祭遵
劉秀が柏人包囲を行っていた中、更始帝は鮑永という男を招いていた。
彼は鮑宣という前漢王朝における重臣だった人を父としている。その鮑宣を王莽が殺した時、上党都尉・路平は鮑永を殺そうとした。
しかしそれを太守・苟諫が保護したため、鮑永は命を喪わずに済んだ。
更始帝はそんな彼を招いて尚書僕射に任命し、大将軍の政務を代行させた。
鮑永に兵を率いさせ、河東、并州を安定させ、自由に偏裨(副将)を置く権利を与えた。
鮑永は河東に至り、青犢を撃って大破した。
馮衍を立漢将軍に任命して太原に駐屯させ、上党太守・田邑らと共に并州の地を守るために武器を整えて兵を養った。
珍しく更始帝が個人的に行った人事としては中々の成果を上げたものであった。
柏人を劉秀が囲んでいる中、彼の元へ慌てて数人の人物が駆け込んできた。
「た、大変です。軍市令・祭遵様が……」
騒ぎのきっかけは劉秀の舍中児(家中の若い僕人)が法を犯したことである。どのようなことをしたのかということに関しては記述は無い。しかしながらこのことに対処することになったのが軍市令である祭遵であることから少し予想をすることができる。
そもそも軍市令がどういう役職なのかを説明しなければならない。
従軍する兵は複数の地域から集まっている。そのためそれぞれ故郷から持ってきたものでの売り買いを市を軍中で立てて交易をしていた。それを管理するのが軍市令である。または兵たちの間での賭け事などの管理も行っていたかもしれない。
こういうものを許すことも兵を集める知恵の一つなのだろう。
こういうことから売り買いを行う上で劉秀の僕人であることを盾にして横暴な交易を行ったなどという罪を犯したのかもしれない。
祭遵は軍市令としての職務を果たそうとして舍中児を処罰しようとした。
「良いのか、私は劉将軍の僕人であるぞ」
基本的に他者の管理下にある僕人を処罰したりすることは本来やらない。だが、祭遵は目を尖らせ、怒声を上げた。
「黙れ、これより刑を執行する」
「おい、私は……」
「貴様に言われなくともわかっている。故に貴様に慈悲を与えよう」
彼がそう言うと剣を抜き、そのまま大地に突き刺した。剣から手を離し、両手を握り締める。
「慈悲を与えるのではないのか?」
舍中児は後退る。
「これは慈悲だ。貴様の首を斬らないのだからな」
これは儒教論理、いや正確に言えば、中国の根底的な考え方である。
古代中国において子の体は親から与えられたもので大切にしなければならない。そのため病気も怪我もしないことが孝とされた。
そのため処刑方法において首を斬られるというのは残酷であり、親不孝な刑罰であるため処罰としては中々に重いのである。だからこそ貴族は毒を飲んで死ぬのが名誉を守るというのも同じ意味がある。
そのため祭遵が今、殴り殺そうというのは慈悲というより劉秀の僕人であるということに配慮しているとも取れなくはない。
「や、やめ」
舍中児が逃げ出そうとした瞬間、祭遵の拳が彼の頬へ綺麗にかつえぐるように放たれた。それによって倒れた舍中児に祭遵が乗っかると何度も拳を彼の顔に叩き込んだ。
周囲の者たちは誰もが驚いた。祭遵は容貌は凛々しく、誰に対しても礼を持って接する人である。そのような彼がこのような血なまぐさい行為を行っていることにただただ驚くばかりであった。
祭遵の拳が振るわれ、周囲に骨が折れた音が響き渡った。
事情を聞いた劉秀は激怒して、祭遵を逮捕するように命じようとした。するとこれを主簿・陳副が諫めて言った。
「明公はいつも衆軍の整斉(整粛)を欲しておられます。今、祭遵が法を奉じて曲げようとしなかったのは明公の教令を行ったためです」
劉秀はこの言葉を受けて祭遵を赦すどころか更に彼を刺姦将軍に任命した。かつて王莽が左右刺姦を置いて姦猾な者を取り締まらせたことがあったが。劉秀はこの王莽が設けた官を元に将軍号を設けたのである。
そして劉秀は諸将に言った。
「祭遵には注意しよう。僕の舍中児が法を犯した時でも殺したのだから、私情によって諸卿をかばうことも無いだろうね」
この話は趙盾と韓厥の逸話に非常によく似てる。趙盾の言葉に韓厥が感動したように祭遵も同じように感動したことであろう。彼は劉秀の軍において率先して死地へと向かっていく将となっていくのである。
取り敢えず軍中で生じた問題に対し、解決させた劉秀であったが、未だに柏人を中々陥落させられない。
そんな中、無表情で城を眺める馮異がいたため、劉秀は話しかけた。
「これほどに李育が名将だとは思わなかったよ」
「私でも城を守れたのは、一致団結できたからです。彼も王郎という幻想の中に生きている人を主にしておりますが、彼もその下の兵も一緒に幻想の中にいるからこそ強いのでしょう」
攻城戦において守る方がもっともその手腕を問われるのはどれだけ城内の兵と一致団結できるかである。
「しかしながらそれは彼個人のものであるより、王郎の作り出した幻想があってこその強さであるということです」
馮異は劉秀をじっと見つめた。
「このまま柏人を包囲するよりも鉅鹿を定めた方がよろしいかと思います」
「ふむふむ……」
「李育は王郎の幻想があるからこそです。また野戦での敗北は彼らからすれば新しい記憶です。そのことを意識しすぎれば、王郎の幻想から抜け出すことになります。彼らの強さは発揮できない」
ある意味、王郎たちは一種の宗教集団とも言えるかもしれない。王郎という教祖を中心とした存在なのであり、この集団は外からの攻撃には強いのが特徴である。
(僕はあまりにも普通の勢力と考えすぎていたか……)
「彼らを倒すには時間がかかります。しかし、その時を効率よく行うべきです。一度、てこずればてこずるほど、泥沼になっていきます」
「なるほど、その意見に従おうかな……」
劉秀はそう呟いてから言った。
「人の夢を潰して、自分の夢を叶えるってほんとに罪だよね」
「自分の夢のために多くの者を巻き込み、命を奪う方が罪深いことだと思います。気楽にいきましょう。あなたが罪深いとは誰も思っていないのですから……」
「ありがとう」
劉秀は兵を率いて東北に向かい、広阿を攻略した。
そこで劉秀は輿地図(地図のこと、天を蓋、地を輿といったため、地図は「輿地図」と呼ばれた)を開き、鄧禹に指し示して言った。
「天下の郡国はこのようの多く、今始てそのうちの一つを得たけど。君は以前、僕をもって天下を考慮するなら、定めるのは難しくないと言ったけど、それはなぜかな?」
鄧禹はこう答えた。
「今は海内が殽乱(混乱)しており、人々が明君を思う様子は赤子が慈母を慕うのと同じなのです。古に興隆した者は徳の薄厚にかかっていたのであり、領地の大小にかかっていたのではありません」
「そう……なら僕の徳はどこまでのものなのかはもう少しでわかるかな?」
「ええ、恐らく……」
二人がそのような会話を行っている間、劉秀の元に多くの騎馬隊が向かっていた。




