猛攻
もう二、三話で完結するなあこの作品
呉漢が蜀攻略の全権が移行されたが、あまり彼は編成の変更を行わなかった。
「北の河池を攻めている馬成は慎重かつ堅実な戦をできる男だ。逃げ癖のある蓋延よりもよっぽど役に立つ。臧宮は下手に指示するより自由にやらせた方が活躍できる」
と述べている。
その呉漢の信頼に答えるように馬成は河池を破り、武都郡を平定に成功した。
まさか岑彭が死んだ後の混乱をこれほど回復するとは思っていなかった公孫述は羌族を利用することにした。
公孫述から煽られた先零羌と諸種羌(羌の諸族)の数万人は集まって寇鈔(略奪)を行い、浩亹隘(地名)で漢軍を防いだ。
これに馬成と羌族への対応を行うため隴西太守に任命されていた馬援が深く進入して羌族を討撃し、大破した。
投降した羌族は天水、隴西、扶風に遷された。
この戦いで馬援に矢が刺さり、脛を貫通したが、彼は奮闘した。
劉秀は璽書によって馬援を慰労し、牛羊数千頭を下賜した。馬援は全て諸賓客に分け与えた。
当時の朝臣は、金城の破羌以西は道が遠くて賊が多いため、議論して放棄を主張した。
しかし馬援が上書してこう言った。
「破羌以西は城が多くて堅牢ですので、容易に依固(拠点にして守りを固めること)できます。また、その田土は肥壤(肥沃)で、灌漑が流通しています。もしも羌を湟中に住ませれば、害を為して止まなくなりますので、放棄してはなりません」
劉秀は馬援の意見に従い、武威太守・梁統に詔を発し、武威に移っていた金城の客民を全て帰らせた。
馬援は長吏(県の官吏)を置き、城郭を修築し、塢候(塢壁。堡塁)を建て、溝洫(水路)を開き、耕牧を奨励した。郡中の人々が業(家業。農業)を楽しむようになり、金城郡を復興し始めた。
また、馬援が塞外の氐・羌を招いて按撫したため、皆、帰順していった。
馬援が彼らの侯王や君長の地位を回復するように上奏し、劉秀は全て同意し、馬成の軍を撤兵させた。
十二月、呉漢は夷陵から三万人の舟師を率いて長江を遡り、公孫述討伐に向かった。
年が変わり、36年の正月、呉漢は防衛を行っている公孫述の将・魏党と公孫永を魚涪津で破り、武陽を包囲した。
公孫述は子壻(娘婿)に当たる将・史興を派遣して援けさせた。
赤い外套を身にまとい、呉漢は軍に向かって叫ぶ。
「軍靴を鳴らし、旗を高々に掲げよ。我らに敵する全てを切り殺せ、なで斬りにせよ」
呉漢は自ら突撃を仕掛け、敵軍の兵を切り捨てていった。
「総大将足る方が真正面から突入されるなど、賈復ではあるまいし」
やれやれと侯進は後をついていく。
「将軍は嬉しそうである」
よほど劉秀が怒っていることが嬉しいのであろう。呉漢は劉秀が怒り、憎しむ者との戦いを誰よりも嬉しそうに戦う。
「全く、困った方だ」
冷静であるべきだというのに興奮している呉漢に呆れながらも侯進はただただらしいと思うばかりである。目の前で呉漢が自らの手で史興を斬ったのを見ながら彼はそう思った。
進撃を続ける呉漢軍は犍為境内に入った。
犍為郡諸県は全て城を守って抵抗し始めた。するとそこで劉秀から呉漢に詔が送られた。内容は広都を直接取るようにというものである。公孫述の心腹を占拠するための行動である。
「陛下の命令に従う」
呉漢は軍を進めて広都を攻めた。
「余計な策はいらない。ただただ力で押しきれぇ」
呉漢の叫びに呼応するかのように漢軍は凄まじいほどの猛攻を城に加えて、陥落させた。
更にそこから軽騎を送って成都の市橋を焼いた。
成都の両江(郫江と検江)には七つの橋があり、そのうち西南石牛門外の橋を市橋といった。七つの橋は「七星橋」と呼ばれ、「市橋」は「沖星橋」とも称される。
公孫述の将帥は恐懼した。日夜、離叛が相次ぎ始めた。劉隆の工作の成果もあった。また、離叛した者たちの動向はしっかりと把握しており、一人ずつ的確に処理していった。
「さて、ではでは離叛した者の家族の情報を詳しく教えてあげましょうかね」
公孫述は離叛した者の家族を誅滅していったが、離反を禁じることができなかった。
更に連携するかの如く、劉秀は再度詔を送り、こう伝えた。
「来歙と岑彭を暗殺したからといって疑心を抱く必要はない。今すぐ自ら訪れれば、宗族の安全を保つことができることを約束しよう。詔書や手記はしばしば得られるものではないことを知るが良い」
劉秀は降伏しないと思っている。しかし呉漢の猛攻と進撃に多少は降伏するべきかと思っているかもしれない。そこでこのような詔を送ることで公孫述の自尊心を煽ったのである。
劉秀は彼を許すつもりは全くない。
予想通り、公孫述はかっとなって詔の書かれた書簡を焼き捨てて降伏しない意思を示した。
「王元を締め上げて、やっと情報を得ました」
劉隆が呉漢にそう報告した。
「奇っ怪なる格好の童子の名前は本当に知らないようですが、その飼い主の名は劉林というらしいです」
「劉林……河北の難の劉林か?」
呉漢としても記憶は曖昧である。
「それはわかりませんがね。劉氏などは全国にごろごろしてますし、同姓同名の可能性もありますがね」
すると劉隆は笑い始めた。
「なんだ?」
「実はその飼い主ですが、どうやら飼い犬に噛み殺されたそうなんですよ」




