第五週:星屑とケイバーリット(木曜日)
さて。先週金曜日のこの連載で私は、セイ・カハの一族について「質量のない光であった……」との説明を行っている。
なので、賢明なる読者諸姉諸兄の中には、この一族について、『質量を持たないのなら物を動かしたりも出来ないだろうし、ましてや戦闘には向いていないのだろうな……』と思われた方もいるかも知れない。
確かに、ニュートンの運動方程式によれば『p=m・v』となり、運動量pは、質量mと速度 v の積で求められる。つまり、「質量のない光」の運動量はゼロになりそうなものである――が、実際のところはそうはならないし、紙数の関係もあるので詳細は省くが、後の時代、このニュートンの運動方程式が厳密には正しくないと云うことも証明されている。
そう。例えばアインシュタインは、この方程式を『運動量p=γ・静止質量m・速度v』と云う風に書き換えた。つまり、物体の速度によって変化する『γ』の導入と、質量mの『静止質量=物質が「静止している」際の観測質量』への書き換えを行なったのである……が、やっぱり紙幅が足りないなあ。
えーッと、つまり、諸々のことを端折って書くと、光にも運動量(p=E/c)があり、質量がなくても物を動かすことは出来るのである。
それは例えば、二十一世紀初頭の地球なら、『光ピンセット』と云う技術に見ることが出来るし、二十一世紀も中期になれば『光子浮揚』のような技術も実用化され、光の力で人工衛星や小惑星を動かしたりすることにもなるのだが……ここまではよろしいだろうか?
つまり、私が何を言いたいのかと云うと、昨日のこの連載の最後でアイスオブシディアンが握っていた『黄石』は、展開するとナノスケールレベルのエッチング加工が施された大きな布板へと変化し、それに光を集めれば、小惑星レベルの物体なら、自由に動かせることが出来る――と云うことなのである。
(続く)




