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闇狩  作者: 月原みなみ
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時空に巡りし者 一

 その日、二月十四日。

 とある町の、とある廃屋。

 そこに一体の姿見が無造作に放置されていた。

 木造の枠縁は相当傷ついていたが、周囲に隙間なく施された細工は素人目にもかなりの上等品であることを窺がわせる。しかし、その反面、まるでつい先ほど磨かれたばかりのように傷一つ存在しない艶やかな鏡面が異様に際立って見えた。――かと言って、それを気に掛ける者など存在しない。

 ここは人に打ち捨てられた家屋。

 もう何年も、人が踏み込んだ形跡はない。

 ただ、その鏡の面だけが壁の隙間から漏れ入る日差しを反射して輝いているだけで。

 と、不意にその鏡が光りを発する。

 自ら発光し、木枠を光りの中に呑み込む。

 鏡面の中心から広がった輝きはその家屋全域に広がり、もし近くを通りかかる者があれば建物が光ったように見えたことだろう。

 しばらくの光りの発散。

 そうして静寂を破るのは軽い足音。

「……」

 人の息遣いが鏡の中から漏れ聴こえる。

「…誰も、いない……よね…?」

 恐る恐る呟かれる声音は、まだ幼い子供のものだ。

 次第に薄れ行く光りの幕。

 その奥、鏡の正面に、いつからか十歳前後の少女の姿があった。

 黒のはずなのにどこか透き通った不思議な色の大きな瞳と、艶やかな黒髪は腰に届くほどの長さ。

 はっきりとした目鼻立ちと白く柔らかな頬は、十人いれば十人ともが“美少女”と認めるに違いない。

 だが、まるで、南極、シベリア等の極寒地域に滞在する冒険者のような出で立ちは、滅多に雪の降らないこの地域では明らかにおかしかった。

 それを彼女も、とたんに汗が吹き出してきそうな体感温度から察したらしい。

「なんだ。地球の冬ってたいしたことないんだ…」

 昔、――本当に昔、兄が見せてくれたオーロラの写真に写っていた地球人の格好を真似てきたのに、あれは地球人が寒さに弱いせいなのだろうと彼女は考える。

 生まれて初めて地球に下り立った彼女には、あって然るべき基礎知識というものがほとんど皆無に等しかった。

「さてと…」

 少女はコートを一枚、二枚と脱いでその場に放ると、世間一般の常識的な格好になって家屋を出た。

 桃色の膝下まであるコートの下から少しだけ見えているスカートの裾が、冬の北風に揺れて波を打つ。

「…よしっ」

 建物を出て、改めて前後左右を見渡し、人気のないことを確認してから道路に出た。

 軽い足取りで空を仰ぎ見ながら進む彼女は、しかし何にぶつかることもなく目的地を目指した。

「もぅっ。お兄ちゃんも光ちゃんも全然約束守ってくれないんだから!」

 柔らかな頬をぶぅっと膨らませて、少女は向かう。

 姿は見えなくとも伝わる力。

 その先にいる大好きな人達の居る場所へ。



 ◇◆◇



 二月十四日――県立西海高校には、今年も例に漏れず甘い匂いが充満していた。

 というのもここに勤務している家庭科担当教諭が菓子作りを趣味とする女性で、この日までの三日間――つまり十二日から十四日までに家庭科の授業があるクラスは、全て授業の一環としてチョコレートケーキを作るからである。

 おかげで甘いものが苦手な生徒は体調を崩したりなどして学校を休むこともしばしばなのだが、出来たケーキは校長、教頭を始めとする全教諭に配られる上、一人ではどうにも出来ない女生徒達にとっては貴重な授業、一世一代の大勝負となる場合も少なくなく、またその時間に技術の授業を行っている男子生徒達の大部分が、それで“収穫0”という結果を回避しているのだから「そんな授業は廃止しろ!」という声など出た瞬間に吹き消されるというわけだ。



 そうして迎えた、放課後。

 入学後、初めてこれを体験した一年生の男子達の手には一つないし二つの、ちゃんとラッピングされたチョコレートケーキがあり、顔からは笑みが消えない。

 高城岬も、同級生の木村優きむらゆう――中学からの付き合いが現在も続いている友人だが、彼女から貰ったケーキを手にして嬉しそうに笑んでいた。

「岬ちゃんには別に用意してあるのを後で届けるからね」と、真面目な顔で、強調するように言うのは松橋雪子。

 同じく中学からの付き合いである友人、佐藤亮一さとうりょういち田沢勝たざわまさるの二人にケーキを手渡しながら、彼女が内心に叫ぶのは「その他大勢と同じものを岬ちゃんに贈れるわけがないでしょっ!」である。

 他の面々が中学からの付き合いでも、岬と雪子二人に関しては、幼稚園以来という年季の入った幼馴染み。そしてそれと同年数だけ、雪子は岬に片思いしているのだ。

 最も、かれこれ十年以上も想っていて、当の本人に気付く気配がまったくないという状況は好ましくないのだが、今の関係で別段不満のない雪子には告白するつもりもない。

 高城岬という幼馴染みが、そういった類の話が苦手なのを、他の誰よりも長い年月一緒にいる雪子は悲しいほど知っていたし、…それに何より。

(今の岬ちゃんには、私より影見君の方が大事なんだろーし…)

 ふと脳裏に思い浮かべる顔は、黒曜石の瞳、漆黒の髪を靡かせた長身の青年・影見河夕。

 人の心の悪意を糧に増殖する“闇の魔物”と呼ばれる連中を狩ることを生業としている彼は“闇狩”一族の狩人。

 女性が十人居れば十人揃って黄色い悲鳴を上げそうな美貌を持ち、おまけに性格も悪くはない。

 優しいし、強いし、いざという時に頼りになるのは雪子も認めるところだが、しかし彼女にとっての影見河夕は恋敵にも等しい存在であり、ある意味、最大の邪魔者だ。

 岬は恋愛ごとにはからきしで、少なくとも現段階で友情と恋愛のどちらを取るかと言われれば迷わず友情を選ぶだろう。

(しかも、最近ますますその傾向が強い気がするのよね…)

 それはほんの数日前――節分が過ぎた頃に、岬は闇の魔物に憑かれた少年・岡山一太に狙われて命を落しかけた。

 河夕と、もう一人の闇狩・緑光の助力によって岬は助かり、今もこうして、友人から貰ったケーキを幸せそうに食べていられるが、あの時は本当にダメだと思った。

 虐めを苦に自殺しようとしていた彼をふとした偶然から助ける事になった岬と雪子だったが、その後、岡山一太は岬の優しさにつけこんで彼を束縛し始めた。

 だがそれは――自殺しかけたところを岬に助けられた時点で、それは既に岡山一太に取憑いていた魔物の策略だったのである。

 この町の住人達の信頼厚い四城寺の住職を父親に持つ岬の身体にはある種の特異な血が流れているらしく、加えて純粋無垢でお人よしな岬は、魔物達にとって極上の餌と成り得ることを、雪子は後で河夕から聞いて知ったが、そのために、岬に狩人の友人がいると知った魔物は、狩人に邪魔をされない内に岬を奪い取ろうと強硬手段に出てきた。

“夢の中“から岬の精神体を喰らうという方法。

 同時に、それはかなりの実力者でなければ行えるはずのない術であり、狩人達は岬を狙っているのが魔物の統率者として名を轟かせる男、是羅の仕業だと確信した。

 河夕や光、狩人一人の力では是羅に勝てない。

 それでも岬を是羅に奪われるくらいならと、河夕は現実世界で岬の心臓に闇狩の刃を突き立てた。

 魔物に殺されるくらいなら自分の手で失う方がいいという、それは河夕の決死の覚悟であり、自分の部屋にいた雪子は窓から見えた異様な光景に胸騒ぎを覚え四城寺に駆け込み、自室で呼吸もせず横たわる岬と対面することになったのだ。

 岬が死んでしまうと思うと、怖くて、恐ろしくて。

 …結果的に河夕の一か八かの賭けは功を奏し、岬は息を吹き返したけれど、岬を失うという恐怖から自分を――そして岬を救い上げた河夕が、どれほど必死になってくれていたかを知っているからこそ、今こうして複雑な思いが募る。

(悪い人ではないのよね…、だから嫌いなわけじゃない)

 むしろ、正直に言ってしまえば“かなり好き”だから、ますますイヤになるのだ。

 これで河夕が救いようのない駄目人間だったら、その方がよっぽど気が楽なはずだ。

(はぁ…。一応、チョコは影見君と緑君の分も用意してあるんだけど…、今日中に会えるのかしら)

 なにせ超が付くほど多忙な闇狩の狩人達は、いつどこで待ち合わせなどという約束で縛れるわけではない。

 実際、河夕は「本当はしばらく岬の傍にいてやりたいんだけどな…」と言いながらも狩人の役目に追われて世界各国を走り回っているらしい。

『是羅が復活した』――その事態はそれほど狩人にとって重大な問題であり、今日という日にこの町に訪れる機会があるのかは、すべて運任せだ。

「はぁ…」と、今度は傍目にも分かる大きな溜め息をつく雪子に、周りにいた四人が驚いたように顔を上げる。

「どうしたの、雪子」

「なんか疲れているのか?」

「まさか…、どっかに本命がいて、いつ渡そうか悩んでいるとか……」

 優、亮一、勝が口々に言う内容を、雪子は苦笑交じりに否定した。

 そもそも本命は自分の目の前。

 それを、当人だけじゃなく中学から一緒にいる友人達にも気付かれていないのだから、自分の“幼馴染っぷり”は拍手モノだということだろうか。

「雪子、調子悪い?」

 小首を傾げて、心配そうに自分の顔を覗き込んでくる岬に、雪子は微苦笑する。

 昔から変わらない大きな目は真っ直ぐに人を見る。

 童顔と言えば本人は気を悪くするが、いかにも純真そうな顔立ちは誰がなんと言おうと“可愛い”の一言に尽きる。

 今すぐ攫って、どこか自分しか知らない場所に閉じ込めたい! とか。

 このままお持ち帰りしたいっっ! とか。

 冗談半分・本気半分その他諸々の叫びを胸中に上げながら、とりあえず理性を総動員して正気を保つ。

「なんでもない。そろそろ帰ろっか、岬ちゃん」

「ぁ、うん」

 雪子が立ち上がると、岬も素直に立ち上がる。

「じゃあ俺達も」と亮一や優、勝も立ち上がり、五人は揃って身支度を整え、生徒玄関に向かった。

 帰りのSHRが終わって既に三十分程が過ぎ、半数以上の生徒が帰宅し終えた校内には微妙な静けさが漂っていた。

 玄関に向かう途中に通った教室前。

 人気がなければ視界を遮るものもない。そのせいで目に映ったものは、廊下側の前から四つ目の席に、枯れ気味の花が飾られている光景。

「…」

 その場の誰もが机の上の花を見て、岬を見る。

 そして、誰も何も言えなかった。

 その席に座っていたのは岡山一太という少年。

 彼は、両親、姉、妹と自宅で睡眠中、家屋に侵入した何者かに殺害されたのだと、一週間程前の朝礼で校長から全校生徒に告げられた。

 その何者かは自宅に保管されていた数百万の現金と貴金属を強奪し、建物に放火して逃走した――現在、県警は逃走した犯人の行方を追っていると聞く。

「目立たない奴で、…高城のこととかもあって、ちょっとムカついてはいたけどさ……、こんなになっちまって可哀相だったよな」

「…勝」

 余計なこと言わないでよ、と優に肘で小突かれて、勝は口を噤んだ。

「…」

 それが“この世界”においての“事件”のあらまし。

 岡山一太という少年が、実は“闇”の魔物に支配されており、暗い感情に共鳴する魔物の力で家族を殺害。その後、岬を巻き込んだ末に“闇狩”の影見河夕に倒されたのだという事実を知る者は、この校内に岬と雪子の二人だけだ。

 学校の関係者が知っているのは、岡山一太が虐めにあっていたこと。

 岬の優しさにつけこんで彼を束縛しようとしていたこと。

 そして数日前の夜に凶悪犯に襲われ家族共々命を落とした被害者……。――魔物に苦しめられた挙句に亡くなった故人を、これ以上の苦しみに追い落とす必要はない。それが河夕と光、二人の狩人の一致であり、結果、岡山家には“強盗殺人犯”の存在が作り出された。

 狩人達の力が犯人の痕跡を残し、財産を消滅させ、あの世の騒動の記憶を近隣住民から奪ったのだ。

 今も捜査を続けている県警の人々は、しかし数日後にはこの事件を諦める。

 近隣住民も、学校の同級生達も、次第に岡山一家に対する記憶は消えていくし、もしかすると中には既に忘れている者もあるかも知れない。

 闇の魔物に憑かれた人々は、そのようにしてこの地上から消えていく、それが狩人の施す事後処理。

「…」

「…帰ろう、岬ちゃん」

「………ん」

 雪子に肩を押されて、岬は歩き出した。

 あれからまだ十日も経っていない。

 胸に。

 脳裏に残る記憶はあまりに鮮明だった。

 それを解っているから、今はまだ傍にいてやりたいと河夕は言い、岬君を支えてあげて下さいと光は雪子に告げたのだ。

 今はまだ、岬の傷は過去のものになれないから。

「じゃ、私はここで。また明日ね」

「あぁ、じゃあな」

「ばいばい」

 玄関を出て、正門からしばらくは五人一緒に並んでいた彼らだったが、まずは優が。

 それからまたしばらくして勝と亮一が、という具合に別れて、岬と雪子の二人だけが四城寺方面に歩いていた。

 学校を出てから一言も喋らない幼馴染を気遣いながら、雪子は躊躇いがちに口を開く。

「…忘れちゃった方がいい、なんて言わないけど…、元気だしてね」

「うん…」

「…影見君、早く帰ってきてくれるといいね」

「…………」

 長い沈黙。

「…うん」

 そうして、静かな肯定の返事。

 その俯いた表情、微かに赤く染まる頬。

「〜〜〜〜〜っ」

 地団駄を踏みたい衝動をどうにか気力で制して、雪子はゆっくり深呼吸する。

「み、岬ちゃん…、あのね。そんっなに影見君がいないと寂しい?」

「ぇっ…」

 いきなり何を狼狽たえるその様が、また小憎らしいほど可愛らしい。

「あのね。たぶん岬ちゃんは全っ然、これっぽっちもっ、まったく自覚してないとは思うんだけど」

 一歩、二歩と間の距離を詰めながら言をつなぐ雪子に、岬はいつかと同じように後退する。

「この間から、影見君の話をするたびに顔が赤くなるのはどうして?」

「か、顔…?」

「そう、その可愛い顔よ! まさか、まさかとは思うけど」

 後のないところまで追い詰められて、背後はいつかと同じ崖下のアスファルト。

「ぁ、あの、雪子…っ」

「まさかとは思うけどっ、影見君となんかあったわけじゃないでしょうね!!」

「ぇっ……!」

 刹那、目の当たりにしたものは、雪子が絶句するほどの変化。

 真っ赤になって、おそらくは無意識だろうが、手の甲で唇を覆うという行動は、雪子にしてみれば不審以外のなにものでもない。

「…………岬ちゃん」

「ぁ…あの…雪子…」

「岬ちゃん。口を隠して、どうかしたの?」

「ぇ、ぁ、っ…」

 知らずに上がっていた手を慌てて下ろすも、幼馴染みの瞳に揺らぐ不穏な光りは強まるばかり。

「…まさか、影見君と、き、きっ…」

「キスなんかしてない!」

「――」

 遮るように言い放たれた強い口調。

 岬らしくないその言動は、雪子の疑惑をなおも強めるだけだった。

「へ、へぇ〜。そぉ…っ」

 こめかみが引きつるのを自覚しながらも笑顔を絶やさず、もう一歩、岬との距離を詰めた。

「岬ちゃん? さすがに今回は影見君の連絡先を聞いているわよね?」

「ぇ…」

「前回みたいに住所も電話番号も知らないなんてことないでしょ…? 一歩間違ったらまた三ヶ月音信不通になることだってありえるんだもん。もちろん今回はちゃんと聞いているわよね?」

 口調は穏やかだったが、異様な迫力のある彼女に逆らう術を岬は知らない。

「え、えっと…でも繋がる可能性は低いって…いっつもそこにいるわけじゃないって言ってたし…」

「いいから、知ってる連絡先教えてくれる…?」

 彼女の背後に見えてきて鬼の幻に怯えながら鞄を開け、河夕から渡されたままの、連絡先を記した紙片を雪子に手渡す。

 それを見てにっこりと微笑んだ幼馴染み。

 この後、河夕に連絡を取った雪子はいつにない上機嫌な声で四城寺に帰ってくるようお願いした。

 今日はバレンタイン。

 せっかくチョコレートを用意したんだから貰ってよ、と満面の笑顔で受話器の向こうに話しかける雪子に、岬が怯え、本気で逃げ出したいと思っていたことは、改めて説明する必要もないだろう。



 夜の七時ごろに、雪子との約束どおり四城寺にやってきた影見河夕。

 しかし彼を待っていたのは甘い菓子の贈り物などではなく。

 鬼のごとき形相で笑顔を作る少女の容赦ない鉄拳だった。




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