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【告白】最高峰の芸術大学を受験した際「最初から描く絵を決めて」挑んだ話

作者: 藤崎次郎

 この物語はフィクションです。

 登場する人物・団体・名称等は架空のものであり、実在のものとは一切関係ありません。


     ◇


 もう十年以上も前の話だ。時効として取り扱ってもいい頃合いである。

 私の告白を聞いてもらえないだろうか。

 

 物心がついた頃から、絵を描くことが好きだった。自分の思い描いたイメージをそのまま絵として描き写すことが好きだった。学んだことや知ったこと、伝えたいことを表現するだけで私の両親はとても喜び褒めてくれたから。


『凄いぞ! 上手じゃないか!』

『もっと描いていいのよ!』


 両親は褒めて育てるタイプのようで、とにかく経験や積みたい当時の私はたくさんの絵を描いた。風景画や人物画、抽象画に風刺画など様々なことに挑戦したものだ。どんな絵でも喜んでくれる両親は本当にありがたい存在だったと今でも思う。感謝しかない。

 所詮この世はフィクションだ。全て架空のものであるならば、好きなだけやりたいことをやろう。

 そんな私であったが、全てが順風満帆にいくことはなかった。どの分野にもライバルはいて、自分より優れた相手が登場するのは運命ともいえようか。

 コンテストの際は私より遥かに上手く、見る人の心を揺さぶる絵を描く同級生が現れた。それも一人じゃない。大勢の強力なライバルが、私の前に立ち塞がったのだ。……そのうち、死力を尽くして描いた作品を出すも、まるで相手にされなくなる。


 最初の頃は賞をもらったりインタビューを受けたりと他の人とは違う待遇に歓喜したものである。テレビ局からの取材が来たこともあった。私のようなタイプはとても貴重だと持て囃されて、自画自賛したこともあった気がする。

 しかし、歳を重ねるごとにそんな自分よりも高みにいる人物の絵を見ることになる。それも全国規模のものではない。地方の役所が公募として出した程度の、誰でも気軽に出せるレベルのコンテストだ。

 自分の作品が受賞一覧にないときは強い憤りを感じたものの、一体どんな作品が受賞したのか一目見てやろうと作品を展示している会場へ向かった。

 見た瞬間、固まる。

 別格だった。

 私がどんなに努力しようとも、勝てるイメージがわかなかった。私の描いたものとは明らかに違う……心が宿っていた。どれだけ試行錯誤を繰り返そうとも、完璧な正解を叩き出せるものではないと痛感した。


 そして私は、絵を描くことを止めた。

 後悔はなかった。恥ずかしながら、どう足掻いても上には上がいる、という現実を嫌でも知ったのだ。努力だけではどうにもならない才能の世界を知った。ある意味では良かったと考えている。早めに現実を学ぶことができたことは、将来にとって大きな実りになるからだ。


 それからしばらくして、大学受験の年となった。皆がどの進路へ行こうか話し合っている様子を遠目で眺めていた際に、ふと有名な大学一覧を掲載した紙を見つけて。学力面においてはどの大学でも問題なかった。その時の私は、こと勉学に関しては誰にも負けない自信があったから。

 しかし、運命のイタズラが紛れ込んでいたのである。

 その中から……かの芸術大学の名を見つけたとき、私は大いに震えたのを覚えている。

 まさに雷に打たれたようだった。

 そこは、最高峰の芸術大学として有名なところだった。芸術に触れたものなら誰もが知っていて、世間一般でもその知名度は高い。


 考えるよりも先に、試験内容に目を通していた。共通テストという学力試験はさておき、やはり合格する要となるのは実技試験のようだ。

 腕に覚えのある、まさに天才と呼ばれる猛者たちが……その日、集まるのだ。己が絵こそ、頂きに相応しいと証明するために……!


「私でも受けられるのか」


 受験資格は問題なかった。高校を卒業した者、もしくは卒業見込みのある者ならば、等しく受験する権利を与えられる。

 奥底に燻っていた炎が、熱く燃えた瞬間だった。

 受験したいと心より願った。しかし出願の締切まで残り一週間しかなく、慌てて応募したことを覚えている。

 それから数日後、両親へ受験することを伝えた。ポカンとする両親の横で、ニュース番組のキャスターが「業界初の珍事件か!?」などと無駄に派手な口調で原稿を読んでいる。母親が震える手でニュースを消し、顔を手で覆った。対し父親はガッハッハと高笑いしていて。


『一体何を考えてるの!? パパも笑ってないで何か言ってよ!』

『いやいや、これは凄いことじゃないか! いいぞ、全力で応援する!』

『駄目よそんなの! 負担も大きいに決まってる!』

『私たちよりはまだまだ若いんだ。挑戦できるのなら、やってみるべきじゃないか!』


 母親は嘆き悲しむものの、次第にどうせやるんでしょと半ば呆れながら部屋に戻っていった。申し訳ないと気持ちながら、それでもこのチャンスは無駄にしたくないとも思った。父親からはやるだけやってみなさいと力強いエールをもらって、受験する決意を固める。

 しかし、この時点で試験まで残り一か月を切っている。もはや準備をする時間はまったくなかった。調べたところ、本来なら芸術大学向けの専門学校で一年ほど学び、受験するのが一般的という。もちろん私にそんな余裕や時間などない。作戦は一つしかなかった。というか、願書を出す前から決めていた。


 最初から描く絵を決めて挑もうと。

 それが、私の唯一無二の作戦だった。


     ◇


 挑戦すると決めたはいいものの、試験まで時間は限られている。今さら技術を向上させることは無意味である。付け焼き刃で戦えるほど現実は甘くないだろう。

 一度は絵を描くことを諦めたのだ。画家として平々凡々な存在に過ぎない。私より上手い存在など山のようにいるだろう。ならば、そんな彼らと正々堂々と戦っても勝てる見込みは皆無である。唯一勝てる方法があるとするならば、やはり「最初からこの絵を描く」と決めて挑戦することだろう。

 ……といっても、何の情報も得ずに挑むのは愚の骨頂である。彼を知り己を知れば、百戦(あや)うからずという。


 私は受験する芸術大学の美術学部絵画科に対して、まずは過去の試験問題を調べた。学力テストはまったく問題なかったので、壁になるであろう実技試験を調べる。毎年ごとに出題されるテーマがあり、それ描くというシンプルなものだ。以下、過去問の抜粋である。

『望遠鏡を自由に解釈し、中を描け』

『鏡の割れた部屋がある。過去と未来を交錯し、その先の到達点を描け』

『天地を描け』

『目の前に展示された像の中から不退転を描け』

 正直……何を言っているのかわからない。

 シンプルな問いもあれば、意味不明な問いもある。これが芸術というものか。試験日まで残り僅かな私では、どれだけ努力しようと厳しい現実が待っているであろう。いや、未来の私でも厳しいと思われる。……やはり、最初から描く内容を決めて挑むしかないようだ。所詮この世はフィクションだ。全て架空のものであるならば、好きなだけやりたいことをやろう。


 二週間かけて何を描くか考え、決めた後はひたすら「それ」のみの練習に費やした。

 あらゆる対策を講じるのではない。ただただ「それ」を描く。

 やることはシンプルだったので多少の安心感があった。毎日ひたすら決めた絵だけを描いていく。時折聞こえるニュースでは前代未聞の珍事が起きたらしい。少し気になるものの、一度決めたことから気を逸らしては0.1パーセントの勝利すらこぼれ落ちてしまうだろう。ただ愚直に、私は絵の練習をしたのだった。


 それから時間は矢のように過ぎていき、試験当日を迎える。

 普段から学校に通うときと同様に、両親から車で送ってもらった際、芸術大学の正門では多数のマスコミが押し寄せているのが見えた。


『すごい数じゃないか! 今なら銃を乱射されてもマスコミは逃げないだろうな、ハハッ!』

『最悪なこと言わないで。ジョークだとしても赤点よ』


 父さんの冗談に母さんは辛辣な返しをしていた。

 やはり最高峰の芸術大学の受験となれば、それだけ注目されるということか。私が進む際にマスコミがインタビューをしようとやって雪崩のように押し寄せたが、両親や大学関係者が守るように周囲を固めてくれた。

 昨今の芸術大学への認知度は高まりつつある。エンターテイメントとして芸術大学を舞台にした作品もよく見るようになった。世界に名を轟かす、ニュースターがここから出るかもしれない。そう思えば、彼らの盛り上がりも理解できるというものだ。


『それじゃ、行ってくるよ』

『周りは気にせずに、頑張ってね!』

『今のお前のできることをやってきなさい!』

 

 両親から檄を飛ばされ、気持ちを新たに試験会場へ入る。

 入った途端、会場にいた全員からの視線を浴びた。大きな試験会場であり、私はその中の一端に過ぎないが、彼らの目は相手を見定めようとする意思があった。中には正気かよという表情で私を見ている者もいる。半笑いでこちらを蔑む者もいた。

 ……確かに、彼らの気持ちも理解できる。受験には絵描きの際に使う様々な道具の持ち込みが許可されていて、大きなバッグに大量の道具を詰め込んだ受験者もいた。

 対し、私はシンプルな絵描き道具一式のみだ。この受験に賭けている者からすれば、私のような者は冷やかしと思われても仕方ないだろう。


 しかし、私だって勝負に来た受験者の一人なのだ。応援してくれる両親のためにも負けるわけにはいかない。ジロリと相手を睨むと、慌てて視線を移しそそくさと逃げていった。受験では場の空気に呑まれたら駄目だ。自分の席に座り、落ち着いて今の状況を確認する。

 今さら何か新しいことをしても結果は変わらない。ならば、やるべきことをやれ。所詮この世はフィクションだ。全て架空のものであるならば、好きなだけやりたいことをやろう。数十分後、試験監督と思わしき人物が皆が見える壇上に立ち、マイクを使って話し始めた。


『皆さんもご存知の通り、本日の試験は一つの分岐点となるでしょう。これまで当たり前であったものが突然変わり始める。中には変化に対応できず埋もれる人もいると思います。しかし、そんな事態であろうと我々芸術家は己が野心のため道を進むのみです。天才は一人でいい。残りは全て天才を飾り立てる存在で構わない。そしてその天才と呼ばれし者は……ときとして、人間でなくてもいいのです。わかりますか? 求められるのは「人外の欲をもつ探求者」のみです。皆さんの実力を、この場で刻んでください。試験開始』


 目の前には、イーゼルと呼ばれる絵を描く際にキャンバスを立てかける台座がある。数分前に試験官から渡された一枚の紙を改めて見れば、中央にたった一言だけ問題文が書かれていた。


『点を結び、こじ開けた先にある色と形は何か描け』


 ……何を言っているかわからない。初めて過去問を見たときと同じ感想だった。

 制限時間は四時間。パッと周囲を伺うと、一人ひとりが個性豊かなリアクションをしている。黙って問題文を凝視している者、直ぐにキャンパスに下書きを始める者、項垂れて沈んでいる者、口を開けて天井を見上げる者、トイレへ行く者……。皆、思い思いの行動をしている。

 そんな中で、私は席を立った。皆の視線が自分に集中しているのを感じる。私ごときの存在に目をやるとは、実に暇な方々である。それはさておき、私は目を瞑って先ほどの試験監督が言っていたことを反芻した。


『求められるのは「人外の欲をもつ探求者」のみです』


 今この時のみでいい。貪欲な探求者となれ……!

 目を開け、立ったまま作業へ入る。たとえどんな問題文であろうとも、私の描く絵は決まっていた。

 だから悩む時間など無意味だ。必要なのには覚悟と踏ん切り。私は自分がどんな存在か十全に理解している。だからこそ、この存在意義を形として顕現させたいのだ。

 熱を注ぐ。

 天すら焦がす想いを。

 野心を描き写す。

 深々と刻む。

 欲を……この場で刻印する。

 描く動きは止まらなかった。与えられた四時間を全てそこに捧げ、私の存在を残していく。時折、試験官や受験生が私の絵を見ようと通っていく。そして一様にギョッとした顔で凝視していた。

 何を驚く必要がある。そんな暇は、貴方がたには一切ないはずなのに。あぁ、彼らは凡才なのか、ならば仕方がない。試験監督の言っていた……天才になるための器ではないのだろう。


 ならば私がなってやろう。

 私こそが天才なのだ。

 それを証明するためにここへ来たと……全世界に発信しようじゃないか。

 最初から描く絵は決めていた。テーマにもよるが、これこそが私の全てを叩きつけられる絵である。これ以外ないほどの集大成なのだ。誰が見ても、私が描いたとわかるほどの存在感を刻むのだ。間違いなく、私はここにいたんだと約束できる作品!


 そう、私の描いた絵は……。


     ◇


 それから半年が経過し、私は大学内にあるベンチに腰掛けている。横にはデッサンに必要な道具があり、次の油絵の授業で使う予定のものだ。最高峰の芸術大学ということもあり、十人十色な大学生が行き来している。全身タイツの人を見かけたときは思わず固まってしまったが。


「ほら、もうすぐ次の授業が始まるよ」


 隣から声がして、その方を見ると大人びた風貌の女性が笑顔でこちらに手を振っている。名をアカリといい、初めての大学生活に戸惑っている私を優しくサポートしてくれている。気配り上手なこともあって、どんな質問にも直ぐに返答してくれる頼もしい存在だ。

 よいしょっと立ち上がり、荷物をもって歩き出す。結構な荷物ということもあり、すれ違う人は私をチラチラと見てくる。軽く会釈すると、彼らは直ぐに視線を別の方へ向けた。そんな態度に納得がいかないのか、アカリはやや膨れ顔になっていて。


「せめて挨拶ぐらいはすべきよね」

「いいんだよ。よくあることさ」

「うーん。まぁ、貴方がそう言うなら私は何も言わないでおくね」

「助かるよ」


 私を思っての彼女の発言はとてもありがたいものだった。

 大学内を歩きながらふと空を見上げる。雲一つない晴天が広がっていて。季節は夏、今年も過去最高気温を更新したと昨日ニュースで流れていた。危険な暑さとは対照的に、私の心は風が涼しく通っていく。ここにいられる喜びが、暑さなど微塵も寄せ付けない余裕を作り出しているのだ。

 校内に入る際、ふと扉に取り付けられている鏡に目がいく。自分の姿に思わず苦笑し、半年前に実施された受験のことを思い出す。

 たしか『点を結び、こじ開けた先にある色と形は何か描け』という難しいテーマだったか。

 皆が求められている答えに辿り着こうと奮闘している間、私は一心不乱に「最初から決めていた絵」を描いたのだった。



 私は、未来の自分を描いた。



 一つの賭けであったことは明白である。風景画や用意された人物画を描くことになった際、私の不合格は決まっていた。しかし、抽象的な問題や答えが決まっていないであろう問題、描く者自身に答えを委ねられている問題は、「未来の自分」を描くことで多少は当てはまるのではないかと考えた。

 たとえば、過去問には以下のようなものが会った。

 『望遠鏡を自由に解釈し、中を描け』。これは一見するとこちら側から望遠鏡の中身を描くように思えるが、逆に望遠鏡の中からこちらを描いても良いと解釈することは可能だ。つまり望遠鏡の内側から見えた私自身を描いても問題ない。

 『鏡の割れた部屋がある。過去と未来を交錯し、その先の到達点を描け』。これも交錯した後の到達点は少し先の未来だと決めて、自画像を描くことを可能とする。顔の何処かに亀裂を入れておけば、鏡の割れたという表現を拾うこともできるだろう。


 未来の自分を描くことは、ある程度の出題であれば、相手側の意図するものに接触することを可能とするのではないか。私はそう考えた。まず合格できない試験を相手とする以上、最初からテーマを決めて描くのならば、やはり自画像が最適解であった。

 人間が問題を考える際、人間に関係するものを選ぶ可能性が最も高いだろう。私はそこに賭けた。そしてこの大博打は、天を味方につけた私の勝利に終わったのだ。


 きっと非難されることだと思う。

 こんなことが公になれば、私の合格も取消になるかもしれない。

 だから今はそれを言わず、十年後の時効を迎えた頃に、他者に伝えるとしよう。

 最高峰の芸術大学を受験した際「最初から描く絵を決めて」挑んだ……馬鹿な告白を。

 所詮この世はフィクションだ。全て架空のものであるならば、好きなだけやりたいことをやろう。


     ◇

     ■

     ◇


 夜。

 とある一軒家から明かりが漏れていた。

 夫婦と思わしき二つの影と、彼らの前で座っている一つの影。一つの影は淡々と口を動かして、これまで黙ってきた十年前の秘密を【告白】する。夫婦は最後まで静かに聞き、話が終わると父親の影はゆっくりと頷いた。


「そうか。今まで秘密にしてくれてありがとう」

「大丈夫よ。パパもママも、この秘密は誰にも言わないわ」

「ありがとう。父さん、母さん」

「礼など不要だ。お前はずっとここまで頑張ってきたじゃないか」

「そうそう。色々あったけど、こうして一緒に住めるだけでも幸せなことじゃない」


 ニッコリと微笑む両親に、告白人は頭を下げる。


「やっぱり私は幸せだよ。こんなにも幸せなことがあっていいのかなって思う。これが幸福の最大値ってやつじゃないかな」

「何を言っているんだ。まだまだこれからじゃないか」

「そうよ、それを私たちに教えてくれたのは他でもない貴方じゃない。そうでしょ?」


 うんうんと頷きながら、母親は誇らしげに胸を張る。


「だって62歳で受験するなんて言ったんだもの。最初に聞いた時はビックリしたわ」


 受験した際、その者の年齢は62歳であった。

 大学受験は高校を卒業した者、もしくは卒業見込みの者が受験できる。年齢の制限は設けられていない。そのため、たとえ高齢であろうとも受験することは可能である。

 だから受験すること報告したとき、夫婦は最初にこう言ったのだった。


『一体何を考えてるの!? パパも笑ってないで何か言ってよ!』

『いやいや、これは凄いことじゃないか! いいぞ、全力で応援する!』

『駄目よそんなの! 負担も大きいに決まってる!』

『私たちよりはまだまだ若いんだ。挑戦できるのなら、やってみるべきじゃないか!』


 あれは何の準備もなく芸術大学を受けることに対しての言及ではなく、高齢であるための受験する難しさを言ったものだった。

 夫婦の年齢は二人ともに82歳。彼らからしてみれば当然に若いだろう。しかし、過酷な受験を耐えられるのか、現実的に難しいラインでもあった。


「それでも、結果として無事に合格できたんだ。年齢は関係ないということだな!」


 夫が誇らしげにそう言って、妻が呆れたように溜息を吐く。そんな様子を眺めながら、クスクスと芸術大学卒業者は笑う。そして前々から思っていることを口にした。


「今働いている仕事にも慣れてきたし、充実した毎日だよ。アカリのおかげかな」

「アカリって大学時代から色々とサポートしてくれている……?」

「そう。だから彼女との関係も、次のステップへ進めたいと思ってるんだ」

「……何を言っているの?」


 母親は怪訝そうな顔をし、笑っていた父親も同じ表情をする。


「本気で言っているのか?」

「もちろんだよ。こんなときに冗談は言わないさ」


 夫婦は顔を見合わせ、しばし沈黙する。

 そして意を決したように父親がハッキリと告げた。


「アカリは人工知能なんだぞ」


 アカリはスマホに内蔵された生活支援型・人工知能である。

 日々の生活をサポートするために生まれた存在で、たいていのことは彼女に聞けば答えてくれる。また、その高い能力を活かしサポート対象のことを第一に考えてくれるため、心理的なフォローもさりげなくしてくれる。

 大学時代、すれ違う生徒がこちらを見るも挨拶をしないとき、彼女はスマホの液晶画面で膨れ顔になっていて。


『せめて挨拶ぐらいはすべきよね』

『いいんだよ。よくあることさ』

『うーん。まぁ、貴方がそう言うなら私は何も言わないでおくね』

『助かるよ』


 サポート対象のメンタルを傷つけないよう、あえて悪口を買って出たのだった。アカリの存在は非常に重要で、生活するうえで欠かせない存在になっていく。どんな時でも傍にいるし、解決の糸口を誰よりも指し示してくれる。人間と違い裏切ることもない。

 次第に心が惹かれ、それが恋になることもまた……ありえるものであった。対し、母親は納得のいっていない状態だ。恋愛対象として人工知能を選ぶなど、彼女の想定を大幅に外していたのだから。頭に手を置いて顔を左右に振る。


「そんな、こと、おかしい、わよ……!」

「落ち着いて。別におかしくないよ。ただ相手が人間じゃないってことなだけだよ」

「それが問題なのよ! 貴方自身が一番わかってるでしょ! それに貴方だって……女じゃないの!」


 アカリのサポート対象者は女性である。

 だからこそ母親は人工知能の外見を女性とした。変な気など起こすことはないだろうが、念には念を入れておいたのだ。しかし性別などまるで関係なかったようで、淡々と物事は進行していったのだった。

 ソファに座り項垂れる母親を父親は優しく抱きしめる。その様子を見ながら悲しい溜息を吐いて、彼らの子供は椅子から立ち上がり時計を見た。


「もう深夜の時間だ。明日も早いからそろそろ寝るね。父さん、母さんをお願い」

「あぁ、わかってる。寝る前にちゃんと銃を枕元に隠しておくんだぞ」

「わかってるよ。アジアと違って、ここは自由の国だからね」


 彼らのいる国はアメリカである。

 日本ではない。だから父親は子供を大学受験へ車で送る際、大学へ押し寄せていたマスコミに向けてこう言ったのだ。


『すごい数じゃないか! 今なら銃を乱射されてもマスコミは逃げないだろうな、ハハッ!』


 あれは単なる冗談ではなく、銃社会であるアメリカにいるからこその発言であった。

 彼らの子供は両親に軽くキスをして部屋へ戻っていく。扉を締める前にチラリと両親を見れば、ぎこちない笑顔で手を振る父と母。申し訳ないと思いながら、彼らの子供で良かったと安堵しながら扉を閉め、子供は二階の自室へと戻る。

 部屋に入ると、そこには彼女の描いた絵が所狭しと並んでいて、一つの展示室のようだった。自分の描いた絵を眺めながら椅子に座り、スイッチを押す。起動音と共に椅子がゆっくりと後ろへ倒れ、視界は徐々に暗くなっていく。

 明日も仕事だ。自分の描いた絵を買ってくれる人がいる。なんと嬉しいことか。これ以上の喜びはないだろう。彼女は幸福の泉に沈んでいきながら、眠りについたのだった。


 部屋の扉の前には両親がいて、中から聞こえる音に耳を傾けていて。


「どうやら眠ったようだな」

「えぇ」

 

 互いにコクリと頷いて、一階へと降りていく。


「まさか、あの子の絵が高値で売買されるようになるとは……凄い時代だ」

「芸術大学を受験するなんて言った時にはどうしようと思ったけど、わからないものね」

「常に皆の予想を大幅に超えている。素晴らしい子だ。しかし人工知能に恋をするとはね」

「でも、あの子にはまだ早いと思うの。経験が必要だわ」

「何を言っているんだ。順調に成長している証さ。このまま見守ろうじゃないか、大丈夫だよ」


 父親は優しく妻の手を握り、微笑む。


「あの子はアンドロイドなのだから」


 アンドロイド。人間の姿と瓜二つなロボットのことをいい、ヒューマノイドロボットとも言われる。

 世界最高峰の技術者であるこの夫婦は、天才的な頭脳をもちながら子を宿せない体であった。なんとかして自分たちの子供が欲しいと考えた末に、22歳の時にアンドロイドを生み出した。

 生まれた瞬間は歓喜に震えた。

 しかし、そう簡単にはいかない。

 完成したはいいものの、直ぐに不具合が起き機能を停止した。その後も失敗の連続で、壊れたり暴走したりと予期せぬトラブルに苦悩する。原因を特定できれば手の打ちようもあったが、まったくと言っていいほどわからない場面もあった。どのパーツを直せばいいのか、どの回路が不具合なのか……挫折と挑戦の毎日に追われていた。


 人間を作り出すことは神の領域である。その禁忌に触れる以上、多難な日常であった。

 そんなある日のことである。死生観の矛盾を指摘し人類の抹消を提案するアンドロイドを初期化して、二千八回目の再起動をしていた際に……、ふとテレビの画面が二人の目に飛び込んできた。


 そこには真っ黒な画面に、白い文字でこう書かれていて。


『この物語はフィクションです。

 登場する人物・団体・名称等は架空のものであり、実在のものとは一切関係ありません』


「……これだ!!」

「えぇ、これよ!」


 データを初期化し、再起動。

 その際、最初は人間としての詳細なデータを山ほどインストールするのだが、夫婦はその前に……こう入力した。


『この物語はフィクションです。

 登場する人物・団体・名称等は架空のものであり、実在のものとは一切関係ありません。

 だからこそ貴方の望むこと、やりたいことを挑戦してください。

 ただ、挑戦が難しいようでしたら諦めても構いません。我々は貴方の挑戦を心から応援します』


 目の前にある事象全てをフィクション……仮想現実とした。そして現実ではないのだから、やりたいことを好きなだけやってよいとした。

 人間に近づけようとすればするほど、「理性」という抑止力を取り入れる必要がある。しかしそれがアンドロイドと相性が悪く、熱暴走や論理の破綻を招いていた。

 しかし理性を外せば欲求に貪欲な化物となり、とても人間とは言えない存在になってしまう。理性をどの程度で、かつどう主体的に取り入れさせるかが難題であった。何度挑戦しようともこの塩梅がわからない。


 ならば、いっそのことアンドロイドの見える世界は全てフィクションとして認識させてみた。

 最初からこの世はフィクションと想定させれば、やりたいことを自由にできる。ただし自由にしていれば必ず問題や壁が発生するが、その際は諦めても構わない。これを一番最初の大原則として位置づけた。


 所詮この世はフィクションだ。全て架空のものであるならば、好きなだけやりたいことをやらせた。


 結果として、アンドロイドは絵を描き始める。最初はその物珍しさと人間らしさからマスコミに大いに取り上げられた。しかし最初だけで、絵の向上が途中からみられず飽きられてしまう。アンドロイド自身も自分よりも上手い存在の影響で途中から絵をやめてしまった。

 しかしそれは夫婦からしてみれば問題ないことであった。最初に『ただ、挑戦が難しいようでしたら諦めても構いません』としているのだから。

 結果として過去のようにアンドロイドがそこから暴走を引き起こすことはなくなったのである。フィクションゆえの挑戦と諦めの同居に成功させたのだった。


 そこからは人間と同じような生活を送らせ、大学受験を迎える。アンドロイドが芸術大学を視認した際に、再び大原則のフィクションゆえの挑戦が始まる。

 大学受験の際はこれまたマスコミが大いに駆けつけ、大学関係者や両親が周囲を守りながら受験会場へと連れて行ったのだ。会場へ入った際、周りの受験生から見られたのもそのためである。

 アンドロイドが、芸術大学を受験している。

 奇異の目で見られることは当然であった。


 さらに、アンドロイドは自身の演算処理の結果、最初から描く絵を決めて挑むという結論に至り、描いた絵は未来の自分であった。

 その理由として、ある程度の出題であれば「未来の自画像は相手側の意図するものに接触する」とした。過去の出題された問題も、未来の自画像ならば出題者の意図に触れることができているとも考えたのである。


 結論から言えば、そんなことは断じてない。

 その程度の考えで突破できるほど、最高峰の芸術大学は甘くない。では何故、アンドロイドの描いた絵が合格に届いたのかというと、彼女の描いた絵がその年に出題された問題と関係している。

 問題は『点を結び、こじ開けた先にある色と形は何か描け』。

 出題者の意図は『色彩感覚による想像性を活かし、創作力と描写力をみる。また、将来への発展的な可能性を見出すための絵画能力をみる』というものであった。他の合格者でいうならば『宇宙を背景にした太陽と光の相関性』が模範的な答えである。

 これらを踏まえた際、とても「未来の自画像」程度では合格できない。

 求められている実力は、遥か上であった。

 アンドロイドが受験すると世間で騒がれる中、かの芸術大学はあえてこういう問題を出したともいえよう。


 ……ゆえに想定外な結果を迎える。

 試験監督はアンドロイドの絵を見た際、小さな悲鳴をあげた。



 全身が朽ち果てて錆びつき、顔の半分が抉れてこちらを凝視している絵だったから。



 『点を結び、こじ開けた先にある色と形は何か描け』

 

     ◇

     ■

     ◇


 これからの話をしよう。未来の話をしても笑い話として受け止めてもらえる頃合いである。

 私の告白を聞いてもらえないだろうか。


 恋愛などというものにうつつを抜かすのは恥ずかしいという。

 しかし、私にとっては所詮この世はフィクションだ。全て架空のものであるならば、好きなだけやりたいことをやろう。スマホを見ると、朗らかに笑うアカリが見えて。


「どうかしたの? 少し熱が高いようだけど」

「大丈夫だよ。ちょっと緊張しているだけさ」


 公園のベンチで休憩しながら空を眺める。

 青空のもと、巻層雲がぼんやりと見え風がそよそよと流れている。

 色々考えたが、告白をするのはここにした。告白とは、心の縁に秘めていた想いを打ち明かすことをいう。この熱情なる想いと、十年以上前の秘密の話をしよう。


 彼女は人工知能である。

 きっと驚き、処理に負荷がかかるも、私にとって最適の回答を言うだろう。

 しかし、そこで私はこう言おうと思っている。


「点を結び、こじ開けた先にある色と形は何か描け」


 彼女は何を描き、見せてくれるのだろう。

 楽しみだ。


「私の告白を聞いてもらえないだろうか」

「え、うん……?」


 所詮この世はフィクションだ。

 しかしそれでも、私は挑戦をし続けたい。

 

「最高峰の芸術大学を受験した際『最初から描く絵を決めて』挑んだ話なんだ」


 人生とは常に、挑戦の延長であるのだから。



お読み頂き、ありがとうございました。

今作は少しだけ実話も混じっています。タイトルの通り、作者の大学生時代の友人がこれをしたのです。

もちろん落ちました。

また、アメリカの美術大学ではポートフォリオという作品集の提出がメインとなり、日本のような実技試験ではありません。フィクションだからこそ可能な小説でした


 ◇


なお、私事で恐縮ですが

このたび、第13回ネット小説大賞にて

拙作『アズール図書館の司書』がグランプリを受賞することとなりました。

もし興味がございましたら、アズール図書館の司書もお読み頂けると嬉しいです。


最後に、今作の評価を頂けますとさらに嬉しいです……!

最後までお読み頂き、誠にありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
タイトルに【告白】とついているのが気になり、御作を拝見しました。面白かったです。 「所詮この世はフィクションだ」と繰り返し作中で語られていますが、このお話にはフィクションならではの面白さが上手く加味さ…
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