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銅馬が征く  作者: 大田牛二


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南へ、西へ

 劉秀りゅうしゅうは大会(大集会、または大宴会)を開き、董訢とうきん鄧奉とうほうを討伐するための将軍として、廷尉・岑彭しんほうを征南大将軍に任命した。


 更にその席で王常おうじょうを指さして群臣に言った。


「この人は下江諸将を率いて漢室を輔翼し、心は金石のようであり(意思が固いという意味)、真に忠臣というべき人である」


 即日、王常を漢忠将軍に任命した。


 劉秀は二人の他に建義大将軍・朱祐しゅゆう賈復かふくおよび建威大将軍・耿弇こうえん、武威将軍・郭守かくしゅ、越騎将軍・劉宏りゅうこう、偏将軍・劉嘉りゅうか耿植こうしょくらを率いさせ、出陣させた。


 岑彭は先に堵郷(董訢)を攻撃することにした。


 敵軍の接近を知った劉林りゅうりんであったが、対抗するために軍を出さなかった。


「ぐう、すぴー」


 董訢が寝てしまい、軍を動かすどころではなかったのである。


「鄧奉に援軍要請を」


 劉林は焦りつつも使者を派遣する。


 鄧奉は援軍を要請を受けて素早く軍を率いて出陣した。


 堵郷から軍が出てこないため難なく進めたため、漢軍の陣営が伸びきった。その隙を突いて鄧奉は漢軍の横っ腹に突撃を仕掛けた。


 ふた振りの矛を振り回し、鄧奉は漢軍の兵を蹂躙していく。それを受けて、岑彭が対応を行った時、今まで何の動きも見せていなかった堵郷から軍が出てきた。


 その軍から凄まじい速度で前に出て、漢軍に向かっていったのはちょうど目を覚ました董訢であった。


「くっ示し合わせたような動きだ」


 いつの間にか後手に回っていることを理解しながら岑彭は立て直しを図る。


 賈復は鄧奉の元へ軍を動かすように指示を受けていたため、鄧奉が攻めている朱祐の陣営に向かっている途中で、


「遊ぼ?」


 剣が首元に向かって放たれた。賈復はその剣を握って防ぎ、剣を投げつけた者を見据える。それは奇っ怪な格好をしており、男と女の服が混ざったような格好をしている。董訢である。彼は三日月型の笑みを浮かべている。


「何者か」


「遊ぼ」


 その者が長い袖から伸ばした剣を持って飛び込み、剣を振るう。賈復はいつもどおり、その剣を腹の鎧で受け、剣を真上から振り下ろす。それを素早く避け、後ろに周り剣で切り裂く。しかし鎧によって体を切り裂けない。


 後ろを向き剣を横一閃するのと董訢は仰け反りながらそれを避け、そのまま地面に剣を持ったまま手をつき、賈復の顎を蹴り上げる。


 その一撃により、賈復は意識を朦朧としたまま倒れこむ。そこに董訢は乗っかり剣を首元に向かって突き刺しにいく。


「将軍っ」


 配下の兵の声により、僅かに意識を取り戻した賈復は左から拳を董訢の横っ腹に叩き込む。それにより、董訢は離れ苦しむ。


「痛い、痛い」


 未だ意識が朦朧とする賈復の周りを兵たちが囲み、守る。それを見て、董訢は逃走した。


 鄧奉の猛攻を抑え込むことができるはずであった賈復が対抗できないため、漢軍は鄧奉の猛攻の前に大崩となった。


「ふんっ」


 鄧奉は蹂躙途中で見つけた朱祐を馬から叩き落とし、これを捕虜にした。


 これ以上の戦闘の継続は難しいとして、岑彭は退却を決めた。


「鄧奉、呉漢ごかんの件は誤解がある」


 朱祐がそう述べるが、鄧奉は聞かない。


「誤解だと、あの惨状を見ていないから言えるのだ。呉漢を裁かなかった劉秀の偽善もな」












 南方の攻略が上手くいかなかった中、西方の鄧禹とううは馮愔が背いてから威名がしだいに損なわれていた。しかも糧食が欠乏し、戦でもしばしば不利になったため、帰附した者が日に日に離散していった。


 赤眉や延岑えんしんが三輔で暴乱し、郡県の大姓がそれぞれ兵衆を擁したが、鄧禹は平定できないでいた。


 もはやこれでは赤眉すら討伐できないと判断した劉秀は偏将軍・馮異ふういを送って鄧禹の代わりに赤眉を討伐させることにした。


「君に任せる」


「承知しました」


 劉秀自ら車駕(皇帝の車)をもって馮異を河南まで送った。


 続けて劉秀は馮異に命じて言った。


「三輔は王莽、更始の乱に遭い、赤眉、延岑の醜(悪行)が重なったため、民衆は塗炭(泥や火の中。困窮を表す)の中にいて依訴(頼って訴えること)するところがない。将軍は今、辞(皇帝の言葉)を奉じて諸不軌(諸々の法を守らない者達)を討つことになった。営保(営堡)で投降した者は、渠帥を送って京師を訪ねさせ、小民を解散して農桑に就かせ、営壁を破壊して再び集まることができないように。征伐とは必ず略地(土地の奪取)、屠城(虐殺)を行うことではなく、重要なのは彼らを平定・安集(安定)させることだ。諸将は健闘しないわけではないが、虜掠(略奪)を好むもの。あなたは元々吏士を御す能力があるから、自分を修敕すること(自分を戒めて行いを正すこと。慎重に行動すること)を念じ、郡県の苦とするところとならないことを願う」


 馮異は頓首して命を受け、兵を率いて西に向かった。最後に劉秀から言われた言葉を馮異は思い返す。


「馮異、赤眉の皇帝を救ってあげてくれ」


(救うか……陛下らしい)


 馮異はそう思いながらいたる所で威信を布き、群盗の多くを投降させていった。


 続けて劉秀は詔を発して鄧禹に帰還を命じ、こう伝えた。


「慎重に行動し、窮寇(困窮した賊)と鋒を争ってはならない。赤眉は穀(食糧)がないため、自ずから東に来る。我々は満腹な状態で飢えた敵を待ち、安逸な状態で疲労した敵を待ち、箠(棍棒。杖。または鞭)を折ってこれを打つ(折った箠で打つというのは、短い棒や鞭で敵を撃つということで、容易に勝てるという意味)。もはや諸将が憂いることではない。再び妄りに兵を進めないように」


 鄧禹はわなわなとその詔の書かれた書簡を持つ。それは西方攻略にもはや自分はいらないとも取られることを意味したものであったからである。


「陛下は自分よりも馮異の方がふさわしいと言われるのか」


 馮異は自分から見て、ただただ平凡な男という印象を彼は未だに拭えておらず、そんな彼に自分の任務を奪われるということが屈辱に等しかった。


 当時は三輔を大饑饉が襲い、城郭に人がなくなり、白骨が野を満たしていた。


 残された民は所々で集まって営保(営堡)を作り、それぞれ守りを固めて周辺の物資を全て営内に集めていた。


 赤眉は営堡を攻めても落とせず、略奪する物も無くなり、兵を率いて東に帰った。まだ二十余万の部衆がいたが、道を進むにつれて離散していった。


 劉秀は破姦将軍・侯進こうしんらを新安に、建威大将軍・耿弇らを宜陽に駐屯させ、二道に分けて赤眉の帰路を塞いだ。彼は諸将に訓示して言った。


「賊がもし東に走れば、宜陽の兵を率いて新安で合流でき、賊がもし南に走れば、新安の兵を率いて宜陽で合流できるだろう」


 これより先に西に向かっていた馮異が華陰で赤眉に遭遇した。双方は六十余日間対峙し、赤眉が挑む度に馮異はその攻撃を防ぐという戦が数十合に及んだ。


 赤眉の将卒五千余人はもはや限界として馮異に降った。


 馮異が結果を出したことは鄧禹の苛立ちを更に増すことになった。




 


 


 

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