…いや…」

 自分から持ち出した話題にしては歯切れの悪い教師に、岬は首を傾げる。

 そんな言い辛い話なのだろうかと、岬が思わず身構えそうになった頃、教師はようやく口を開く。

「実はな…、一昨日の夜に家からいなくなってしまったきり帰ってこないらしいんだ」

「えっ…?」

「まぁ事件性は薄いらしくて、家出じゃないかって話なんだが…その、例えば悩んでいることがあるだとか、碓井から聞いたことはなかったか」

「いえ、何も聞いていませんけど…」

「そうか…」

 岬が答えると、教師は難しい顔をしてそう返し、

「…あぁ、ありがとう。それと済まないが、このことはまだ口外しないでくれ」

「はい」

 約束しますという意を込めて頷く岬に、教師はほっとしたような表情になって先を急ぐように立ち去った。

 その背を見送りながら、何故か岬の胸中に募る不安。

「まさか碓井先輩が家出なんて…」

 信じられない気持ちで呟き、口外しないようにと言われたことを思い出して口を閉ざした。

 それに誰かと話をしたことで、先刻までの言いようのない恐怖は薄れ、身体の震えも止まっている。

「…」

 気になることはあったけれど、とりあえず落ち着いてきた自分自身に安堵して深呼吸をする。

 何度か繰り返し、気を取り直して自分の教室へ向かった。

 だがそうして数秒後に自分の席に立った岬は目を瞠る。

「これ…」

 同級生はまだ登校してきていなかった。

 その教室には岬一人。

 ならば、机の上に置かれたそれは誰のもの?

「…チョコ…?」

 バレンタイン用の包装紙に丁寧に包まれた長方形型の箱。

 それを彩るリボンの間には一枚のカードが挟まっていた。

「…?」

 手に取り、開いて見ると、書かれていたのは短い文章。

“あの時はありがとう”

 その、たった一言で……。


 ◇◆◇


 大勢の人が行き交う駅前。

 雑踏の中でも目立つ巨大なモニュメントに腰掛けて、少女は大仰な溜息をつく。

「はぁ…、結局今年も渡せなかったなぁ…」

 彼女が膝に置いた鞄の中には、昨日から持ち歩いているチョコレートの箱があった。

 そしてそれに沿うように入っているのは男物の折りたたみ傘。

「これで何年だっけ…三年目? 私もよくやるよなぁ…」

 まったくバカみたいと、再度、大きな溜息。

 彼女は、そのチョコレートを一月前に借りた傘と一緒に、中学の時の同級生、高城岬に渡そうと意気込んでいた。

 チョコレートは傘のお礼。

 あの時は助かったよ、って。

 笑顔で渡せるはずだった。

 ――だけどそれは、嘘だから。

 本当はこのチョコレートを三年分の片思いと一緒に岬に手渡したかっただけ。

 一月前のあの日、彼に傘を借りる機会を得られたことは、この日のための最初で最後のチャンスだと思った。

 会いに行く口実を、彼の方からくれたのだから。

「なのにそれも無駄にしちゃった…」

 だって、わざわざ二月十四日に返しに行くなんてバレバレだし。

 彼の隣には、きっと雪子がいるし。

 …もしかしたら、今年こそ雪子が岬と付き合うようになったかもしれない。

 いざ西海高校に向けて出発という時になって、そんなことばかりが頭の中で想像されて、結局、彼女は行くことが出来なくなってしまった。

「…それにしても、変わってなかったなぁ高城君」

 一月前の姿を思い出すと、つい笑ってしまう。

 相変わらず可愛くて、優しくて。

 …優しすぎて、気付かない。

 その無意識の言動が相手の気持ちを落ち着かなくさせること。

「中学の時だって雪子の気持ちにも全然気付いてなかったし…そういうところ、鈍いっていうか罪っていうか…」

 くすくすと笑いながら、膝の上の鞄を引き寄せる。

 中に入っているのはチョコと傘。

「…もう、あきらめよっかな…」

 でもその前に気持ちくらいは伝えたいな。…だけとやっぱり会いに行けない。

 伝えたいのに伝えられない。

 そんな、臆病で情けなくて、欲求ばかり強い自分が嫌になる。

「あぁっ、もうっ!」

 本当にイヤだと内心に息巻いて、少女は立ち上がった。

 とりあえず行き先を決めよう。

 西海高校か、岬の家か、それとも自宅に帰るか。

 どちらにしても駅に戻って切符を買わなきゃ――と踵を返した直後、どこか遠くで誰かび叫ぶ声が聞こえた気がした。

「え…?」

 今のは何だろう、と。

 怪訝に思い振り返った彼女は、――その後、何も感じなかった。


 大勢の人が行き交う駅前。

 雑踏の中でも目立つ巨大なモニュメントの前に佇んでいた少女は、それきり誰の目にも映らず。

 誰に気付かれることもなく……。



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