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その日の夜、旅の支度を終えたネムは夜空に浮かぶ満月を見つめながら、賢者様からお見送りを受けていました。
「いいかい、ネム。『月の丘』には、今晩のうちに辿り着かなければならない。決して、十二時を過ぎてはならないよ。もし、道が分からなくなったら、森の生き物たちに訊きなさい。彼らなら、こころよく教えてくれるはずだ」
そう話したのち、賢者様は自分の花から赤・青・黄、それぞれ違った色の花びらを取って、ネムに手渡しました。
「これは旅の途中で、困っているものと出会った時に渡しなさい。すぐには色をつけられないが、一晩たてば色を持つことが出来る。そう彼らに言いなさい」
「はい、分かりました!」
「では、気をつけて行ってくるんだよ。もし友人に会えたなら、よろしくと伝えて欲しい」
賢者様の言葉をしっかり覚えてから、ネムは背中の羽を震わせて、広い森の中を飛んでいきました。
** *
「『月の丘』は、まだまだ先かなぁ?」
獣道が続く深い森。木々の間を潜りながら、ネムは呟きます。
夜の森はしぃんとしていて、誰の姿もありません。
「あ、あそこに鳥の巣がある。そこで訊いてみよう」
ネムは、たまたま見つけた木の上にある、小さな鳥の巣へと近づきました。
「こんばんは、小鳥さん。『月の丘』に行きたいんだけど、道を知りませんか?」
「誰だい、こんな遅くに。あ、賢者様のお弟子さんだ!」
巣の中の小鳥はぴょんと出て、ネムにお辞儀をします。
「日が変わる前に行きたいんだけど、小鳥さんは『月の丘』までの道を知っていますか?」
「勿論、知っているとも! そんなことより、素敵な物を持っているんだね!」
自信ありげに答えた小鳥は、ネムの手の中にある花びらを見て、さらにさえずります。
「ねえ、お弟子さん。ボクにその中の一枚をちょうだいよ! 三つもあるんだから、一つくらい良いでしょ? ね? ね?」
キンキン声で尋ねてくる小鳥に、ネムは困った顔で考えます。
小鳥の姿は、すでにきれいなオレンジの羽で彩られていました。
賢者様からもらった花びらは数に限りがあります。とても必要そうには思えません。
***
「お願いだよ! ボク、困ってるんだ! 必要なのはボクじゃないんだけれど……。とにかく、良いでしょ? 一枚だけ! お願い! お願い!!」
「必要だけどボクじゃない」。目の前の小鳥が言った言葉の意味をネムは理解することが出来ませんでしたが、あまりにも必死にお願いをする小鳥の姿を見て「一枚だけなら……」と、賢者様の言いつけ通りに彼に青い花びらをあげることにしました。
「ありがとう! 『月の丘』はこの道をまっすぐ行って、大きな木のところを右に曲がって、野原がある小川の先の道をずっと行けば辿り着けるよ!本当にありがとね!」
『月の丘』までの道を教えてから、小鳥はもう一度だけネムにお礼を言うと、花びらをくわえてどこかへ飛び去ってしまいました。
***
「月の丘」は、もうすぐかなぁ?」
長い道のりをまっすぐ進み、大きな木を右に曲がったネムは、小川が流れる広い野原に出ました。
森の奥から風が吹き抜けてくる度に、青々とした草たちの囁くようなお喋りがあちこちから聞こえてきます。
「あれ? 小鳥さんが言っていた道はどっちだろう?」
小川の先にある二手に分かれた道を見て、ネムはその場に立ち止まり、困り果ててしまいました。
「もしもし、小さな妖精さん。私の話を聞いていただけませんか?」
その時でした。ネムのちょうど真下の辺りで、誰かの透き通るような声が聞こえてきます。
ゆっくりと野原の上に降り立って、ネムは声がした方向を見ます。
そこには、一輪の黒い綿毛の花が足元で咲いていました。
「はい、聞きます。どうしたのですか? お花さん」
ネムの言葉に、綿毛の花は静かに話します。
「私はご覧の通り、黒い色をしております。動物たちも草たちも、私のことを不吉だと言って、誰も見てくれません」
風に吹かれて、綿毛の花は寂しそうに揺れました。
「私はもうじき枯れます。しかし、私にはたくさんの大切な子供たちがいます。このままでは、子供たちも不吉な花として、皆から嫌われてしまうでしょう。お願いします、妖精さん! 動けない私の代わりに、賢者様を呼んできていただけないでしょうか? せめて子供たちには、私とは違う幸せな生き方を送って欲しいのです!」
***
綿毛の花の話を聞いて、ネムもとても悲しい気持ちになりました。
そして二枚残っているうちの、黄色い花びらを選ぶと、それを彼女にあげることにしました。
「大丈夫ですよ、お花さん。お花さんの子供たちは、きっと素敵な花を咲かせます。これは賢者様からの贈り物ですので、どうぞ受け取ってください」
そう言って、ネムは花びらを彼女の根元に埋めてあげました。
「本当にありがとうございます、妖精さん! 何とお礼を言えばよいのか……」
「お礼だなんて……、そうだ! お花さん、『月の丘』に行きたいんたけれど、どっちの道を通ればいいですか?」
綿毛の花は答えます。
「『月の丘』は、この左側の道をずっと進んだ場所にありますよ。どうか気をつけて、行ってくださいね」
***
「『月の丘』は、まだなのかなぁ。大分来たと思うけれども……」
綿毛の花に教えてもらった道を、ひたすら飛び続けて小一時間。
羽ばたくことに疲れてきたネムは、地面に足をついて、残った道のりを歩いて進むことにしました。
行けども行けども、真っ暗な森の景色が続くばかり。『月の丘』らしきものは一向に見えてきません。
「本当に、わたし一人で大丈夫だったのかな。賢者様が一緒の時に行けばよかったのかな。……ううん! 自分の花を咲かせることが出来るんだ! 絶対に『月の丘』に辿り着いてみせるぞ!!」
弱気になった心を奮い立たせて、ネムは目の前の道をどんどん突き進んで行きます。
険しい山道を乗り越えてしばらく経った時のことでした。
遠くの木々の隙間から、ポツンと小さな明かりが灯っているのをネムは見つけます。
「あの明かりは何だろう? 誰かいるかもしれないし、行ってみよう!」
本来通るべき道から少しだけ横にそれた場所にありましたが、この真っ暗闇の中に誰かがいることは、今のネムにとってこれ以上心強いものはありませんでした。
急いでかけよって、ネムは明かりの正体を確かめます。
それは、一軒の小さな山小屋でした。
「こんなところに、小屋がある。休ませてもらえるか、訊いてみようかな。すみません」
扉を軽く叩き、ネムは小屋の主人を訪ねます。
ほどなくして、中から人間のおばあさんが姿を現すと、目の前にいるネムを見て、驚いた顔をします。
「あらまあ、妖精のお客様なんて珍しい。どうぞ、中へお入り」
***
ネムを快く迎え入れてくれえたおばあさんは、ネムを小さな椅子へと案内しました。
座るまでの間、ネムは辺りを見渡します。
部屋の窓際に置かれた大きな作業台と、なめし革用の保管棚。壁には様々な仕事道具がぶら下がっており、台座の上に真新しい革靴が並べられていることから、どうやらここは靴職人の家であるようです。
「妖精が住む村は、ここから遠く離れた場所にあると聞いていたけれども、来るのが大変だったでしょう? もしよければ、このお年寄りに旅のお話を聞かせてくれないかしら?」
おばあさんが用意してくれた温かいミルクを飲みながら、ネムはこれまで見てきたものや、出会ったものたちの話をします。
おばあさんは、そのひとつひとつを静かに聞いていました。
「とても素敵なお話ね。聞かせてくれてありがとう、小さな妖精さん」
「あの、おばあさんはここで一人で暮らしているんですか?」
旅の話を終えてから、ネムはずっと気になっていたことを尋ねます。
するとおばあさんは、ネムを作業台の前まで連れてきて、その上に置いてある小さな革靴をみせました。
「これは、町に住んでいるあたしの孫への贈り物でね、妖精さんみたいに、とっても可愛い女の子なのよ。ちょうど、明日が誕生日なの」
とても優しい目をしながら、おばあさんは嬉しそうに説明をします。しかしすぐに、おばあさんの顔が少しだけ悲しげなものになりました。
「本当は、可愛い色の靴を作ってあげたかったんだけどね、お金がなくて、いつも地味な色の革しか買うことが出来ないのよ。一度でいいから、あの子におしゃれをさせてあげたいけれど、こればかりはどうしようもないわねぇ」
***
口を閉じたまま贈り物を見つめているおばあさんを見て、ネムは最後の一枚の、赤い花びらを握って、おばあさんに声を掛けます。
「おばあさん、これを一晩贈り物の上に置いてください。これは色の妖精の花びらです。きっとお孫さんに似合う、赤い色の靴になるはずです」
ネムの言葉に、おばあさんは目を丸くしてから、今度は戸惑った顔をします。
「いいのかしら? 大切なものなのでしょう?」
「おばあさんは、突然お邪魔した見知らぬわたしをもてなしてくれました。それに、大切なものだからこそ、おばあさんに使ってもらいたいんです」
しばらくの間、おばあさんは悩んでいましたが、やがてネムのまっすぐな気持ちに応えるように、花びらを受け取りました。
「本当に、ありがとう。親切で可愛い妖精さん」
***