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闇狩  作者: 月原みなみ
13/64

夢に囚われし者 六

「生きていたんだね、岬……っ」

 驚きと困惑から固まってしまった河夕を振り払って、一太は岬に駆け寄った。

 河夕は一拍遅れてその足を止めようと刀を振り上げたが、実行はしなかった。

 岬と一緒にいるのは、たとえ好かない奴でも闇狩一族の有力者が名を連ねる十君の一人だ。彼が隣にいるなら岬に危害が加わる心配はなかった。

 岬の腕に一太の手が届くまであと十五センチメートルといったところで、目に見えない壁が少年の行く手を遮った。

 ビリッと激しい火花が散って、一太は後退し、岬は驚きの声を上げて光にしがみつく。

 その光景に河夕はホッと息を吐き、光は笑みを強めた。

「もう二度と岬君に触れさせはしませんよ、岡山君」

「なんで……っ、邪魔をするな! 岬を僕に返せ! 岬は僕のものだ!!」

「岬君はそう思っていませんよ。…と言うよりも」

 一太の言葉に怯えてか、自分の腕にしがみついて隠れるようにしている岬を一瞥してから、光は強い口調で一息に言い放つ。

「それ以前に君の事さえまったく覚えていませんからね」

「!」

 河夕は今までの困惑から、微かな安堵と新たな不安に身を強張らせた。

「…ってことは、最悪のパターンは逃れたものの……ってことか」

「ええ。河夕さんが言うところのパターン2ですね」

「…っ…何の話だよ! 岬はどうしたの! おまえ達、岬になにをしたんだ!?」

「何かをしたのは君でしょう、岡山君」

 微妙に口調を変化させ、見下すような視線を向けた光に、しかし一太は一歩も引き下がらない。

「君が岬君に恐怖を与え、殺そうとまでした。そこから逃れる為に、岬君はその代償として記憶を失くしたんです」

「! 僕は岬に悪いことなんかなにもしていない! 岬と一緒に生きるために一つになりたかっただけだ! それが岬の幸せだったんだ!!」

「唯我独尊もここまで来ると可愛げがありませんね」

 興奮し、顔を真っ赤にして声を張り上げる一太に、光は何ら変わらない物言いで言葉を繋げていく。

 そして一歩も動こうとしない河夕の視線は、光の腕にしがみつきながら、一太の言動に怯えている岬の姿を見つめていた。

(……そういうことか)

 あの時、岬の心臓に一族の力を突き立てるのは一か八かの賭けだった。

 岬が自ら魔物を呼び込んだわけではなく、魔物を呼び込んだ一太が岬を狙って闇を纏わり憑かせていただけなら、河夕の結界で魔物の卵を遠ざけられたように、祓うことも可能ではないかと考えたのだ。

 一族の力が具現化した刀は、結果的に人を殺すのだとしても、本来の役目は魔物を狩ること。

 完全に魔物に乗っ取られたわけではないなら、魔物だけを滅ぼすことは出来ないだろうか、それは一か八かの賭け。

 何の自信も、確証もなかった。

 それしか方法を思いつかなかったら実行に移した術。

 殺してしまう可能性の方が遥かに高く、直後に岬の心臓は停止し、呼吸も止まったことから「やはり駄目だった」と、現実を受け止めるだけで精一杯だったが、何の奇跡か河夕の無謀な策は成功し、岬をこの世界に連れ戻した。

 彼の精神を侵していた魔物だけを祓うことが出来たのだ。

(だが完全に…とはいかなかったってことか……)

 河夕の力は魔物を中和した。

 岬を岬としてこの世界に連れ戻した。

 だが危険極まりない方法は、それ相応の代償を必要としたということだ。

「とにかくですね、岡山君」

 光は冷たい眼差しを一太に投げかけ、単調な物言いでそれを告げる。

「岬君は、君に与えられた恐怖のせいで全ての記憶を失くしてしまったんです。ご両親、ご兄姉、幼馴染のことも、お友達のことも、…河夕さんのことも全てです」

「嘘だ…」

「考えようによっては死ぬよりも辛いことでしょうね。自分で自分が判らないのですから」

「嘘だ!」

 一太は叫ぶ。

「嘘だ嘘だ嘘に決まってる! 岬が僕のことを忘れたりなんかするものか! 忘れるわけがない!!」

 一太の様々な感情が入り乱れた力が、再び魔物の力を増幅させる。

 光が岬を守る為に張っている結界を超えようと、圧力をかけてくる。

「岬は僕のものだ…おいで、岬。おいで……!」

「いやだ…っ」

「来るんだ岬!」

「いや…っ」

「あきらめが悪いのは、嫌ってくれと言っているようなものですよ」

 光が、自分の力が一太の力とぶつかり合い、反発し合っている様を眺めながら、楽しげに告げる。

「恋愛で成長できない人は叶わぬ恋などするものではありません」

「うわっ」

 瞬発的な力の増幅に一太は吹き飛ばされ、そこに河夕の力までも受けて床に叩きつけられた。

「おまえの相手は俺だろうが、小僧」

 無表情に告げる河夕を見つめて、今や彼のことも忘れてしまった岬は、光の腕にしがみつく自分の手に力を込めた。

 光はそれをどう感じ取ったのか、ただ優しく彼に囁く。

「岬君、大丈夫ですよ。僕達が必ず君を守ります」

「……僕、達…?」

 岬は、誰のことを言っているのかと不思議そうな顔をして見せた・

 だから光は躊躇う。

「……彼も、君を守る為にここにいるんですよ、岬君」

「あの人も…」

「ええ」

 光の視線が河夕に移ったのを追うように、岬も彼を見つめる。

 その視線に気付いて顔を上げる河夕。

 心配そうな眼差しを向ける岬に静かに微笑んで、…顔をそらし、瞳を伏せた。

(……これが掟に背いた罰か)

 以前のように自分を見ることのない岬の瞳がひどく辛い。

 辛くて、悔しくて。

 生きていても、河夕が大切に思った彼はもういない。

 ……それでも。

(死ななかっただけ、よかっただろ)

 気持ちを切り替え、そう思い直し、目を開けて顔を上げる。

 生きていたのだ。

 この手が岬の命を奪うことはなかった、だから今度は。

(今度こそ、守ればいい)

 もう二度と魔物になど囚われぬように。

 岬を守りたい、その想いが更なる力を生むから。

「もう充分だろう」

 白銀の刀は河夕の心に同調し、いっそうの輝きを放ち始める。

 怒りから再び赤く変色した一太の瞳、魔物の外観。

 自我を失えばその方が狩りやすいと冷静に考えた。

「全力出して死ぬ気で掛かって来い! そうすれば一発で仕留めてやる!」

 黒霧を全身に纏い、赤い目を光らせ牙を剥く。

「確かにおまえにも同情すべきことはある。家族にも嘲られて自分の居場所も見つけられずに、死ぬことしか考えられなかったんだろう。周りを憎むことでしか自分を保っていられなかったんだろ、それは解らなくもないさ」

 河夕自身、環境こそ違えどいつ死んだって構わないと思ってきた。

 憎んだ相手だっていたし、自分のしてきたこと振り返れば懺悔ばかりが胸を占める。

「だからって魔物を呼び込むほどの強い憎悪に、自分の命を投げ出そうとしたのが間違いなんだ! そんなだから魔物に捕まってこんなことになるんだ!」

「違う…っ、違う、是羅様が教えてくれたんだ! こうすれば幸せになれるって! 欲しいものが手に入るって! 僕は正しいって是羅様は言ってくれた!!」

「闇に食われて自我失くすのが幸せか!!」

 何かが砕ける音がして、一太に纏わり憑く魔物の卵達の一部が蒸発するように消えていく。

「そう思うようになったら、それは俺達闇狩一族に狩られる道しか残されないことになる、おまえは死ぬことが幸せだとても言うつもりか!」

「岬と一つになることが僕の幸せだよ! 是羅様はその方法を教えてくれたんだ!! 岬は僕と一緒にいなきゃダメなんだ…岬は僕のものなんだ!!」

「岬はおまえのものじゃない!」

「僕のものだ! 是羅様がそう言ってくれた!!」

「是羅是羅っていい加減にしろ!!」

 再びの破砕音。

 光が散り、闇が砕ける。

 だが双方、引こうとはしなかった。

 この河夕と一太の攻防を、光の結界の中で見ていた岬は、先ほどから彼ら二人が何度も口にしている“是羅”という名が気になって光を見上げる。

 素直に問いかけた岬に、光はそっと微笑って語り出す。

「“是羅”というのは、僕達一族にとっての最大の敵、闇の魔物達を率いる男のことです。僕達闇狩にも三千五百年という長い歴史がありますが、闇の魔物達にはそれ以上に長い歴史があります。その長い歴史を生き続け、常に魔物達を率いているのが“是羅”です」

「…その人は狩れないんですか?」

「狩れないことはありませんが、あいつを狩るにはその上を見つけなければなりません」

「上…?」

「魔物達の女王です」

 今までの彼らしからぬ口調に、岬は目を瞠る。

「魔物達とて何の統括もないままに動いているわけではありません。そういう魔の部族もいるでしょうが、僕達が戦うべき闇の魔物達は是羅の統括の下で動いています。太古の昔に不老不死の魂を手に入れ、呪術を操り、魔物を飼い慣らして増やし、一つの部族を興した。己の肉体が老いて動きずらくなれば新たに若い人間の肉体を手に入れて魂を移し返し、三千五百年以上の年月、魔物の主として生き続ける男、それが“是羅”」

「…じゃあ是羅が、その…魔物達の王様じゃないんですか……?」

「いいえ、違います」

 どうも理解に苦しでいる岬の様子に薄く笑って、続ける。

「是羅はいつだって若い男の身体を器にして生き続けてきました。気が若ければ肉体も若い、そうである以上は性欲も若いまま」

「は…」

 一瞬、どこに話が飛んだのか分からなかった岬が聞き返すと、青年はクスリと笑う。

「是羅は自分の肉体が老いて役に立たなくなるたびに、次の身体を得て来ました。だがその度に取り替えてきたのは自らの肉体だけでなく、伴侶もまた変えてきた。身体を変えるごとに選ばれた女性こそが“速水”(はやみ)の称号を与えられた是羅の恋人、“魔物達の女王”です」

「…」

「魔物達の王といっても、彼女が自ら率いるわけではありません。率いるのはあくまでも是羅であり、速水の名を与えられた女性が戦前に赴くことは決してない。けれどだからこそ“速水”には魔物達にとっての核が与えられているんです――即ち、“速水”の死は是羅の、そして魔物達の滅亡に繋がりように」

「…じゃあ速水を討ったら、闇狩の人達が勝ちってことですか…?」

 自分に解りやすく、言葉を変えて確認してくる岬に、光は静かに笑むことで彼の言葉を肯定した。

「是羅は己の“死”を恐れています。だが殺戮の戦前に赴きたいという欲求は抑えられない。故に気に入った女性の胎内に自分の核を移し、女性ごと城の奥深くに隠すんです、決して狩人の手に落ちないよう何重もの結界と魔物を散らばせて」

 それはいまだかつて、三千五百年もの年月をかけても実現しなかった狩人達の宿願。

 是羅と魔物達の暴動を抑える一方で、半数の狩人を是羅の根城される“奇渓城”に送り、その奥深くに隠された女を狩ろうと試みてきた。

 だがそれが実現したことは一度もなく、そのたびに一族の半数が死に絶えてきた。

 原因は様々だろう。

 奇渓城の見取り図がないために“速水”の所在が突き止められないため。

 彼女を守る魔物の力が強大すぎるため。

 二つに分けた狩人達の戦力が是羅に遠く及ばなかった為…、考えられる原因を挙げていけばキリがない。

 是羅の命を――つまりは魔物一族の核を胎内に持つ“速水”。

 彼女を見つけ出し、狩ること、それが一族の者達が始祖から与えられた使命。

「是羅の望みは地球世界における戦争だそうです。人の心を喰らい、肉体を喰らい、その身を器とした魔物達が人の身体を互いに切り刻む、それが是羅の見てみたい世界だとか」

「そんな…」

「もちろん、そんなことはさせません。そのために里界の神々は地球人の中から選び抜いた者達に対“是羅”のための力を与え、闇狩一族を興したのですから」

「それが貴方達のことなんですか…?」

「ええ。まぁ、これも聖伝説の書からの受け売りですけどね」

 答えて、いつもの笑顔を浮かべる光。

「それに、僕は多少の変わり者ですから」

 言うと同時、激しい振動が光の結界を揺さぶった。

 それが河夕の放った一撃が一太にかわされ、光の結界にぶつかった為だと察した光は、念のためにと岬の腰に手を回し、抱くような体勢を取る。

「岬君、しっかり捕まっていて下さいね」

「えっ…、わあっ」

 突然、足が床から離れ、岬は素直に驚きの声を上げた。

「ひ、光さんて、空も飛べたんですか……?」

「クスクスクス。以前の岬君ならこれも当然だと思ったんじゃないですか? 河夕さんと一緒にいたんですからね」

 光に言われ、岬は何と答えることも出来ずに、下方にいる河夕の姿に見入った。

 黒い靄を纏った少年は、通常の何倍もの威圧感を持って様々な抵抗を繰り返す。

 そんな少年に、それ以上の強さを持って向かうのは漆黒の髪に黒曜石の瞳、恐ろしいほど左右対称に整った面立ちの、威厳に満ちた美しい人。

 美しく、強く、そして自分を守ろうとしてくれる優しい力が辺りに満ちる。

「……あの人と光さんて……、友達、ですか……?」

「いいえ」

 少なからず緊張して問いかけた岬に、光は何を思ったか薄く笑って彼の言葉を否定した。

「闇狩は人とのつながりを許しません。家族であろうと、恋人であろうと、友人であろうとも。…もちろん子孫を残すためにそれなりの行為には及びますけどね」

「…っ」

 慣れないことを聞いて思わず熱くなった岬の頬。

 そんな純粋過ぎる少年の内心を察して、光は笑みを強めた。

「それはともかく、僕と河夕さんが友人だなんて、そんなことは有り得ませんよ。僕は彼に嫌われていますからね」

 冗談なのか、本気なのか。

 岬が何かを言いかけたとき、河夕の声が届いた。

「光! 喋ってばかりいないで岬を守ってろ!」

「承知していますよ」

 魔物を叩き斬る河夕に、光はそんな返答をする。

「岬君は僕に任せて、河夕さんは本気でどうぞ」

 言われて、河夕は一瞬だけ鋭い視線を彼に向けたが、すぐに一太と対峙した。

 たとえ好きくない相手であっても、このことに関してだけは信じられる。

 伊達に十年以上も近くで過ごしてきたわけではなければ、一族の純血でもない彼が十君の一人として名を連ねられるわけがない。

「来い、小僧!」

 河夕の力の前にボロボロになっていた一太が、これでもかと言うよう力を炎上させる。

 炎の海と化した家屋の中で――狩人の結界の中で、一太は力を燃え上がらせた。

「許さない…許さないよ狩人! 僕と岬の間を邪魔しようなんて…絶対に許さない!!」

「ごちゃごちゃ言わずに掛かって来い! 岬が欲しけりゃ俺を殺せ!!」

「殺してやる! 岬を僕から奪う奴はひとり残らず殺してやる!」

 闇と白銀の光りがぶつかり合う。

 まるで戦う者の内面を表すかのような、人を惹き付ける力の波動。

 河夕の力がいまだに広がっていくのは、これがまだ限界ではないからだ。

(強い…)

 それが岬にも伝わってくる。

(何年ぶりでしょうね、こうして貴方の力を間近で見られるのは……)

 喜びに心が震える。

 蘇る…、この力に救われた遠い日が――。

 河夕の白銀の光りが膨張し、河夕の瞳までがその色に変化する。

 一太が歴然とした力の差に、何かを口にすることも出来ずに後退りする。

「…安心しろ。俺達の始祖は地球人贔屓でな。死んでまでおまえを苦しませやしない」

「あっ…ああっ……」

「これで終わりだ!!」

 一太に向かって白銀の刀が振り下ろされた。

 一太は逃げる術さえ知らなかった。


 ――岬岬岬岬岬岬ミサキミサキミサキミサキミサキ―――!!!!


 河夕、光、そして岬の耳にも届く不快な絶叫。

 限界を超えてまで溜められていた声が、一気に溢れ出して繰り返し叫び続ける。

 岬、と。

 誰より欲したのはおまえだと。


 ――どうしてともだちになろうっていったのはミサキなのにぼくといっしょにいてよこんなやつよりぼくのほうがミサキミサキミサキミサキミサキミサキミサキ!!!!


「馴れ馴れしく呼ぶな、クソガキが」

 足から砂になりながらも終わることなく叫び続ける少年に河夕は最後の言葉を叩きつける。

「おまえは魔物を呼んだ。その力で岬を殺そうとした。…今更、友達も何もないだろ」


 ――ミサキィィィィィィイィィ……


「さっさと失せろ」

 最後の一振り。

 虚空に閃いた一線は、一太の最後を断ち切った。

 砂山が崩れていくように、少年の身体は金の砂へと形を変えて大気に解けて消えていく。

 人としての輪廻に帰れない魔物と同化した肉体は、金の砂に姿を変えて、風に、大地に、水に融ける――そうして自然界へと還るのだ。

 その一部始終を、岬は光の腕にしがみつきながらじっと見つめていた。

 これが己を脅かし続けた魔物の最期なのだと、自分自身に言い聞かせて―――。


 ◇◆◇


 戦の場となった岡山家を離れて数分。

 河夕と光、そして岬の三人は四城寺の石段前に戻ってきていた。

 辺りは静まり返り、風も何も語らない。

 そんな中でも、河夕と光の二人には石段の向こうで岬の帰還を待っている家族の暖かい想いが感じられていた。

「……大丈夫か、岬」

 無言で頷く岬に、河夕は微笑む。

「前回の楠といい、…おまえほど闇に好かれる奴は見たことなかったぜ。……けどもう大丈夫だ。俺と光で、この街全体に結界を施していく。おまえの親父さんもいい術使いだ。俺からもいろいろと話してあるから安心しろ」

 告げて、岬の髪に優しく手を置く。

「おまえの周りは、おまえが記憶失くしたって何も変わらない奴ばっかりだ。誰もがおまえに優しい、おまえは周りの連中にそうさせる奴だった」

 淋しげな笑みを浮かべて告げる河夕に、光は何かを言いかけて結局は黙り、岬は、そんな河夕の目を真っ直ぐに見つめていた。

「…貴方は」

 岬の弱弱しい声が河夕に問う。

「…貴方は、誰なんですか……?」

「……」

 河夕は薄く笑って応えた。

「俺はただの狩人だ」

 光が瞳を伏せて口を切る。

「河夕さん、それでいいんですか…?」

「……あぁ」

 もはや岬にとって自分はいない存在だ。

 守ろうとしたばかりに多くの存在を傷つけ、泣かせた。

 大切すぎて気付けなかったことが多すぎる。

 このままでは、いつかまた必ず辛い思いをさせてしまうだろう。

 狩人の力を持つ岬のことを万が一に本部の連中が気付きでもしたら、…傍にいたがために、守ってやることが出来なくなる。

「もう会うこともないだろう。……元気でな」

 笑顔で告げて、踵を返す。

 岬に背を向けて飛び立とうとした。…………だが。

「?」

 服の裾を、岬が掴んで放さない。

「………岬?」

 今にも泣きそうな表情で、強く、強く河夕を引き留める岬の手。

 記憶を失くしても、まだ岬は自分を必要としてくれるのだろうか…、そんな思いに駆られ、まさかと思いつつも岬に触れる。

「……岬……、――! おまえっ」

 河夕が岬の変化に気付くと同時、その隣では光が声を殺して笑い出す。

「おまえ、まさかっ」

「どうしてそこで友達だって言ってくれないんだよ大馬鹿者!」

 岬が――何も変わらない、河夕のよく知る高城岬がいきなり声を張り上げた。

「全部憶えているよ! 河夕の部屋で目を覚まして起き上がったら雪子はゾンビだって騒ぐし兄さんや姉さんには馬鹿にされるわ母さんには泣かれるわっ、おまけに光さんに聞いたら河夕が俺を殺したんだとか言うし!!」

「それは語弊がありますよ、岬君。河夕さんの術は九十九パーセント以上の確立で岬君を死なせてしまうという、かなり危険なものだったんです。だから、変に期待させてしまうよりは、最初からその覚悟を持っておいて頂いた方が…と思ったものですから、僕の判断でそのようにご家族にお伝えしたんですよ。まさか心臓を刺し抜かれて無事に済むとは思いませんでしたからね」

 それでなくとも、河夕が去る間際、その後も、岬の身体はしばらく全ての機能を停止し、仮死というには危険すぎる状態が続いていた。

「そりゃぁ俺ももう駄目だとは思ったが…、だったらどうして記憶喪失の真似なんかしなきゃならなかったんだ!?」

「それは雪子さんのたっての希望です」

「松橋の?」

「ええ。“私を泣かせた罪は岬ちゃんに忘れられたショックでチャラにしてあげるわ!”と涙ながらに訴えられてしまいまして。さすがの僕も断れなかったんですよ」

 苦笑交じりの光の返答に、河夕は頭痛を覚えてこめかみを押さえる。

 実にあの松橋雪子らしい発想だと思った。

「雪子、すごい迫力で言ってくるし…、それに俺もこのままじゃ…どんな態度で岡山君の前に出ればいいか分からなかったし、それなら記憶喪失のフリする方が……」

「別にわざわざ危険な場所に出てこなくたってよかっただろうが!」

「だって河夕が俺のことを殺したと思ってすごい思い詰めてたって光さん言うし! なら生きていることだけでもすぐに伝えたかったから……っ」

 岬はそこまで一息にまくし立てて、そうして不意に俯き、涙声になる。

「そりゃ嘘ついて、記憶喪失なんて真似して河夕を騙したのは悪かったと思うけど…っ……。どうして友達だって…どうしてそうとも言ってくれないんだよ……っ」

「岬…」

 潤んだ瞳には、みるみると涙が溢れてきた。

「…僕は岡山家に戻って事後処理に取り掛かりますね」と、気を利かせたらしい光は言ってすぐさま飛び立った。

 四城寺の石段の前に、二人だけ残されて。

 けれど、どんな言葉が岬を慰めるのに役立つのか、それすらも判らなくて。

「…岬、俺は」

「だって河夕に何も言ってもらえなかったら…俺は結局みんなに嘘をつくことになる……っ」

「岬…?」

「あの時…うちの林で死のうとしている岡山君を見つけたとき、俺、確かに言ったんだ…“友達になろう”って、俺はそう言った…死んだら何もならないから…負けるだけだから頑張って生きようって…俺でよければ力になるから一緒に頑張ろうって…友達になろうって、俺は岡山君にそう言ったんだ」

 一滴の涙が頬を伝う。

 人を憎み、疑うことも知らずに、自分を殺そうとした相手にまで、それは自分が嘘をついたからだと後悔して。

 なぜこうも素直に、純粋な子供のような涙を流せるのだろう、この少年は。

「……おまえは何も悪くない。岡山一太はおまえと会う前から闇の魔物に憑かれていたんだ。その魔物が未完成の闇狩であるおまえを欲した、だから岡山をあの場所で自殺させようとしたんだ、おまえが出てくるのも計算済みで」

「けど岡山君はあんなに何度も俺を呼んでいたのに、俺は逃げた…、結局はあいつを殺すしかっ」

「あいつを殺したのは俺だろ」

「!」

 河夕の平淡な一言に、岬の顔色が変わる。

 見開かれた目に、自嘲気味な笑みが映る。

「見ていなかったのか? あいつを斬ったのは俺だ。あいつにおまえを傷つけられて、苦しめられて、それが許せなくて俺があいつを殺したんだ」

「違う! それこそ違うよ! 河夕のせいなんかじゃないっ、河夕は俺を助けてくれたんじゃないか! 河夕が岡山君を斬ったのは河夕が闇狩だから」

「おまえも闇狩だ」

「――!」

 優しい、それでいて強い言葉に、岬はハッとして相手の顔を見上げた。

 澄んだ瞳で、――真っ直ぐな黒曜石の瞳で自分を見つめている河夕に、岬は次から次へと溢れてくる涙の雫を抑えることが出来なくなった。

「いくら未完成でも、おまえだって狩人の血を引いている。闇狩である以上は、魔物に憑かれた弱くて哀れな人間を闇から解放してやらなきゃいけない。そうしなきゃ被害は広がり、器になった人間は殺人の道具同然に永遠に苦しみ続けることになる」

 精神体は闇に呑まれ、喰われたことへの恐怖がまた魔物を強大化させる。

 肉体のコントロールは利かなくても、心が死んでしまっても、身体だけは人間の魂と一緒に魔物の内に残り、いつか是羅の理想郷のための人形として使われるのだ。

 自分を殺した魔物の器になって、傷つけられ、引き裂かれ。

 痛みも何もないままに終わりのなり地獄に立ち続ける。

「魔物がいつまでもこの世界にいたら、いつか必ずおまえの大事な家族や友達も喰われる。そうならないために闇狩は闇を狩り続けなきゃならないんだ」

「…っ……」

「岡山は魔物の器になった時点で死んだんだ。死んだら行く場所が人間にはある。そこに送ってやったんだと思えばいい」

「……河夕……っ」

「もう泣くな、岬。――おまえは頑張った」

「河夕……!」

 岬は河夕にしがみつき、その胸に後悔と悲しみ、そして懺悔を押し流す。

 いくつもの感情を声と共に吐き出した。

 その間ずっと、河夕は静かに、何も言わずに岬を支えていた。

「…頑張ったよ、おまえは」

 時折、そんな言葉が耳元を掠める。

 その手が何度も頭を撫でていた。

「……もう嫌だよ…こんなこと」

「…」

「河夕…もう消えたりしないでよ、頼むから……っ」

「岬…」

「もう嫌なんだ! あの時みたいに雪子や河夕が死ぬかもしれないところなんか見たくない! 俺のせいで誰かが死んでいくのも見たくない、河夕がいなくなるのは嫌なんだ!!」

 河夕だけは――岬の内側で何かが叫ぶ。

 逢いたかった、ずっと逢えなかった大切な人。

 ようやく逢えた大事な存在、その人を二度と失いたくはないと、岬の心が叫ぶ。

「河夕が死ぬのは見たくない……!!」

「…」

 訴えるように叫ぶ岬を、河夕はゆっくりと押し離す。

 そうして涙に濡れた相手を見下ろした。

「…大丈夫だ、俺は死なない」

「……河夕…」

「おまえがいる内は、俺は絶対に死なないから」

「河夕……!」

 ボロボロと涙をこぼす岬を、河夕はたまらずに抱きしめた。

 何も知らなかった彼が、どうしてこんなに苦しむことになってしまったのか。

 狩人との出会いが原因だったのか?

 自分の父親がそうであったように、一族の理に反した言動の代償が、周りの大切な者達を巻き込んだ災厄となっていくなら、これもその始まりに過ぎないのだろうか。

 人を狩る狩人である以上、誰かと過ごす時間など決して許されないというのなら、ここで岬の言葉を受け入れることは破滅への一歩かもしれない。

 …だが、たとえそうだと判っていても。

「もうどこにも行くなよ…ここにいてよ……!」

 岬にとって、河夕のいない三ヶ月間がどんなに苦しいものだったか、河夕本人は知らない。

 数時間前、悪夢から醒めた岬が、その場に河夕一人がいなかっただけで、そこを今だ悪夢の中だと錯覚しそうになったこと。

 河夕の姿がないことが、岬にどれほどの恐怖を味あわせたかも、河夕だけが知らなかった。

 知らないけれど、抱いた感情は、きっと同じ。

「一緒にいてよ…河夕……!」

「……」

 河夕は答えを言葉にはしなかった。

 ただ、二人の間に微かな距離を空け、河夕の冷たい手が岬の頬を包む。

 大粒の涙を指が拭い、河夕の真っ直ぐな瞳が淋しそうに岬の瞳を見つめた。

「……河夕?」

 河夕の右手の親指が岬の唇をなぞる。

 左手がゆっくりと身体を下降し、微妙な位置で止まった。

「…え……?」

 何かがおかしいと気付いた時には身体が動かない。

 切なげな表情を浮かべた河夕の顔が、ゆっくりと自分との距離を縮めていた。

(嘘だ……っ)

 何が起ころうとしているのか気付いて、岬は身体を強張らせて目をきつく閉じた。

 瞬時に火照る顔、高鳴る鼓動。

 河夕の腕を握り締めていた手に力が入る。

(…………っ!!)

 唇を噛み締めた岬、……だがいつまで経っても何も起こらない。

 恐る恐る目を開けると、そこには声を殺して笑っている河夕がいた。

「………ックックックック」

「かっ、河夕!」

「クククッ、驚いて涙も止まったろ?」

「っ……」

 何事もなかったかのように岬に触れていた両手を放し、その代わりとでもいうように額を軽く叩く。

「あんま泣き過ぎると目が溶けるぞ」

「っ、変な冗談は止せよな!」

 真っ赤になってわめく岬に、河夕の笑いはまだおさまらない。

「俺は光を手伝って事後処理に回るから、おまえは先に家に戻ってろ。親父さん達が心配してるぞ」

 言いながら飛び上がる河夕に、岬は腹立たしいながらも声を張り上げる。

「そのままどっかに行くなよ! 必ずここに帰って来いよ!!」

 河夕はそれに、片手を上げて答えた……。



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