婚儀
昨日は更新できず、申し訳ない。
陰識は劉秀から婚儀の申し込みがあったことを実家に知らせた。
「これで劉縯殿との約束も果たせる」
挙兵に参加した時、自分が陰氏の当主であることを知った劉縯が自分を訪ねてきたことがあった。
『どうなさいましたか?』
突然、やってきたためそう聞くと劉縯はこう言った。
『汝の妹君は既に嫁がれているか?』
『いいえ、諸事情があり、嫁いでおりません』
諸事情という言葉を聞いて劉縯は眉をひそめる。
『そうか……その諸事情というのはこちらが聞いても良いものか?』
『いいえ、お答えすることはできません。ただ何か呪われているといったことではなく、ちょっとした諸事情でございます』
『左様か……まあ良い。その妹君であるが……私の弟と婚儀を結んでもらいたいのだが、よろしいか?』
劉縯の言葉を受け、陰識は少し考えた。
(あの言葉通り、いや一部は違うが……それに相手は弟か……)
『今度、弟を交えて正式にお伺いする。それまでに決めて頂ければ構わないが』
すぐに返事をしなかったためか劉縯はそう言った。
『いえ、お言葉に従い、喜んで婚儀を結びたくございます』
『そうか……感謝する』
劉縯は嬉しそうにそう言った。
『あまり兄らしいことをしたことはなかったからな。少しでもと思って、弟が前から心を寄せている汝の妹君に婚儀を結んでもらいたいと思ったのだ』
『そうでしたか』
『正式なことは弟を交えて、では』
そう言って劉縯は去っていった。
「約束は守ることができた」
正直、ほっとしている。またあの言葉に従うこともできる。そろそろ年齢的に嫁がせたいと思っていたため、あの言葉を無視することも考えていた状況であった。
「取り敢えず、良かった」
兄として陰識は胸をなでおろした。
陰氏の当主は陰識ではあるが、家政を担っているのはその母である。
母は陰識の書簡を受け取り、中身を見る。
「ついに来ましたよ」
優しい言葉で娘の陰麗華に言った。
「蔡少公様のお言葉通り、劉氏から二度目の婚儀の申し入れがありました。あなたは二度目に申し入れした方の元に嫁ぐのです」
陰麗華は絶世の美女であることはこの母を見てもわかるものであった。同時にこの美しさが災いとなることを恐れていた。
(嫁ぎ先は慎重に選びたい)
そこで彼女は卜いに頼ることにした。ちょうど近くにあの有名な蔡少公がいると知るやさっそく陰麗華を連れ、見せることにした。
蔡少公は宝石をじゃらじゃらとつけた笠を付けた美女であった。
「どのようなご要件でしょうか?」
鈴のような声で問いかけられたため、正直に答えた。
「この子の嫁ぎ先としてどのような方が良いのか占ってもらいたいのです」
「ふむふむ、ではでは」
蔡少公はじっと娘の陰麗華を見た。娘はあまり感情を動かす子ではないが、この日は僅かに怯えたように自分の服の端を掴んだのが印象的だった。
「高貴な方に嫁ぐことになります」
「ほう」
高貴な人物の元に嫁ぐというのは純粋に嬉しいことである。
「しかしながらその方は今はまだ高貴とは言えません」
(後々出世するということね)
その方が大切に扱ってくれるかもしれない。
「その高貴になる方から直接、婚儀の申し入れがございます」
(直接……つまり待てばいいということ)
意外ではあったが、高名な人の言葉である信じることにした。
「劉氏から二回、申し入れがあります。その二回目に申し入れを受け入れるべきです。そうすればご息女はとても高貴な方となられましょう。その高貴さは天の高さに等しいほどです」
(天に等しい高さ……)
「つまり……それは……」
言葉が震えるのを感じる。それはつまり天子の妻となるということではないか。そしてその天子に劉氏が再びなるという。
「どうお考えになるかはご自由に、ただこれ以外の元に嫁げは必ずや不幸となります。いいですね」
「はい」
しかしながらここからが長かった。嫁ぐ年齢になってからも劉氏からの婚儀の申し入れはなく、時ばかりが過ぎていった。
(このままでは……)
嫁ぐまでに老いてしまう。それではいけないと考え始めた頃にこの書簡がきたのである。
「その劉氏の方の名を聞いてもよろしいですか?」
「劉文叔という方よ」
陰麗華は目を細めた。劉文叔、聞き覚えのある名である。あの笑みが好きになれない人である。
「そうですか……」
嫁ぐのは嫌だが、逆らうほどではない。そのぐらいはわかっていた。
「では、婚儀に向けて準備をしましょう」
母の喜ぶ姿を見ながら、自分はこれからどうなるのだろうかと陰麗華は考え始めた。
婚儀のために陰麗華が来る。
劉秀は胸の高まりを抑えながら準備を進めていく。
「おい」
「何?」
にこにこしながら振り返ると朱祜がいた。父城での対陣からこちらに戻されたのである。
「なんで、こんなことになってる」
彼は青筋を立てながらそう問いかける。
「いやあ、知ってるでしょう。陰氏の娘さんのこと、彼女が嫁ぎにくるんだあ、僕のところにね。いいでしょう」
自慢するように言う劉秀言葉に朱祜は呆れる。
「劉秀、お前なあ。なんでこんな時に婚儀なんぞ」
「いやあ、そろそろ奥さん欲しくてね。しかも美しいときたら、えへへ」
「劉秀、そういうことではなくてな……はあ」
呆れながら朱祜は首を振る。
「父城はまだ落ちてない」
「そう……」
父城は劉秀が去った後もずっと降伏せずにいる。
「騙されたようだ」
「そうかな?」
劉秀は首をかしげるとそこに王覇がきた。
「来られましたよ」
「そっかあ、じゃあ行こう」
劉秀は喜びを表しながら出迎えに向かう。そんな姿に肩をすくませながら朱祜は後を追いかける。
(明るい劉秀を見てほっとするべきなのか。呆れるべきなのか……)
複雑な感情を持ちながらもついていく。
馬車が近づいてくる。
それを目を細めながら劉秀は見る。
馬車が止まり、馬車から女性が降りてくる。
(ああ、陰麗華だ)
あの時から憧れ続けてきた美女が、あの時よりも更に美しくなって現れた。
彼女と同行している者たちを屋敷へと案内していき、宴の席に座る。
宴には陰麗華の兄である陰識と劉秀の元で働いた者たちと宴に参加している者は少なかった。できる限り、叔父などと関わって巻き込まれたくないという思いのためである。
「人数は少なくても楽しんでもらいたい」
劉秀の言葉を受けて、皆、酒や料理を食べていく。
その間、陰麗華は感情を出さないまま、隣の劉秀を見る。
(相変わらず、好きになれない笑みだ……)
明るいという一言で表すことのできる笑顔を向けてくる劉秀を見ながらもそう思う。
彼女の周りは基本的に笑顔に囲まれた生活であった。しかしその笑顔は仮面をかぶっているようであると幼い頃から感じていた。
それと同じようにこの劉秀も笑顔という仮面を被っているように見えて仕方なかった。
「ちょっと失礼するね」
劉秀は厠に向かうのか立ち上がっていった。すると一人の男が目元を抑えて泣き始めた。
さっきまでこちらを怪訝そうに見ていた男である。宴の先で泣くという行為に違和感を覚えて陰麗華は訪ねた。
「どうなさいましたか?」
「顔は良いが頭は良くないようだ」
突然の侮辱に陰麗華は眉をひそめる。
(あまりにも無礼)
「朱仲先殿は酔っておられるのです」
劉秀の臣下である王覇、傅俊、馬成が慌てて言った。
「お前たち、私は酔っていないぞ」
少し酔っていることの事実を尻目に朱祜は言った。
「お前たちも気づいておるだろう?」
すると三人は目を伏せた。陰麗華が首をかしげると兄である陰識が言った。
「劉文叔殿の御膳を見よ、麗華。理由がわかる」
そう言われて、陰麗華は劉秀の前の料理を見た。よくよく見ると肉だけを避けて食べられている。
「劉秀は喪に服しているのだ」
朱祜は泣きながら言う。
「あれほど明るく振舞っているにも関わらず、正式とは言えないあり方でな……ちくしょう」
拳を叩きつける。
「なんと我らの不甲斐ないことか。仇討ちをするならば、手を貸すそういう心持ちであってもなんの力になってやるどころか、守られているではないか」
「お優しい方なのです」
王覇は呟くように言った。
「ええ、そのとおりです。私は新軍に殺された私の母と弟を弔うために故郷へ帰還することを言われました」
傅俊がそういうと、
「私もだ。老いた父のために故郷に帰ってやれと言われた」
王覇も頷く。
「私は何も言われていませんが…‥民を思いやって欲しいと言われました」
馬成はそう述べる。
三人は目を伏せて悲しそうにする。
(仇討ち……?)
事情がわからない陰麗華は困惑する。
「劉文叔殿は兄君を陛下に暗殺されたのだ」
兄が囁くように言った。
(暗殺……つまり……)
この婚儀は隠れ蓑にするための行為ではないのか……
彼女はそう思った。つまり自分は利用されるということではないか。劉秀の優しさを感じている四人の男を見ながらも彼女は逆に劉秀の汚さを感じた。
「どうしたのみんな?」
そこに劉秀が戻ってきた。
「いや、なんでもない」
朱祜は涙を隠しながらそう言った。
「そっか、さあさあみんな、飲んで、飲んで」
彼は酒を進めていく。しかしながら彼は宴の最後まで肉を食べず、酒も飲まなかった。
劉秀と陰麗華は寝室に入り、二人だけとなる。
(婚儀は隠れ蓑でしかない)
そういう人であったかという思いのまま陰麗華は今後の未来が暗いものになるように感じた。
「ほんとに一緒になれるとは思ってなかった」
劉秀はにこやかな表情でそう言った。
「それほどですか?」
「そうだよ。昔から官に付くなら執金吾、妻を娶らば陰麗華って言ってたんだあ」
「嘘のように感じます」
思わず、陰麗華はそう言った。その言葉に劉秀は目を丸くする。そして笑った。
「そっか、そう感じるのか……」
ほんの少し弱々しい笑顔を見せる。
「事実でございましょう?」
「まあ、そうかもね」
「私はそういうのは嫌いです」
「そうなんだね」
なぜか嬉しそうに答える劉秀の態度にますます神経が逆なでっていく陰麗華は苛立つ。
「兄君が暗殺され、次は自分だと恐れるお気持ちはわかります。そのために婚儀を隠れ蓑として使うというそのやり方が好きになれません」
そう指摘すると彼は首を振る。
「違うよ、それは建前だよ。君を妻にしたい。その気持ちは本当だよ」
「逆でございましょう」
「ほんとさ、嘘をついてない。僕は心が汚いからね」
劉秀は目を細めながらそう言った。その言葉に陰麗華は驚く。
「どういう意味ですか?」
「よく考えてみて、君が欲しいという気持ちが本音で、兄が暗殺した後に君を招いた。つまりね……僕は…‥君が欲しいために兄の死を利用したんだ」
この時、浮かべた劉秀の笑みは確かに笑顔ではあった。しかし先ほどまでの明るい笑顔ではない。悲しさが混じったぎこちない笑顔であった。
(この人の今の笑顔は仮面ではない)
直感でそう感じた。
「あなたは昔から隠し事の上手い人のように感じていました」
劉秀は首をかしげる。
「でも、今のあなたの言葉は本当だと感じています」
「そっか……呆れたかい?」
またもやぎこちない笑みである。
「こんな僕に嫁ぐことになって、嫌かい?」
陰麗華はどう答えていいのかわからなかった。こういう人と今まで関わってきたことがない。これほど明るさの裏に深い悲しみを持っている人だとは思わなかった。
「昔、ある人にこう言われたことがあるんだ。偽善者って」
「偽善者……そうは思いません。あなたを慕う方々の姿を見ればわかります」
「いいや、自分のためにしたことに肯定してくれているだけだよ。僕は誰かにとって都合の良い人になるのは得意なんだ」
「自分の優しさをそのような言葉で表現しないで」
陰麗華は劉秀の手を取る。
「どなたに言われたのかは知りません。あなたは確かに偽善者かもしれません。でも、あなたは自分のために行動しても誰かのためにもなっています。その行動は称えられるものです。あなたの行動が例え偽善的であっても、そのままでも多くの人の助けになるというのであれば、続けるべきです」
彼女は先程までの感情のない表情ではなく、強い感情を持った表情で劉秀を見る。
「偽善だとしても、それを貫けば正義です」
劉秀は彼女の言葉に驚く。心が震えるのを感じたのである。涙が流れるのを感じる。
「ありがとう……ありがとう……」
彼の姿はあまりにも弱々しい。嫁ぐ前に聞いた英雄の如き、結果を出している人の姿とは思えなかった。しかし、そんな劉秀を支えたい。彼女はそう思った。
これから少しの間、劉秀は出てきません。
陰麗華とイチャイチャするのです。




