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銅馬が征く  作者: 大田牛二


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群雄割拠

 段々と更始政権が弱体していることから隗崔かいさい隗義かいぎは叛して天水に帰ることを謀ろうとした。


 隗囂かいごうはこれを告発した。


 更始帝はこれを受けて隗崔と隗義を誅殺し、隗囂を御史大夫にした。


「そういうやり方で己の地位を高めていくとやがて痛い目に会うぞ」


 隗囂の友人である来歙らいきゅうがそう言うと彼は頷いた。


「私とて、わかっているしかしながら彼らのやろうとしていることを見過ごすことができなかったのだ」


 そう言うのであれば、更始帝より任命された御史大夫を返上すればいいにも関わらず、彼はそれをやる素振りは無い。


(やれやれ……)


 来歙はため息をつく。


 彼は更始帝に対して進言を行ったりしつつも聞き入れられたことがない。そのため病気を口実で官職を返上している。


「どうするかな……」


 更始帝にあまり未来が無いことは感じている。だからといってここ長安を離れることなく時を過ごしていた。


(少年の元に行くのはなあ……)


 官職を返上してから劉秀りゅうしゅうの元へ行こうと考えも浮かんだが、劉秀が自分が来た時の対応を考えると行こうとは思わなかった。


(少年は私のことを尊重してくれるはずだ。そのあり方がせっかくの臣下との間に亀裂を入れかねない……)


 そう考えたために劉秀の元には行こうとは思わなかった。


(せっかく少年が努力したのだからな……)


 そんなことを考えている時に彼の元へ漢中王・劉嘉りゅうかに誘われたため、彼は劉嘉の元へ移動した。




 


 赤眉の西進、劉秀の独立など更始政権の弱体化は誰が見ても明らかになりつつある中、野心ある者たちが立ち上がっていた。


 梁王に封じられていた劉永りゅうえいが封国を拠点にして兵を起こした。諸郡の豪桀を招き、沛人・周建しゅうけんらが将帥として配置され、済陰、山陽、沛、楚、淮陽、汝南の地で合わせて二十八城を攻略した。


 また、使者を送って西防(地名)の賊帥・山陽の人・佼彊こうきょうを横行将軍に、東海の賊帥・董憲とうけんを翼漢大将軍に、琅邪の賊・張歩ちょうほを輔漢大将軍に任命した。


 劉永は青・徐二州を監督し、諸勢力と兵を合わせて東方を独占した。


 邔の人・秦豊しんほうは黎丘で挙兵し、邔や宜城等の十余県を攻めて取った。一万人の衆を擁し、自ら楚黎王を号した。


 汝南の田戎でんじゅうが夷陵を攻めて落とした。


 田戎は掃地大将軍を自称し、転戦しながら郡県で略奪して数万人の衆を得た。


 年が明け、25年


 正月、かつて隗囂に仕えていた方望ほうぼうは更始帝の政治が乱れているのを見て、必ず失敗することになると予測していた。


 そこで安陵の人・弓林きゅうりんらに言った。


「前(旧)定安公・えいは平帝の嗣(後嗣)であり、王莽に簒奪されたとはいえ、かつては漢主になった方である。今、人々は皆、劉氏の真人が改めて命を受けるべきだと言っている。共に大功を定めたいと思うが、如何か?」


 弓林は頷き、定安公・劉嬰りゅうえいを天子に立てた。数千人を集めて党を作り、臨涇を占拠した。


 更始帝は丞相・李松りしょうと討難将軍・蘇茂そもらを派遣して撃破し、劉嬰らは皆、斬られた。


 方望は終始漢王朝復興を掲げた人であり、その思いは本物であったと考える。劉秀の元へ行っていれば、少しは違った運命もあったかもしれない。










 劉秀軍の鄧禹とううが箕関に至り、河東都尉を撃破して、そのまま進軍して安邑を包囲した。


 赤眉の二部が弘農で合流していた。そのため更始帝は討難将軍・蘇茂を弘農に派遣して防がせたが、蘇茂の軍は大敗して千余人が死んだ。


 赤眉は更始政権の諸将に連戦剋勝(連戦連勝)して勢力が拡大したため、兵を分けて一万人で一営を形成し、合計三十営を作った。一営に三老と従事を各一人置いた。


 三月、更始帝は丞相・李松を派遣し、朱鮪しゅいと合流させてから蓩郷で赤眉と戦わせることにした。しかしながら李松等は大敗し、軍を棄てて逃走した。更始軍の死者が三万余人に上った。


 赤眉は北に転じて湖(県名)に至った。


 同じ頃、蜀郡の功曹・李熊りゆう公孫述こうそんじゅつに天子を称すべきだと説いた。


 公孫述は実はある夢を見た。そこで男が現れ、言った。


「八ㄙ子系、十二を期と為す」


 意味がよくわからなかったため蜀に滞在しているという蔡少公さいしょうこうを招いて聞くことにした。宝石を揺らした笠を被った童女の姿に彼は驚きつつ、彼は彼女に夢の内容について問うた。


 すると彼女は「八ㄙ」は「公」、「子系」は「孫」なので公孫述を指して、「十二を期と為す」というのは十二年の天下を得るという意味と説明した。


 公孫述はその内容を聞いた後、妻に言った。


「たとえ尊貴を得たとしても福が短いのはどうであろうか?」


「朝に道を聞くことができれば、たとえ夜に死んでも満足できるもの。十二(年)もあったらならなおさらでございましょう」


 この時、龍が府殿に現れ、夜には光が輝いた。


 公孫述はこれを符瑞と考えて、掌に「公孫帝」という文字を刻んだ。


 四月、公孫述は帝位に即いた。国号を成家と号し、龍興元年に改元を行った。

 

 公孫述は李熊を大司徒に、公孫述の弟・公孫光こうそんこうを大司馬に、公孫恢こうそんかいを大司空に任命した。


 その様子を蔡少公はくすくすと笑った。


「相変わらずねぇ」


「あんた、姿はなんでもいいのか?」


 彼女が振り向くと彊華きょうかがいた。


「あらあ、童女の姿はお好みではないのう?」


「黙れ」


 彊華は話があるというから来たのである。それにも関わらず、この女は話を切り出さない。


「帰るぞ」


「まあ、待ちなさいよ」


 彼女は手元に持っていた赤伏符を渡した。


「これは……」


 その時、蔡少公は手を振った。


「何かしたか?」


「あの子が出てこなくしたの」


 彊華は目を細めた。確かに厳光げんこうは現れない。


(あの男も化物だが、この女もやはり化物だ)


「それを使うか、使わないかもあなた次第。これはあの子にもあいつにも見えないようにしているわ」


 彼女は近づき笑う。


「だからこれはあなたとの秘密よ」


 そう言って彼女はどこかへと去っていった。


「見えないか……」


 彊華は赤伏符を見る。


「天命はここにあるか……」


 





 

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