ⅱ(2)
その晩、ある宗教家は加虐と共に私に向かって「不気味で醜い子供だ」と罵り、またある詩人は献身的な性愛と共に「この世のどの女より美しい」と囁いた。
三人目の客はマハというあの公証人の未亡人だった。
そして呼ばれて向かった先は、何やらいつもと様子が違った。すでに彼女と酒場の間で話がついていたのか、その薄暗い部屋には十数人の子供が集められていた。
子供らの中には別の娼館から集められたらしい子供もいて、美しき盲目のアンナと、妹のギーギーもいた。
さらに奇妙なことには、そこは普段から食糧庫として使っている角部屋だ。色町の通りから最も遠い部屋でもある。丘の起伏によって半ば地下に埋まってもいる。
多少に蒸し暑い夜にもかかわらず、風通しの戸板もしっかりと下ろされていた。そのせいで部屋全体の空気が酷く淀んで、至るところから腐りかけの肉と発酵した果実などの臭いが染み出して、それが顔をしかめるほどのものとなっている。
確かに趣味趣向は様々だ。あえて異論もない。ここを訪れる客の中にも頭のおかしな連中は多いのだ。一晩に同時に何人も望むような底なしや、普通では考えられない場所に固執する客も珍しいことではない。
そして、そういった場合は大抵、主人に少しばかり多い分を支払うか、それが駄目でも相手が納得する分を握らせればいい。それで大体のことは事足りる。この界隈における暗黙の決まりともなっている。
しかし、そうであっても今のこの状況を鑑みると、あまりに不自然極まりなかった。
第一、マハ自身そういった趣向の人ではなかったし、加えてわざわざ他の娼館から別の子供を呼びつけるという理由もよく分からない。
どうにも話が結びつかない。その場にいた全員が何か別のものがあることに気が付いてもいた。あるいは後になって思えば、マハは街中の娼館とも話をつけていたのかもしれない。彼女は他の場所でもこんなことをしていたのかもしれない。
ただし、この場においては、このような状況は明らかに別の想像を生んだ。子供らにとって、こういうときに起こることは大抵恐ろしいことと相場が決まっていて、事実そのとき彼らはそう信じていた。中にはそのような経緯から目に涙の玉を浮かべる子供もいた。
家屋の木造部分は、最近急増する鼠害によってどこそこに小さな穴がある。この地下に埋まった部屋なら多少の悲鳴なども漏れ難いと、彼ら自身が想像するのもまた容易いことだった。そうして集められてから随分と時間がたったころ、顔を隠した一人の小柄な貴婦人がその扉を開けて入ってくる。
「落ち着きなさい、子供らよ」
緩やかに頭巾を取り払い、怯えに満ちた子供らを見やってマハは静かに言った。それからまず一人一人に近寄ると、その身に抱きしめ、額に慈愛に満ちた口づけをしていった。
それがどういった類のものであるのかは誰も最初理解しなかった。というよりもその真意を計りかねて正に戸惑ったのだ。
だが、その中で一人の少女が気丈を装って前に出る。少女はアンナだった。
どんな職業の中にも矜持や序列というものはあって、それは望まずして娼婦となったものであっても同じことだ。彼女はこの場の年長者の一人でもあった。
「…これからどうなるの? 何が起こるというの?」
すくみかけるのを疑問で誤魔化したいみたいに彼女は声を出した。
「誤解はしないで。あなたたちに危害を加えに来たわけではない」
だけど彼女がそう言ったところで意味はなかった。子供らは多くの大人の欺瞞を知っている。そういうものだと植え付けられている。
当然に安易に警戒を緩めるものはいない。見定めるように誰もが彼女をじっと見つめる。
「これからではないのです。三日後あることが起こる。そしてこの部屋には偶然に鍵がかかる。二つもかかります、偶然にも。だから、そのとき、あなたたちはここに隠れていなければならない。そのことを伝えに来ました」
「どうして?」
「いいですか、あなたたちは質問をしてはいけない。誰にもこのことを喋ってもいけない。ただ一つだけ。私の言うとおりにしてくれればいいのです。いいえ、必ずそうしなくてはいけない」
だが、そう告げられても自分たちには、この娼館で勝手の許されることなど何一つない。それほどにここにいるものは幼く、立ち回るだけの知恵もなかった。その日にそうするだけの権限もなければ、それによって懲罰を受けることを何より恐れた。それに彼女のいうことが正しいという確信もない。
だけど、彼女は直ぐに、私たちが自分の話に従うかどうかを決めかねていると見て取ったのだろう。少し困ったように、あなたたちは本当は愛に満ちなくてはならない、と言った。
「これ以上は深くは教えられないのです。もし教えれば、そのときここが安全ではなくなってしまうかもしれない」
「安全でないならどうなるの?」
「あなたたちが考えるよりずっと恐ろしいことになるでしょう」
「恐ろしいこと?」
「ええ。とても残酷なこと。それはそれは口に出すのもおぞましいようなこと。信じられないかもしれませんが、そのようなことがこの世の中には確かにあるのです」
「どうして? 何故そんなことが分かるの?」
「あなたたちはこの中のことしか知らない。外のことは何一つあずかり知らないし、自分たちとは無関係のことだと思っているかもしれない。事実そうでしょう。あなたたちは確かに檻の中にいる。でも、本当はその檻も、檻を厳しく見張っているものたちもまた、あなたたちの思う外の一部でしかないのです。少なくとも三日後に娼館の外は安全ではなくなる。それだけは間違いないのです。そして、もしそのとき、あなたたちが危険にさらされていても、きっと誰も助けには来ないでしょう」
私の後ろに身を寄せるようにしていたギーギーがぎゅっと手を取った。我々は彼女の話をただ黙って聞いていた。
この中に苦痛を知らない子供は一人もない。このような気性の荒い場末の娼館でならなおさらだ。
快楽とは本来多少の苦痛と引き換えに得られるものだが、子供にとっては必要以上の苦痛でもある。そして自分たちはそれがある種の凶暴性を秘めていることも知っている。
逃れる術はそう多くないのだ。じっと心を殺すか、苦痛を快楽に変えるか、あるいは彼らを己に写し取るか。そうやってやり過ごしながら、少しずつ痛みに慣れていく。人というものを学んでいく。
ただ彼女はそうした大人らの中にあって、唯一といっていいほど心の優しい人物であることは、その場の誰もが理解した。
「一つだけ教えて、それさえ知れば私たちは貴方を信じると思う。そのとき一体何が起こるというの?」
「深く教えられないと述べたはず。あなたたちのためなのよ」
「全部貴方の言う通りにするわ。だからお願いよ、それだけでも教えてほしい」
彼女はしつこく食い下がった。マハはこのまま押し問答したところで、子供らが従わないということに思い至ったようだ。一つの溜め息とともに、これ以上は無意味なのね、と言う。
「いいわ。三日後の午後、不可触民(※触れるべきでないものの意。被抑圧者)の暴動が起こる」