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第35話 夜は終わらない


 この学院を去る。



 アシュレイの口から語られた、思いもよらなかった言葉。


 言葉の意味が飲み込めなくて。

 頭の中は真っ白になって。

 返す言葉が見つからなくて。


 気づいたら——

 アシュレイの手を引いて、俺はパーティー会場を抜け出していた。


 向かったのは、中庭。

 冷たい風が頬をかすめる中、俺とアシュレイは、噴水の前に置かれたベンチに腰掛けた。


「グレイ、どうしたんだ。こんなところまで……まだディアナイツは続いているんだぞ」

「うるせえ、あんな話を聞いて、あんな浮かれた場所にいられるかよ」


 俺は苦々しくそう吐き捨ててから、アシュレイに向き直る。


「ここなら誰もいない。ちゃんと説明してくれよ。学院を去るって、どういう意味だよ」

「言葉どおりの意味だ。今学期をもって私はユースティティア学院を退学する」

「だから、なんで!?」


 思わず声を荒げてしまった。

 なにやってんだ。感情的になってどうする。

 理性で抑えようとしても、胸の奥でぐらつく不安が、どうしても言葉を鋭くしてしまった。

 俺は深呼吸をして、なんとか落ち着きを取り繕ってから言葉を継いだ。


「アシュレイ……頼む。理由を話してくれよ。もしかしたら俺になにか出来ることがあるかもしれないだろ……? 友達として……」

「友として……か……」


 アシュレイは俺の言葉を反すうするかのようにつぶやいてから、静かに吐き出す。


「私は、セルヴィス・ギルモアと婚約する」

「は? こん、やく……?」


 語られた言葉を事実として飲み込めず、俺は馬鹿みたいに繰り返してしまう。


「もともと、ギルモア公爵家との縁談の話は学院入学の前から決まっていた。しかし、今回その話が正式に決定した。だから私は学院を離れ、領地に戻ることになった」


 アシュレイはまるで他人事のように、淡々と告げる。

 一方、その話を聞いた俺は、頭の中がクエスチョンマークだらけだ。


「いやいやいや——ちょっと待てアシュレイ。一旦、話を整理させてくれないか」


 俺は思わず片手で頭を抑えて、次の言葉を絞り出す。


「まずさ……アシュレイは男なわけじゃん?」

「あ、ああ……」


 本当は女なわけだが、公表上はアシュレイの性別は男である。


「そんでもって……セルヴィスも男だろ?」

「当然だろう。君は何を言っている?」


「……なんで男同士で結婚できるわけ?」


 俺はそもそもの疑問を、アシュレイに投げかける。

 まさか、セルヴィスもアシュレイの本当の性別を知っているということだろうか?

 そうだとしたら辻褄は合う話だ。


 だがしかし——


「別に、貴族《わたしたち》の世界では、よくあることだろう? 令息同士で家が結ばれることなんて」


 いや普通じゃねえよ!? 

 ナチュラルに男同士で結婚するって、どこのBL世界の話だよ!?


「すまない……たまに君の言っていることがよくわからないことがある」


 ぐぬぬ。心の声が漏れていたか。

 それにしても、アシュレイのこの反応。

 つまりこの世界では男同士の結婚は普通にアリという設定なわけだ。

 シンプルに疑問なんですけど、その場合、どうやって子孫を残すわけ?

 アメーバみたいに分裂でもすんのか?


 いや、まあいい!

 今はその疑問は置いておこう。

 アシュレイの話に関する疑問はまだまだ他にもあるんだ。


「もう一個聞くぞ。百歩譲って婚約はわかった。いやわからねーけどな。でもなんでこんな急に学院を辞める必要がある? まだ入学したばっかりだぞ? 最初からそう決まってたのか?」


 俺がそう問うと、アシュレイは顔を伏せて小さく首を横にふる。


「本当は……卒業までは学院に通うはずだったんだ」

「それなら、なんで?」

「ギルモア家から『婚約の時期を早めたい』と要請があった」


 アシュレイはかすかに風に揺れる三つ編みを押さえながら、小さく続けた。


「情けない話だが、アストリッド家の財政基盤は軟弱だ。ギルモア公爵家から多額の経済的援助を受けている。もしその後ろ盾が失われたら……家は立ち行かなくなるだろう。とてもじゃないが、私を学院に通わせる余裕などない」

「なるほど、要は結婚しろって圧力をかけられたってことだな」


 アシュレイが語った、子爵家と公爵家の間に隔たる階級格差。

 貴族社会なんて気取った言い方しているけど、なんてことはない。

 持てる者が、持たざる者を、ひたすらに虐げ、搾取しているだけだ。

 そこにあるのはただの弱肉強食の、腐った世界だった。


「はっ、なにが公爵貴族だよクソが。やってることは金に物言わせた弱いものいじめじゃねえか」


 胸の奥に得体の知れない熱がこみあげてくるのを感じた俺は、吐き捨てるようにそう言った。


「まあ、事情はわかったよ……でもなアシュレイ、お前はどうしたいんだ?」


 俺はまっすぐアシュレイの瞳を見つめて、問いかける。


「私は……覚悟はしているさ。もともと遅かれ早かれ婚約する立場だったんだ。それが少し時期が早まっただけ。家のために、この学院を——」

「あー違う違う、そういうんじゃなくて」


 俺はアシュレイの言葉を途中で遮る。


「俺は、アシュレイの気持ちを聞きたいんだ」

「私の気持ち……?」

「今、お前が話してくれたこと、全部、貴族としての都合だろ? そうじゃなくってさ、お前の本音を教えてくれよ。親とか家とか貴族とか、そういう堅っ苦しいのぜーんぶ取っ払ってさ。そんで自分のことだけ考えて、一度、想像してみ? 自由な自分を……」


 俺の言葉を受け、アシュレイは想いを巡らせるように、そっと瞳を閉じた。


「アシュレイ、お前はどうしたい?」


 俺達の間に長い沈黙が横たわる。

 そしてその果てに……


 アシュレイの目尻の端から、一筋の涙が伝った。


「グレイ……君は、ひどいヤツだ」


 アシュレイは震える声でそう呟く。


「本当にひどいヤツだな……なぜそんなことを私に問うんだ……?」


 それから、キッと瞳を見開いた。


「嫌に決まっているだろう!? この学院から、離れたくない!!」


 アシュレイは涙声で、噴き出すように叫ぶ。


「君やリオンと……! 初(・)め(・)て(・)で(・)き(・)た(・)友(・)達(・)と、離れたくなんかない! 大好きな君と、君たちと一緒に語り合いたい! 笑い合いたい! セルヴィスとなんて婚約したくない!! それが本音に決まってるじゃないか!? でも……でも……私は……わたしッ…………」


 涙声は途中で喉の奥につまり、そして嗚咽へと変わる。


「……家を、家族を、大好きな故郷を見捨てることはできない! それを守るためには……ギルモアの言うことを聞くしかない! それが現実なんだ! どうしようもないじゃないか!?」


 本心をさらけ出して、子(・)爵(・)令(・)息(・)の(・)仮(・)面(・)を脱ぎ捨てたアシュレイ。


「絵空事で……叶いもしない希望を持たせないでくれ……どうしようもないんだ……私は……」


 彼女は両手で顔を覆い、そのまま崩れ落ちるように、うずくまってしまった。そのまま肩を鳴らし続けるアシュレイ。


 俺の目に映る今の彼女は、王子然とした男装令嬢ではなく、運命に翻弄される悲劇のヒロインだった。






 そんな腐った悲劇、俺は絶対に認めねえ。






「安心しろ。その絵空事、俺が現実に変えてやる」


「え……?」


 アシュレイが涙に濡れた瞳を俺に向けた。

 俺は不敵な笑みを浮かべ、ぼろぼろになった女の子を見つめ返す。


「お前が笑っていられる場所を、俺が守る。貴族がどうとか、家柄がどうとか関係ねえ。お前を縛っている腐(・)り(・)も(・)ん(・)は、たとえどんな手を使っても、まとめて全部ぶっ潰してやるよ、このグレイ・ブラッドレイ様がな」


 俺は胸を張って、そう言い切った。

 そしてうずくまるアシュレイのそばへ歩み寄ると、そっと片手を差し出した。


「だから、アシュレイ——俺を信じてくれるなら、この手を取ってくれ」


 俺はアシュレイに向かって、力強くそう告げる。

 涙で濡れそぼった彼女の瞳が、揺れた。


「君を……信じて、いいのか……?」

「おう、俺の辞書には不可能とBLという文字はないんだぜ」


 俺の言葉を受け、少しだけ瞳を伏せるアシュレイ。

 何度も俺を見つめ、また視線を逸らしてはを繰り返す。


 そしてその戸惑いの時間の後。

 アシュレイは、おずおずと、俺の手に自分の手を重ねた。


 俺はその手を優しく握り返すと、そのままアシュレイを立たせてやる。


「グレイ……だけど、一体どうするつもりだ……? 公爵家の縁談を取り消す方法なんて……」


 アシュレイは目尻を拭いながら、不安げに俺の顔を見上げた。


「まあ見てろって。悪役貴族には、悪役貴族らしいやり方があるからよ」

「悪役貴族らしい……やり方?」


 俺はアシュレイの不安げな視線に肩をすくめてから、わざと意地悪く笑ってみせた。


「さあ、アシュレイ。会場に戻ろうぜ。ディアナイツはまだ終わってない」

「あ、お、おい……!」


 俺はアシュレイの手を引いて、煌びやかなパーティー会場へと歩き出す。




「なんてったって、パーティーには道化《クラウン》が必要だからな!」











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