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銅馬が征く  作者: 大田牛二


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洛陽

蛇足伝の方も更新しました。

 宛の人・卓茂たくも(字は子康)は寬仁恭愛・恬蕩楽道なうえ雅実(方正実直)で飾ることなく、行動は清濁の間(中庸)にあり、束髪(冠礼前の年齢)から白首(白頭。老齢)に至るまで、人と争い競うようなことをせず、郷党の故旧(知人。旧知)はたとえ行能(品行能力)が卓茂と異なっても、皆、喜んで愛慕した。


 彼は漢の哀帝と平帝の時代に密令になり、民を我が子のようにみなして、善(善事。善行)を挙げて(称揚して)民を教化し、口に悪言がなかったため、吏民が卓茂を親愛して欺くのが忍びなくなったというほどであった。


 ある時、卓茂の管轄下に属す亭長を訴えた民がいた。その訴えの内容は、民が贈った米肉を亭長が受け取ったというものであった。


 卓茂が問うた。


「亭長は汝から米肉を求めたのか。それとも汝が亭長に頼み事をしたために亭長が礼物を受け取ったのか。普段から恩意があるため汝が亭長に礼物を贈ったのか?」


 するとその民はこう答えた。


「私が贈りに行ったのです」


 またもや卓茂は問うた。


「物を贈ったから受け取ったのに、なぜそれを訴えるというのだ?」


 民はこう答えた。


「私がお聞きするに、賢明な君というものは民に吏を畏れさせず、吏に民から財物。礼物を取らせないと申します。今、私は吏を畏れているために礼物を贈りました。そして吏は最後にはそれを受け取ったため、これを訴えに来たのです」


 卓茂は残念そうに言った。


「汝は敝民(悪い民)であるなあ。人が群れになって生活しても、乱れることなく禽獣と異なるのは、仁愛礼義があり、互いに尊重して仕えることを知っているためである。汝だけはそれを修めることを欲しないが、高く飛んで遠くに走り、人の世からいなくなることができようか。禁止しているのは吏が威力に乗じて強く請求してはならないということだけである。亭長は元々善吏であるために、歳時(年ごと、または季節ごと))に礼物を贈るのは礼である」


 むっとした民は言った。


「そのようであるのならば、律はなぜ禁じているのですか?」


 卓茂が笑って答えた。


「律は大法を設け、礼は人情に順じるものだからだ。今、私が礼によって汝に教れば、汝は間違いなく怨悪を持つことがないだろう。しかし律によって汝を裁けば、汝はどこに手足を置く場所があるのか」


 手足を置く場所がないというのは恐らく、緊張や恐怖のためどうすればいいか分からなくなるということである。


「この一門の中で(「この官府の中」で)、刑法を用いるとすれば、罪が小さい者は論じ(罪を裁き)、大きい者は殺すことができる。とりあえず帰ってこれを念じてみよ(考えてみよ)」


 卓茂が県に来たばかりの頃、前例や政令を廃止したり新たに設けることがあった。吏民はそれを笑い、鄰城(近隣の都市)でも噂を聞い者は卓茂を無能とみなして嘲笑した。


 そのため河南郡が守令を置いた。


 この「守令」は県令の政務を代行する者のことである。


 卓茂は郡が置いたこの守令を嫌うことなく、今まで通り自由に政事を治めた。


 その結果、数年後には教化が大行し(行き届き)、道に物が落ちていても拾って着服する者がなくなったという。


 卓茂はやがて京部丞に昇進した。そのために彼が去ることになった。それを知った密の人々は老少そろって涙を流し、卓茂の後について送り出した。


 王莽が居摂するようになると卓茂は病を理由に官を免じて帰郷した。


 劉秀りゅうしゅうは即位するとすぐに卓茂を求め尋ねた。


 卓茂はこの時七十余歳という高齢であった。


 九月、劉秀が詔を発した。


「名が天下に冠すれば(天下で最も名声を知られれば)、天下の重賞を受けるべきである。今、卓茂を太傅に任命し、褒徳侯に封じることとする」











 劉秀りゅうしゅう軍の諸将が洛陽を数カ月にわたって包囲したが、更始軍の朱鮪しゅいの堅守の前に成す術がなかった。


「朱鮪如きになあ」


 劉秀は諸将と合流し、城を眺める。そして彼は岑彭しんほうに言った。


「朱鮪は名将だったようだ」


「確かにあの方は将として実力があるかもしれませんが、名将に変えているのは陛下自身かもしれません」


「どう言う意味かな?」


「許すことはできませんか?」


 かつて朱鮪は兄を殺した。そのことで劉秀に恨まれていることを朱鮪自身がよくわかっている。そのため包囲を受けて、必死に抵抗しているのである。


(私が追い詰めているからこそ、朱鮪は窮鼠となっているか……)


 許せというのだろうか。兄の仇を取るなと天は言っているのだろうか。そう思いながら劉秀は岑彭を見る。


(いや、兄が許すと言っているのか)


 岑彭を見出したのは兄である。つまり彼は兄の残した遺産と言ってもいい。兄が彼を通じて朱鮪を許すと言っているのではないか。


(兄よ……)


「確か君は朱鮪の元で校尉だったね。君に説得を任せていいかな?」


「承知しました」


 岑彭は話し合いを申し込むと朱鮪は城壁の上に現れ、下から話せと言った。岑彭は城壁の下から成敗(利害)について述べた。


 朱鮪はそれを聞いた後、


「大司徒(劉縯りゅうえん)が害された時、私はその謀に関わった。また、更始に蕭王を派遣して北伐させるべきではないと諫言した。誠に自分の罪が深いことを知っているため、投降はできない」


 岑彭が帰って劉秀に詳しく話した。劉秀は改て明言する意味で言った。


「大事を挙げる者は小怨を憎まないもの。朱鮪が今もし投降すれば、官爵をそのままにする。誅罰するはずがない。河水に誓おう、私は食言(妄言。約束を破ること)しない」


 岑彭が再び城下に行って朱鮪に告げた。


 朱鮪は城壁の上から縄を下して、


「必ず信があるというのであれば、これを使って登れるはずだ」


 と言った。


「もちろん登れる」


 岑彭は縄に向かって進み、城壁を登ろうとした。


「汝の誠意はわかった」


 朱鮪はそれを見て投降に同意した。


 朱鮪は両手を後ろに縛って、岑彭と共に河陽に行った。


 劉秀は朱鮪の縄を解いてから接見した。


(殺したいなあ)


「いやあ、久しぶりですね」


「はっ誠に左様でございます」


 朱鮪は跪きながら体を震わす。


(殺したいなあ)


「あなたの降伏を許します。官職も取り上げません。どうでしょうか?」


「ご温情、感謝致します」


(殺したいなあ)


 劉秀はその後、岑彭に命じて夜の間に朱鮪を城に帰らせた。


 翌朝、朱鮪は蘇茂らと共に全ての衆を率いて城を出て、改めて劉秀に投降した。


 劉秀は朱鮪を平狄将軍に任命し、扶溝侯に封じた。彼は後には少府を勤め、封爵が代々継承されていくことになる。


 劉秀は侍御史・杜詩としを派遣して洛陽を安集(安定、按撫)させた。


 将軍・蕭広しょうこうが兵士の横暴をほしいままにさせていたため、杜詩が敕曉(戒めて諭すこと)したが、蕭広は改めなかったため、杜詩は蕭広を格殺(撃殺)して還り、劉秀に報告した。


 劉秀は杜詩を接見して棨戟(木製の戟。王公以下、官吏が外出する時に先導が持つ)を下賜し、抜擢して官位を昇進させた。


 劉秀は洛陽に入り、南宮却非殿を行幸した。ここから洛陽が都に定められることになる。




 

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