表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

人質として敵国に送られたのに監視役の将軍が私より泣いています

掲載日:2026/06/23

 

「宗教に片棒を担がせてやりすぎたんだよ」


 とは、道中に御者のおじさんが淡々と語った内容だった。

 攻めてくるはずがないと思われていた隣国が攻めて来た経緯を語ったものだ。


 私――マドレーヌの故郷は世界的宗教の総本山を抱えた国。

 宗教的な正当性があるから絶対に戦火には巻き込まれないだろうと言われてきた。

 が、そんな国を隣国は攻めてきた。当初は周辺国家が隣国の行いを罰するだろうと言われていたのに、みんな様子見を決めこんだのだ。


「ずっと修道院で過ごしてきた王女様には悪い話だがね。宗教の上層部が権威を振りかざしてお金儲けに走った結果、周辺国家からもすっかり煙たがられていたんだよ」


 御者のおじさんの話を「ふむふむ」と聞いていた。

 すべてが初耳だ。私は戦争のことなど全く知らない、政治に関与しないまま育った王女だったのだ。


 ――なにせ自分が王女であることを知らされたのが、つい三日前のことなのだから。


 私の母は使用人だったと聞いている。母は私を生んでそのまま亡くなり、あとには赤子だけが残された。使用人に王が産ませた子供は当然王族の血を引き、内乱の種にもなる厄介者。だからこそ王は厄介払いにと私を修道院に叩き込んだのだ。


 けれど、父も母も知らずに育った私はごく普通の修道女として生きてきた。不自由も劣等感も感じずに。

 少し前まで、司祭様が私をキャベツ畑で収穫したという話を本気で信じていたほどだ。


 そんな私は三日前、王女だと知らされたその場で隣国との停戦の人質に選ばれた。

 停戦の条件として王族を差し出すことになったらしいが、手塩にかけて育てた本物の王女は当然惜しい。

 そこで修道院に隠していた都合の良い庶子――私が選ばれたというわけだ。


「王女様も王族の身勝手な都合に振り回されて可哀想に……」


 御者のおじさんは同情してくれるけれど、私はむしろ感謝さえしていた。

 王様の行いは確かに身勝手極まりない。けれど、無暗に赤子の私を殺さず神の足元で人として生きさせてくれたのだから。

 隣国との停戦のための人質というのも、王族として和平のための立派な役目と言えばその通りだ。


 ――もやもやした気持ちがないとは言わないけれど……。


「これも神の御導き……私の信仰が試されますね!」


 私がそう言うと、御者のおじさんは苦笑いして「これでも食べなさい」と干し肉を渡してきた。


 ほら、出自を知ってからというもの、ありがたいことばっかりだ。



 それから十日ほど馬車に揺られて辿り着いた隣国の城。

 兵士に案内されながら歩いていると、周囲からじろじろと見られているのを感じる。先日まで戦争をしていた国の王女が来たのだから注目されるのも無理はない。

 しかし、鋭い視線や敵意が向けられるかと思ったけれど、皆一様に驚いた顔をしているのはなぜだろう?


 そして、案内された応接室で対面したのがスペンサー様だった。

 十日間の馬車の旅で御者のおじさんの噂話に何度も登場した有名人。

 最強の武力というカリスマで隣国の前線を率い、若くして将軍の座に就いた傑物だ。

 その体躯には無駄な筋肉も贅肉もない。しかし大柄に似合わず優しげな眼で、威圧感を感じさせない。

 不思議な人だった。


 そんな彼も私を見た瞬間に驚いた顔をして固まった。


「君は付き人もなくこの国に来たのか?」


 スペンサー様に指摘されるまで、高貴な身分だと付き人が付くということに思い至らなかった。

 なるほど、それで皆驚いていたのか。


「気づきませんでした。王女ともなるとお付きの方が付くものなのですね」

「まるで王女ではないかのような言い分だな」

「……実は、私が王女であると知ったのがつい最近のことでして」


 私は今までの経緯を話していた。付き人がいないことに今さら気づく王女なのだ。これから王女らしからぬボロをたくさん出すに違いないから。

 私の身の上話を聞き終えると、愕然としていたスペンサー様はみるみる顔を険しくしていった。


「そんな扱いを受けて、君は本当にそれでいいのか?」


 それでいいかと言われると、もやもやした気持ちはある。

 でも……。


「聖典にもこうあります――『隣人を自分のように愛しなさい』と。

 隣国もまさに隣人の一人であり、ここに来たのはきっと神の御導き。修道院育ちの私としてはむしろ喜ばしいお話です」


 そう言ってスペンサー様に笑ってみせた。

 すると、険しかったスペンサー様の顔がどんどんとゆがみ始めて、そして――。


「なんてことだ、すごく良い子が人質に来てしまったではないかああぁぁ!!」


 そう言って城中に聞こえんばかりの大声でうおんうおんと泣きだしたのだ。それはまるで戦場の鬨の声のように、城の中でも良く響いた。

 私が唖然とし、周囲の兵士が苦笑いしながら若干引いているところ、案内役を務めていた兵士はこっそり耳打ちしてくれた。


「うちの将軍、すごく涙もろいんですよ。そんな人間らしいところも兵士の間で評判ではあるのですが……」


 ――緊張して応接室に入った私すら心配になってくる。


 ひとしきり泣いて落ち着いた彼は、ハンカチで鼻を嚙みながら今後のことを説明してくれた。


「俺が君の監視役になった。人質と言っても停戦中なのだから牢に入れたり拘束したりはしない。のびのびと自由に過ごしてくれ」


 先程まで大号泣していた彼に監視役など務まるのだろうか……?

 しかし、私としては「いいひと」らしいスペンサー様が監視役になってくれるのはありがたい話だ。

 少なくとも、蔑んだり詰ったりはされないで済みそうだ。


 ――神に感謝を。


 私は心の中で祈りを捧げて、そのままスペンサー様にも頭を下げた。


「これからよろしくお願いします」



 ◇



 人質王女になって良かったことのひとつ。

 隣国に来た瞬間に毎日の食事が生涯最高に豪華になったこと。


 修道院の食事というのは固いパンと豆の煮込みが基本。

 たまに近隣の農家さんがおすそ分けしてくれた果物が並ぶ程度のものだった。

 それがどうだろう。この城に来てから見たことのない豪華な食べ物がずらりと食卓に並ぶようになったのだ。


 なんだか高価そうな香辛料がふんだんに使われた味の濃い鳥のロースト。

 チーズが見たこともないほど山のように乗ったグラタン。

 パンがふかふかの白パンなうえに、そこにべったりとレバーペーストを塗っていいの!?

 そして飲み物にはミサ用に水で薄めているわけではない、味の濃いワイン……。


「ああ神よ。『何を食べようか何を飲もうかと思い煩うな』という教えに従い清貧を尊んでおりましたが……でも『少しも無駄にならないように食べ物を集めなさい』とおっしゃいましたよね。……だからこれも残さず食べるべきですよね……!」


 私は涙を流しながら幸せを嚙みしめ、神に祈りながら食事をしていた。

 すると監視役のスペンサー様はまたうおんうおんと泣き始めるのだ。


「食事だけでこんなに喜ぶなんて……今までどれだけ質素な生活をしてきたのだ!体も棒きれのようではないか。さあ好きなだけ食べなさい!」


 軍人にしてエースであるスペンサー様からすると大抵の人は棒きれのようだと思うが……。

 最初のうちは、こうして二人でわんわんと泣きながら食事を囲むのがお約束となった。周囲の使用人や護衛の兵士たちも苦笑いをしながら一歩後ずさるのだった。



 人質王女になって困ったことのひとつ。

 何度も迷子になること。

 だってお城って広いんだもの。


 洗濯しようと水場を探しては迷子になり、掃除のためにモップを借りようとしては迷子になり……。

 そして見知らぬ廊下で途方に暮れて、すれ違う使用人たちから目を丸くされていると決まってスペンサー様に連行されるのだ。


「洗濯しようと水場に向かったのですが……」

「洗濯も掃除も基本的に使用人たちがやってくれる。君が自らやるべきことではない」


 そう言いながら部屋に案内されるが、修道院育ちの私は身の回りの世話を誰かにしてもらうことに未だに慣れないのだ。


「自分の身の回りぐらい自分で整えますよ?」


 私がそう主張すると、決まってスペンサー様は涙ぐんでハンカチを目に当てる。


「王家が手を焼くようなワガママで厄介な者が人質として送られてくると思っていたが、こんなに良い子が来てしまうだなんて……っ」


 迷子の私を助けに来たスペンサー様が、迷子の子供のように泣くんだから……。

 結局、スペンサー様の涙の圧に押されて洗濯掃除を使用人にしてもらうことになってしまった。



 良かったことも困ったことも、結局私が贅沢をする方向に解決していく。一応は王女なのだから当然かもしれないけれど……。

 御者のおじさんから干し肉をもらって以来、神に感謝することが増えて大変だ。

 私が気合を入れて夜のお祈りを捧げていると、後ろから見ていたスペンサー様に声をかけられた。


「毎日そんなに長く祈りをささげるのか?」

「はい。最近はたくさん良いことがあるものだから、祈る時間が増えました」


「そんなことをして、時間の無駄ではないのか?」


 思わずきょとんとしてしまう。

 物心ついた頃から神に祈りを捧げてきた私にとって、それは呼吸をするように当たり前のことで、意味など問うたことがなかったのだ。


 しかし同時に思い出した。

 そういえば御者のおじさんが、今回の侵攻軍は無神論者で構成されていたと言っていた。宗教の総本山を武力で制圧しに行くのだから当然と言えば当然だ。

 スペンサー様はいつもわんわんと泣くから忘れていたが、私の故郷を侵攻するときに先陣を切った人物。


 つまり、無神論者の代表者だ。


「……無駄、と言えばその通りかもしれません」


 私はそのまま祈りながら、思わず認めてしまっていた。意味を考えたこともなかったから、反論の言葉も浮かばない。


「祈る時間で別のことをやった方が絶対に良いに決まってますよね」


 そう言い切った私の後ろでスペンサー様が逆に戸惑い、所在なさげにしているのが分かった。


「でも、感謝の祈りを捧げないと、自分が調子に乗る気がしてて……」

「調子に?」

「はい。王女として優しくしてもらっているうちに、『やってもらって当然だ』と思ってしまいそうじゃないですか?」


 祈りを終えた私は立ち上がり、スペンサー様を見る。

 優しげな眼が驚きに見開かれており、思わず笑ってしまいそうになる。


「だから『この幸運も贅沢も自分のものじゃない』と、神に感謝することで戒めているわけです」


 私がそう説明しても、スペンサー様は驚いた顔のまま固まっていた。自分の口から出た説教くさい言い訳に、思わずバツが悪くなって付け加えた。


「……なんて適当な理由をつけてみたけど、毎日の習慣だからやっているだけで時間の無駄ですね!」


 照れ隠しに私がそう言うと、スペンサー様はハンカチを取り出していつも通りに目元を拭い始めるのだ。


「なぜ人質に来たのがワガママ王女じゃなく、こんな良い子なんだろうな……」


「毎回毎回、私が何か言うたびに泣くのをやめてくださいよ!」



 ◇



 そしてやはり困ったことに私は迷子になっていた。

 洗濯や掃除を使用人たちにやってもらえるのはありがたいけれど、私自身のやることが全くないのだもの。

 ねえ神様。ほんの少し散策に出た結果、迷子になってしまうのも仕方ないと思いませんか?


 そうして城の広い庭を自室に向かっているつもりで歩いていると、見たことのない建物に出くわしてしまう。

 そして、その建物から漂ってくる消毒液の匂いで、修道院で過ごした私はそれが何の施設なのかを悟ってしまった。


 ――ここは、療養所だ。


 おそらく戦争で傷を負った兵士たちが療養している場所だろう。

 こんな場所に隣国から来た人質がのこのこと現れたら、兵士たちの神経を逆撫ですることは明らかだ。

 こっそりとその場を立ち去ろうとした、その時だ。


「スペンサー将軍。ベッドの上からで失礼いたします」


 見知った彼が中にいると知り、思わず足が止まってしまう。


「気にするな。お前が今寝ているのも名誉の負傷だ。その足も骨折しているだけだからじきに良くなるだろう。治った暁には、また俺の下で働いてくれるか」


 建物の陰に隠れたまま、中を覗き込むことはできなかった。

 ただ、兵士に声をかけるときも彼は変わらず優しそうな声音だった。


「もちろんです。あなたが宗教国に勝ってくれると信じられるから、あなたが見舞ってくれるから、僕は頑張れます。こんな怪我も全く惜しくありません」


 兵士の声が聞こえた後にしばらくの沈黙があった。しかし、いつまで経ってもスペンサー様がすすり泣く声は聞こえてこなかった。

 代わりに聞こえてきたのは、私が聞いたことがないほど堂々とした返事だった。


「当然、我々はどんなときにでも勝利するだろう。だからお前は焦らず、自身の足を治すことに集中することだ」


 兵士が感激の返事をする間に、私はこっそりとその場をあとにした。

 そして同時に悟った。


 ――無神論者で構成されたという軍において、彼こそが『神』に代わる絶対的な存在として兵たちの心を支えてきたのだ、と。


 けれど、兵士に対する彼の堂々とした返事を思い出す。

 兵士が口にする希望も弱音も、彼は『神』として聞き届けるだろう。

 でもそれは裏を返せば、彼が兵士たちの前で、自分自身の弱さを誰にも預けられないということだ。


 それならば、人の身でありながら『神』として扱われ続ける彼は一体何を自分の『神』として心の支えにしているのだろうか?



 その日の夜。

 私はいつも以上に気合を入れて神に祈りを捧げる。


「今日はどんな良いことを祈りとして捧げたんだ?」


 スペンサー様が私の祈りを見て、何を祈ったのかを尋ねてくる。いつの間にか私たちの間で日課のようになっているやり取りだ。


「今日は、スペンサー様のために祈らせていただきました」


「俺??」


「はい。スペンサー様は以前、祈りなんて時間の無駄だとおっしゃいましたね。

 聖典に『重荷を負う者は私のところに来なさい。休ませてあげよう』とあります。

 ……どうせ時間の無駄なら、休む暇のなさそうな方のために無駄遣いしようかな、と思いまして」


 そう言うと、またしても彼の優しげな眼が驚きに見開かれる。


「人の身でありながら兵士たちから神のように崇められる重責はきっとつらくて孤独だろうから。スペンサー様も、安らかな時間を過ごせますように、と」


 そして私は我に返った。修道院の司祭様や友人のために祈ったことは何度もある。でも目の前の彼のために祈るという行為は、他の誰かのために祈るのとなんだか違う気がしたのだ。

 なぜだろう、彼のために祈ったと面と向かって伝えたことが、ひどく恥ずかしいことのように思えてきた。

 思わず目を伏せてしまう。


 私の言葉を聞いたスペンサー様はなぜだかその日は泣きださなかった。

 上目遣いでそっと様子をうかがうと、彼は泣きそうに顔をゆがめていた。


 そしてただぽつりと「ありがとう」とだけ言ったのだ。



 ◇



 それから数日間、スペンサー様はいつも通り夜のお祈りを後ろで見ていた。でも今までのように「何を祈ったのか」は尋ねずに、そっと部屋をあとにするようになった。


 そしてある日の夜、私が祈りを捧げる直前にスペンサー様が真面目な顔で口を開いた。


「隣国への再侵攻が決定した」


「……え?」


「停戦は周辺国家を説得するために必要な時間稼ぎに過ぎなかった。軍事力で負けることなどあり得ない。今度は間違いなく、完全に攻め落とすだろう」


 変えようのない事実として、淡々とスペンサー様が語った。

 もし本当に軍事力で圧倒するとして、人質である私は……。


「当然ながら君の故郷の王族は全員処刑される。王女である君もそのまま牢に監禁されて、いずれ処刑されることになる」


 処刑……。

 現実味がない恐ろしい言葉を、しかしスペンサー様は真剣な眼差しで口にした。


 その顔を見て、私は何となく察してしまった。

 なぜ、彼が私と話すたびに泣いていたのかを。


 将軍である彼は、私が最終的にこうなる運命だと初めから分かっていたに違いない。


「一緒に、逃げないか――?」


 彼がふとそんな突拍子もないことを言うから、私は目を丸くした。


「……一緒に、逃げる?」


 彼と一緒に逃げる。

 もし彼と一緒だったら。

 最強の将軍である彼が味方についてくれたなら、もしかしたら逃げきれるだろうか。

 そうすれば、私は死ななくて済む……?


 ――怖かった。本当は今までずっと、怖くてたまらなかった。


 修道院から馬車に乗せられた日も。この城に人質として連れてこられた時も。

 ひどい扱いを受けるかもしれない。蔑まれ詰られるかもしれない。石を投げられるかもしれない。

 そんな不安で震えそうになる手を必死に握りしめながら、『これは神の試練だ』『私の信仰が試されているんだ』と、ずっと心の中で言い聞かせてきた。


 彼の言葉に頷いて、優しい眼をした彼のその手を取ったなら、きっと私を処刑の運命から救ってくれるだろう。

 彼の真剣な顔を見ると、そう信じることができた。


 手を伸ばせば届く距離に彼はいる。

 彼のその大きな手に包まれたなら、死の恐怖で早くなった胸の鼓動も落ち着くだろうか。


 ――でもその瞬間、療養所で聞いた会話が蘇った。


 絶対的な『神』として慕われる彼を、私が兵士から取り上げていいのだろうか?

 そして、彼が一緒に逃げるということは、今まで築き上げた将軍としての地位も名誉も、全てを私が壊してしまうことになるのだと、そう気づいてしまった。


「教えて頂きありがとうございます。私は逃げて最後まであがきます。でも……」


 私は彼に、精一杯笑いかけた。


「でも私には神様がついていますから。一人で逃げるべきでしょう。――これも、神の試練だから」


 私がそう言うと、スペンサー様は信じられないものを見るように唖然とした顔をした。

 そして険しい顔になり、珍しく声を荒げた。


「君の崇める神の総本山がまさに攻め落とされるんだぞ!?君がどんなに清く正しく生きても、現に神は君を救ってくれないじゃないか!!」


 彼の言葉を聞いて、改めて自分の信仰を見つめ直す。

 祈りが時間の無駄なのか問うた、あの日のように。


「私はそれでも神様がいるって信じているんです。それは苦しいときに都合よく縋るためではなく……私が、一生懸命に生きるために」


「……一生懸命?」



「処刑されても、必死に生きたなら、きっと死後に神様が誉めてくれると思えるから。『お前は間違ってない。必死に生きたよ』って。――そのためだけに、私は神様を信じているの」



 私がそう告げると彼は目を見開いた後、ゆっくりと目を伏せた。

 そして涙を流すこともなく、ただ静かに私を見送った。



 ◇



 私が捕まったのはそれから一週間後のことだ。

 自分の故郷と反対側の国境を目指して必死に歩き続けたけれど、旅慣れない方向音痴の修道女が逃げ切れるはずもなかった。


 気づけば十人程度の兵士が私の周囲を取り囲んでいた。


「王女様。ご同行願います」


 そう言って私の腕を一人の兵士が掴んだ。丁寧な台詞とは裏腹に私の腕はびくともしなくなる。

 一週間では国外に出られなかったけれど、私が自分の運命に腹をくくるのには十分な時間だった。


 ――これで、神様も『頑張ったよ』って褒めてくれるかな……?


 私は真っ赤な夕焼け空を見ながら、兵士に従おうとしたとき。


 黒い影が素早く私の横に立ち、腕を掴んでいた兵士を昏倒させる。


「なっ!?」


 突然の事態に兵士たちの間に動揺が走る。


 その黒い影には無駄な筋肉も贅肉もない。

 しかし大柄に似合わず優しげな眼でこちらを見ていた。


「――改宗したんだ」


 目の前のその人物は本来、改宗などできるはずもなかった。

 なぜなら、彼は無神論者の代表とも言うべき将軍なのだから。

 祈ることは時間の無駄だと切り捨てていた人だから。


「なんでスペンサー様がここに……」


 最強の武力と圧倒的なカリスマで軍を率いた有名人が、私の目の前に立っていた。


「改宗したらさ、目の前で修道女が攫われそうになっててさ」


「何をわけの分からないことを言っているんですか!!」


 神を信じない兵たちの『神』として、その身一つで軍を支えてきた人。

 しかしなぜか兵士に刃を向けて、ただ一人私を庇って立ちはだかっていた。



「これも改宗したばかりの俺に与えられた『神の試練』だと思ってさ。助けなくちゃと思って」



 私はもう、堪えることができなかった。


「だめです。神の、試練だなんて……」


 声が震える。


 本当なら、兵たちの心の支えとならなければいけないのに。

 本当なら、将軍として富も名誉も手放してはいけないのに。


 彼は今、その全てを捨てようとしていた。


 神の名前も出てこない。聖典の一節すら思い出せない。

 ただ何も言えずに、涙だけが溢れて落ちた。


「……それはつまり、軍を捨てて隣国の異教徒となったということですか?」


 取り囲む兵の一人が絞り出すように聞いてくる。副官だろうか。


「……ああ、その通りだ」


 彼が静かに答えた瞬間、副官は素早い判断を下して指揮をする。

 兵たちが躍りかかってくる。複数の斬撃が彼に向かって降りそそぐ。

 しかし彼が剣を構えて三度の金属音が鳴ったかと思うと、三人が地面に伏していた。

 副官の顔から血の気が引いていくのが分かる。


「逃げるぞ!」


 彼はそう言うと私を馬に乗せ、隙を突いて一気にその場を走り去ったのだった。



 それから夜通し私たちは馬を飛ばして逃げ続けた。

 追手の兵士は次から次へと現れ、彼に矢を放つ。


 私を背で庇い、走る馬を庇い、気づけば彼の足にはすでに複数の矢が刺さっていた。

 矢傷からは血が流れ落ちていく。初めは力強い剣筋を見せていた彼も、徐々に力が無くなっていくのが私にもわかった。


「スペンサー様……!」


 気づけば彼の優しげな眼は半分閉じたまま、それでも血まみれの手で手綱を握り続ける。


「マドレーヌ……」


 馬上でふらつく体をなんとか支えながら、彼は言葉を紡いでいく。


「君は頑張ったよ。神様の代わりに、言うよ」


 今まさに死力を尽くしている彼は、私の耳元で語り掛ける。


「ありがとう、人として俺に祈りを捧げてくれて」


 ――なんで、そんなことを今言うの?


「『隣人を愛せよ』、だったか。……マドレーヌ、君が好きだ。愛している」


 そんなことをうわ言のように口にした彼の瞼はついに閉じ、まるで意識を失ってしまったかのようだった。


「スペンサー様!!」


 私の呼びかけにも返事がない。


 ああ、神様。

 私はもう、死後の世界で救われなくてもいいんです。

『頑張ったよ』ってあなたが誉めてくれなくても構いません。

 彼が言ってくれたから。


 だけど、これだけはお願いします。



 どうか彼を、お救い下さい――。







 ある宗教国家が無くなった。周辺国家に睨まれたその国は、隣の軍事国家に併合された。

 王族は全員処刑。その地の聖職者も周辺国家に逃げることになる。


 そんな折、軍事国家の反対隣の国境付近に一組の敬虔な夫婦が住み着いた。

 隣国から逃げて来た信者の一組だ。

 足を引きずっているが良い体躯の夫に、たまに森に入って迷子になる妻。


 彼らは森の近くの小さな家で、ささやかな祈りを捧げながら、生涯を穏やかに過ごしたという。


 ――神様、隣にいるこの人を、今日も愛します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
個人としての信仰は、当人や周囲をも救うかもしれんが、集団としての宗教は腐り害悪になるだけ。
祖国の王は使用人に手を出すは捨てた子を戒律破りまくりだから腐敗した宗教国として責められるのは仕方ないが、善良な信者もいただろうから侵略した無宗教の国もいずれ別の国から宗教の敵として責められそう。 そ…
よかった
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ