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闇狩  作者: 月原みなみ
12/64

夢に囚われし者 五

 松橋雪子は、この日、三度目の高城家訪問を試みていた。今日に限って言えば、高城家に行くたびに何かと心中が穏やかではなくなっている気がする。

 朝、一度目は影見河夕との再会。

 二度目は夕刻、岬の首に残された痛々しい赤い痣。

 そして、今。

 また何かしら驚かされるようなことがあるに違いないと、雪子は確信していた。

 彼女がこの夜十時過ぎに一人で夜道を走っているのには、それ相応の理由があったのだから。



 午後十時。

 雪子は宿題を終えた後での入浴中だった。そのとき、突然水面が波立った。

 何事かと思った。

 地震ではなさそうだと思ったのは、居間にいる家族に騒がしくなる気配がまるでなかったからだ。

「なに、これ……」

 雪子は恐くなり、浴室を出て急いで服を着込み居間へと駆け入った。

 テレビのスポーツニュースに夢中の父。

 皿洗いをしている母と、食卓の上でオセロの勝負に熱中している兄と弟。

「……ね、今、揺れなかった?」

 そう尋ねると。家族は揃って小首を傾げた。

「何も感じなかったけど」

「でも浴槽のお湯が揺れたの」

「じゃあ小さいのがあったんじゃない?」

「テレビを見ていたらそのうちに何か言うんじゃないか?」

 そんな、たいして関心のない答えが返される。

 腑に落ちないながらも自分の部屋に戻った雪子は、何の気もなしに外を見た。

 屋内で何もなくても、外ならもしかしてと思った。

 だがそうして開けたカーテンの向こうに彼女が見たもの、それは。

 音も、揺れもない。感じられない。

 ただ、光柱が立ち、消えていく四城寺の姿だったのだ……。


「いったい何だって言うのよ!」

 怒りながらも胸中は不安でいっぱいだった。

(影見君がいるんだから滅多なことはないと思うけど…)

 そうは思うものの、不安は消えてなどくれない。

 影見河夕が一緒にいる、それは確かに信じていいはずのことなのに。

(岬ちゃん……!)

 長い石段を駆け上り、古めかしい本堂の前を抜け、高城家の母屋へ向かう。

 鍵がかかっていて玄関の戸は開かない。

 チャイムを鳴らしても誰も出ない。

「岬ちゃんだけならともかく、お兄ちゃんやお姉ちゃんなら起きているはずなのに…っ」

 左右を見やり、岬と姉の部屋や客室が並ぶ廊下に続くガラス戸の一部が開いていることに気付く。

 そして人の姿も。

「お姉ちゃん!」

 岬の姉だ。

 雪子は急いで駆け寄り、そこでいったい何が起きているのか自分の目を疑った。

 泣いているのだ、岬の母親が。

「……どうしたんですか?」

「…っ…雪子ちゃん……」

 姉の弱弱しい声が届く。

 続いて岬の部屋から出てくるのは彼の父親と兄。

「…一先ず場所を移そう。……いくら自分の部屋でも、このままにしておくのはあまりにも……」

「…影見君の部屋でいいかな…、彼の部屋でなら…岬も安心して…眠れ……っ…」

 雪子の目の前で、兄の瞳から一粒の涙が零れ落ちる。

「なんで…っ! なんであの子が……っ!!」

 娘に支えられ、やっと立っているといった様子の母親。

 これは、なに?

 岬に何があったのか。

「お姉ちゃん……岬ちゃんは……?」

「…雪子ちゃん。あなたは帰った方がいいわ……今は、見ない方がいい」

「そんな…っ」

 嫌な想像ばかりが胸中に溢れる。雪子は岬の姉が止める声も聞かずに岬の部屋に駆け込もうとした。

 けれど。

「……占い師さん……?」

 雪子の行く先を阻むように部屋の中にいたのは、昨日の放課後に帰り道でキャンディをくれ、今日はずっと一緒に岬の帰りを待ってくれていた、あの青年。

 どうして彼がここにいるのか、それも解からなかったけれど、どうしてこの人までがこんな悲しい顔をしているのか、それも判らずに不安は大きくなる一方。

「見ない方がいいと言われたのに、貴女という人は……」

「どうして…っ、どうして皆でそんな顔をしているの!? 岬ちゃんはどうなったの!? 岬ちゃんに会わせて!!」

「…出来ません」

「どうして!」

 声の限りに聞き返す。

「いったい何なの!? 岬ちゃんはどうしたのよ!!」

「……雪子さん」

「放して!」

 占い師の腕を逃れ、部屋に飛び込む。

 だがそうして視界に飛び込んできた光景に、雪子はそれ以上足を動かすどころか呼吸さえ忘れてしまう。

「……嘘」

 見ない方がいいと言われた意味を、頭ではなく心が理解する。

 そこはもはや部屋と呼べるような空間ではなく、何が起きたかなど雪子には知りようもない。

 だが、とてつもなく悲惨な事態が起こってしまったことは解った。

 まるで火事の焼け跡を思わせるような一室の中で、この部屋の主である少年だけは、彼そのままの姿で横たえられていた。

 寝顔が安らか過ぎて、残酷だった。

 もう、呼吸をしていない。

 心臓も動いていない。

 血は流れず、傷もなく。

 肌は白く、冷たく、そんな彼を少しでも暖めようと言うかのようにかけられているのは白いジャケット。

 それは先刻まで河夕が着ていたもの。

「……っ…岬ちゃん……?」

「…岬君は、闇の魔物に魅入られていたんです。それも、魔物を率いる最大の実力者に」

 青年の、感情を押し殺すような声音に、雪子の身体は震えた。

 涙が込み上げてくる。

「…魔物を呼び込んだ人物が岬君を欲した。時間をかけて岬君の心に侵入し、夢の中から彼を捕らえようとしていたんでしょう……。けれど昨日を境に、岬君は魔物の力を寄せ付けなくなった。自分達の天敵である狩人の力が岬君を守り始めたからです」

 それは占い師を名乗った彼が手渡したキャンディであり、河夕が張った結界であり。

 まさか岬を狙っていたのが魔物を率いる“奴”だとは思いもしないまま、この町の魔物の多さに用心して岬に護りをつけたのが、―――災いへと転じてしまったのだろうか。

「岬君に力が及ばなくなったことに焦って、魔物はとうとう岬君を喰らおうと動き出した」

「……じゃぁ岬ちゃんは…闇の魔物に……?」

「……いいえ」

 青年は言葉を濁した。

 けれど嘘はつけない、彼女を騙すことは出来ない。

「岬君は普通の人間とは違います。河夕さんという友人がいました。声を聞いてくれる狩人がすぐ傍にいたんです」

 だから、彼は。

「夢の中に侵入した魔物は、岬君の夢の中でしか動けない。たとえ狩人がすぐ隣にいたとしても、夢を共有する機会でもない限り、それとは気付けなかったでしょう。……けれど岬君は河夕さんを呼びました。河夕さんは彼の声を受け止めた……、だから岬君は闇に喰らわれずに済んだんです」

「じゃあどうして……っ、どうして岬ちゃん……っっ」

「…………河夕さんです」

「――」

 静かな返答に、雪子は目を見開く。

「岬君は確かに河夕さんを呼びました。それは確かに喰われる前です。……けれど精神は既に夢の中から抜け出せない状態にあった、岬君は起きることが出来なかったんです。夢の中では、こちらの世界から手を出すことは叶いません。目覚めという形で自力での回避が出来ない以上、彼は魔物に喰われるしかない……、こちらから助ける方法はないんです」

 心―精神体―から食われ、肉体はただの血と肉の塊と化す。

 それすら、時間をおいて魔物の糧となっただろう。

「魔物に喰われるということは闇の一部になるということ――人としての輪廻には戻れず、永遠の苦しみから逃れられない。そんな目に遭わせないためには、…彼の心を」

 魔物が求めた餌を。

「こちら側から絶つしかなかったんです」

 それがどんな結果になっても。

 死なせることになっても、河夕は岬を魔物の一部になどしたくなかった。

 汚させたくはなかった。

「だから……だから影見君が……?」

「……ええ」

「――-っ……!」

 青年の返答を聞くなり、雪子は踵を返し外へ向かった。

 その腕を、青年はしっかりと掴んだ。

「どこに行くんですか!」

「決まってるでしょ、岡山のところよ!!」

 躊躇いなく叫んだ雪子に、今度は青年が驚く番だった。

「なぜ、彼だと」

「私は岬ちゃんとずっと一緒にいたの! 誰が魔物を呼び込むかなんて、すぐに解るわ! あいつしかいないじゃない!!」

「雪子さ」

「放して! 絶対にあいつは許さないっ! 私が殺してやるわ!!」

 溢れた涙が頬を伝う。

 許せない。

 憎らしい。

 こんなことのために岬を縛りつけようとしていたあの姿を思い出して、雪子の胸中には激しい感情が渦巻く。

「岬ちゃんをこんな目に遭わせて! 影見君にこんな惨いことさせて!! 許せるわけないでしょぉ……っ…、二人とも…っ……二人ともすごく大切なのに…大事な友達なのに…許せるわけないじゃない……っ!!」

 大切な二人を、ぼろぼろにされて。

 めちゃくちゃにされて。

 河夕を傷つけ、岬の命を奪った。

「私が殺さなかったら誰があいつを殺すの!? 誰が岬ちゃんの仇を取るのよ!!」

「河夕さんが行きました!」

「……っ!?」

 青年に叫ばれ、雪子は言葉を呑み込む。

 聞くものを黙らせる力が彼にはあった。

「いま、河夕さんが狩りに行きました。岬君と、貴女と、そしてご自分のために」

「……っ……!!」

 雪子はその場に崩れ落ち、顔を両手で覆って涙した。

 河夕がすべてを成し遂げられるようにと、祈ることしか出来ない。

「岬ちゃん……っ…岬ちゃん……!!」

「……すみませんでした。狩人が二人も傍にいながら、こんなことになってしまって……」

「…え?」

 思い掛けない言葉に、雪子は涙に濡れた顔を上げる。

「狩人が二人…?」

「ええ」

 青年は雪子を少しでも宥めようというふうに、今までにない優しい微笑を…けれど哀しい微笑みを、その整った顔に浮かべる。

「僕の名は緑光。……占い師の正体は、闇狩です」


 ◇◆◇


「……岬?」

 一太は目を開け、不思議そうにその名を呼んだ。

 少年は布団をめくり上げ、ゆっくりと起き上がって辺りを見渡す。

「岬…どこ、行ったの…?」

 すぐ傍に、……今まで自分の腕の中にいたはずの岬が突然消えてしまった。

 何故かなど、解ろうはずがない。

「……そんな…、こうしたら岬は僕だけのものになるって言ったじゃないか……」

 それはどこに向けた言葉だったのか。

 虚空の中に響き、冷たい空気の中に掻き消される呟き。

「岬ぃ……なんでいなくなっちゃったの……?」

 独り訴える少年に、答えなど返らない。

 ――そのはずだったのに。

「貴様のせいだろうが」

「っ!?」

 不意に届いた低い声。

 一太はベッドから飛び降り、その後ろに隠れた。

 同時に不可思議な力によって目の前のベランダの窓ガラスが全壊した。

 激しい破裂音と共にすべての破片が室内に飛び散り、時として一太の顔や手などを裂いていく。

「っ!」

 進路を阻まれていた風もガラスが割れたことによって道を得、室内に吹き込んできた。

 いつ雪を含んでもおかしくない冷気。

 少年の吐く息も白く色づく。

 ガラスに引き裂かれた無地のカーテンが揺れ、月明かりがベランダの影を映し出す。その上方、花柄を象る柵の上に立つ、長身のシルエットまでも鮮やかに――。

「誰!?」

「誰…? まさか知らないはずがないだろ」

 強く烈しい怒りに満ちた声音、一太が怯えるにはそれだけで充分だった。

 そのシルエットが右手に握るのは満月の光りに照らされた白銀色の日本刀――否、それは日本刀でありながら用途が明らかに異なる。

 それはこの世に存在することを許されない“闇”の魔物を狩る狩人のための力の具現化。

 闇狩一族にのみ与えられた永続の力。

「貴様だけは容赦しない…」

「なっ…なんだよ! ここは僕の家だぞっ、勝手に入ってくるな!!」

「先に邪魔してきたのは貴様だろうが小僧!!」

 怒鳴り返す河夕の左手から赤い玉が放られた。

 それは炎を宿した河夕の術力。

 放たれた場所には一瞬にして火の海が広がり、部屋を燃し始めたが、その領域がどれだけ広がっていこうとも河夕は意に介さない。

 その炎さえ、この少年を狩る為の準備に過ぎなかった。

「こっ…小僧じゃない! 早く火を消せよ! そうじゃなかったらおまえをあいつらと同じ目に遭わせてやるからな!」

 一太が叫ぶと同時、街中を泳いでいた霧状の黒い塊が次々と少年の周囲を固めていく。

 まるで彼を守る壁を作るかのような動きに、河夕は吐き気を覚える。

「僕にはこんなにたくさんの仲間がいるんだからね! おまえなんか簡単に殺せるんだぞ!!」

「貴様がそうやって何人の人間を殺してきたのかは知らないがな…、それにあいつを巻き込んだことだけは絶対に許さねぇ……っ」

 河夕は刀を構え、少年を睨みつける。

「好きなだけその連中をぶつけて来いよ…片っ端から斬り捨ててやる!」

 動く。

「僕を守って!」

 一太の声に呼応して、魔物の卵達が一斉に河夕めがけて飛び掛る。

 だが所詮は、よほどの暗い感情を持ったものでなければ、人に憑く事も叶わない卵だ。

 河夕の敵には成り得ない。

「これで終いか!」

 容赦なく。

 そればかりか息を切らすことなく最後の一欠片までも消滅させた河夕に、一太の顔から血の気が引いた。

「く…来るな! 僕はおまえなんか呼んでない! おまえなんか嫌いだよ!!」

「気が合うじゃねーか」

 嫌いなのはお互い様だと内心で吐き捨て、河夕はまた一歩、怯えて座り込んでいる少年に近づいた。

(こんな奴のせいで……!)

 さして力も持たない、弱い者。

 執着と自己的なその根性で魔物を呼び込み、珠玉の宝を得ようとした人間。

「こんな奴のせいで岬は……っ!」

「!?」

 一太の肩が震える。

「岬…岬がどうかしたの……?」

「…っ」

 岬、とこの餓鬼が呼ぶのか。

 あいつの名前を、当たり前のように、そんな顔で。

「…? あ…そうだ、おまえ、見たことがある…その黒なのに黒じゃない瞳とか…髪とか……」

「なに…?」

「そうだ、知ってる…岬と夢の中で一緒にいた奴だ…」

 一太の確信が、次第に強い怒りに変わる。

「岬が一緒に笑ってた男…おまえが岬を隠したのか!?」

「!?」

「おまえが僕から岬を奪ったんだ! せっかくもう少しで一つになれそうだったのに! 僕が岬を捕まえられたのに、おまえがそれを邪魔したんだ!!」

「貴様…っ」

「岬はどこ! 岬を僕に返して! 岬は僕のものだ!!」

「黙れ!!」

 強く言い放ち、一瞬の閃光。

 瞬き一つの間に、一太の首下に構えられた鋭利な切っ先。

「…っ……あいつがおまえのもの…? くだらない…っ」

「ぁ……っ…」

 間近の刃先に蒼白になっている一太に、河夕の理性はもう限界だった。

 こんな何の力も持たない、魔物を呼び込んだだけの人間に、あそこまで岬を追い詰める力なんか有りはしない。

 この少年を斬り捨てたところで、岬の仇を取ったことになどならない、それは判っている。

 本当の敵はこんな奴じゃない。

 岬の心に侵入して夢の中から捕らえようなどと。

 それを狩人達に一切気付かせずに遣り果せる能力の持ち主など、ただ一人、そいつを引きずり出さない限り本当の決着にはならないのだ。

 一族の本部に連れ帰って、術者を総動員してでも“奴”の居場所を聞き出す、そうしなければならない、それは分かっている。

 ――解っている、わかっているけれど、限界だ。

「―――…っ!!」

 こんな奴のために岬が犠牲になったのか?

 こんな奴に奪われかけて、救う術が殺すしかなかったのか?

(俺にはそんな力もなかったのか……!!)

 柄を握る手に今も残る生々しい感触。それは岬の心臓に刃を突き立てた時の――恐怖。

 心臓が止まり、呼吸が止まった。

 半ば魔物に囚われていた唇からは血の一滴さえ流れ落ちることはなく、岬は真っ白な状態で固く冷たくなっていった。

「…あいつはもう…誰のものにもならない……」

「…っ?」

 押し殺した声を漏らす河夕を、一太は怯えた眼差しで見上げる。

「岬はもう…誰の傍にも帰らない」

「おまえ……?」

「岬は死んだ」

「―――」

 目を見開く一太、それを見据えて。

 ただ告げる、己の罪を。

 「岬は俺が殺した」


 ◇◆◇


「うわああああああああああ!!」

 強い力が前方から河夕を襲った。

 岬は自分が殺したという河夕の言葉に、未完成の魔物の力が暴走を始めたのだ。

「このぉっ……このお、このお……ぉおお!!」

 いままで以上の力だった。

 だがやはり河夕にとっては敵にもならない。

 岬の死に、一太がどれほど狂おうとも、河夕に勝てるはずがなかった。

 それがもし絶望の深さによって決まるのだとしても同様、いまの狩人の心情など魔物に憑かれた少年には想像もつかなかった。

「岬を返せ! 岬を…っ、岬を僕に返せ! この人殺し!!」

「――! 貴様にそんなことが言えるのか!?」

 叫び、先ほどの同じ炎の玉を、今度は強く固めて右手側の壁に投げつけた。

 今まで燃え盛っていた炎に再び力が加わり、一気に駆け上がった火柱が壁一面を一瞬にして焼き尽くす。

 隣の部屋が露になり、そうして現れるのは無造作に積み上げられた複数の人の身体。

「自分で自分の両親も兄弟も殺した貴様にそんなことが言えるのか!!」

「僕は殺したんじゃない、罰を与えただけだ、死んだのはそいつらの勝手だよ!!」

 迷いもなく言い切った少年の瞳は、しかし恍惚とした光りを宿す。

「僕のことをバカにして、僕のことを愛そうとしないから、僕を認めないから!!」

 一太は拳を握り、顔を憎悪に歪めた。

「でも岬は違った、岬は僕を愛してくれた、認めてくれた。岬だけが僕のことを考えてくれたんだ! 岬だけは死んじゃいけなかったんだ!!」

「それは俺の台詞だ」

 間をおかずに言い放つ。

「そうだ、あいつは死んじゃいけなかった。あいつには、あいつを愛している家族がいた、好いてくれる女だっていたし、一緒に笑える仲間もいた」

 そして住職の言葉を信じるのなら。

「一緒に生きていこうとした奴だっていたんだ……!!」

 消え行く身体に纏わり付く闇の魔物達。

 あんなに近くにいたのに気付いてやれず、助けることが出来なかった。

「あいつが貴様らに捕まって、人間苦しめる為の食い物になんかされたら、あいつはそれこそ救われない! こんなのは嫌だと死んでまで泣かなきゃならない!! だから俺が殺した!!」

 新たに呼び込まれた闇の卵達は、しかし容赦なく叩き斬られ、短い悲鳴を上げて霧散する。

「違う…」

 刻一刻と仲間が減り、再び狩人の刀が首下に近づくことを恐れた一太は、それでも必死に声を上げる。

「違う…僕は岬が好きだったんだ…だから一緒にいたかっただけなんだ…誰にも渡したくなかったんだ!!」

「いいかげんにしろ!!」

「僕は岬が欲しいんだ!!」

「―――っ」

 強い力に吹き飛ばされた河夕は、しかしベランダから外へと放り出される前に踏みとどまった。

 同時に背筋を駆け抜ける戦慄。

 見開かれた視界に、不意に映る巨大な影。

「やっぱり貴様……っ!」

「え…あ、…あっ…」

 一太の背後で出来上がりつつあるのは、闇の卵達が形作る巨大な人の影。

 狩人には一切感知させずに夢の中にまで忍び寄った魔物の正体は、やはり“奴”。

 復活したのだ、間違いなく、この時代に。

「ようやくか…っ、何年ぶりの目覚めだ是羅ぁっ!!」

 叫ぶと同時に繰り出した術力。

 だがそれが何らかの物体を破壊することはなく、一太も、ましてや完成された人影を掃う力にさえならなかった。


 ――――……オマエ…、オマエ、狩人カ…?


 探るような視線を感じていた河夕は、次第にその声が笑いを含んでいくことに気付く。


 ―――…フフフフ…ヨモヤ、目覚めタ矢先ニ出会ウ狩人ガ、ソノ顔トハナ………


「顔…?」

 なにを言われているのか解らない。

 だがこのまま無駄話を続けているつもりもない。

「今すぐに出て来い! ここで俺と戦え!!」


 ―――フフフフ…今ノオマエゴトキ…我ガ自ラ出ルマデモナカロウ……コノ童デ充分ヨ……


「なんだと!?」

「―――ぁ…っ、ああああああああ!!」

「!」

 突然、咆哮のような叫びを上げた一太に、河夕は目を瞠った。

 今までは脆弱な少年という印象しか受けなかった彼の身体が、今は屈強というよりもなお頑丈に、太く、大きく膨れ上がっていくのだ。

「貴様……っ」


 ―――我ニハ、コノ手ニ取リ戻サネバナラヌ女ガイル……、オマエト遊ンデイル暇ナドナイノダヨ………


 取り戻さねばならない女、それが闇の魔物を率いるこの男の、ただ一つの弱点とも言うべき“速水”の名を持つ女だと気付いた河夕は、だったらなおのこと、この男を逃がすわけにはいかないと判断した。

 だがそうして動き出そうとした河夕を、一太の――もとは岡山一太という一人の人間だった少年の手から放たれた力が阻んだ。

「あ…あぁ…あっ……!」

「っ!」

 少年の外見は、もはや人間とも言い難い、…それは闇の魔物を呼び込んだ人間の末路だ。

 河夕よりも遥かに大きくなった体躯は天井にまで届く。

 膨れ上がった手足を覆う剛毛は顔にも及び、肥大化した手足からは指の長さが倍になったのかと思わせるほど長い爪が生えていた。

 歯茎をむき出しにして突き出ている牙。

 眼球が転げ落ちそうなほどに見開かれた目は、既に赤く変色していた。

「完全に憑かれたか……」

 河夕が一太の変貌を見届けている間に、あの男の気配は完全にこの場から消失していた。河夕の追及を遮る為に、一太を捨て駒としたのは明白だった。

「だったらおまえを狩って、是羅の後を追うだけだ…」

 たとえ元が人間であっても。

 その体内の奥深くには人間としての魂が残っているのだとしても。

 それでも、闇の魔物を狩るのが河夕達狩人の役目。

 殺すしか方法はないから。

「うわああああああああ!!」

 飛び掛ってくる魔物に、河夕は一瞬の沈黙を置いて、顔を上げた。

 閉じられていた瞳に新たに浮かぶのは彼の決意。

 手の中の白銀の刀を強く握り、虚空に一閃の軌跡を描く。

「ぐぁああああああああ!!」

 軌跡は形を変え、魔物を縛る鎖となって、その行く先を遮った。

 狩人の力に戒められた魔物は絶叫を上げ、血走った眼差しを河夕にぶつけてくる。

 それを真っ直ぐに捕らえて、河夕は岡山家一体に力の帯を結んだ。

 結界とも呼ばれるそれは、この魔物を滅ぼす為に使われる河夕の力が隣家にまで影響を及ぼさないようにという、用心のためのもの。

 一角、二角。

 帯が広がるごとに河夕の右手に握られた白銀の光りは輝きを増した。

 始祖から、先祖から受け継いだ――父親から譲り受けた輝きは、河夕だけが持つことを許された尊い力。

「……恨むなら自分の弱さを恨め」

 静かに圧力をかけるような声音。

「おまえは自分がどんな残酷な真似をしたのか、…自覚しろ」

 どんな残酷な真似を。

 そんな台詞を言う資格など自分にこそないことを、河夕は痛いほど解っている。

 解っていても、……それでも。

「岬の両親、兄姉、…松橋だって、岬があんなことになったと知ったら絶対に泣くだろう…自分には何も出来なかったって、自分を責めて泣くんだ……」

 雪子は普通の人間だ。

 彼女が闇の魔物に対して出来ることなど何もない。

 それでも彼女は自分を責めて泣く、松橋雪子はそういう少女だ。

「悪いのは…何もしてやれなかったのは、俺なのにな……」

 あんな傍にいながら助けてやれなかった。

 岡山一太という少年のことも、この町に蔓延する魔物の卵達の量が異常なくらい多いことも、それらに妙に好かれる岬の身が危険に晒されるだろうことも解っていて。

 あの男――“是羅”が復活する可能性にだって気付いていながら、それでも岬を助けてやれずに、たくさんの人々を傷つけ、泣かせてしまった。

「…おまえにはここで死んでもらう。あの世で岬に詫びてこい……」

 最も。

「あいつは二度とおまえになど会いたくないだろうけどな!!」

 満月の空に白銀の刀が浮かび上がる。

 月光が降り注ぎ、神秘の力が放たれる。

「うあああああああ……っ、ぁ……ヤダ…っ」

「!」

「嫌だ、嫌だ死にたくない!!」

「――!」

 魔物に変じた体が人の声で叫んだ。

 一太の叫びを放った。

 肥大化した肉体に重なる人の身体、人間の器。

「どこまでも薄汚ねぇ…っ!!」

 まだ人間の魂が生きている。

 一太が生きている、河夕が斬るのは――殺すのは岡山一太という一人の少年。

「往生際が悪いぞ!」

 変えられない。

 魔物に憑かれたとはいえ、人を狩る狩人、それが闇狩一族の正体。

 それが彼らの存在意義。

「これで最後だ!!」

「いやだあああああああ!!」

 一太の絶叫。しかし狩人は止まらない。

 魔物となった人間を両断する――そのはずだった。

「!」

 ビクッ…、震えて動きを止めたのは、河夕。

 だがそれは一太の叫びを聞き入れたからではなく、…そうではなくて。

「……っ?」

 きつく目を閉じていた一太も、いつまでも自分の命があることを不審に思って、ゆっくりと目を開けた。

 正面に、信じられないと言いたげに目を見開いて立ち尽くす狩人の視線は、自分の背後。

「……?」

「まさか…」

 一太への反応ではない。

 ただ独り、呟いていた。

「まさか…成功したのか……?」

 独り言のように呟く河夕に、河夕の目前に立つ青年がニコッと微笑んだ。

 月の光に照らされて、栗色の髪は鮮やかな金の輝きを放っている。

「本当に成功したのか……?」

「ええ」

 闇狩一族の狩人“十君”の一人、緑光と名乗った青年はいつもと変わらない調子で頷く。

「貴方の望みは果たされました。岬君の精神に巣食った魔物は、貴方の力で中和されました」

 覚えのない声に一太が背後を振り返り、彼もまた二つの人影を見つめる。

 それは一太にとっては見知らぬ青年と、そしてもう一人の彼は。

「……ぁ…っ…、生きていたんだね、岬……!」

 光に支えられる格好で佇んでいた少年、それは紛れもなく高城岬、その人だった。




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