ⅱ(1)
ⅱ
星を見ていた。たくさんではない。頭上の端にあるぽつぽつとした星だ。
目覚めると薄暗い部屋の中だった。その片隅ではまだ微かに芥子(ケシ科ケシ属の一年草、阿片の原料となる)の香炉が燻っている。少し首を横にすると、足元には数えきれないほどの葡萄酒の空き瓶と大量のバラの花びら。分厚い窓の垂れ幕はもう淡い紅色を濾すみたいに映し出した。
全身が異様に気怠かった。じんわりと顔面が汗ばんでいる。
ベッドの下では、同様に裸の人間がナメクジの群れみたいに折り重なっている。彼らの肌は妙に青白い。蜜でも塗ったみたいな光沢を発している。真ん中の机にも目を向けた。食い散らかした山羊か何かの肉片と多少の果実の残骸、床には古く染みつく小便の臭いと、誰かが誤ってぶちまけたのか、香油の黄ばんだ跡が残っていて、それらの入り乱れたものがどぎついほどの悪臭を放った。
屋根には幾つかの穴があいている。最近はよく昼でも部屋の隅を疾駆する鼠の姿を見る。あるいは別な何かとの混血か。星はそこから漏れる鈍い光であった。
狂宴の余韻を押しのけるように身を起こす。
今が夕暮れだか早朝だか区別がつかない。かろうじて確かだといえることは、ここが娼婦酒場の二階であることと、芥子と酒の猛毒がまだ僅かに頭を鈍らせていること、あと恐らく体中から獣のようなひどい臭いがしているであろうことぐらいである。
窓の垂れ幕をぼんやりと眺める。表には喧騒が感じられる。夕暮れ前には違いないらしい。そしてそれはいつもよりも少し活気があるように聞こえた。
昨晩の乱痴気騒ぎのわけをふと理解した。そうか、今日は祝日だったな。酒場の主人が起こしに来ないのも、彼らが目を覚まさないわけもこのためか。
そのときになって右の掌にある妙な感触とともに、自分が誰かの手を握りしめていたことに気が付いた。眠っている間に無意識にそうしていたのだろう。
手はどうやら女のものだった。小さくて少し皴がある。腕の付け根に向かって幾つもの黒い斑点があった。
不思議に思った。この女は誰だったか。見たこともないし、思い出せもしない。知らない顔だ。別の誰かの常連か。
だけど、そんなのは結局どうだっていいことだった。ここじゃ財布以外は用がない。年齢や性別、ときには身分すらも意味がない。どんな吐きそうな相手でも、たとえ吐いちまったとしても笑って耐えるのだ。むしろ、それが厄介ごとを起こさないコツでもある。
ゆっくりと手を引っ込めながら、その持ち主の寝顔をじっと見つめた。そしてどうしてか、ふと別のあることに気付く。きっとこういうときに他の子は泣くのかもしれないと。ここへ連れられる子供は最初、人に見られないようそうするらしいから。
あのあとのことを簡単に説明すると、私はある男に拾われたということだった。彼の生業はいわゆる女衒、人身売買仲介人であった。
偶然にして彼は山奥に死体を捨てに行った帰りであり、そのとき私は極度の身体的精神的な衰弱から失声していたが、女衒の直感か気まぐれに彼は私を連れ帰った。
そして身を清め女のように着飾ると、私は彼を容易く魅了する。
それから口もきけず字も書けなかったためラーズという仮初の名を与えられ、男娼として数枚の銀貨と引き換えに公営娼館へと売り飛ばされたという次第だった。
実際のところ、搾取する側の彼らにとってみれば、私のような適当な見た目の孤児というのは非常に都合のいいというのか、格好の商売の種であったのは確かだろう。
そうでなくても、困窮から親が我が子を口減らしに売るなどというのは、いつの世も珍しいことではない。そしてこのような時代の農村ではそういった理由から、すすんで子供を手放すものは多くいたのも真実である。
彼ら女衒は公としては、忌むべき下劣の存在ではあったかもしれないが、隠れた需要は確かにあったのだ。
ただ、しばらくした頃ぐらいだったか。
流されるまま籠の鳥の日々を送るようになって久しいとき、私はとある奇妙な流行について気付かされることとなる。
それは驚くべきことだった。この街の性が歪のモラルによって成り立っているということだった。つまり、不全は不全であるほどに美点であるという。
奇形によって生まれつき手足のない、トルソーの彫刻のような娼婦。吸い込まれるような瞳をした盲目の姉妹。声の喪失によって魔性となった男娼の子供。
最初のうち、人は声の出ないことを大いに面白がった。多くのものは取り憑かれたように私の声を聞きたがる。彼らは行為の中で私の声を想像し、次々にこの容姿に夢想のように魅入られていく。
たとえばあるときは元老院議官の一人。その頃の政治の中枢を担うものらの中にはソドミー(※不自然性交。この場合は同性間性交)にふけるものも少なくなく、特に傾向として精通前か間もない少年たちが好まれた。彼は頭がのけぞるほどに髪を引っ張りながら力の限り私を組み敷いた。
またあるときは、とある未亡人だ。彼女は不幸な結婚によって、ほとんど年の離れた公証人の夫の妾のような生活を強いられていたが、夫が亡くなったのちは少年性愛に溺れるようになったという。彼女とは三日三晩にわたり、精根尽きるほどに貪りあった。
さらにあるときは、好事家成金らの遊興に呼ばれることもあった。彼らは突きでた腹袋の下の、赤く腫れた芋虫を揺らしながら、多量の酒と芥子に酔っ払い、あげく声を上げないことに苛立って気が狂った。とうとう笑いながら、首を絞めて殺そうとすらした。
そうやって様々な男や女たちが、私を前に露骨なるエゴをさらけ出していく。私は彼らを見て、彼らは私を見た。
誰も起こさないように床を立ち上がる。そっと垂れ幕の向こう側へと体を滑り込ませる。感じる最初の風は、長い髪を程よく梳いた。そのあとはどこか爽やかになった。
それから窓際に片膝を丸めると、この七つの起伏にまたがる肥沃の大地と、そこに横たわる街並みを見下ろした。
この酒場のある色町は街の場末にある。まず遠くの市場通りに目を向けると、ひしめく商店や露店の下に女らが、まさに夕餉の支度に活気立っているのが分かる。通りの縁などを悠然と伝う小さな影は、落ちた肉の切れ端なんかを狙う野良猫だろう。中心区の石柱の広場では、いつものように楽士の演奏か詩の朗読があったのか、そこから流れ込んだ連中が互いに語りに興じながら、料理屋の並ぶ裏通りへとなだれ込み、多くの列を作っている。同様に眼下の郭においても、店先で客引きをするものと揉め合う客などで栄え始めていた。競技場の方が一層騒がしいのは、今日が祝日のためで大掛かりな出し物や賭け事が行われているのだろう。
目に見えるところはどこも人で埋め尽くされている。この街の繁栄は一見して、確かに大したものだった。高度な治政を敷き、様式美に優れ、同時に非常に物質主義的でもある。
だが、この酒場の中でさえ、単純なる喜びや無慈悲な暴力が特異なものではないことが理解できる。
どれほど文化や福祉といったものに恵まれていても、人の中にあるのは常に大いなる倦怠だ。この街のものはいかれたように倦怠を追い払うのに躍起になっている。
彼らはきっと何で己が満たされているかも分かっていない。同時に何で満たしても一緒なのだろう。芸術や哲学、美徳や悪徳、戦争や勝利…。目に見える範囲に隠れて、ひっそりと阿片窟(※阿片吸飲を目的とする施設)が置かれているのもその一つだ。
彼らは自分たちを滅ぼすものを理解していない。希薄な生の中で、失声者となり男娼となり、それでも私が平静でいられたのはこのためだった。どのようなことも目まぐるしく現れる虚妄の見世物のように思えたから。操り人形か、芝居の役者か。そういったものと大差がないのだ。
目を僅かに閉じてみる。最後に見たあの光景のことを思い出す。惨たらしくおぞましい、あの一つの現実を思い起こす。怒号と悲鳴の上がる中、凍てついた森の奥底からゆらりと現れる男たち。背中を打ち付けられ、犬どもに手脚を噛みつかれながら、女と子供たちは次々と捕まっていった。泥と血に塗れながら、彼女らはどこへ引きずられていったのか。平穏の日々とその破綻は突如やってくる。あれこそが唯一の真実だ。本当の現実なのだ。彼女もまたあの光景に飲まれたのだろうか。
そのことを思うと自分の身に起こるあらゆることも、まるで現実味が感じられない。嘘臭く無意味に思えた。
いいや、少し違うな。間違うべきではない。結局のところ殺されただろう女たちであっても、死に際には本性を曝け出していった。汚い言葉で罵り合い、人を押しのけ、他人の子を差し出してまで助かろうとした。見苦しい限りの醜態を見せたではないか。彼女らもまた状況によれば、この馬鹿げた不道徳なる世界の住人となり果て、たちまち堕落の習慣を身に着けただろう。
どちらにしても人間とはろくでもない生き物なのだ。どいつもこいつも同じだ。クソみたいに腐りきっている。だからこそ自分もまた薬物や酒、セックスといった、仄暗く凶悪な踊りの中に平気で身を焦がせる。ぐだぐだと女々しく装ってでも生きてはいられる。ああ、やばいね、なんて最高だ。狂ってはいるが、自分は十分この世界を楽しんでいる。だが、勿論これもまた嘘のためだ。
窓から漏れる外の明りに、後ろでは彼らがのそのそと起き上がり始めていた。また娼館の一日が始まろうとしている。
街並みの向こうを眺めながら、ふとあることを思い出した。あの光景と彼女がした最後の口づけのことだ。あれは——未通女の接吻だった。今だから明白に分かる。彼女は母親ではなかったのだろう。
最早、思い出としても永遠に失われた平穏な日々を思うと、無意識に涙が頬を垂れた。自然と笑みも漏れる。なるほど、こうして人は泣くのか。