【11】『好奇心は少女を殺す』
「もうやめて、お母さん! もうやめて……」
ラナの泣き声が、部屋に響き渡る。
事実は小説より奇なり――とはよくいったもんだが、ラナたち姉弟がすべて父親違いという事実は、あまりに重く俺の心にのしかかってきた。
夫と死別した後、自分の体を売って生きてきたラナの母親。
そんな彼女に、他に方法はなかったのか? なんて言うのは結果論だ。
人は皆、それぞれに生き方がある。
それは自由であり、他人が口を出す権利はない。
だから彼女を『怠惰』と断じる事ができるのは、きっと人ならざる神だけだろう。
『これが……『大罪のカルマ』を背負った者の業じゃよ』
その神であるセンチアが、念話で語りかけてくる。
『やめろ――。言うな』
『お前も薄々は気付いとったじゃろう。この母親は『怠惰のカルマ』を被っておると』
『…………』
『すべての者がその影響を受ける訳ではないが、中にはこうなってしまう者もおる。別に、大量殺人をしでかす訳でもないので見過ごしてはおるが……、ロクなもんではないじゃろう?』
何も言い返せない俺に、さらにセンチアは言ってくる。
『ラナはこやつから産まれたために、遺伝的に『怠惰のカルマ』を背負ったんじゃな』
そういえばラナと初めて会った時、センチアはラナの『怠惰のカルマ』の成分が薄いと言っていた事を思い出す。それでいて何かが重なっている様にも見えると。
センチアの言い方を借りれば、ラナは『大罪のカルマ』の二世という事になる。
俺の『強欲のカルマ』も望んだものではないが、けっしてラナだって望んでこうなった訳じゃない。
なのに、こんな絶望の吹き溜まりの中にいるなんて、運命はあまりに過酷すぎる。
「なあラナ、お前もそろそろ客を取りな――」
「――――!」
母親の言葉に、ラナの肩がビクッと震える。
――客を取れ。
その意味するところが、体を売れという事だと理解できたのは、俺とラナだけだろう。
「い……嫌……」
短く答えるラナに、
「まったくお前は分別のつかない――『怠け者』だねえ……」
母親は呆れた様に冷たく言い放つ。
さっき俺はこの母親に、金貨十枚でラナを抱かせてやると持ちかけられた。
それに驚くラナに、あの時も母親は分別をつけろと言っていた事を思い出す。
確かに生きる事は過酷だ。それは俺にも分かっている。
だからといって、生きる糧を稼ぐために体を売る事が『分別』というのは、あまりに過酷すぎはしないか⁉︎
「お前がこの男に何を期待しているのか知らないけどね……、そいつは流れ者なんだろう? じゃあ、いつかはいなくなっちまうんだよ」
母親の追い討ちは、今度は俺にも矛先が向けられる。
そして怯えた様な目でラナが俺を見る。
だがそれに俺は、
――俺はどこにも行かない!
とは言ってやれない。
ラナとのこの時間が永遠ではない事に、すでに俺は気付いている。
その場しのぎの嘘を言う事もできるが、それはさらにラナを傷付ける事になる。
こんな分別だけはついちまうんだから、まったく歳は取りたくねえもんだ……。
そう思い胸が痛むが、こうするしかないと腹をくくる。
やがて何も言わない俺に、ラナは諦めた様に目を伏せてしまう。
「ラナ……」
なんとかそれだけ言えた俺に、
「大丈夫……。大丈夫……です」
それだけ言うと、ラナは家を飛び出してしまう。
「お姉ちゃん!」
エルがラナを追いかけていく。年少のアーシャとカムリは、何が起こったのか理解できず呆然としている。
俺も呆然と、ただそれを見送る事しかできなかった。
たとえ追ったとしても、今の俺に何が言えるというんだ……。
――好奇心は猫を殺す。
俺はラナという少女に干渉しすぎたせいで、俺だけでなくラナの心まで殺してしまったのだ。
夜半にエルが一人で帰ってきた。
「ラナお姉ちゃんは、大丈夫だから――って言ってた」
悲しそうな顔をしていたが、エルの口ぶりからラナが危険な状況にはないと判断した俺は、寝床である納屋に戻る。
――明日、ちゃんと話をしよう。
何を話せばいいかは分からなかったが、ただ漠然とそれだけは心に決めると、納屋の硬い床で、粗末な毛布に身をくるむ――。
こんな時にセンチアがうざ絡みでもしてくれれば、少しは気が紛れたかもしれないが、こんな時に限って何も言ってはこない。
かといって、こちらから話しかける気も起きないので、俺はただ悶々としたまま眠れぬ時を過ごすしかなかった。
やがて納屋の板塀の隙間から、朝日が差し込んでくる。
俺は身を起こし、納屋を出る。
そして何も考えられないまま、アテもなく貧民街の中をさまよった。
街から離れると鬱蒼とした森があった。
吸い寄せられる様に、俺はその中に進む。
スキルを使う必要もないくらい、そこが安全で静かな場所だという事が分かる。
やがて進んだ先に、美しい木立に囲まれた池があった。
まるで妖精でも出てきそうだ――。
そう思った俺の視界に、池の中にいる裸の少女が目に入る。
本当に妖精がいたのかと錯覚したが、その正体はすぐに分かった。
――ラナ!
声をかけようと思ったが、ラナの行動がおかしな事に躊躇してしまう。
ラナは池につかりながら、全身を何度も、何度もこすり続けている。
それはもう戻らない何かを、必死に取り戻そうとしている様にも見えた。
まるで――汚れてしまった自分の体を呪う様に。
「――――⁉︎」
嫌な想像が頭をよぎる。
動揺のせいで体から力が抜け、倒れそうになる。
そのせいでよろけた俺は、足元の小枝を踏み折ってしまう。
「――――⁉︎ レオ……さん?」
ラナが驚いた目を向けてくる。
最悪のシチュエーションで気付かれてしまったが、もうどうする事もできない。
ラナは裸の体を隠す事もなく、まっすぐに俺と向き合っている。
そして小さく呟く。
「私ね……、レオさんがずっといてくれればいいなって、夢を見てしまいました」
ラナが目を閉じる。
「そしていつか私をお嫁さんにしてくれて、小さくてもいいから家を建てて、男の子と女の子の子供を二人で育てて……」
少女の夢――。それはあまりにも純粋で残酷だった。
「でもね、『怠け者』の私はそんな夢を見ちゃいけなかったんです……。だからもっと早くに……」
そこまで言ってラナは声を詰まらせる。
「私はもっと早く……『分別』をつけるべきでした……」
開かれた目から、大粒の涙がこぼれ落ちる――。
その時もラナは笑っていた。
泣き笑い――俺を傷付けないための嘘。
それでも俺は何も答えられなかった。
そんな俺を見極めた様に、ラナは池から出ると、服を拾い足早に走り去っていく。
やはり俺はその背中を追えなかった――。
――俺は……最悪だ。何が……『強欲』だ。
無責任な大人の自己満足で、少女の心を踏みにじった自分にたまらなく腹が立つ。
そして失ったものの重みを感じながら、俺はただ立ちつくす事しかできなかった。




