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銅馬が征く  作者: 大田牛二
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留学

 雪の中を二人の兄弟が互いを支え合いながら歩いている。どちらも雪の中を歩くにはあまりにも薄い服を着ており、体中傷だらけ、更には飢餓状態でもあった。


 二人はついに雪の中に倒れ込んだ。もはやこのまま死ぬだけであろう。互いに手を取り合いその最後の時を待ち始めた。


 そこに黄色い服の男が現れた。


「麗しい兄弟愛だ。私は優しいからな二人の最後の願いを聞こう」


 男の言葉に兄弟はそれぞれ最後の願いを言った……
















 晴れ渡る空の下、青年が歩いている。


「お、文叔ぶんしゅく、今帰りか?」


 農作業を行う男がそう声をかけるのを、


「はい、そうです」


 明るい声で劉秀りゅうしゅうは答える。


「まあ、文叔ちゃん。ちょうど良かったわ。私のところで採れた野菜、分けてあげる」


「わあ、ありがとうございます」


 初老の女性から野菜を受け取りながら彼は歩いていく。


「文叔」


「文叔さん」


「文叔ちゃん」


 道行く誰もが彼を見つけると声をかけてくる。


「皆さん、元気ですねぇ」


 その声に劉秀は一人一人、元気よく答えていく。


「お兄ちゃん。どこに行くの?」


 近所の子供たちも劉秀を見つけると話しかけてくる。


「家に帰るところだよ」


 劉秀たちは集まってきた子供たちを無碍に扱わず、彼らの話を聞いていく。


「あっ、文叔お兄ちゃん。あれ見て」


 一人の子供が指さした方を見ると行列が見えた。


「陰氏の行列か」


陰麗華いんれいかはいるだろうか)


 劉秀は憧れの人を見ようと行列の中にある輿を見ていくが以前のように顔が見えるようではない。


「そう言えば、お兄ちゃん。知ってる?」


「なんだい?」


「なんかねぇ、陰氏がああやって出かけるのは有名な卜師に会うためなんだって」


「へぇ」


(有名な卜師かあ)


 劉秀はじっと行列を眺めた。








 劉秀の姿を輿から見ていた目があった。その目は深い海のような色の濃い黒を持っており、まさに絶世の美女という名に相応しい女性であった。


 彼女は劉秀を見て、あの時の人だと思った。


 暗い表情でこちらを見ていた人である。そして、今は子供たちと明るそうな表情を浮かべていた。


(あまり好きになれない人だわ)


 彼女は冷たい目でそう思った。


(それでもなんで、印象に残っているのかしらね……)


 そう思いながら彼女は目を閉じた。












 劉秀は叔父である劉良りゅうりょうの家に戻った。


「帰ってきたか」


 劉良の声が聞こえると共に劉秀は中にいる人を見た。


「あっお久しぶりです」


 中にいたのは来歙らいきゅうであった。


「少年、久しぶりだな」


「はい」


 劉秀は明るい声で答える。


「ふふ、元気そうで良かったよ」


 来歙が頷く横で劉良は目を細める。この男との会ってから劉秀は前向きになって明るくなった。


『お前のおかげで秀は救われた』


『私が救ったわけではありませんよ』


(この男は決して恩を着せるようなことを言わない)


 それが来歙の美徳の一つである。


「なんで、ここにいらっしゃるのですか?」


「お前の常安留学の送り迎えをしてもらうためだ」


 龍良は劉秀を常安、かつて漢王朝の都であった長安へ学問のために留学させることにしていた。常安にまで行くのを来歙に任せることにしたのである。


「そんなことまで……」


 劉秀は頭を下げた。


「ありがとうございます」


「そうだぞ、少年、感謝しなければな」


 来歙は劉秀の頭を撫でる。


「少年は皆に愛されているのだからな」


「はい……」


 恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうに劉秀は目を細める。


「で、いつ出るかだが……」


「早い方がよろしいでしょうな。三日後にでも」


「では、三日後としよう。それで良いか秀?」


「はい、大丈夫です」


 こうして劉秀の常安留学の日程が決まった。


 その話はすぐに近所中に伝わった。するとこぞって近所の人々が祝った。


「文叔、頑張れよ」


「いじめれないようにねぇ」


 口々に心配する声などをかけながら劉秀はお礼を言っていく。


「少年は本当に愛されているな」


「真面目で、誠実だからな」


 それでいて劉秀は農場の管理が的確である。決して誰かに特別な指導を受けたわけではない。それにも関わらず、劉秀が手を加えた農場は自然と作物がすくすくと育った。


「だからこそ、心配なのは……」


 劉良は目を細める。


「今の都が本当の意味で学ぶに相応しい場所なのかということだ」


 来歙は頷く。


「しかし、都だからこそたくさんの者たちがいます。こことは違う様々な考え方を持つ者たちがその者たちと関わり、知り合うことは必ず少年の宝となるはずです」


「ああ、そうだな」


 その時、劉秀の周りの者たちがざわめいた。劉縯りゅうえんがやってきたからである。


「あれは確か少年の兄上であったか」


「ああ、何しに来たのか……」


 劉良は劉縯には厳しい目を向けている。


「長安……常安に留学しに行くそうだな」


「はい、そうです。兄上」


 劉秀は以前よりは劉縯とは普通に話せるようになっている。


「まあ、頑張れよ。ただ学びすぎるな。いいな」


 劉縯はそう言うと立ち去っていった。


「いい兄ではないか」


「そうか?」


 劉縯を褒めた来歙を劉良は咎めるように見る。


「学びすぎるなか。彼も常安に留学していたのですか?」


「ああ、舂陵侯と共にな・すぐに帰ってきたがな」


「なるほど、しっかりと自分なりに学ばれたのでしょうな」


(ただ、学ぶ部分への好き嫌いがあるのが、器量に限界を生んでしまっているようにも見えるな)


 恐らく劉縯は高祖・劉邦りゅうほうに憧れているのだろう。格好や仕草からもそれがわかる。だが、劉邦は自分の知らないことを知っている人に対して、丁寧であった。知らないことは知らないと言える勇気を持っていた。


 劉邦は無学であったかもしれないが、決して学ばなかったわけではない。学びのあり方が人と違うだけである。


「今、少年と兄との間には天地ほどの差がある。しかし、この常安留学はその差を埋めることができましょう。超えるかどうかは少年の努力次第でしょうがね」


「ああ、そうだな」


 劉良は思う。きっと劉秀は兄を越えると。


 三日後、劉秀は来歙と共に出発した。


「よろしいのですか。直接、見送らなくて?」


 劉良は家を訪ねてきた義姉である樊氏にそう言った。


「ええ、大丈夫です。あの子と会わない方があの子のためだと想いますので」


「そうでしょうか。それは違うように思えます。あの子はあなたに会いたがっていますよ」


 樊氏は首を振った。


「あの子は私を憎んでいます。表に出さないけれども、あの子はそういう子ですから」


 恐らく子供たちの中で最も怖いのは劉秀だと思っている。そしてその怒りをもたらしたのは恐らく自分だろうと思っている。


「そんなことはありませんよ。秀はあなたを愛している」


 劉良は劉秀を見てきただけにそう思う。彼の中にある優しさは本物だと。


「私は今更、愛してくれと思うことはありません」


 あの時、この優しい義弟に劉秀を預けた時から覚悟していたことである。


「私の願いはただ一つです。どうかあの子が良き友人と出会い、成長し幸せになって欲しいというだけです」


(そのためにどうか天よ)


 この命を捧げてでもあの子に輝かしい未来を……
















「ここが常安」


 来歙と共に案内されながら劉秀は周囲を見回す。


 人、人、人、たくさんの人と物に溢れかえっている。


「すごいですね」


「そうだろう」


 来歙が指さした。


「さあ、少年。あそこがこれから少年が学ぶ学舎だ」


 彼はそのまま学ぶための書簡などを劉秀に渡していく。


「たくさん学友を作るといい。きっと彼らは良き友人として少年を支えてくれるはずだ」


「はい」


 劉秀は送ってくれたお礼を述べてから一人、学舎へ向かった。


(どんな人がいるのかなあ)


 希望を胸に少年は歩いていく。


(たくさんの人と知り合えるといいなあ)


 そう思っていると段差のある場所に差し掛かり、そこで足がひっかかって転んだ。


 ひっくり返る体はたまたま傍にいた同い年ぐらいの少年とぶつかった。


「すいません」


 ぶつかった少年の物を含め、手に持っていた書簡などが散らばる。


 劉秀は謝りながら拾っていく。しかし、ぶつかった少年はテキパキと自分のものを拾って立ち上がるとそのまま立ち去ろうとした。


「あの」


 もう一回、謝ろうと思い、声をかけると少年が振り向いた。とても冷たい目をしており、劉秀に向かって、


「失せろ、偽善者」


 と言うや否やそのまま去っていった。


 突然の暴言に劉秀は、そこにたまたま通りかかってきた年下の少年が話しかけるまで唖然としたまま固まっていた。



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