4 愛の残骸
縛られたシルビー親子三人は、まるで荷物のように――粗末な馬車へと押し込まれた。
屈辱にヘンリーは歯噛みした。
そのとき、石畳を踏む軽やかな足音が近づいた。
ウィローだった。
彼女の瞳は静かに燃えている。
長い間、胸の奥で燻り続けてきた炎の色。
「侯爵、いいえヘンリー義兄様。いいザマですわね。貴方が婿入りした日から、私はこの未来が見えていました。私の忠告を姉は決して聞いてはくれなかった。それほど貴方を愛していたのに」
その声には嘲りよりも、深い失望が滲んでいた。
「そうか、ウィロー。……お前の差し金か!」
怒号は虚しく空を裂くだけだった。
「ええ、貴方が見放したラリッサが救いを求めて来たのです。今日より彼女は私の養女になります」
「養女だと?」
ロイドは必死に目でラリッサを探す。
しかし、どこにもいない。
彼は知る。
いつだって、彼の目には、ラリッサが映っていなかったことを。
「侯爵家は私の次男、サイラスに受け継がれましたの。ご安心を。ラリッサは私が良い婚姻先を見つけますわ」
言い終えると同時に、彼女は踵を返す。迷いは一片もない。
「ま、待て! 侯爵家を守って来たのは私だ!」
その叫びは、過去に縋る男の声だった。
「愛人親子に、随分と侯爵家の財産をつぎ込みましたね。
それは目を瞑ってくれるそうですよ。ほほほ」
「ラリッサと話をさせてくれ!」
けれど馬車の扉は閉じられた。
重い音とともに、三人の未来の扉もまた、静かに閉ざされる。
「どうぞ、ご実家にお戻りなさいませ」
ウィローは去り、
シルビーのすすり泣く声だけが残された。
エントランスホール。
高い天井の下で、リュシアンとラリッサは向かい合っていた。
冷たい空気が二人の間を満たしている。
「追い出すなんて、非道だ」
その言葉は正義を装っていたが、どこか弱々しい。
「非道は貴方でしょう? お姉様を裏切って絶望の底に落とし込んだのよ」
ラリッサは表情を変えず、ただ事実を突きつける。
「アナイスはシルビーを陰湿に虐め続けた。許せなかったんだ」
「ふん!」
鼻で笑う。
どうしようもない男だと言いたげに。
「本当にお姉様の仕業だったの? シルビーの芝居だと思わずに? 彼女だけを信じたのね?」
「そうだ、シルビーの体には、いくつもの傷跡があった」
「お姉様はやってないと、言い続けたわ。あの子の嘘。お芝居だって」
「そうだ、決して認めず。反省しなかった」
「可哀そうなお姉様……」
まるで深い哀悼のように、ラリッサは呟いた。
「もういいだろう。裏切った僕が悪かった。でもシルビーに罪はない」
次の瞬間。
「はっ……あはははは……ははははは」
ラリッサが笑い出した。
その笑いは、壊れた機械仕掛け人形のように止まらない。
リュシアンは戸惑い、ただ彼女を見つめる。
「ああ、可笑しい。アナイスお姉様は一度だって、あの子を虐めなかったわ」
「……うそだ」
ラリッサはゆっくりとリュシアンのすぐそばまで近づくと、彼の耳元に唇を寄せる。
吐息が触れるほどの距離。
「ふっ、私よ。私がお姉様のフリをして全部やったの」
時間が、一瞬だけ止まった。
リュシアンの瞳が見開かれる。
だがまだ疑っている。
──ラリッサは、自分を苦しめるための嘘をついている。
彼はそう思おうとした。そうであってほしいと願った。
だが。
「優しいお姉様がやるわけないでしょう? 貴方を盗んだシルビーに、私が成り代わって罰を与えたのよ!」
その声に込められるのは、長い間、胸の奥で腐らせてきた感情。
嫉妬。
怒り。
愛ゆえの狂気。
それらが、やっと吐き出された。
それでも彼は、真実を受け取らない。
「信じない……」
声がかすれた。
「ええ、信じなかった。貴方はお姉様を一度も信じなかった。シルビーに同情したから? いいえ、貴方は初めからあの子に恋をした。だからお姉様を捨てる理由が欲しかった」
「ちがう……」
「ちがう? いいえ、信じたくなかったのよ。欲しかっただけ、あの子を愛する正当な理由が」
容赦ない言葉がリュシアンを責める。
リュシアンの体は、指先まで震えた。
愛はいつだって選択だ。
そして選んだ瞬間から、失うものが決まる。
彼はようやく理解する。
シルビーに恋をした。だからアナイスを捨てた。
簡単なこと。
ただ、それを認めるのが怖かっただけだ。
「だけど……」
彼はまっすぐラリッサを見る。
「一番の裏切り者は、ラリッサ、君だ。君はアナイスを陥れた。そしてシルビーは、嘘をついていなかった」
言い切った瞬間、リュシアンの体の震えは止まった。
「そうね。私は何度も裏切ったわ。
貴方が一度でもお姉様を信じてくれたら、私はここまで堕ちていかなかった」
「詭弁だ。君は庶子という理由で、ただシルビーが憎かったんだ!」
「憎いわ。貴方を奪ったあの子が。そして……お姉様の事も……憎かった」
最後の言葉で、声が砕けた。
ラリッサは泣いていた。
涙は静かに頬を伝う。ただ溢れる。
それでも彼女は言わない。
「貴方を愛していたから」とは。
その言葉を口にする資格がないことを、誰よりも自分が知っていた。
「僕はこれからもシルビーを守るよ」
「なら、行きなさいよ。もう話すことは無いわ」
リュシアンは背を向ける。
振り返らずに。
その瞳に軽蔑を宿し、その背に後悔はなかった。
そこにあるのは、冷たい空気と、ラリッサの愛の残骸だけだった。
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