即位
劉秀が南平棘(県名)に至ると諸将が強く即位を請うた。それでも劉秀は同意しなかった。
諸将がとりあえず退出してから、耿純が進み出て劉秀に言った。
「天下の士大夫が親戚(家族)も故郷も棄てて矢石の間(下)で王に従っておりますのは、彼らの計(考え)が元々龍鱗に登って鳳翼に附くことにより、志していることを成就させたいと望んでいるからでございます。今、王が時を延ばして衆に逆らい、号位を正さなければ、私が恐れるに、士大夫は望が絶たれて計が行き詰まり、その結果、去帰(帰郷)の思いが生まれ、久しく自らを苦しめる者はいなくなりましょう。大衆が一度離散すれば、再び集合させるのは困難です」
(尊号を唱えなければか……)
劉秀は耿純の言葉からは誠実懇切だけを感じるがためにこう答えた。
「考えてみることにしよう」
そうは言いつつも劉秀は鄗へ移動した。
そこで劉秀は馮異を招いて四方の動静について問うた。
馮異はこう述べた。
「更始は必ず敗れましょう。宗廟を憂いる大任は王にありますので、衆議に従うべきです」
(馮異もか)
劉秀は一人、横になりながら考える。
(皇帝か……執金吾になりたいとは思っていたのに、いつの間にか王になって、そして皇帝に……か)
彼にとっての夢は執金吾となり、陰麗華を娶ることであった。因みに彼はまだ陰麗華を招いていない。郭聖通を妻としたことへの負い目故に彼女を招かないでいる。
またこの年、郭聖通との間に子が産まれ、劉彊という。彼は仁愛の心を持った人物で気弱な人であるが、後に産まれることになる弟たちからも慕われた人である。しかしながら彼の優しさは痛みと苦しみから生まれたものであり、その痛みと苦しみを与えたのは父である劉秀である。
ある意味、劉秀の子の中で一番、劉秀に似ているのは劉彊かもしれない。
「官に付くなら執金吾、妻を娶らば陰麗華~」
(陰麗華ならどう言うかな)
彼女の顔を思い出しながらなんとなく頷いてくれるように感じた。その一方である言葉が過る。
「偽善者」
昔、彊華に言われた言葉である。未だにあの言葉が一番、辛い言葉であった。
「彼も今はどうしているのだろうか……」
「誰がどうしているかって?」
その時、自分を後ろから覗き込んだのは彊華であった。驚いた劉秀は思わず、前に倒れる。
「ど、どうして、どうやってここに?」
「普通に正面から入ったぞ」
彊華は劉秀に座るように促しながら座る。
「皇帝になる男の面を見に来た」
「それでどうです。その皇帝になる男の顔とやらは?」
からかい混じりに言った言葉に彊華は鼻で笑いながら言う。
「相変わらず、偽善者の面だ」
「昔と変わらず、手厳しい」
乾いた笑いをしながら劉秀は彼に盃を渡す。
「酒は飲まないが、皇帝になる男に注いでもらうなど中々無いからな」
「嬉しい限りです」
劉秀は彼の盃に酒を注ぐ。彊華はそれをぐっと飲む。
「不味くない酒を飲んでいるな」
相変わらず、皮肉しか言わない男である。
「それで顔だけを見に来たわけではないのでしょ?」
「まあな」
彊華は言った。
「皇帝になるのに迷いがあるのか?」
「正直、ある。皇帝になるには相応しい人格ではないとか、君に言われた偽善者とか色々ね。ただ、一番の問題は……」
劉秀は彼を見据えながら言う。
「天命が無いこと」
そう劉秀が天意を受けて即位するという目に見えるものが一切、無いのである。
「天が望んでいないにも関わらず、即位するのは天の意思に背くことになるのではないか。そう思っている。だから、皇帝になるのに躊躇してしまっている」
「そうか……」
彊華は目を細めながら懐からある書物を取り出した。そして、劉秀へと差し出した。
「これは緯書ですか?」
劉秀は赤伏符と書かれたその書物を開くとそこにはこう書かれていた。
「劉秀は兵を発して不道を捕え、四夷が雲集して(雲が密集するように集まって)龍が野で闘わん。四七の際に火が主になるだろう」
ここにある「四七」は「二十八」で、高祖・劉邦から劉秀が初めて起った時までの年数に符合する。高祖・劉邦の漢王元年は前206年であり、劉秀が挙兵した新の王莽地皇三年の22年であるため、ちょうど二百二十八年になる。
また、劉秀が挙兵した時は二十八歳で、劉秀の天下統一を助けた功臣も「雲台二十八将」というため、劉秀は二十八と縁がある。そして、漢は火徳であるため、火が主になるというのは漢が復興することを意味する。
「それがお前の天命だ」
そう告げた彊華の顔に劉秀は違和感を覚えた。彼の顔に二つの表情が見えたためである。そしてその一方の表情を劉秀は知っている。
「ではな」
彊華が立ち上がると劉秀は止めた。
「待って、最後に一つ聞きたいことがある」
振り向く彊華に劉秀は言った。
「君たちはどちらが主なの?」
その言葉を受け、彊華はため息をつき、懐から仮面を取り出した。そしてそのまま仮面を付けた。
「よく気づいたね」
鈴の鳴るような声が聞こえた。劉秀はこの声の主を知っている。
「やあ、久しぶりだね厳光」
「どこで気づいたの?」
「さっき彊華が言った時に表情が二つ見えた。どこか達観した表情と憎しみに似た表情。その表情が君が僕に向けるものによく似ていたからね」
「へぇ」
厳光は劉秀に近づく。
「全く、に、彊華もなんでこんなやつにこれを渡したんだが……」
「こいつだからこそ渡したんだ」
仮面を付けながら二つの声が発せられた。
「仮面を付けていても彊華も話せるのか」
「普通に話せるぞ、こいつも仮面付けなくても話せる。付けるのはあくまでもどちらが喋るかを決めているに過ぎないからな」
彊華は自分を指しながらそう話す。
「それでどちらが主なの?」
「どちらが主か……どちらだろうな。あの時、あの悪魔の前には確かに二人いたのがいつの間にか一人になっていたからな」
劉秀は首を傾げる。
「愚かな兄弟がいた」
彊華は目を細めながら言う。
「飢えに苦しみ、弟と共に歩き倒れた時に悪魔が現れた。悪魔は兄弟にこう聞いた。『麗しい兄弟愛だ。私は優しいからな二人の最後の願いを聞こう』と、そこで……」
二人の声が重なる。
「愚かな兄はこう願った。弟がいつまでも幸せに生きて欲しいと」
「愚かな弟はこう願った。兄といつまでも一緒にいたいと」
「悪魔は笑いながら頷いた。『その願いを叶えよう』と言った。その結果がこれだ」
彊華は乾いた声で笑うと立ち去ろうとした。
「どこに?」
「さあな」
彼はそう言うと何処かへと去っていった。
「ありがとう」
その後、劉秀は彊華からもらった赤伏符を群臣に見せると彼らはこれを理由にまた帝位に即くことを請うた。
六月、劉秀は鄗南で皇帝の位に即いた。建武元年に改元して大赦を行った。
万歳三唱が鳴り響く中の劉秀を、彊華と厳光は見ている。
「きっと調子に乗っているよ」
「さあ、どうだろうな」
弟の言葉に彊華は笑う。
「あいつなら大丈夫だと思いたいものだ」
「へっ兄は人を信じすぎる」
「そうだな、こんな世の中だからこそ、あいつのような男を信じてみたいと思わないか?」
兄の言葉に厳光は拗ねたように言った。
「いずれ、あれの本当の本性が見えるさ、あれも同じ穴の狢さ」
「かもしれないな。だが、それでもあいつの作る時代を見てみたくなった」
彊華はそう言って何処かへと去っていった。




