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闇狩  作者: 月原みなみ
11/64

夢に囚われし者 四

 四城寺から西海高校へ行くまでにはなだらかな斜頸の坂道があり、その途中の曲がり角から様々な場所へ出られるようになっているわけだが、実は岡山一太の家もその中の一つだった。

 雪子は六時になろうとしているこの時刻、坂から一太の家へと向かう為の曲がり角がある他所様の家の塀に寄りかかりながら、ここから戻ってくるだろう幼馴染の帰りを待っていた。

 河夕がいるから早く帰る。

 その言葉を信じ、時間を待って岬の家に電話してみたのだが、彼はまだ帰っていなかった。

 ならばここで待っていれば、久しぶりに一緒に家まで帰れると思ったのだが、いつまで待っても岬の足音一つ聞こえてこない。

「これだから岬ちゃんのお人よしには困るのよ!」

 一人怒る雪子。

 だからといって、いくら彼女があの、河夕も勝てない、岬さえ逆らえないという無敵の少女であろうとも女の子が夜道に一人きりというのは危険すぎる。

 もちろん雪子は一人でも待つ気でいたのだが、それを見越していた人物がお供を申し出た。

 もはや言わずとも知れたこと、あの通りすがりの占い師である。

「いつもそうなのよ! 頼まれたら嫌とは言えないんだから!」

「優しい方なんですね」

「優しいにも程があるんです岬ちゃんの場合は!」

 はっきりくっきり答える雪子に、占い師はくすくすと声を立てて笑った。

「世話の焼ける友人や弟を持つと母親的存在になってしまうのが、どうやら女性の特性のようですね」

 占い師の言に雪子は言葉に詰まる。

「……そんなに母親みたいですか?」

「微笑ましいですよ」

 そうしてニッコリ微笑む占い師だが、雪子の本心にはしっかり気付いていたりする。そんな青年の胸中も知らずに、雪子は自分がそんなに母親らしいのか、いよいよ事の真偽を河夕に問い詰めねばなるまいと固く決意した。

「…そんなに気に病むことはありません」

 雪子の思いを察しているからこその、この台詞。

「雪子さんは雪子さんらしく在られるのが何よりです。そんな貴女だから岬君もずっと一緒にいられるのでしょうから」

「…そうですか?」

「ええ」

 妙に自信のある答え方に、雪子は小首を傾げる。

「…それも占いですか?」

 雪子の言うことに青年は微笑み、「僕の読みは外れた試しがありませんよ」と続けた。

 そうなのかなぁと真剣に悩んでいる様子の雪子を見ながら、青年の口元に浮かぶのは今までと異なる淡い笑み。

 どことなく懐かしい人を思い出させる少女の内面に、複雑な感情が胸を占めた。

 それを早々に追い払おうと周囲に気を散らして、ふと気付く。

 暗がりの中に人の気配。

 ひどく微弱な心の波動。

「……雪子さん」

「はい?」

「学校でも言ったかと思いますが、僕は頼まれればどんなことでも可能な占い師なんですよ」

「え?」

「雪子さんの不安を取り除いて差し上げようと岬君の現状を占ってみたんですが…」

「何か、あったんですか…?」

 青年は雪子の前に出て、静かに歩き出す。

 雪子を伴って暗い道を通り、途中の公園で曲がったかと思うと、ますます明かりの少ない茂みの方へと向かっていった。

 雪子の表情に不安の色が浮かび上がった頃、青年は立ち止まる。

「雪子さん」

 言って、前方を指差す青年。

 そこに雪子が見たものは……。

「っ! 岬ちゃん!」

 茂みの奥の、大木に背を預けて座り込んでいる岬の姿。

 雪子は慌てて駆け寄り、青年はその後ろを、周りに警戒しながら追っていった。

「岬ちゃん! 大丈夫、岬ちゃん!」

「…っ…はぁ…雪子……?」

 弱弱しい声と共に、岬は雪子に向かって腕を伸ばす。

 岬が生きていることに安心した雪子だったが、次の瞬間、頭の中が真っ白になってしまった。

 何の前触れもなく二本の腕に抱きしめられたのだ。

「これはこれは…、岬君は顔に似合わず大胆な方だったんですね」

「ちょ…岬ちゃん……?」

「……ごめん…今、雪子が天使に見えた……」

 一太の家で何があったのか知る由のない雪子には、岬の言っていることも理解不能。

「美しいのも罪ですね」と、自分自身が充分な美しさの持ち主でありながら他人事のように言う占い師。

 岬の腕から力が抜け、同時に雪子も解放される。

「…立てますか、岬君」

 占い師が手を差し出し、岬を立ち上がらせる。

「占い師さん…どうしてここに……?」

「雪子さんが、岬君が心配だと言うからお供させていただいたんですよ。夜道に女性が一人では危険ですからね」

 変わらぬ笑みで告げる占い師に寄りかかるようにして立ち上がった岬は、彼と、幼馴染の顔を順に見上げてしゅんとうなだれる。

「…ごめんなさい、心配かけて」

「まったくよ! いつまで経っても帰ってこないから何かあったのかと思ったじゃない」

 占い師に支えられながらゆっくりと歩き出す岬に、雪子も歩調を合わせてゆっくりと公園を出た。

 だが広い道に出て、街灯の明かりが一人一人の姿を映し出すと同時、雪子は岬に飛びついた。

「ちょっと! この首どうしたの!?」

 街灯にはっきりと映し出されたのは、岬の首に引かれた蚯蚓腫れのような赤いライン。

「まさかアイツに殺されかけたんじゃないでしょうね!」

「まさか…」

 岬は力なく否定するが、それを信じる者などここにはいない。

「何があったんですか?」

 占い師にも心配そうに尋ねられて、岬は精一杯、表情を明るくして見せる。

「なんもないです…、岡山君、虐められたせいで気が立っていたみたいで…、俺のことを放そうとしなかっただけですから」

「それでずっと首輪をかけられていたとでも言うつもり!?」

「雪子さん…」

 怒りに満ちている雪子を落ち着かせようと、青年は唇の前で人差し指を立てる。

「何があったにせよ、岬君はこうしてここにいるんですから」

「けどっ」

「岬君は疲れているようですし、それに加えて貴女に叱られたのでは救われませんよ」

 そう言われては黙らざるを得ない。雪子とて、一太のように岬を困らせたいなどとは間違っても思わない。

「…俺は本当に大丈夫だし、雪子と占い師さんにも悪いことしたけど…」

「影見君にも、ですね」

 岬の沈黙に青年が続ける。

 言われた当人は少なからず驚いたようだったけれど、しばらくして静かに頷いた。

「せっかく…やっとこの町に帰ってきてくれたのに…俺、すごく悪いことした……」

「これくらいで怒る人でははいと思うけど…。そうよ、こうなったらやっぱり影見君に直接対決をお願いするの! もう岬ちゃんを行かせないって、影見君からビシッと言ってもらわなきゃ!」

「雪子…」

「だってこのままじゃ本当に岬ちゃんが殺されちゃう!」

「そんなことないよ…。それに河夕に迷惑かけたくないんだ。これは俺の問題だし」

「でも影見君だって岬ちゃんが辛いのは耐えられないと思うわ!」

 岬と雪子のそんな会話を聞いていて、占い師はくすくすと笑い出す。

「お二人にとってその影見君は、よほど大切な方なんですね」

「だって私が唯一、岬ちゃんの親友として認めた人だもの」

「どういう基準だ」

 呆れる岬に、雪子はなおも続ける。

「そりゃあ、しょうもない所は限界極めているってくらいひどいけど、実はいい人だって、岬ちゃんが一番知っているはずよ」

「それはね…、変な奴だけど」

 河夕は、今や自分達にとってかけがえのない存在だ。

 雪子にとっては唯一隠し事が出来ない相手であり、岬にとっては一緒に生きていきたい友人として、たった一人の大事な存在。

「そうだ、占い師さんも河夕に会って行きませんか? あいつの適当な性格がいつ改善されるか占って下さい」

 岬が言うと、占い師は楽しそうに笑った。

「いえ、今日は遠慮させていただきます。時間が時間ですし、まだ大事な仕事が残っていますから」

 三人が四城寺の石段前まで来た時、時刻は七時少し前。

 空はすっかり夜闇に覆われている。

 これからまだ仕事があるのに、雪子と一緒に自分を心配してくれていたのかと思うと、岬はいっそう申し訳なくなってきた。

「こんな時間まで本当にすみませんでした」

「いえ。雪子さんといろいろ話せて楽しかったですよ」

「私も楽しかったです。ありがとうございました」

「それでは、また」

 告げて、去っていく占い師を見送って、岬と雪子は石段を上がっていく。本当なら雪子は石段など上がらずに隣の自分の家へと帰ればいいのだが、岬ちゃんが心配だからと、母屋まで同行することになった。

 そうして玄関まであと数歩というところでタイミングよく出てきたのは影見河夕。

「やっと帰ってきたな」

「ただいま…、って、河夕に言うのも変な感じだけど」

 笑って言いながら、三人は互いに近づいた。

「けど、今日はごめん…結局こんな時間になっちゃって…」

「それは気にするな。…だが、この首はどうした?」

 河夕の冷たい指先が赤く腫れた岬の首筋に触れる。

「……どうして皆、気付くんだろう」

「こんな派手に腫れていて気付かない方がおかしいだろ」

 痛々しい岬の首に、河夕は眉を顰めた。

「…これも例の谷山か?」

「谷山…? あ、谷山じゃなくて岡山だよ。雪子に聞いたのか?」

「岡山…? 谷山じゃないのか?」

「岡山でも谷山でもどうでもいいのよあんな奴! その人、今日珍しく学校に来てたんだけど、来るなり同級生に虐められたとかで岬ちゃん引き連れて帰ったのよ、その後ず〜〜〜っと抱きつかれていたんですって!」

「…おまえ、とうとう男に抱きつかれるようになったのか」

「どういう意味さ」

「そういう問題じゃないでしょ!?」

 雪子がわめく。

「だから影見君! さっきも話してたんだけど影見君が直接その岡山だかのところに言って話をつけてきて頂戴! このままじゃ岬ちゃんが殺されちゃうわ!」

「ああ、わかった」

「ダメだよ、これは俺の問題なんだから」

「岬ちゃん!」

「俺は大丈夫。雪子が心配してくれるのは嬉しいけど、本当に大丈夫だから」

「……岬ちゃんのバカ」

 ここまで言われては、たとえ雪子と言えども、岬の性格を知っている以上はそんな言葉で不服を唱えるのが最後の反論だった。

 そんな幼馴染に微笑って、岬は河夕を見上げる。

「だけど…今日は疲れちゃって…もう休みたいんだけど、いいかな」

「当たり前だ。疲れたときはさっさと寝ろ」

 言いながら、雪子が巻いていたマフラーを引き取り、岬の首に巻いてやる。

「親父さんたちに変な心配かけるなよ」

「……ありがとう」

「本当に大丈夫なんだな?」

「うん」

 河夕が本当に心配してくれていることが岬にも伝わって、はっきりと頷く。

 無用の負担なんかかけたくない。

 河夕の優しさ、ただそれだけでたくさんの勇気が湧いてくる。

「おやすみ」

「お休み」

 一人、家屋へ入っていく岬を見送った二人。

「…さて、隣っつっても結構歩くし、松橋は俺が送っていくか」

「え、あ、うん」

「悪かったな、勝手にマフラー取っちまって」

「全然平気。あのマフラーが帰ってくるときのこと考えたら暑いくらいよ」

 雪子の返答に、河夕は笑った。

「でも…影見君。本当に考えておいて? 岬ちゃんはいいって言ったけど、このままじゃ本当に岬ちゃんが殺されちゃう気がする……」

「…あぁ」

 それは河夕も同意見だ。

 あの首の痕…あれが故意によるものであることは、河夕には一目で判っていた。

 もっと言えば、河夕は今朝、岬達と別れてから“谷山”という少年をずっと探していたのだ。当初は、その少年が元凶であれば魔物の気配を追うことで辿り着けるだろうと予測していたのだが、何分にもこの町に蔓延る魔物の量は異常で、根源の気配を巧く隠してしまっている。

 だったら名前で探すしかないと“谷山”の名を地図や電話帳から探していたのだが、それも間違いだったとは。

(明日、もう一度調べて見るか)

 河夕が考えをまとめたと同時、雪子から声が掛かる。

「……ね、影見君」

「ん?」

「私ってそんなに岬ちゃんの世話を焼いているように見える? 母親みたい?」

 不覚ながらも河夕は言葉を詰まらせた。

 どう答えることが、この少女を噴火する前に沈静させることが出来るだろう。

 そう思い悩む一方で、雪子にこのような疑問を抱かせた誰かに責任を取れと内心で叫んでしまう河夕だった。


 満月が輝く闇夜。

 細身の青年がそこに羽ばたいたのは、紛れもなく闇の蠢きが露になる前兆だった……。


 ◇◆◇


 歩いている……何もない、静寂の空間。

 誰もいない……黒い霧だけがあたりを埋め尽くしている。

(ここは……?)

 毎夜訪れるこの夢の空間は、一切、岬の記憶に残らない悪夢。

 一夜、一夜を新たな夢として見ながら。

 毎夜同じ夢を見続けた。

(俺は…なにを……)

 霧が次第に濃度を増していく。

 それはいつものように変化し、岬の知るものへ姿を変えていく。

(まさか……)

 嫌な記憶が蘇った。

 それは。

(“闇”……!)

 自分を取り囲む黒い霧――闇の魔物の卵たちがざわめき始める。

 声が聞こえるわけではない。

 だが、ざわめいているのが解る。

 笑って、詠って、喜んでいる。

(やめろ!)

 叫んだところでそれは終わらない。

 消えない。

 いつしか人の声までが耳に届く。


 ――この子は…親の私達に恥ばかりかかせて!

 ――どうして私達からこんな子が生まれてきたんだろうな…

 ――お兄ちゃんのこと恥ずかしくて友達に話せないよ…

 ――二度と私の友達が来ている時に部屋から出てこないで!


 ――あの岡山の子がこんなに出来ないものかねぇ…

 ――…まったく、今回も素晴らしい点数を取ってくれたものだな…


 ――見て! また転んだ!

 ――小学生がどうして高校にいるんだよ、学校間違えてンじゃねーの?


 いくつもの軽侮。

 笑い。

 嘲笑。

 それに対するは怒り。

 恨み。

 憎悪。

 屈折した思い……殺してやる…………!!

 闇を呼び込むほどの強い激情。


(これは……)


 ――許さない……っ…―――


 自分をバカにする者。

 傷つける者。

 嫌う者、…自分を愛さない者など全て許しはしない。

「僕のことだけを考えて」

「!?」

「僕のことだけを考えて、…僕以外のことを思っちゃいけないんだ」

「ぁ…」

 突然の物理的な声。

 それは新たな変化だった。

「ぉ…岡山、君……」

「一太って呼んでよって言ったのに」

 近づいてくる一太、後退りする岬。

「さっきはごめんね? 僕は岬が大好きだから、どうしても放したくなかったんだ。ここであんな男と仲良くしているのを見せられて、悔しかったんだ。ずっと僕だけのものでいて欲しかったんだ」

「!」

 後退していた足が、突然硬直した。

 逃げたくとも動けない体。

 黒い霧が、岬を縛り付けていく。

「やめ…っ!」

「でも悪いのは岬だよ…、岬が僕以外の奴を夢の中に入れるからいけないんだ」

 まだ熱を残す首に、再びあの感触が。

「昨夜も、僕の家に来た時も、岬に壁を作っていたのは誰なの? 岬と楽しそうに話していた黒髪の男は? あの女の子は? 夢の中でまで岬と笑っているあいつらは誰!?」

「はっ…はな……っ」

「誰を受け入れたの……。誰なの」

 力が気管を握り締める。

「誰のことを考えてるの…? 誰のことが好きなの……?」

「……はっ……っは……っく…」

「岬は僕のものなんだよ。誰のことも考えちゃいけない。僕のことを考えて、僕のためだけに生きるんだ。だって僕が好きなのは岬だけなんだもん。岬も僕だけを好きにならなきゃ」

 今度こそ殺される、これで、殺される。

「大好きだよ、岬」

 翳む視界の向こうに光る物体…、それは、牙……?

「僕だけのものになるんだ…」

「……っ………」

 ゆっくりと近づいてくる死の音。意識が遠のく……。



 ――――――――――――河夕っ!!


 ◇◆◇


「で?」

「“で”なんでしょうか?」

 河夕は、普通の人間には到底上がれないような高さにある、円周三センチメートルほどの細さの枝の上に平然と立ちながら、これまた似たような場所に立っている昨晩の青年の顔を睨み付けた。

「なんだもどうだもないだろうが。どうして二晩続けて、この月の出た夜におまえと二人で話してなきゃならないんだ」

 河夕の文句に、青年はくすくすと笑う。

「岬君との時間を満喫できなくて残念ですね」

「なんだよ、それは」

「隠さなくても結構ですよ。せっかくこの町に戻ってきたのに、岡山君とやらのせいで岬君とゆっくり語り合えないのが寂しいのでしょう? 不機嫌の理由はそれだと顔に書いてあります」

「その理由が正しかろうが何だろうか、おまえと話さなきゃならないってだけで俺の気分は最悪だっての」

「そうは言われましても、これも副総帥の命令ですからね」

 そんな青年の返答に、河夕は思い切り顔を顰めた。

「あのジジイの言うことなんざ死んでも聞くかって顔してるのはどこの誰だ」

「対象人物が貴方でしたら話は別です」

 笑顔とは対照的に、青年の声には真摯な視線が重なる。

「貴方に何かがある前に対処せよと言われれば断る理由がないでしょう。河夕さんは僕の命そのものなのですから」

「…そういう言い方はよせ」

「ですが、これが僕の正直な言葉ですよ。…いいえ、僕達の命そのものだと言い直しましょうか? 貴方の考えを否定する気などありません。しかし貴方は、ご自分の立場をもう少し自覚なさるべきです」

 河夕からの反応は、まだ何もない。

「貴方が一月もこの地に留まり、高城岬、松橋雪子との交友関係を続けたことが本部では大問題となった。先代と同じ過ちを繰り返さぬように見張れと命じられて、むしろそれが僕だったことに感謝して下さいませんか? これが紫紺殿であったりしたら、今頃は高城岬、松橋雪子、どちらの命もなかったでしょう」

「……」

「彼らは貴方が間違っていると訴えた。その原因となった地球人を、彼らは決して許しはしませんよ」

 河夕は瞳を伏せ、静かに口を切る。

「俺が間違ってる…、おまえもそう思うか」

「先ほども言いましたが、僕は貴方の考えを否定するつもりはありません。今のままの一族では「間違っている」と言わざるを得ないというだけです」

「…確かにな」

 何かを考えながら返す河夕の口調は、少なからず沈んでいるようでもあった。

「去年の十月にこの町にきて、あいつらを守ろうとしたがために死ぬかもしれなかったのは確かだ。…いや、間違いなく死んでいた」

 何らかの奇跡で今もこうして生きているけれど。

「大切な奴を守りながらの戦いはきつい…って、よく解ったつもりだ」

 けどな…、河夕はそう続ける。

「けど、あの二人に会うと安心するんだ。三ヶ月ぶりに会って、変わってないと思うと嬉しかった。自分でもこんなふうに思えるのが信じられないけどな。…あの二人の傍にいると落ち着く。……懐かしくなるよ、本部にいるあいつらのことを思い出して」

「……有葉ありは様と生真いくま様、ですか」

 河夕は確かな返答の代わりに苦笑を漏らす。

「大切なんだ、あいつらと同じくらい」

 それは、あの二人が本当の友人だから。

 一族の本部で、久しく会っていない幼い弟妹のように心安らげてくれる存在だから。

「もし何があったって、ここが戦の場になったって、あの二人だけは守ってみせる、そう思うと強くなれる気がする」

 否、気がするだけではなく、実際に河夕は強くなっていた。

 その証拠がここに戻るまでの三ヶ月間の実績。この期間でどれだけの国を渡り、町に潜んで闇の魔物を討伐してきたか。

「……強くなりたい。生まれた時から闇狩で、影見の第一子で…十五でこの名前を継いでから今まで真剣にそう考えたことなんかなかったんじゃないか…そう思うくらい、今は強くなりたいと思っている」

「…あのお二人といるためにですか」

「この時代に、本当にあいつらが復活する気でいるなら俺らは戦わなければならない。それこそ命を懸けてだ。半端な強さなら確実に死ぬ。だから生き残れるだけの力を手に入れたい」

「……もう誰も泣かさない為に、ですね」

「涙脆いのが多いからな、俺の周りには」

「それは涙腺が強い弱いの問題ではありませんよ。それだけご自分が想われているのだという事を自覚して下さい」

 どこか忌々しげに言いながら、青年は月を見上げる。

 この闇の世界に癒しの光りを投げかけて、全てを見守る白銀の珠。

「…河夕さんの考えが正しいかどうかなんて、それは僕が決められることではありません」

 言いながら、青年は静かに表情を和らげる。

「ただ傍にいるだけです。貴方が守ろうとなさるものを僕も守りましょう。貴方が僕達の命そのものであるように、我々の命は貴方のものです」

「…だから、そういう言い方はやめろと言っているだろ」

 微かに頬を赤くして、照れているらしい河夕に、青年の表情は楽しげに変わる。

「それに高城岬、松橋雪子、どちらも貴方が大切に想う方だけあって澄んだ魂を持つ人間のようですからね。僕も好きになれそうです」

「……どこからその自信が来る?」

「それは僕にしか解りません」

 にっこりと告げる青年に、河夕は頬を引きつらせた。

「本っ…………当にあいつらと接触していないんだろうな!」

「もちろんです」

 表情を崩すことなく、平然と。

「闇狩“十君”深緑の名で生涯の忠誠を誓った、この緑光、間違っても貴方に嘘は申しません」

「……すごい信用ないな」

 河夕の呆れ果てた台詞に、緑光と名乗った青年は、ただ微笑むだけだった。

「もういいか。俺は休むぞ」

「ええ。僕ももう休ませてもらいます」

 言ってから、思い出したように河夕を呼び止める。

「高城岬に害を及ぼした岡山一太の家は西海高校から西へ一キロ程の場所にある邸宅です。あの臭いから察するに既に死人が出ていますね。魔物の巣窟と見て間違いないでしょう」

「解った。…助かる」

「もし手が欲しければ呼んでください。副職を中断してでもお手伝いに伺いますから」

「副職?」

「通りすがりの占い師というのを二日前から始めたんですよ」

 理解不能な光の言に、河夕はこれ以上付き合ってられるかと、枝から飛び降りる。

「明日こそ岬君と遊べるように、僕も祈って差し上げますね」

「俺は七つ八つの子供かよ」

 言い返して、光もその場を去ろうとするのが気配で伝わってきた、その刹那。


 ――――――――――――河夕っ!!


「!」

「なっ…」

 二人は同時に高城家の一点、岬の部屋に目を走らせる。

「今のは岬君の声…?」

 言われるよりも前に駆け出していた河夕。

 そして光も。

(どうした!?)

 人並み外れた速度で岬の部屋へと駆け込んだ河夕がそこに見たものは。

「!」

「いったい何が…! ま、まさか…っ!」

 数秒遅れてやってきた光も目を見開く。

「こんな馬鹿な…っ、魔物の邪気なんかまったく…!」

「…こいつら、この世界の魔物じゃない…」

「この世界のでは、ない…?」

 霧のように、岬の身体を取り巻く魔物の幻影。

 ひどく苦しげにうなされている岬。

「こいつら夢の中で…っ……、岬の奴、夢の中で魔物に捕まったんだ!」

「そんなことが出来るわけっ……出来る…まさか!」

「本当に復活したのかもしれねぇ……“是羅”(ぜら)の野郎が!」

 河夕は岬に駆け寄り、彼を叩き起こそうとした。

 だが効果はない。

 もがき、苦しむ岬の身体に、河夕の手は触れられなかった。

「起きるんだ岬! このままじゃ死ぬぞ!」

 黒い霧が濃さを増す。

 中でも最も濃い部分――手が消えかけていた。

「岬!」

「駄目です河夕さん! 夢の中の本体を斬るか現実世界の本人を起こすかしない限り…っ……!」

「そんな事やってる間にこいつが喰われる!」

「けれどそれしか策は!」

「光、結界を張れ! この家と部屋全体に!!」

「!?」

 言われたことを瞬時には理解出来なかった。

 けれど再度の説明もなく河夕が動き出すから、光も解らないながらに結界を創り出す。

 河夕の手に現れた力は闇狩一族の――河夕にだけ与えられた白銀色の刀は、河夕のためだけに存在する聖なる輝きを放つ。

「…失敗したら、俺がおまえを殺すことになる……けどな、これしかないんだ」

「河夕さん!」

「成功させろ…っ……これがおまえ等が俺達一族に下した使命だ!」

 平行に携えた刀が白銀の光りを発散する。

「始祖里界神! その力を俺に貸せ!!」

 白銀の光りが白く、青銀に。

「……失敗したら俺も後で死んでやる。あの世で何度でも詫びてやる……っ…」

 目の前で魔物の瘴気に被い尽くされ苦しむ岬に、河夕は優しく、それでいて哀しげな微笑と共に語りかけた。

 それが今の河夕が口に出来るただ一つの言葉だったから。

 失いたくないと言ったばかりの存在を、自分の手で殺さなければならないかもしれない――その残酷な現実を目の前に。

 ただ一つ、言えること。

「河夕さん……!」

「けどな、おまえが魔物の食い物になるよりはマシだ!!」

「河夕さん!!」

 光の声も、もはや遠すぎた。

 青銀の光りを帯びた刀身は、そのまま岬の心臓へと突き立てられた―――。




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