韓国の反日感情の背景
韓国が日本に対していつまでも喧嘩腰な理由の1つは、有史以来の朝鮮半島における諸王朝と日本の「地位」の関係にある。
古代朝鮮、衛氏朝鮮の時代から、朝鮮半島における王朝は、中華王朝に朝貢することが当たり前になっていた。
「朝貢」とは、外部から「中華皇帝の『徳』を慕って」自ら中国に赴いて、その地方の特産品などを献上する行為である。それに対して、中華皇帝は「冊封」をする場合がある。
「冊封」とは、中華皇帝がその組織の支配者(俗に言う国王)に対して、「中国の官僚の地位」を授けることである。通例、中華皇帝の親戚の地位(皇太子とか)を贈る。
今は信じられないかもしれないが、基本的には、古代から近世にかけての東アジアは、軍事・領土・技術ともにずば抜けて優れていた中華王朝を中心に回っていた。
したがって、中華皇帝から授けられた地位は絶大な説得力を誇り、冊封を受けることで「国」として認められるといっても過言ではない。
日本では邪馬台国の卑弥呼が中華王朝の魏に朝貢し、「親魏倭王」の称号を授かる「冊封」を受けた。この時点で初めて、「倭」という国が確立されたことになる。
ちなみに「邪馬台国」は邪馬台国側から見た呼称であり、「倭」は中華皇帝から見た、「朝鮮半島を除く中国の東側の勢力」を指す、ざっくりとした呼称である。
こうして朝貢・冊封関係を結んだのだが、この「朝貢国」には、中華皇帝から見た序列がある。そして、この序列というのは、「中国に近い国から」順に偉いというものがほとんどだ。
また、朝貢というのは好きに行って良いわけでもない。どのくらいのペースで、何回行っていいかは「中華皇帝が」指定する。
この点で、朝鮮は年に1〜2回程度の朝貢であった。ちなみに、日本の中国に対する朝貢(所謂遣隋使・遣唐使)は、多くて毎年1回、少なくて10年近く行かないこともあった。
したがって、朝貢国の序列では、常に朝鮮の主流王朝が一番「偉い」地位にあったのである。
もちろん日本も、突厥や渤海よりは上の立場にあったらしいが、「新羅>倭、李氏朝鮮>日本」の序列は変わらなかった。
中華王朝で言う「皇太子」に等しい地位を授かっていた李氏朝鮮は、異民族の女真族が中国を征服し、清となったときには、「もはや中国から中華王朝はいなくなった。皇太子に等しい地位を与えられていた朝鮮こそが、真の中華王朝の後継国である」という意識を持ち、これが「小中華」である。
そんな朝鮮王朝のプライドにヒビを入れたのが、豊臣秀吉の朝鮮出兵だ。
当時世界一の鉄砲技術と、世界一斬れる刃物である日本刀を装備した日本の兵士は、わずか1ヶ月で首都の漢城まで侵攻した。
事の発端は日本統一後。何をトチ狂ったのか「中国を取ろう」と言い出した秀吉は、まず一番近い朝貢国の朝鮮とコンタクトを取った。
日本「近いうちに明を攻めるから、お前も一緒に攻めろ」
朝鮮「いや何言ってんだお前。んなことするわけねえだろアホ」
日本「わかったわかった。じゃあ別に攻めなくてもいいから、お前の国通らせろ」
朝鮮「嫌なんだが???????」
日本「もういい。お前も一緒に潰してやる」
朝鮮「え、ちょ」
そして始まった文禄・慶長の役(壬申・丁酉倭乱)。まさかこんな早く首都を落とされるとは思ってもなかった朝鮮は、「なんか変な奴ら来たんで助けて!」って明に泣きつき、明の援軍が日本軍を追い払った。
因んでおくと、この朝鮮への援軍が遠因となり、明が滅亡している。(要望があれば別項で解説)
結果を見れば占領されてないが、見下していた連中にボッコボコにされた朝鮮は、明らかにプライドが傷ついただろう。
そんな中でも微かに残っていたプライドをへし折ったのは、間違いなく明治政府の韓国併合だ。
見下していた日本に併合された。この事実だけでも反日感情がMAXになる。その上、さらに日本風の名前に変えることを強制されたりしたら、そりゃあ「お前覚えてろよクソ野郎」という感情になるはずだ。
そして戦後、大韓民国として再び独立国家の道を歩み始めた朝鮮だが、現代における韓国の反日感情は、世界史的に見ればこういう背景もあるのである。