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言いたいことだけ言うと、闇の神は姿を消した。それは一時間もなかったはずだけど、精神的にぐったりしている。精神的に。
微妙な言い方になってしまうのは、肉体が全く疲労していないから。腐っても神の身体だけあって、疲労という概念がないのかも知れない。とりあえず、神がどういういう話は、今は考えたくないな。
溜め息をついて部屋を出ると、建物前の道が人であふれていることに気づいた。とても嫌な予感がする。
「おお! 新しい我が村の神さま! 何と神々しいお姿! よ、よろしければご尊名を、何卒、何卒お知らせくださいませ!」
「は、はぁ……、あの、松野祐子、ですが」
「マツノユウコ様! マツノユウコ様! ああ何と甘美な響きでありましょうや!」
…………。
この短時間で、なぜ私が神という話が広まってる? 神々しいって神に言う? 困惑しかけて、すぐに気を取りなおす。
あいつのせいだ。
この星の創造主で、間違いなく本物の神の力をもっているけれど、何一つ崇めたくなる要素のなかった、あの闇。
こちらの意志をうかがう素振りを見せながら、最初から私が神の役目を担う前提で動いていたのだろう。はぁ…。
「この村の神…の役目を引き継いだ、松野祐子です。と言っても、自分が神だとは思っていないので、ユウコと呼んでください。そして、私は今日この町に来たばかりで、この町どころかこの世界のことも知りません。しばらくは勉強させてください」
「おお! 祐子様!」
「ああ勿体ないこと! 神が、神が我々にお言葉を賜わられた!」
「えー…」
仕方なく挨拶してみたが、どうもやぶ蛇だった模様。昨日までただのバイトだった人間に、この景色は刺激が強すぎて、気が遠のきそうになる。
それにしても、まるで日本だ。それも白黒の資料映像で見たようだ。
歯が抜けた老人…はいないけれど、みんな歯が真っ黒、肌もしわだらけ。服装も昔話のようなつぎはぎで、どこかのテーマパークなのか映画撮影のエキストラなのかと疑うほどに。
でも、これは芝居じゃない。この場を包む異様な幸福感が、肌を刺すように教えてくれる。彼らは本気で、私の登場に昂揚しているのだ。勘弁して…。
その後、町長と副町長だけに残ってもらい、改めて挨拶をした。背広を着込んだ斎藤さんと渋谷さん、日本人としか思えない名字を名告られて、またまた困惑する。
念のため、ニホンという国を知っているか聞いてみたが、知らないという。
この星のベースが日本で、そしてこの二人が何の記憶も引き継いでいないことだけは分かった。
「祐子様、これが我が町、一の町でございます」
「一の町?」
「はい。神さまより賜わりました名でございます。なんでも、この町が世界の始まりなのだとか」
長机に広げられた地図は、まるっきり日本でよくある観光マップだ。写真はないがカラーで、町の主要な施設などが記されている。そう。
印刷物。
デタラメな神が、端末を通じて配布するものは、どこで印刷されたか分からない美しい紙で、その再現が試みられているが未だに成功していないと、副町長は語った。
「あの…、もしかして、二の町、三の町も?」
「はい。隣町は二の町、果ては伝聞でしか分かりませんが、百万の町まではあるそうです」
「それはすべて神が名付けたと?」
「ええ、もちろんそうでございます」
町長は胸を張って答えた。どうやら神に対する尊崇の念は篤いらしい。自分なら石投げそうだけど。
要するに、地名を考えるのが面倒だったから数字を振った。そんな適当に星を創造したわけだ。
このいい加減さは、星の創造がブラフでないことを逆に証明しているが、だからといってあの闇を拝む気にもなれない。
「これは鉄道ですか?」
「はい。神さまより賜わった蒸気機関車というものが動いております」
「……これで隣町へ?」
「いえ、数キロ先で途切れております。神さまは我らに、自らの足で切り拓くよう命じておられます」
「はぁ…」
それっぽく引かれた線路が唐突に途切れて、どうやら駅もない。いい加減過ぎて呆れるし、それを神のご意向と良い方に解釈する町長たちにも驚かされる。
何がどうして、そこまで神に入れ込むのか。地図には他にも気になるものが多数書かれているが、ツッコミが追いつかなさそうなので後回しにした。
そして二人とは、明日の午前中に役場の仕事を見せてもらうことを決めた。
新しい神として、いろいろ干渉したくなったけれど、さすがに滞在数時間でそこまでやるのは性急に過ぎるだろう。
だいたい、あの闇の神が、他にどんな落し穴を用意しているかも分からない。考えなしでいい加減で適当だけど、バカじゃなかった。むしろ、自分はいいように操られている。
相手が本物の創造主では、何を警戒したって勝ち目はないんだけど。
役場の見学は、あくまで現状把握のため。
これまでの神の端末は、村の行政には関与していなかった。端末であり、そもそも微動だにしない人形だったらしいから当然なんだけど、動く神となった私も同様に関与しない。あくまで見学して、この世界の知識を得るだけ。
まぁ――――。
本当のことを言えば、端末の記憶だったものを、今の私は読み取ることができるようだ。それを使えば、この村どころか星のすべてを知りうるのだが、膨大な量の情報は松野祐子としての意識には耐えられそうにない。
そもそも神は毎日働くような存在ではないのだから、数ヶ月は遊んで暮らしたいなぁ。
「祐子様、何かありましたらこの者をお使いください」
「静と申します。祐子様、何卒よろしくお願い申し上げます」
「は、はい。よろしくお願いしますね、静さん」
で、身の回りの世話をするという女性をあてがわれた。静さん。何のことはない、村長の娘さんらしい。
ちなみに、村長も副村長も見た目は三十前後。そして娘さんも三十前後。まともな化粧品も衛生環境もなさそうだから、その分だけ老けて見えるけど、少なくとも親子には見えない。寿命三百年、百年間の不死というあり得ない条件があれば、曾孫ですらも兄弟のように見えるというから大変だ。
見た目で年齢が推測できない社会は、私には生きづらそう。
「それでは祐子様、何をいたしましょう」
「えーと、そもそも前提が分からないので確認します。ここは私の家なんですか?」
「もちろんでございます! 神さまのご許可がいただけなければ、足を踏み入れることも出来ない神聖な場、今ここに立っているだけで喜びに心震えております!」
「そ、そう…」
昔懐かしい割烹着を着た静さんは、頑張れば女子大学生でも通用する見た目なのに八十歳、もうすぐ曾孫が生まれるというギャップ萌え。あ、萌えの要素はないか。
顔つきも背丈も日本人の平均っぽくて、そんな口からファンタジーな台詞が飛び出す。こっちのギャップも疲れるだけで、特に魅力は感じない。
ともかく、お手伝いさんなんて私には要らないから、必要なことだけ確認して帰ってもらった。明日の朝、役場に行く時間に来てもらう約束をして。
独りになりたい。強くそう願った。
※和風って言葉がテレビ時代劇もどきに変換される今日この頃。この話の和風はきっと「新日本紀行」的? もっと古いかも。0-8ぐらいで町の様子が描写され始める予定。